世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 僕のブログを見て下さる方々への僕の御礼。】

2014-01-24 01:47:41 | 日記
2014年1月23日。


南アフリカの悪名高き街・ヨハネスブルグ。僕は今このヨハネスブルグのバスターミナルにいる。

ホントはヨハネスブルグに着いてすぐモザンビークに向かう予定だったのだが、色々トラブルが発生してしまい、夜行バスでモザンビークに向かうことになった。


ちょっと疲れた。

色々あって、だいぶ疲れてしまった。

でも、今日のブログを書こうと思った。

こういう時こそ、こういうなんかちょっと凹んでいる時こそ、何だか「ありがとう」を言いたくなって・・・。今日の出来事とかじゃなくて、何だかここまでのことを全て含めて・・・。

いかん、ちょっとマジで疲れてるのかな(笑)。


旅を初めて約8か月。たった8ヶ月なのか、それとも長いこと8ヶ月なのかよく分からないけど、8ヶ月が経った。

思えば、僕はちゃんとお礼を言っていなかった。

旅を始めてからほぼ毎日、この「ふじもん放学記」を書き続けてきた。

別に何万人もの読者がいるわけではない(笑)。わずかな人数だけど、「いつもブログ見てます」「楽しみにしてます」とコメントやメッセージを送ってくれる人がいる。

その有り難さに対して、僕はちゃんと「ありがとう」の意を伝えてこれなかった。

今こそその気持ちを伝えたい。

これまで僕のブログやフェイスブックを見ていただいた方々へ、本当に「ありがとうございます」。



自分で言うのも良くないのだが、毎日何かの「ブログネタ」を探すのって、けっこう難しい。

そうそう毎日面白い出来事が起きるわけじゃないし、ずっと移動のみという日だってある。

でも、「何か面白いネタを書こう」とか「伝えたいことを探そう」を意識をして旅をしていることがすっごく大事だなって、ふと思った。

別にブログなんかが全てじゃないけど、自分の「想い」を届ける場所、書き残す場所、伝える場所を意識して旅をする。今日も何かを「残したい」と思って街を歩く。それだけで見る目が変わるし、全然充実感が違ってくる。意識が変わってくる。



ここまでほぼ毎日「書き続けてきた」。

面白くてもつまらなくても為になっていてもなっていなくても、僕は「書き続けてきた」。

そのことが大事だなって、何だか感じている。

続けること。「継続は力なり」とはよく言ったものだ。


僕は物書きで商売してきた人間ではないので、そんな実感なかったけど・・・。

自分が書き残したものに対して「いつも楽しみにしてます」とか「これからもどんどん発信して下さい」とか言われると、ホントに嬉しいものだ。ホントにエネルギーをもらえる。

すっごい嬉しいんですよね、そのコメントが・・・。

本当に本当にありがとうございます。

そう言って下さる人のためにも、そして自分自身のためにも、僕は「書き続け」ようと思った。



書いていて実感した。

毎回納得できるものを書くのって、本当に難しい。

旅ってけっこうエネルギーを使うし、書く時間をしっかり確保することもけっこう難しい。

でも、頑張って書いてきた。

少しだけ、自分を誉めてやろう。「よく書き続けてるじゃないか!」と(笑)。


僕なりに伝えたいことがたくさんある。

特に日本の若い衆に伝えたいことがたくさんある。

僕の目標。以前からずっと言ってるけど、この旅の記録を「本にする」。

だから、中途半端なことを書きたくないんだ、本当は!と、心の中では偉そうに思っている。


でも、アイデアがない日でも、書かない日を作りたくないとも思っている。

しっくり来なくても「書くこと」が今の自分には大事な気がするから・・・。


これからも僕はこのブログを書き続けるし、いずれはこの文章たちをまとめて本にしたい。

しっかり編集して写真も付け加えておもろいもんにして。

もっと文章力を高めたいし、もっとおもろくて人の心に届くものを書きたい。

よく分からないけど、なんか今日は勝手に「節目」だなって思った。

このヨハネスブルグ。何だか1つの「区切り」のような気がした。

今のこの文章は全くもって思い付いたままに書いてます。流れもめちゃくちゃだと思います。

でも、何だかこれを書きたくなった。


僕のブログやフェイスブックを見ていただいている方々へ。

本当に本当にありがとうございます!

