世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『少数派』】

2014-01-19 22:30:59 | 日記
2014年1月19日。

《僕は日本人だ。日本にいる限り、どこにでもいる日本人だ。しかし、一歩外に出ればそうではない。そこからの学び。それをぜひ、日本の若い衆には感じてほしい。》

よく日本は「単一民族国家」などと言われる。

もちろん完全に「単一民族」とうことは有り得ないが、それでも民族的な対立は諸外国に比べて非常に少ない国であることは間違いないだろう。

そんな日本に僕は「日本人として」生まれ育った。

僕は自分は「日本人の顔をした日本人」だと思っている。自分でも思っているし、これまでの人生の中で「オマエの顔は日本人っぽくない」と他人から指摘されたこともない。


だから僕は、日本にいる限り「多数派」なのだ。どこにでもいる「日本人の顔」なのだ。


しかし・・・当たり前だけど、それは日本の中での話。

ほとんどの日本生まれの日本人は、自分が「少数派」である中に身を置いて生きてきたことはないであろう。


日本の若い衆へ。

ぜひ一度、自分の身を「少数派」の中に置いて生きてみる経験を積んでほしい。



僕が今いるザンビア。だけじゃなく、アフリカ全部かな。

アジアの顔は極めて「少数派」だ。

子どもはもちろん、大人の人も僕の顔をじ~っと見つめてくる。

「チャイナ!」とか「ニーハオ!」とも、よく叫ばれる。

1部の人は悪意を持って耳元で叫んだり、指を指してきたり、ボソッと囁いてきたり・・・。

まぁ僕らは中国人じゃないんだけど、彼らの中では「アジア人=チャイナ」がかなり成立してるようだ。それはまた別の話になってしまうんだけど。

じ~っと見つめられたりいきなり叫ばれるのって、気分のいいもんじゃない。

まぁだけど、別にそれだけだ。何をされるわけでもない。でも、こんなことも考えてしまう。

「もし今何か暴動が起きたら、真っ先に何かされるのは俺なんだろうな・・・」

良いとか悪いとかではなくて、人は「少数派」とか「みんなと違う」ものに対して、どうしても目を向けてしまう生き物なのだろう。


「みんなと違う」って、ちょっと怖い。

「自分だけ」って、ちょっと勇気が要る。



僕は日本の若い衆には、一度ぜひこの「少数派」の中に身を置いて生きてほしいのだ。

すると分かるのだ。「あ、俺みんなと違うな。なんか嫌だな・・・」とか「そうか、俺の顔も肌の色も、世界の常識の分けないんだよな」とか「じっと見つめらるのって嫌だなぁ」とか「俺はただメシを食ってるだけなんだから、放っといてくれよ!」とか「なんだよ、俺はただ歩いているだけなのに、そんなに目立っているのか」とか・・・。


「少数派」の気持ちが分かるのだ。

日本にいる「日本人以外」は、みんな「少数派」だ。だから僕らはどうしても、奇異の目を向けがちになってしまう。

僕だってもし街中で真っ黒なブラックアフリカの人を見たら、やっぱり見てしまう。それは変な気があるわけではないけど、やっぱり見てしまう。

仕方のないことなのかもしれないけど、見られている方はやっぱ嫌だと思う。たとえその1人にとっては「チラ見」でも、100人が「チラ見」をしたら、もはやそれは「ガン見」だ。


日本の若い衆へ。

ぜひ一度、自分が「少数派」になる国に行ってほしい。奇異の目を向けられる、指さされる、叫ばれる・・・そんな経験をしてほしい。

そして考えてほしい。学んでほしい。自分たちは外国人に対して「如何に振る舞うか」を。

そんなの明確な答えがあるわけじゃないけど、自分が「少数派」になった経験が、大きな糧となり師となると僕は思うのだ。

人間は感じなければ心に落ちない生き物だと僕は思っている。だからぜひ「感じに」行ってほしい。

そんな一歩を、ぜひ多くの日本の若い衆に踏み出してほしい。



2014年1月19日。灼熱の太陽が降り注ぐザンビアの首都ルサカのショッピングモールのカフェにて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 地獄!タンザニアバスの恐怖!vol.2】

2014-01-19 05:03:15 | 日記
2014年1月16日。

《移動日が続き、翌日も長距離バスに乗ることになった僕。散々な目に遭った昨日だったが、なんと引き続きこの日もなかなかの試練に襲われることになるのだった・・・。》


あるガイドブックにこう書いてあった。「アフリカのバスが時間通りにやって来て時間通りに着くことなどほとんどない。目的地に着いたらそれでよし、くらいの大らかな気持ちでいよう。」

