世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第1章 南米編 性善説?性悪説?アルゼンチンの人達が教えてくれたこと。】

2013-06-22 20:04:36 | 日記
2013年6月22日。

アルゼンチンのバリローチェからアンデス山脈を越えて、チリに入国した。北から最南端まで移動しまくったアルゼンチン。たくさんの出会いが僕に色々なことを教えてくれた。

ブエノスアイレスから入国した僕は、最近のアルゼンチンについての良くない情報をたくさん耳にしていた。かなり警戒して入国したのだが、結論から言うと、アルゼンチン人最高!だと僕は思いたい。

性善説とか性悪説とかあるけど、僕は思う。というか、信じたい。「いやいやいや、人間は善ですよ!」と。アルゼンチンの人々は、僕にそんな思いを強くさせてくれた。

それに第一、人間を疑ってから見るのって嫌ですね。どうせなら、僕は信じたい。「悪い人なんていない」という前提から、人間を見たい。そうじゃないと、なんだかつまらない気がしませんか?

そういえば昔授業の中で、性善説と性悪説のディベートみたいなこともやったなぁ。そんなことも思い出してしまった。

ブエノスアイレスで、大学に行くときのエピソード。
バスでブエノスアイレス大学まで向かおうとしていた僕は、バス停でバスを待っていた。しかし、待てども待てどもバスが来ない。後で知ったのだが、デモがあってバスが来れなかったらしいのだ。
僕だけじゃなく、地元のアルゼンチン人もかなり焦っていた様子なので、こりゃ何かあったな~と思っていた。そして困り果てていた僕を見たあるアルゼンチン人が、僕との拙い英語の会話で事態を理解してくれた。
すると、そのバスが通る別のバス停まで、僕の手を引いて連れていってくれた。それも15分近く歩いて。さらにバスが来たら、運転手に僕のことを説明してくれて、さらに帰りのバスでの帰り方のメモまでくれたのだ。
なんと有り難いことか。日本でここまでしてくれる人は、果たしているだろうか。

ウシュアイア到着時のタクシーのエピソード。
世界最南端の街、ウシュアイアに到着したときのこと。夜の10時近くに街中に到着し、困り果ててしまった。僕が泊まろうとしていた伝説の日本人宿「上野山荘」は、街中から3kmほど離れていたからだ。
アルゼンチンのローカルバスに乗るにはカードが必要だが、実は今このカードが不足していて、観光客が購入することはほぼ不可能なのだ。仕方なくタクシーか…高いな…と思っていたところに、同じバスに乗っていた若いカップルが話し掛けてきた。単語のみのスペイン語とボディランゲージで意思を伝えると、サッと携帯を取り出しタクシーを呼んでくれた。そして一緒に乗ってくれて宿を運転手に伝え、「日本から来てお金もないでしょ?アルゼンチンに来てくれたんだから、僕が払うよ」と、サッと支払いまでしてくれたのだ。
なんと有り難いことか。日本でここまでしてくれる人は、果たしているだろうか。

バリローチェで宿がクローズしていて困っていたときのエピソード。
バリローチェは通過のみにしようと思って、バスターミナル近くの宿まで歩いていった僕。目的の宿の近くまで来たが、看板がない。道を聞こうと店を閉めようとしていた若い女性の方に宿の場所を聞いた。すると、「ここはもうクローズしているわよ」とのこと。時間は夜9時半。これはまずいなぁと困っていると、奥から旦那さんが出てきて、事情を説明した。するとすぐにタクシーに電話をしてくれ、街中の一番安い宿までこの日本人を連れていくようにと交渉してくれたのだ。しかも通常の半額程度のタクシー代で!
タクシーが来るまでの間、寒いだろうからとストーブとイスも用意してくれ、さらに「アルゼンチンのワインは美味いぞ!」と、売り物のワインまで開けてくれたのだ。
僕は何回も「グラシアス」と言いながら、遠慮しつつもグイグイ飲んだ(笑)。そして「この女の人、ホントに綺麗だな~。こっちの人にありがちな、ケツから空気を入れたかのようなパンパンの身体なんかじゃないし、顔も綺麗だそ優しいし、旦那さんが羨ましいぜ」などと不純なことを考えつつ(笑)、グイグイ飲んだ。
タクシーが来たら、後で不当にお金を請求しないようにと何度も運転手に話をしてくれた。なんと有り難いことか。日本でここまでしてくれる人は、果たしているだろうか。