たとえ一人でも見て下さる方がいる限り、たとえ自分だけしか見ていなくとも、僕はこれからも「書き続け」ます。



今後ともどうぞよろしくお願い致します。

藤本 正樹(ふじもん)


2014年1月23日。バスを待つヨハネスブルグの小さなカフェにて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『ミンナオンナジ』】

2014-01-22 19:14:33 | 日記
2014年1月22日。

《世界中どこに行ってもあるもの。本当にどこに行ってもあるもの。これらの存在って、一体何なのだろう。世界はどこへ向かおうとしているのだろう。》


例えばどこかの田舎の食堂で食事をしたとする。ほぼ必ず「お飲み物は?」と聞かれるが、まず間違いなくお店に置いてあるのが「コーラ・ファンタ・スプライト」。この3点セットはマジで外さない。

これって凄いことだと思う。いや、凄いですよね!コーラもファンタもスプライトも日本人にとっても常識的な飲み物ですが、それが世界中のどんな山奥に行ったってあるんですよ?とんだけ世界シェアなの?って話ですよね。

それに付け加えていうなら、世界中どこに行ってもあるお店。「マクドナルド・ケンタッキー・サブウェイ」。これらの進出っぷりも本当に凄い。いや、凄いですよ!エジプトのスフィンクスの目の前にケンタッキーがある光景は有名ですが、「こんな小さな街にもケンタがあるんだぁ」とか、やっぱり驚かされる。


経済的に見て「世界的なシェアを獲得した」みたいな言い方をすればカッコイイしそれは正義なのだろうけど、僕はこの状況に違和感と危機感を感じている。

世界中の人がみんなマックで食事をする。せっかく海外旅行に行っても現地のローカルフードを食べるのではなく、マックやケンタに行ってしまう。どのスーパーマーケットに行っても、並んでいる飲み物はコーラとファンタとスプライトばかり。


つまんなくないですか?そんな世界。

恐ろしくないですか?そんな世界。



もしかしたらある意味で合理的だ。みんながマックやケンタばかりで食事をするようになれば、それを売る企業としてはとっても売りやすいい。世界中で同じものを作ればいいんだから。

みんながコーラばかり飲むようになれば、これもまた簡単だ。コーラばかりガンガン大量生産すればいい。

経済的な視点からみれば、このように世界的なシェアを獲得し、世界中にその商品を売りまくることは間違いではない。いや、むしろ正義であり「勝ち組」なのであろう。

ちなみにメキシコの山奥の村で、コーラやファンタを儀式のお呪いに使用している様子には本当に驚かされた。炭酸飲料に対する信仰があるようなのだが、しかしここでもコーラとファンタとは・・・。


でも、そんな世界でいいのかな?


世界中「違い」があるから面白いんだ。「こんなもの食ってるの?」とか「これはちょっと飲めんなぁ」とかがあるから、世界は面白いんだ。

それがどんどん合理化されて、みんな同じものを食べ同じものを飲む。そんな世界になってしまっていいのだろうか。

この前僕は英語について書かせてもらったけど、英語も同じだ。確かに世界中の人と共通の言葉でコミュニケーションを図れることはとても便利である。しかしもし世界中の人が全て英語しか話さなかったら・・・そんなつまらない世界はないと思う。

言葉が通じないからいいんですよ!なかなか意思の疎通が図れないか面白いんですよ!そんな中で必死でやりとりして買い物したら、バスのチケットを買ったり、必死で覚えた現地の言葉で地元の人と会話して仲良くなったり・・・それが「世界に出る醍醐味」の1つでもあると思うんですよ。


国名は言いませんが、コーラもマックもイングリッシュも、みんなある国からやって来ているものだ。僕らはその国の経済に利用され踊らされているだけなのではないか?その「僕ら」とは日本だけでなく、世界中だ。