そういう気持ちは持ち合わせているつもりでいた。だがしかし、今回のバスもなかなかやってくれたのだ。「大らかな気持ちで・・・」と思いつつも、やっぱり大らかになりきれない僕がいるんですよね・・・。


さて今回問題となったバスは、タンザニア北部のタボラからマラウイとの国境に程近いムベヤに向かうバスだ。このルートはタンザニアの中央を縦断しており、観光的には特に何もない地域である。従って、このルートを通った旅人はほとんどいないであろう。

そんなルートを通ることになった僕なのだが、いやいやいや、今回もタフな移動になってしまった・・・。では今回のトラブルも前回同様、3つのパートに分けてご紹介致します~(笑)。

今回のバスの出発は朝7時。6時過ぎには集合とのことだったので、日本人バリバリの僕はしっかり6時にはバスターミナルに行っていた。

とりあえずバスがどこに来るのかを確認しようと近くにいるスタッフらしき兄ちゃんに聞いてみる。すると「バスはこの目の前に来るけど、このバスは7時じゃなくて8時発だよ?」

「なに?どういうことだ?だとしたら何のために俺は6時に来たんだ?」ということになる。まぁいい。バスがここに来るなら動く必要もないし、チャーイでも飲みながら待ってみることにしよう。

しかし、やはり7時にバスは来なかった。どうやらチケット売り場のおっちゃんが間違って7時と書いてしまったようだ。1時間遅いのよりはいいけど、6時から2時間以上待つのってけっこう辛いんだよね!このバカオヤジめ!もっとゆっくり寝たかったのに!

しかしこんなトラブルなど、これから始まるバストラブルの予兆に過ぎなかった・・・。


地獄NO,1:エンジン炎上!これマジでやべぇんじゃねぇの?

結局バスが出発したのは8時半。ま、30分くらい全然OK!「This is Africa」ですから!30分なんて、むしろ合格点だ。

本当の問題はこの後続々と起こるのだった。まずは出発してから約1時間後・・・。

何やらとんでもない音がした。ゴォ~!っと。「おお、これはヤバイ音だぞ。やれやれ、またバスのトラブルか?」そう思って間もなく、バスは停車した。「あ~あ、やっぱりか。長引かなけりゃいいんだけどな・・・。」と思いながらバスを降り、何気なくバスの前方に向かった。すると・・・!

おいおいおい!エンジン火ぃ吹いてるぞ!バスの下燃えてるぞ!これはヤバイっしょ!!!

タンザニア人スタッフもさすがに焦ったようだ、慌てて水を用意して車の下(横?)から水をかけ、さらに車の下に2人ほど潜り込んで火は消し止められた。煙の量はすごかったが火自体はそれほどでもなかったので、簡単に消えたようだ。

しかし問題はそこから・・・。現地語で話しているし入り込みようもないので何が本当の問題だったのか分からないが、修理に要した時間、およそ3時間30分。その間、僕たちお客さんはな~んもない田舎町で待機を余儀なくされた。


まぁね、こんなの大したことないんですよ!「This is Africa」ですから、大らかに大らかに・・・でも3時間30分は長かった~!どうしようもないから地元の子どもと遊んだり、屠られた山羊を眺めていたりしておりましたとさ・・・。




地獄NO,2:パンクパンクパンク!何回パンクすんねん!

ということで、まだほとんど進んでいないのにもう午後じゃないか!こりゃ長い戦いになるな・・・長期戦を覚悟しておこう。僕は心に思った。

そしてそれからしばらくして、次の事件が起こった。突然「バン!!!」と、かなり大きな音が車の下から響き渡った。

「ああ。パンクだな、やれやれ・・・。」

これは音ですぐ分かった。少し走ったところですぐに車は停車した。そして同乗するスタッフがすぐにパンクを直しに行く。


僕も外に出てその様子を見ていたのだが、まぁ見事に破裂し切ってやんの!確かにとんでもない音がしたけど、ここまでタイヤってバーストするもんなのか?完全に砕け散っていたのだ。まさにメガンテ状態だ。

あ、でもそういやアメリカでも砕け散ったタイヤの破片をよく見たしな。タイヤなんてそんなもんなのか?そんなことを考えながらパンクの修理を見ていたのだが・・・。

これにまた時間がかかりまくり!大型車だし大変のは分かるんですが、これじゃいつになったら目的地に着けることやら。おおっと、いかんいかん。「This is Africa」だった。大らかに大らかに・・・。

ということで腹も減っていたので近くの屋台で腹ごしらえもして、さぁ再出発!をしてほんの十数分だったと思う。なんとまた「バン!」

おいコラ、またかぃ!とんだけ整備不良なんだこのバスは!!!