僕はこのアルゼンチンで、何度も人の優しさに触れた。そしてその優しさに守られ、助けられ、その温かさのおかげで旅ができた。

アルゼンチンに入国する前、とにかく犯罪が多いから気を付けるようにと言われることが多かった。確かに犯罪者も多いのであろう。しかし、それはごくごく一部であって、大半は温かく優しい方々ばかりなのだ。

月並みな言い方だけど、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。僕の足を蹴ってスリを働こうとした子ども達も、拳銃を使った強盗までしてしまうような人達も、元々はやりたくてやっているのではないはずだ。ほとんど人は、生きていくために仕方なくやっているはずだ。

ということは、その人個人を責め、罰するだけでは何も変わらない。責任は社会全体であり、全ての人に少なからずの責任があるのだ。その意識を全員が持たなければ、きっと世界は変わらない。僕にだって、この世界を構成する一員である以上、責任を感じなければいけないと思う。もちろん直接的には何の関係もないけど、そのくらいの気概が必要なはずだ。

人間は本来的に善だ。僕はそう思いたい。しかし悲しいことに、旅人は「性悪説」で人を見ないといけない。悲しいことに、親切に話し掛けてきてくれる人達の中には、必ず悪者がいる。ポケットの中のお金を盗られるくらいなら何とかなるが、中には残念ながら、根こそぎ全てを狙ってくる輩もいる。性善説で接していたら、間違いなくいつかやられてしまう。それも旅人の現実でもある。

だから僕は、性悪説で人と接します。でも心は、性善説を貫きます。アルゼンチンという国の人々は、僕に何度も大切なことを教えてくれました、その行動を以て。

本当にありがとう、アルゼンチン!グラシアス!そしてチャオチャオ!

2013年6月22日。チリ南部の小さな街、プエルト・モンのちょっとヤバイ宿にて。

【第1章 南米編 放浪のススメ・ドラクエレベルアップ的思考法】

2013-06-20 14:55:24 | 日記
2013年6月20日。

僕はしきりに、旅の良さを説いているが、間違いなく旅はその人の戦闘力を上げてくれる。では具体的に、どんな力が上がるのか。ドラクエレベルアップ的思考で
かんがえてみよう。

チャラララッチャッチャー!

旅人はレベルが上がった!

力が20上がった!
思いバックパックをひょいと持ち上げるくらいの力は自然とつきます。生きるために必要な力は、旅がしっかりと身に付けてさせてくれます。

すばやさが25上がった!
海外放浪では、突発的に何が起きるか分かりません。バスも電車も時刻表通りにはなかなか来ないし、突然の変更にも素早く動くことが大切です。間違いなくすばやさが上がります!のんびりしていたら、バスは行ってしまいます!

体力が50上がった!
過酷な移動、慣れない水や食事、清潔でない中での宿や食事…。体力がなければ生きていけないのと同時に、自然と体力が上がります!一言で言えば、タフな身体に変身できます!旅は体力アップにも最適なのです!

かしこさが60上がった!
旅先では、様々な情報が錯綜し、その中からベストだと思われるものを自分の頭で判断し、行動しなければなりません。間違いなくバカでは旅はできません。旅は、賢さを上げてくれる最良の方法の1つです!

運のよさが50上がった!
旅は運も必要です。何故かトラブルに合わない人と、よく合う人に別れますが、それは運を味方につけられているかも重要です。自分の頭で判断し、いける!と信じて行動すると、自然と運がついてきます。旅は運のよさもあげてくれます!

判断力が70上がった!
様々な情報が錯綜する中で、瞬時の判断も求められます。自分の旅のプランの中で、何がベストなのか?常に判断を迫られ続けています。判断力は間違いなく必要です!