もし本当に合理性だけを求めるのなら、世界中の人がみんな同じものを食べて同じものを飲んで同じ言葉を話して、さらに言えば同じものを着て同じ靴を履いて・・・の世の中の方が、合理的である。その理屈もまかり通る。それも正義なのかもしれない。


しかし僕は思う。「そんな世界はつまらねぇ。」

「そんなんになっちまったら、世界に出る意味もねぇ。」



世界は「違う」から面白いんだ。「違い」があるから学びがあるんだ。


何でもかんでも「グローバル化」の時代。世界中が「同質」になることがグローバル化なのか?僕はちょっと違うと思う。

以前「グローバルの時代だからこそローカルに」と書いたが、それに繋がって来ると思う。何でもかんでも同じになることがグローバルなのではない。


別にマックもコーラも存在そのものを否定するわけではない。その企業やその製品そのものが悪いわけではない。

しかし現実に、みんながみんな同じになりつつある。そうなってしまうシステムにはきっと問題があると思うし、僕たち自身も本当に意味でのグローバルを考え直さないといけない。

日本の若い衆には、こういうことにもすごく関心を寄せてほしい。そして、コーラやマックとは異なる「日本流」を考えてほしいし、本当の意味での「グローバル化」を、この日本がしてほしい。


日本の中学生よ、部活の後にマックに行く意味を問い直してみよ(笑)!

日本の高校生よ、マックでバイトする意味を問い直してみよ(笑)!



そして俺自身よ。もっともっと「全て」を問い直してみよ!

2014年1月22日。ジンバブエの地方都市、ブラワヨのネットカフェにて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『ミンナオンナジ』】

2014-01-22 19:14:33 | 日記
2014年1月22日。

《世界中どこに行ってもあるもの。本当にどこに行ってもあるもの。これらの存在って、一体何なのだろう。世界はどこへ向かおうとしているのだろう。》


例えばどこかの田舎の食堂で食事をしたとする。ほぼ必ず「お飲み物は?」と聞かれるが、まず間違いなくお店に置いてあるのが「コーラ・ファンタ・スプライト」。この3点セットはマジで外さない。

これって凄いことだと思う。いや、凄いですよね!コーラもファンタもスプライトも日本人にとっても常識的な飲み物ですが、それが世界中のどんな山奥に行ったってあるんですよ?とんだけ世界シェアなの?って話ですよね。

それに付け加えていうなら、世界中どこに行ってもあるお店。「マクドナルド・ケンタッキー・サブウェイ」。これらの進出っぷりも本当に凄い。いや、凄いですよ!エジプトのスフィンクスの目の前にケンタッキーがある光景は有名ですが、「こんな小さな街にもケンタがあるんだぁ」とか、やっぱり驚かされる。


経済的に見て「世界的なシェアを獲得した」みたいな言い方をすればカッコイイしそれは正義なのだろうけど、僕はこの状況に違和感と危機感を感じている。

世界中の人がみんなマックで食事をする。せっかく海外旅行に行っても現地のローカルフードを食べるのではなく、マックやケンタに行ってしまう。どのスーパーマーケットに行っても、並んでいる飲み物はコーラとファンタとスプライトばかり。


つまんなくないですか?そんな世界。

恐ろしくないですか?そんな世界。



もしかしたらある意味で合理的だ。みんながマックやケンタばかりで食事をするようになれば、それを売る企業としてはとっても売りやすいい。世界中で同じものを作ればいいんだから。

みんながコーラばかり飲むようになれば、これもまた簡単だ。コーラばかりガンガン大量生産すればいい。

経済的な視点からみれば、このように世界的なシェアを獲得し、世界中にその商品を売りまくることは間違いではない。いや、むしろ正義であり「勝ち組」なのであろう。

ちなみにメキシコの山奥の村で、コーラやファンタを儀式のお呪いに使用している様子には本当に驚かされた。炭酸飲料に対する信仰があるようなのだが、しかしここでもコーラとファンタとは・・・。


でも、そんな世界でいいのかな?