ということで、同じことの繰り返し・・・。再び車を停めて、パンクの修理だ。スペアタイヤは2つあったようで、スタッフの皆さんは和気藹々と談笑しながら作業を行っていた。この慌てる様子のなさが「This is Africa」なんですよね!イラつくんだけど憎めないんだよなぁこれが・・・。

さぁ気を取り直して出発!もうこんなんやってるだけで夕方に差し掛かっている。いやいや、今一体どのへんなんだ?

な~んて考えているうちに、また不意にバスが停まった。「おいおいおい、またトラブルかよ?」僕もバスを降りてみたのだが・・・。

なにぃ?またタイヤを外しているぞ?今度はバン!の音はなかったが、また1つパンクしていたというのか?何という整備不良!「This is Arica」にも程があるぞ!


ということで、後輪の右側はタイヤ1つで残りを走行することになりました。「お~いこのバス大丈夫かよ~、マジで事故っちゃうのだけはホントに嫌だぞ~。」

ちなみに今回のバスの道のりは100%舗装されていなかった。もう最初から最後までガッタガタ!そういう道を通るって分かってんだったら、もっとしっかり整備しとけよな~!まったく!と、いかんいかん。大らかに大らかに・・・(笑)。「This is Africa」ですからね!


地獄NO,3:え・・・寝ちゃうの・・・?

ということで遅れに遅れて走り続けるバス。辺りは完全に暗闇だ。道はただの獣道、もし山賊が出るというなら、きっとこういう状況なのだろうなぁ。そんなことを考えながらバスはガタガタと進んでいた。

当初聞いていた到着予定時刻は夜8時。しかしついに12時を回り、日付が変わってしまった。いや~こりゃどうなるんだ?なんか楽しくなってきたぞ!

そして午前1時。何やらちょっとした村?ドライブイン?みたいな小さなお店がいくつかある集落にバスが停まった。休憩かな?思いきや・・・。

何の連絡もなく、運転手とスタッフが寝始めたじゃないか!いや、気持ちは分かる、よく分かりますよ。車の修理もしながら12時間以上走り続けているんですから。そりゃ疲れますよね。

しかし客に何の連絡もなく、自分たちは運転席とその横のスペースにマットレスを敷いてガンガン寝始めちゃうんですから・・・さすが!「This is Africa」ですね!

でも本当に何時に再出発するんだ?他の乗客に確認してみても「さぁ、たぶん5時くらいじゃない?」とか「2時間も寝たらすぐ出発だよ。」とか、もう言うこともバラバラ!つまりは誰も分かってないんですね(笑)。

変なテンションになってしまった僕は近くにビールを売っているメッチャ怪しいバーがあったので、そこで地元のタンザニア人と酒を飲んで騒いでやったんだとさ。ここまで来たら「なるようになれ」!そう、大らかに大らかに・・・!


結局出発したのは朝の5時半、目的地のムベヤには昼前の10時にようやく着きました。いや~長かったね!無事に着いたからいいんですけど、いや~ホント長かった!座り心地の悪いバスだったし、ケツがマジで痛い。こりゃ痔持ちの人は無理だな・・・。(あ、俺は痔主さんじゃないですよ!)


いや~アフリカっていいですね!こういうトラブルに対してバス側が謝ることもなければ、客も何1つ咎めることもない。きっと日々こういうもんなんでしょうね。日本だったらきっと200回くらい「申し訳ございません」って言わなくちゃいけないよなぁ(笑)。

どっちがいいのかは分からないけど、こういうルーズさも日本には必要だと思う。ルーズじゃないところが日本の良さだし強みだし、そこが最高なんだけど、それを忘れないでほしいけど、ちょっとこの「This is Africa」も、日本流の中にアレンジできたら面白いんじゃないかなぁ。

いやいや、それにしても疲れた!よく頑張りました、俺!じゃ~ご褒美に今夜も乾杯だな(笑)!

2014年1月16日。タンザニアとマラウイの国境にあるマラウイ側の街、ソングウェにて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 恐怖!地獄のタンザニアバス!vol.1】

2014-01-17 20:57:00 | 日記
2014年1月14日。

《アフリカのバスはなかなかタフだ。これまで何度もタフなバスに乗ってきたつもりだったが、今回のバスは・・・久しぶりに「地獄」との遭遇だった・・・。》

ブルンジからタンザニアに入国した僕。キゴマという街に少しだけ滞在し、次なる目的地・タボラに向かうバスに僕は乗車した。

キゴマからタボラまでの所要時間は約10時間。「道も悪いし、タフな移動になるよ」とは聞かされていたが、いやはや・・・。それはそれはなかなかに、いや!メッチャ!タフな移動になったのだった・・・。ああ~久しぶりにしんどいバスだった・・・!