忍耐力が30上がった!
予定通りに着かないバス、長い国境での足止め…等々。旅をしていると、「待つ」という作業が付き物です。しかし、それに動じず不動心を手に入れる。旅にはそんな力もあるのです。

節約力が85上がった!
金が有り余るほどにある旅人なら話は違いますが、大抵は限られた金額の中でみんな節約しながら旅をします。いかにあと10円を安くできるか?1つ1つコストを下げながら行動する。旅は倹約家を育てます。

コミュニケーション力が95上がった!
一人だけの力では絶対に旅はできません!周りの人と話しながら、情報を入れつつ旅をしなければ、上手く動くことはできません。コミュニケーション力を抜群に上げてくれるのは、旅なのです。

図々しさ力が80上がった!
悪い意味の図々しさではなく、おかしなところはおかしいと言う力が絶対に必要です。でないと、現地の人にいいように騙され続けてしまいます。良い意味での図々しさは、生きていく上で絶対に必要です。

感謝の心が1000上がった!
いかに日本で生きてきたことか幸せだったか、そして両親や友人、知人への感謝の気持ちを感じない人はいないでしょう。そして特に言葉の通じない国では、現地の人の優しいサポートなしには絶対に動けません。感謝感謝の連続の日々になることは間違いありません。旅は感謝の心を育てる、最適な方法なのです!

などなど、旅は戦闘力そのものを色々と上げてくれるのです。

さぁニッポンの若者よ!放浪のススメをお伝え致します!(笑)

2013年6月20日。バスを待ちながらの安宿のキッチンにて。

【第1章 南米編 変わらない景色が教えてくれる地球環境疑問学】

2013-06-19 21:48:51 | 日記
2013年6月19日。

アルゼンチンとチリの南部の地域、通称パタゴニア地方。この地域を旅をして、数日が経った。

この地域を動いていると、色々と気付くことがある。いや、動いているといっても、僕はほとんどバスに乗ったまま。しかし、目と頭は常に動いている。まるで瞑想のようだ。頭の中で、色々な想いが巡っては抜けていく。

朝。日が登る。バスから景色が見える。


昼。少し日が高くなる。外を見る。

全く変わらない景色が続く。

夕方。外を見る。なーんも変わらない。そして日が暮れる。

本当にバスは動いているのか?うん、動いている。ずーっと走り続けている。

何も変わらない、背の低い木々が続く大地。僕はふと、ある言葉を思い出した。

「この広い大地を見ていると、地球の環境が本当にヤバイのかなんて、感じなくなっちゃうんだよね。だから、ゴミの分別なんて、この国の人は考えたことがないんじゃないかな。」

ブラジルでお会いした、ある先生の言葉だ。

その言葉を思い出しながら、外の景色を眺めてみる。

「確かに世界の環境がヤバイなんて、全く感じられないな。何時間走っても、全く変わらない大自然が広がっているじゃないか。」

確かに、そう感じてしまう。それほどまでに、パタゴニアの大地の自然は手付かずで雄大だ。

夜。バス会社から夕飯が出る。


僕は思う。

「お客さんも多くないんだし、紙コップにする必要なんてないよな。プラスチックか何かの割れにくいコップにして、洗って何度も使えばいいじゃないか。」

でも思う。

「そんなこと言ったら、マックだってスタバだって同じなんだよな。一瞬飲んで、あとはただのゴミ。考えてみたらふざけてるよな。地球環境は本当にヤバイってのに。ちょっと考えりゃ、小さなことからいくらでも改善できるじゃないか。」

一人勝手に憤ってみる。しかし思う。

「でも、もし紙コップを止めてしまったら、紙コップを作る業者が大変なことになってしまうんだよな。資本主義の原理か…。もはやそういう大量生産大量消費の構造事態が悪だというのに。地球環境は本当にヤバイってのに。」

さらに勝手に憤ってみる。そして外を見る。

変わらない、パタゴニアの景色。本当に何も変わらない、何時間走っても。

考える。

「地球の環境って、本当にヤバイのかな?」

ただ大自然の中を走るだけの「静」の時間が、僕の魂を「動」にする。今、本当の本当に世界はどうなっているのだろう。僕達が学んできた「地球環境」の常識は、どこまでが真実なのだろう。

僕は別に、環境保護等の活動にいちゃもんを付けたいわけではもちろんない。頭では、ヤバイはずだと分かっている。しかし、大自然の中にいると、何が真実なのかが混乱してくるのも事実なのだ。

地球環境はヤバイ…はずだ。それを僕達はどう感じ、心に落とし、行動に移し、そして次の世代に伝えていくべきなのだろう。

ただバスで走るだけ。でも、見えてくるものはたくさんある。世界は本当に面白い。世界は最高の教科書だ。色々なことを語りかけてくれる。

明日は何を語ってくれるのだろう。あ~明日も楽しみだ!