世界中「違い」があるから面白いんだ。「こんなもの食ってるの?」とか「これはちょっと飲めんなぁ」とかがあるから、世界は面白いんだ。

それがどんどん合理化されて、みんな同じものを食べ同じものを飲む。そんな世界になってしまっていいのだろうか。

この前僕は英語について書かせてもらったけど、英語も同じだ。確かに世界中の人と共通の言葉でコミュニケーションを図れることはとても便利である。しかしもし世界中の人が全て英語しか話さなかったら・・・そんなつまらない世界はないと思う。

言葉が通じないからいいんですよ!なかなか意思の疎通が図れないか面白いんですよ!そんな中で必死でやりとりして買い物したら、バスのチケットを買ったり、必死で覚えた現地の言葉で地元の人と会話して仲良くなったり・・・それが「世界に出る醍醐味」の1つでもあると思うんですよ。


国名は言いませんが、コーラもマックもイングリッシュも、みんなある国からやって来ているものだ。僕らはその国の経済に利用され踊らされているだけなのではないか?その「僕ら」とは日本だけでなく、世界中だ。

もし本当に合理性だけを求めるのなら、世界中の人がみんな同じものを食べて同じものを飲んで同じ言葉を話して、さらに言えば同じものを着て同じ靴を履いて・・・の世の中の方が、合理的である。その理屈もまかり通る。それも正義なのかもしれない。


しかし僕は思う。「そんな世界はつまらねぇ。」

「そんなんになっちまったら、世界に出る意味もねぇ。」



世界は「違う」から面白いんだ。「違い」があるから学びがあるんだ。


何でもかんでも「グローバル化」の時代。世界中が「同質」になることがグローバル化なのか?僕はちょっと違うと思う。

以前「グローバルの時代だからこそローカルに」と書いたが、それに繋がって来ると思う。何でもかんでも同じになることがグローバルなのではない。


別にマックもコーラも存在そのものを否定するわけではない。その企業やその製品そのものが悪いわけではない。

しかし現実に、みんながみんな同じになりつつある。そうなってしまうシステムにはきっと問題があると思うし、僕たち自身も本当に意味でのグローバルを考え直さないといけない。

日本の若い衆には、こういうことにもすごく関心を寄せてほしい。そして、コーラやマックとは異なる「日本流」を考えてほしいし、本当の意味での「グローバル化」を、この日本がしてほしい。


日本の中学生よ、部活の後にマックに行く意味を問い直してみよ(笑)!

日本の高校生よ、マックでバイトする意味を問い直してみよ(笑)!



そして俺自身よ。もっともっと「全て」を問い直してみよ!

2014年1月22日。ジンバブエの地方都市、ブラワヨのネットカフェにて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 俺のばーちゃんと滝。】

2014-01-22 00:55:32 | 日記
2014年1月21日。


《でっかいでっかいビクトリアフォール。じーっと眺めていた。何を思うかな~と眺めていた。そしたら何故か、ばーちゃんのことを思っていた。》



俺のばーちゃん。

考えてみたら、俺は何よりも誰よりも、大きな大きな「ありがとう」を言うべき人はばーちゃんだと思った。

何だかしんないけど、滝を見ていたらそう思った。

俺のばーちゃん。

すっげぇ優しいおばーちゃん。

俺はおばあちゃんっ子だったから、小さい頃はいつもばーちゃんと遊んでいた。

すっげぇ感謝している。俺はばーちゃんが大好きだ。

それなのに、俺はちゃんと「ありがとう」って言った記憶がない。

ちゃんと「ありがとう」って言えていない。

何でだかよく分からない。でも、何故か滝を見ていたら、そんなことを考えていた。



俺のばーちゃん。

俺のやることを否定せず、いつも背中を押してくれたのはばーちゃんだった。

この旅だってそうだ。ばーちゃんは何1つ反対せず、俺を送り出してくれた。

2013年5月13日。旅出発の前日。俺はばーちゃんの言葉を忘れていない。

「正樹は大丈夫だよ、ちゃんと考えてやってんだから!」

心配ばっかりするかーちゃんと、無関心な親父を他所に、ばーちゃんだけは「信頼」の言葉をくれた。

嬉しかった。

俺がスキーをしていたときも、別の事業を始めた時も、何をするときでも、ばーちゃんは「信頼」してくれた。

こんなにありがてぇばーちゃんがすぐ傍にいたのに、俺はちゃんと「ありがとう」を言えてない。

こりゃいかんな。

日本に帰ったら、まずは「ありがとう」巡りだ。



俺のばーちゃん。

でもなんでここでばーちゃんのことを思ったんだろう?