バスの発車時刻は午前6時。30前にはバスターミナルに来るようにとのことだったので、僕は朝の5時に宿の前でバイクタクシーを捕まえてバスターミナルに向かった。

バスは予定通りに到着しており、乗車も順調。「おお、珍しく時間通りじゃないか!」と、ちょっと感心していた。

そして6時15分、バスは出発。たったの15分遅れなんて、これは奇跡的だ(笑)。「よかったよかった。これはスムーズな移動になるかな・・・」なんて最初は思っていたのだが、しかしこの後、すぐに地獄は訪れた・・・。


地獄NO,1:恐怖の超詰め込み車内!

アフリカのバスの座席は狭い。いや、本当に狭い。日本だったら2人掛けのサイズに強引に3人座らせるし、前の座席との感覚も非常に狭い。ちょっと背が高い人だと、膝が前の座席に当たってしまい、普通に座ることすら困難なのだ。もちろんリクライニングなんてあるわけなし!常に「背筋ピーン!の姿勢を保っていないといけないのだ。

今回のバスの座席も例にもれず同様だった。でも僕はアフリカのバスはそういうものだと知っていたので、なんてことはない、いつも通りだと自分の席に着いた。そこまでは問題なかった。

アフリカの長距離バスは基本的に全て座席指定なのだが、途中の道で地元の人を乗せて移動することもよくある。当然座席はないので床に立っていたり、あるいは座ってしまったりするのだが、そんなにたくさんの人を乗せることはない。しかし・・・!

「あれ、なんかおかしいぞ・・・?」

「ちょっとちょっと!何人乗せるんですか!」出発してからちょこちょこ停車を繰り返していたバス。その度に人が乗って来るのだが、その数がハンパじゃない!「ちょっと待ってくれ!いくらなんでも入り切らないぞ!」僕はマジでそう叫びたくなった。

出発してから1時間くらい経ったであろうか、もう通路はパンパン!床に座るスペースもないし、もう日本の満員電車状態!疲れ果ててきた人たちは、もう耐えきれずに横の座席に座ろうとしてくる。しかし先述したとおり、座席そのものもキツキツなのだ。そこにもう1人のケツが入って来るのだから、そりゃもう大変ですよ!いくらなんでも限界ってものがありますよ!

僕の座席は通路側だった。そのため、近くのおばちゃんがドカンと座って来るのだ!スワヒリ語で何かを言ってくれているのだが、当然分かるはずもなし。気持ち的にはおばちゃんに席を譲ってあげたくもなるのだが、そんなことしたら自分が恐怖のすし詰め車内で死んでしまう。それに座席代だってしっかり払っているのだ。

「ここは俺の座席だ。オマエらなんかにゃ譲らんぞ。死守だ!シシュ~!」

ということで、僕はかたくなに自分の席を守り抜いた。しかし・・・!

なんちゅ~人の数だ!いくらなんでもこんに詰め込んだのは初めてだぞ!結局座っている僕の肩と太ももに何者かのケツを乗せながら(笑)、バスは進んでいくのだった。しかし、悲劇はこれだけでは終わらなかった・・・。


地獄NO,2:リバース、リバース、リバース・・・それだけは勘弁してくれ~!

聞いていた通り、道は悪路だった。ガタガタと揺れながらバスは進む。どこまで続く草原と亜熱帯の森林。異様なまでに密集した車内。あと何時間これが続くのか・・・まさに耐久戦の様相を呈してきた。

しかし!ここで事件が発生した。それは決して遭ってはならない、まさに悲劇だった・・・。

なんと、なんと!僕の斜め前に座っていた子どもが車酔いをしてしまい、ゲロゲロ吐き始めたではないか・・・!

うお~、これはキツイ!それだけはマジで勘弁してほしかった・・・。車内は超キツキツ、広がるゲロの臭い、行き場のないこの空気。そう、そこはまさに地獄絵図だった・・・。

唯一の救いは、その子どもはちゃんとビニール袋を使用してくれたことだ。それだけはファインプレーだった。しかし、この地獄にはまだ続きがあった。

そう、それは恐怖の「もらいゲロ」。なんと彼の新鮮極まりないゲロの香りが、他の子どものゲロを誘発してしまったのだ・・・。

この世に地獄があるとすれば、まさにこのことではないか?すし詰めの車内とゲロ&ゲロ。よりによって僕の席のすぐ近く。僕は久しぶりにマジで途中下車したくなった。

しかししかし!これで終わらないのがこの日の「地獄」。最初にゲロを吐いてしまった子どものゲロ袋はお父さんが持っていたのだが、彼はそれをふと床に置いた。そしたらなんと!ちゃんとしばっていなかったので、ゲロが通路に流れ出したではないか!しかも俺の足元の方に!