2013年6月19日。アルゼンチンの田舎街、エル・カラファテの安宿にて。

【第1章 南米編 お札から見えてくる世界。日本はやっぱり素晴らしい!】

2013-06-18 19:23:35 | 日記
2013年6月18日。

海外の(もちろん全ての国ではないが)のお札は、とても汚いことが多い。落書きだってひどいし、破れていたりテープで留めてあることだってある。なぜこんなにも汚いのか、そんなひょんな会話からスタートしたのだが、アルゼンチン在住50年以上の日系人の方と、面白いインタビューをすることができた。名前や写真を公開することはできないが、アルゼンチンで宿を営むこの方と、とても面白い話をすることができた。

僕:海外のお札って汚いんですよね。日本じゃこんなことは有り得ないです。アルゼンチンのお札もかなり汚いですけど、なんでこんなに汚れてしまうのでしょうか。政府が交換をしないからですかね?

Aさん:それもあるけど、この国の人はお札を大事にしないのよ。

僕:大事にしないんですか?何ででしょう?

A さん:そもそもね、お札に価値があるなんて思ってないのよ。明日になったら紙切れかもしれない。そんな封にしか考えてないんだと思うよ。つまり、明日が見えない生活をしてるのよ。

僕:そうなんですか?アルゼンチンって、そんな状況なんですか?

Aさん:そんな状況よ。だからみんな貯金もしないし、みんな使ってしまうのよ。日本はそんなことないでしょ?明日が見えるし、大切に使う。暗いニュースが多いみたいだけど、アルゼンチンから見たら、日本は本当に素晴らしい国よ。50年もアルゼンチンに住んでるけど、最近日本に行きたいなって思ってしまうし。

僕:ここには多くの日本の若者が来ますけど、彼らの意識はどうなんでしょうか?

Aさん:みんな一様に「海外に出てみて、日本の素晴らしさが分かった」って言うわね。これはとても大切なことよ。中にいると、どうしても悪い点ばかりが見えてしまうからね。私は1979年に日本に行って話をする機会があったんだけど、みんな海外になんて興味を持ってなかったわ。今はどうなのかしら。

僕:今は全然違いますよ。日本人自身が、日本を見つめ直そうって空気になっている気が僕はしますね。

Aさん:それは素晴らしいことね。携帯電話をテーブルの上に置いておいても誰も盗らない国なんて、きっと日本だけよ(笑)。

僕:日本には、レティーロの裏のようなスラムもありませんしね。

Aさん:中産階級が日本ほど多いっていうのは、すごいことよ。大金持ちじゃなくても、みんな明日に希望を持てる。人生の見通しが立てられる。レティーロのスラムには、なんと9万人もの人が住んでいるのよ。しかも政府に操られて。

僕:9万人もいるんですか?そして政府に操られているっていうのは…?

Aさん:例えば、今日デモがあったでしょ?ああいうのに、スラムの人達が駆り出されるのよ。ちょっとのお金を握らされて。サッカーの試合もそうね。彼らは盛り上げ役もあって見に行くけど、政府は彼らを利用しているから、暴動を起こして死者が出たって、大して騒がれない。政府は少しの補助金を渡して彼らを動かしてるから、彼らの生活が良くなるはずがない。いつまでもスラムの生活なのよ。

僕:そうなんですか…。学校には行ってるんですか?

Aさん:パブリックの学校にね。少しでもお金のある人たちは、スラムの人達を嫌って、みんなプライベートの学校に行かせているわ。だからパブリックの学校にはスラムの人達ばかりになってしまっているの。日本は、そこまでのことはないでしょ?

僕:アルゼンチンってそういう状況なんですね。全然知らなかったです…。

Aさん:日本は本当に素晴らしい国よ。第二次世界大戦で負けてからも、ここまでの復興を成し遂げた。みんなもっと日本に自信を持っていいのよ!