ふと手帳を見た。

あ、そうか。1月21日。ばーちゃんの誕生日まで、あと3日。

そうか、そういうことか。だからふと頭を過ったんだ。

俺のばーちゃんは、今年で86歳になる。(たぶん)

高齢だけど、それでも日本の平均寿命くらいなんだから、日本も凄いこった。

よっさんが俺の実家に行ったとき、ばーちゃんからのメッセージを聞いてきてくれて、俺に教えてくれた。

「あのね、おばーちゃんはね、言うことは何もないって。正樹は大丈夫!どうぜ正樹は無事に帰って来るんだから、それから話せばいいって!」

すっげぇ嬉しかった。この言葉を聞いたとき、実は涙が出そうになった。

ばーちゃんは、いつでも俺を信じていてくれている。

俺は裏切れねぇ。こんなばーちゃんを裏切るわけにはいかねぇ。

ばーちゃんはでっかいな。この滝のようだ!

あ、そうか。だから滝を見て、ばーちゃんを思ったのかもしれない。



俺のばーちゃん。

ありがとう!

マジでありがとう!


俺の実家に遊びに行ったよっさんから「おばあちゃんね、メッチャ元気だよ!」って、メールがあった。

あと数ヶ月、そのまま元気でいてくれよ!

それだけは俺と約束な、ばーちゃん。

そんで俺は帰ったら、でっかい「ありがとう」をちゃんと伝えるから。


旅をしているからこそ感じるこの気持ち。

俺は1人で生きているんじゃない。

俺は人の中で、人に助けられながら生きている。

ばーちゃん、ありがとう!帰ったら真っ先に言うからな!


2014年1月21日。ブラワヨ行のバスを待つ、ビクトリアフォールの街のバスターミナルにて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 久し振りのゴーマンです。国際派遣『新卒論』】

2014-01-20 23:21:55 | 日記
2014年1月20日。


《すいません、ゴーマンかまします。「偉そうに言ってんじゃねぇよ!」と思われた方は思って下さい、すいません。「うん、そうかもな。」と思っていただけた方は、ありがとうございます!でもそう思ったので、発信しようと思いました。》


僕はこの旅を通して、たくさんの国際協力ボランティアの方にお会いしてきた。正直な話「すごいなぁ、この人は頑張ってるなぁ。」という人もいれば、「こいつはいったい何しに来てるんだ?」という人もいた。もちろんあくまで僕の感じた範囲ですけど。

でも、「ちょっとこれは違うんじゃないのかな?」と思ったことが1つある。



すいません、ゴーマンかまします。


エチオピアで、ある海外協力ボランティアの青年とお会いした。彼は現地の学校でボランティアをしているそうなのだが、大学卒の新卒でアフリカに来ているという。

僕はそれを聞いて「あれ?」と思った。

「国際協力を行う人なのに、なんで新卒なの?」

だってそうですよね?彼はある有名な国際協力ボランティア団体から派遣されてアフリカに来ているそうなのですが、本来の目的は「日本の知識や経験、ノウハウを現地のために活かし、協力をする」ことですよね?それなのに、現場の経験がない新卒の人間を派遣するっておかしいですよね?