もう最悪ですよ、ゲロ&ゲロ×ゲロ流出!それも足元に!なんなんスか、今日は!神様、もう本当に許して下さい・・・。

この流れ出たゲロは僕の隣に座っていたおばちゃんの足元に直撃した。そしてとんでもないことに、なんとこのおばちゃん、サンダルを脱いで足を直接床に置いて居眠りをしていた。そこにマグマのごとき流出してきたゲロ溶岩が直撃!おばちゃんの足は見るも無残に呑み込まれてしまった・・・。これを地獄と言わずしてなんと言うべきか・・・。

「もういいでしょ、神様?このバスの悲劇はこんなもんですよね?」

ところがぎっちょんちょん、次なる悲劇はまさに「神のいる場所」から降りかかってきた。


地獄NO,3:天使の涙。でもここはバスの中っスよ!

車内のお客さんも少しずつ減り、ゲロも最初の子どもの他に2人が誘発されるという惨事を招いたが、一応の落ち着きを見せた。道も段々と良くなってきて、僕も少しだけホッと一息つくことができた。

のだが、この日はどうやら神様のご機嫌がよろしくなかったようだ。あと1時間ほどでタボラに到着というところで、このバス最後の試練が待っていた。

怪しくなる雲行き。「一雨来るかな・・・」と思っていたのだが、案の定、激しい雷雨に遭遇した。「タボラに着いたときに振ってなきゃいんだけどな~」などと考えていたら、あれ?背筋に冷たいものが・・・?

「おいおいおい、ウソでしょ?ここはバスの中っスよ?今日はどこまで俺を痛め付けるんスか?」

そう、それはなんと雨漏り!しかもピンポイントに僕の座席のところのみ!なんでやねん、なんでちょうどここだけやねん!
しかも上手いこと、僕の後頭部と首筋にポタポタと垂れてくる。幸い水の量はそうでもなかったのだが、僕の首筋は先日ダニーダ大佐の襲撃を受けており、この水の刺激でまた痒くなるんだな!これが地味に辛いんだな!

僕はもう諦めた。今日はこういう日なんだろう。きっと僕が今まで働いてきた悪事の報いなんだろう。もう騒いでも仕方ないので、甘んじて受けよう。きっとダニーダ大佐の襲撃も、これまでの僕の悪事の報いなんだろう。

救いだったのは、雷雨の襲撃がバスの到着まで残り1時間程度だったことだ。ちょこちょこ後頭部と首筋の水を拭き取りながら、バスは何とか目的地のタボラに辿り着いたのだった・・・。


こんなにグッタリしてバスを降りるのも久しぶりだ。所要時間は聞いていた通り、ほぼ10時間。しかし体力的には25時間分は消耗した気分だ。

いや~久しぶりにやられたぜ、アフリカンバス!やってくれるじゃねぇかぃ!ちなみに明日もまた長距離移動なんだよね~、せめて明日くらいは穏やかなバスになりますように・・・。

当たり前のことが当たり前に在るって本当に素晴らしい。小さな願いを心に秘めながら、僕はタボラのバスターミナルを後にした・・・。

2014年1月14日。僕の心を映すかのように空一面に暗雲が広がる、タボラの街にて。




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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 新しい世界へ!『発展途上国&先進国』論】

2014-01-14 01:20:54 | 日記
2014年1月13日。

《タンザニア西部の街、キゴマ。ここには美しい湖、タンガニーカ湖がある。その畔で僕は1人考えていた・・・。》


「あ~綺麗だなぁ。マジでここいいなぁ。」


ここはタンザニア西部の湖、タンガニーカ湖。僕は今、このタンガニーカ湖に接する街、キゴマにいる。


とっても小さな街で、数時間もあるけば街のほとんどは見終わってしまう。何もない街だ。

そう、何もない街。

でも「何もない」って、一体どういうことなんだろう。


メインストリートを一歩外れれば、この通り、な~んもない。


湖畔のビーチに行けばこの通り。メッチャ綺麗だけど、な~んもない。


でも、とっても居心地がいい。人々は優しいししつこくもなく、気さくに話し掛けてくれる。



僕は「発展途上国」という言葉が大嫌いだ。発展途上というのはあくまで資本主義経済や市場経済の中での話であって、決してその地域や国の文化や伝統、人間性などが遅れているわけではない。