この他にも色々話したのだが、とにかく深い話をすることができた。一貫してお話しされていたのは、日本の良さ。僕は正直、「日本は悪いことをしてきた」と教えられた世代だ。僕自身も日本を離れることで、とてもこの国のことをよく考える。

若者へ。
ちょっと日本を飛び足してみよう。休学?問題なし。留年?全然大丈夫。もし興味があれば、関心があれば、ちょっとの行動力があれば、日本を離れて世界を流れてみよう。きっと面白いぞ!(笑)

2013年6月18日。バスを待つ、アルゼンチンの片田舎の町にて。

【第1章 南米編 遥かな地よりふと思う、インターネットの功と罪】

2013-06-15 17:46:21 | 日記
2013年6月17日。

僕は今、世界最南端・南極に最も近い街、ウシュアイアに来ている。このことに僕自身は静かなる興奮を感じ、今を楽しんではいる。しかし、こうも簡単に今の僕を発信できてしまうこの世界に、違和感を感じてもいる。

インターネットは本当にすごいと思う。日本からこうも離れた所にいるのに、ネット環境さえ整っていれば、いくらでも居場所から何から伝えることができてしまう。

なんて便利なんだろう。なんと素晴らしいことか。とても面白い。しかしその反面、世界は「つまらないもの」にもなりつつある気がする。

だって、ここは南極のすぐ手前ですよ?それなのに、「今日のバスはどうでした」とか、「今日は鉄道に乗りました」とか、伝えられちゃうわけですよ?何だかつまらなくありませんか?

きっと20年前だったら、今日出した絵ハガキが二週間後くらいに届き、「へぇ~、ウシュアイアってところにいるんだって。すごいね、世界最南端の街だって。でもこの絵ハガキの消印は二週間前だから、今はどこにいるんだろうね」って想いを巡らせると思うんですよ。またそれがいいと思うんですよね。

全てに利便性が求められ、合理的になり、スピードが要求される現在。素晴らしい面もある反面、失っているものもあると僕は思う。

サンパウロでの、僕の大×1000先輩である、空手の師範との会話を思い出す。

僕:今の子ども達が置かれている環境の、何が悪いんでしょうか。

師範:今の子ども達には、結果がすぐに分かってしまう。これがまずいと思うな。過程がなくなってしまったんだ。

僕:どういうことでしょうか?

師範:例えばインターネットの発達で、何でも一瞬にして分かるようになってしまった。語句を入れて検索するだけだよね。そこには結果しかないんだな。昔だったら、1つ1つ辞書を引いたりして調べていたのに。そこには過程があった。しかし今は、すぐに結果が分かってしまうんだよな。

例えば、僕がウシュアイアに来たという「結果」だけは瞬時に知らせることができる。しかし、来たことが大切なのではなく、誰と話して、どんな手段で、何を得ながら、どんなドラマがあってここに辿り着けたのか。その「過程」こそが大切なのだ。

なんだかんだ苦労してここまでやって来きましたということを、ちょろっとケータイやパソコンをいじるだけでお知らせできてしまう便利さが、またつまらなく感じてしまうんです、僕には。

移動もそうなのかもしれない。例えばブエノスアイレスからウシュアイアまでは、バスだと48時間。なかなかの長旅だ。ところが飛行機を使えばたったの3時間半。普通に考えれば、飛行機の方が断然良いはずだ。

しかし、バスだからこそ見えるものがある。48時間全く変わらないパタゴニアの景色。南に下がれば下がるほど低くなる太陽の位置。突然隣に座ってきて、嵐のようにスペイン語で話し掛けてきて消えていった謎のおっさん。多くのドラマがそこには存在する。

そんなことを言ったら、バイクや自転車で旅をしている人には、もっと多くのドラマがあるだろう。この前宿で、歩いて南北アメリカ大陸を縦横断した人の本を見つけたが、歩いてなんて…そこにもとてつもないドラマがあったはずだ。

僕は別にインターネットも飛行機も否定しているのではない。僕だって大いに利用している。しかし、人類が利便性を求めて様々なものを開発すればするほど、便利になるのと同じくらい、大切なものが見えなくなっているような気がしてならない。

今僕がこうして思ったことや現状を、Facebookやブログを通じて一瞬にして発信できてしまうことも、面白くもあり、またつまらなくもある。

なかなか手に入らないから価値がある。苦労して手に入れるから面白い。

こうも簡単に色々なことができてしまう。面白いし便利だけど…僕には何か違和感があるのだ。もしどなたか、この微妙な感じを分かっていただけたら嬉しいです。だから今回、このことについて書きました。

などと、そんな偉そうなことを言っても、僕はまたブログを書くし、Facebookにも投稿します(笑)。ごめんなさい。そしてできる限り、僕が見ている目の前の世界と、僕がそのとき感じたことを発信していきます。どうぞよろしくお願い致します。

2013年6月17日。ウシュアイアでフリーWi-Fiが使えるショッピングセンターにて。