そりゃ何年やったらプロフェッショナルなのかっていうのは線が引けるものではない。でも、現場でフルに働いたことのない人間を派遣するのは、やっぱりおかしいのではないか。

彼は学校に派遣されていると言っていた。僕も学校で働いていた人間なので特にそこを強く感じたのだが、現場でフルに教員として働いたことのない人間を現地の学校に派遣するというのは、僕は間違っていると思う。これは彼を責めているのではなくて、システムの問題だ。

現場の経験というものは、本当に大きな糧になるものである。社会人をご経験された方であれば、どなたでもそのことは納得していただけるのではないだろうか。

この団体は独立行政法人であるので、僕たちの税金から彼ら彼女らの派遣費用は捻出されている。それなのに、プロフェッショナルではない新卒の人間を派遣することには、僕は違和感がある。それは現地のためにもならないであろうし、日本のためにもならない。ためにならないとまで言い切ることはできないが、同じ派遣をするなら、現場経験のある人間を派遣した方がより貢献ができるはずだ。

「でも、本人にとっては海外で活動することで、大きな経験を得ることができるのではないか?」そんな意見もあるかもしれない。

しかしそれは二次的なものでなければならない。あくまで税金を使って国の職員として派遣されるのだから、「自己成長のため」が一次的な目的であっては困る。まずは「現地のため何ができるか」が最優先であって、そこに尽力した結果「自己成長」がついてくるのなら構わない。

自己成長や自分の経験のためだったら、自分の金を使って行ってくれ。留学でも旅でもスタイルは何でもいい。自分の身銭を切って自らを研鑽し、磨いてほしい。国のお金を使っていくのだから、そこの意識は高くないといけないと僕は思っている。


こんな話も聞いた。

この団体で派遣された国際協力ボランティアの中には、途中でめげてしまいドロップアウトしてしまったり、引きこもり状態になってしまったりする人も出てしまうという。そのような人の中には、新卒で派遣された人の割合が多いということを耳にした。

あ、あくまでこの話は聞いただけの情報であって、明確なデータや数値を調べたわけではありません。そこはご了承下さい。

しかしもし本当に新卒の人間がそんなに多くドロップアウトしてしまうようだったら、これは大問題だ。お金の話ばかりを言うのは嫌だけど、彼ら彼女らは日本の税金で派遣されている人間だ。それがそんなに簡単にドロップアウトされてしまっては困る。

お金の問題だけでなく、日本という国の信頼にも大きく関わってくる。日本が審査をして合格を出した人間なわけだから、当然日本代表ということだ。現地の方々だって、当然そういう目で見てくる。その日本代表があっさりドロップアウトしてしまうようでは、「日本人って大丈夫?」ということになりかねない。

もし「新卒だからどうしてもね・・・」みたいな意見が出てしまうのだったら、それなら新卒を派遣するな!ということに尽きる。国民の血税を使って派遣をして、それでドロップアウトや引きこもりになってしまうなんて、とんでもない話である。


あ、誤解を招いてしまったら嫌なので付け加えておきますが、僕は別に「新卒嫌い」の人間じゃないですよ!そんなわけはありません。しかし今のこの旅を通して、「海外に出る」ことの意義や重さをより深く感じているんです。だから、日本の若者は中途半端な気持ちで海外に出ないでほしい。と言っても休暇の海外旅行なら話は違いますが、日本を背負っての国際ボランティアをするというのなら、もっともっと気合いと覚悟と責任を感じてほしい。色々な意味で。と思っているんです。


すいません、ゴーマンかましてしまいました。

もちろん新卒で派遣をされてしっかり頑張っている方もたくさんいるでしょうし、全てを否定するわけではありません。でも「国際協力」とか「国際貢献」という視点から見て、本当に「協力」や「貢献」をするのであれば、やっぱり現場経験のない人間の派遣には違和感がある。僕はそう思ったんです。

ということで、ちょっと今回はゴーマンをかましてみました。


偉そうなことを書いてしまいましたが、「じゃあてめ~はどんなもんなんだよ!」と言われてしまうかもしれません。そしたらその時は「俺はこんくらいすげぇんだぜ!どんなもんだ!どーだ、参ったか!」と胸を張って言えるように、自分自身を研鑽していきます!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

2014年1月20日。暖かな日差しが差し込む、ボツワナのカサネにある素晴らしい四つ星ホテルのロビーにて。



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