でも、この「発展途上国」という言葉は、何だか全てにおいて「遅れている」というイメージを与えかねない。明らかに上から目線の言葉だし、その逆の「先進国」という言葉も僕は大嫌いだ。だから僕は発展途上国とか先進国という言葉を使う時は、必ず「いわゆる」と付け加えてから言うようにしている。

これらの言葉は教科書でも出てくるし、もちろん僕も授業では必ず教えてきた。でも、何だか嫌だった。「日本は先進国で・・・」とか、「○○は発展途上国で・・・」とか、なんか偉そうでとっても嫌だった。だから必ず「これらの呼び方はあくまで現代の経済システム上の呼び方である」ことを付け加えて説明してきた。


さてさて、それはいいとして・・・。

人々はよく言う、田舎に行くと落ち着くと。

「ホント、な~んもなくていいのよね~。」なんて、夏休みに帰省したどっかの誰かがきっと言うセリフだろう。


でも、僕は思う。

「本当に何もないの?何もないのに居心地がいいって、どうしてなの?」

「何か」があるのだ。何もないわけがないのだ。何もない中に「何か」があるから、人はそこに居心地の良さを感じるのだ。


何もない。しかし「何か」ある。

その実態のない「何か」こそが、今の僕たちが失っているものなんじゃないだろうか。


スーダンで活躍する国際NGOロシナンテスの理事長・川原尚行さんを取材させていただいたとき、このような話をしていた。

「日本という国は何でもある国だ。しかし何かがない。スーダンという国は何にもない国だ。しかし何かがある。」


僕はこの言葉がものすごく心に響いた。この「何か」こそが、今の日本に欠落しているものなのだろう。

今僕が書いていることって、すごく簡単なことだ。この「何か」の存在とその欠落を、きっと多くの日本人が感じていることだろう。

そしてきっと、多くの日本人がその「何か」の正体を、分かっているのではないだろうか。


僕たちが一般的に「何か」が「ある」と規定するときは、物質を指す。だから、確かに日本は「何でもある」国だと言える。

しかし「何か」がない。

だから今、日本は病んでいる。


いわゆる発展途上国を旅すると、それとは全く逆の感情に襲われる。

「何にもねぇなぁ、でも何故かいいんだよな~すごく!」

何もない。しかし「何か」がある。

いわゆる先進国とは全く逆の現象が存在する。


一体僕たちの目指すべき方向はどこなのか。

そのことを示唆しているのではないだろうか。



物質的な豊かさを目指すことそれ自体は決して悪じゃない。

でも、物質的な豊かさをそれなりに達成した国々が、今病んでいる。それは日本だけじゃない。

だから僕は言いたい。「何が先進国じゃ!何が発展途上国じゃ!」と。

だから僕は言っている。「日本の若者よ、旅をしなさい。いわゆる発展途上国に行きなさい!」と。



何もないのは辛い。何もなくては人間は生きてはいけない。だから人は「何もない」状況を打破しようとしてきた。

一部の国は、それをある程度達成した。しかしその結果、今度は「何か」を失った。

そして今、行き詰まっている。

何だかまるで、お金持ちの家の子どもはダメなやつになってしまうような、そんなストーリーを見ているようにも僕には映る。


エチオピアでのこと。

僕はある男性と話をしていた。彼はしきりに「日本の経済はすごい。」「日本はとてもリッチだ。エチオピアとは違う。何の問題もないだろう。」などと話していた。

だから僕は返した。

「確かに経済的にはエチオピアよりいいのかもしれないけど、問題がないなんてのは大間違いだ。たとえば、日本では今年間3万人以上の自殺者がいることを知っているかい?

「自殺?3万人・・・?日本だけで?」

彼は理解できなかったようだ。当然だろう。僕たちがエチオピアの出生率の高さと乳幼児の死亡率の高さを理解できないのと同じだ。まさに世界はダブルスタンダードなのだ。


行き詰まっているのはいわゆる先進国だかじゃない。発展途上国だって同じだ。物質的に乏しすぎる社会ではそのことが単純に死を招くし、争いの火種にもなる。

つまり僕たちはみんな、共に行き詰まっているのだ。

何でもあるけど「何か」がない、いわゆる先進国。

何もないけど「何か」がある、いわゆる発展途上国。


皮肉なことに、いわゆる発展途上国の人々はいわゆる先進国を羨み、その逆にいわゆる先進国の人々はいわゆる発展途上国の人々から可能性を見出そうとしている。

なんと皮肉なことなのだ・・・。


このままじゃダメなのだ。僕たちは、未来に繋がる新しい世界の形を作っていかなければならない。

誰がやるの?俺らでしょ?

いつやるの?今でしょ?

どんなことできるの?できるでしょ!やるしかないでしょ!



だからこそ、日本の若者へ。

ぜひとも、いわゆる発展途上国に旅をしてほしい。そして「今在る自分の常識」の枠を超えた体験をしてきてほしい。それが必ず糧になる。大きなヒントになる。頭が柔らかく感性も豊かで体力があるうちに、一歩外に出てきてほしい。

すぐに解決策なんて分からなくていい。分かるわけがないのだから。まずは感じてほしい。それだけでいい。それが大きな一歩になると、僕は思っている。


美しいタンガニーカ湖の畔に1人腰を下ろす。そして僕は考えに耽っていたのでした・・・。


2014年1月13日。街を歩いていると「これでもか!」というくらい僕を見つめてくるキゴマにて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 アフリカの悪夢再び『ダニーダ大佐の襲撃』】

2014-01-13 02:19:18 | 日記
2014年1月12日。

《人は誰でも毎日安らかに眠りたいと願うものである。しかし、そうもいかない夜もあるものだ。今回は、過酷な状況に追い込まれ1人苦闘する、可哀想な日本人の物語である。》

1日を終えて布団に入る、その瞬間。とってもいいものだ。心からリラックスできる瞬間である。

しかし人生長く生きていると、そうもいかない時もある。仕事のことで悩んでいたり、好きな人のことで頭がいっぱいになったり・・・。そんな経験、誰しもがあるだろう。

藤本正樹(ふじもん)34歳。大人になれないどうしようもないおっさん。そんな彼は昨夜、非常に寝苦しい夜を過ごしていた。

場所はブルンジの首都・ブシュンブラにある安宿。普段からとても寝付きの良い彼は、この日も横になったらすぐにす~っと眠りの世界に墜ちていった・・・

のだが、事件はここから始まった。詳しくはふじもんさん本人にお話しをしてもらおうと思う。


Q1:ふじもんさん、一体何があったんですか?

A1:もうですね、最悪ですよ。僕は1人でゆっくり寝たかったのに、僕のベッドに頼んでもいないのに添い寝しに来たやつがいるんですよ。それも何人、いや何匹も!


Q2:・・・どういうことですか?「匹」ということは・・・?

A2:そう、「匹」です。奴らは小さくて黒くて足がたくさんあって、見た目も気持ち悪い。しかも気持ち悪いだけじゃなく、人の血を吸ってきやがるんですよ!


Q3:そ、それはまさか・・・ダニですか・・・?

A3:その通り!ダニですよダニ!それも何匹もベッドを這っているんですよ、もう気が狂いそうになりますよ・・・!



その日、彼はいつものように横になり、あっという間に眠り墜ちて行った。

気持ちよくウトウトしかけた時、彼は身体に異変を感じた「んん?なんか痒いぞ・・・?」

それも生半可な痒みではない。最初、彼は蚊かと思ったのだが、蚊帳はバッチリ使っていたし、穴も空いていない。蚊のはずはない。

それにこの異常なまでの痒み・・・間違いなく蚊のレベルではない。

彼は焦った。実は彼はこれと全く同じ状況を、スーダンでも体験していたからだ。

「ま、まさか・・・まだダニか・・・!」



Q4:痒みを感じてから、どのように行動したんですか?

A4:もう飛び起きましたよ。この異常なまでの痒さ、実は以前スーダンでも体験していたんです。その時も犯人はダニーダ大佐でした。奴の攻撃力は尋常じゃない。そして見た目も気持ち悪い。僕の中での「世界三大“死んで欲しい生き物くん”ランキング」蚊・ゴキブリ・ハエだったのですが、この度間違いなくダニがトップ3にランクインしました。

飛び起きて、まず電気を付けるわけです。そしてベッドを見回すんですね。でも、すぐには何も見付かりません。奴も小さいですし、表にはなかなか出て来ませんからね。

※ここが事件発生現場であるブシュンブラの安宿。7号室は要注意だ。


Q5:そして・・・?

A5:ふと蚊帳を見上げると、いやがるんですよ、ここに!蚊帳を登ってやがるんです。黒い点が何か所かあるんですよ!

「あれ?これはまさか・・・?」と思って顔を近付けると、不気味に動いてやがるんですよこれが!こいつが忌まわしきダニーダ大佐なんです!しかもデカいんですよけっこう。5mmくらいはあるかな。肉眼でハッキリ確認できますからね。犬や猫を飼ったことがある人なら、ペットに付くダニを見たことがある人も多いでしょう。あれと全く同じ奴です。



彼は思わず声を上げた。「あ~もう、またオマエかよ~・・・!」

差し当たり見付かった2匹のダニーダ大佐を捕え、有無を言わさず踏んづけて死刑に処す。するとブチッと、中から血が出るのだ。これがまた気持ち悪い。しかもこの血、おそらく彼自身のものなのだ・・・。

彼は考えた。眠いことは眠い。しかも次の日は国境越えの移動日で、朝5時半にはバスターミナルに向かわなければならないのだ。少しでも寝ておきたい。



Q6:なるほど。それで結局どうされたんですか?

A6:呪われたベッドを部屋の端に寄せて、地面に寝袋を敷いて寝ることにしました。地面はコンクリートでしたが、幸い床はとても綺麗に掃除されていたので、まぁ寝袋を敷いてもいいかなと。ベッドにはよっさんが日本から持ってきてくれた「ダニ退治スプレー」を全力で噴射し、とりあえず横になりました。


Q7:コンクリートはきついですね・・・。結局眠れたんですか?

A7:眠れないんですよ、これが!下が固くてというのもあるのですが、それ以上にもう痒くて痒くて仕方ないんです。皆さん、全身をダニーダ大佐に攻撃されたことってありますか?もうですね、ハンパじゃないですよ!ちなみに今もこの原稿を書きながら、痒くて痒くて仕方ないんです。

スーダンでも同じくらいやられました。完全に痒みが引くのに何日かかったことか・・・。もうホントに辛かったですね。この経験だけはもうマジで勘弁!と思っていたのに、やってきてしまいましたよ、アフリカの悪夢。再来です・・・。

眠れないので「ダニーダ大佐掃討作戦」も実施しました。気持ち悪いけどシーツをめくって、大佐を発見したら即死刑。>これが気持ち悪いんだな!ふと見るとシーツの上をひょこひょこ這ってたりするし。合計10匹以上刑に処してやりました。


Q8:刺されたところは蚊に刺されたようになるんですか?

A8:蚊の強烈版ですね。もっと腫れて、痒みも強いです。ちなみにダニの種類によっては、人間の身体の中に卵を産むそうなんですね。詳しくは分かりませんが、それが一定時間ごとに活動することもあるらしく、痒みを通り越して痛むのだとか。実際にその症状にやられて、ヨーロッパで入院したという日本人の話も聞きました。

僕もあちこちかなり腫れてるので、卵が入ってんじゃないか・・・と考えると恐ろしくなります・・・。


Q9:そんなことも有り得るんですか・・・恐ろしいですね・・・。ではそんな闘病中のふじもんさんから、日本の人たちにメッセージをお願いします。

A9:日本の若者よ。若い時は何でも経験するものだ。ぜひ!一度ダニーダ大佐の襲撃を全身に受けてくれたまえ!今僕がこうして喚いていることの意味が理解できるであろう。そして一緒に「ダニって怖いね~」と言いながら酒を飲もう!

もし「そんな経験もしてみたいな~」という勇気ある大馬鹿者がいたら、ぜひ僕に連絡を下さい(笑)。ダニーダ大佐が生息している素晴らしいベッドをご紹介致してあげよう!

※この部屋のこのベッドで、凄惨な事件は起きてしまった…。


痒い、ああ痒い・・・。

ダニの毒は全身に回るらしく、明らかに刺されていないところにも腫れが出てくる。リンパ腺のある腕や足の付け根、そして皮膚が柔らかい部分などは、特に痒くなる。ぶっちゃけ、チ○コの横とかも腫れが出てきて痒いのだ・・・。

辛い、おお辛い・・・。

健康って素晴らしい。元気でいることって本当に素晴らしい。あんな小さな気持ち悪い虫ごときにこんなに苦しめられるなんて、ホントに腹立つぜ!マジでムカつくぜ!一匹ずつしばき倒してやりてぇぜ!

今日僕は国境を越えてタンザニアに入国した。宿泊はもちろん懲りずに安宿。おお神よ、お願いだから今日はダニーダ大佐の襲撃だけは勘弁してくれたまえ・・・!

2014年1月12日。タンザニア西部のタンガニーカ湖のほとりの田舎町、キゴマの安宿にて。

※僕がスーダンで苦しめられた安宿の屋上から見たカッサラという街。この宿のドミトリーのベッドにも要注意です!




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