先日古い京都の写真を見て、京都の街の変化に大変興味がわきました。
京都を代表する神社の一つ八坂神社西楼門と四条通りの明治の写真と現在を見比べて歩き投稿しました。
今回は京都の繁華街を流れる高瀬川です。
高瀬川は鴨川と河原町通りの間にある木屋町通りに沿って流れる川です。
特に三条から四条の高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つであり、桜の名所にもなっています。
この高瀬川は自然の川ではなく、江戸時代(1611年)角倉了以によって開削された運河です。
以来大正9年(1920年)までの約300年間、京都から伏見を結ぶ水運の物流に大きな役割を担ってきました。
高瀬川という名称は水運に用いる「高瀬舟」にちなんだものです。
明治28年(1895)以前の高瀬川
舟底の浅い高瀬舟が通い、印ばんてんに腰にはなたま豆キセル姿の船頭が、上りは肩びきで、
下りは竹ざおを手際よく操っています。
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明治40年(1907)頃の高瀬川
高瀬舟の運搬はもっぱら雑貨で、七条から二条にかけて炭、薪、米、材木などの問屋が並びその間に柳が植えられていました。
その柳は明治28年に木屋町通りに電車が開通し、柳は切られました。
河原町通りに電車が移り、再び川沿いに柳が植えられたそうです。
写真に電車のレールが写っています。
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現在の高瀬川「一之舩入」
木屋町二条を少し下がったところにあります。
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現在史跡になっていて、石碑が立っています。
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京都市の説明板
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当時の高瀬伏見が再現されています。
高瀬川が浅い川で、それに適応した舟です。
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高瀬川の両サイドは店舗建ち並んでいます。
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現在は多くの桜が植えられ、満開の木屋町通りを花見をしながら歩くのもいいです。
木屋町通りは昔は情緒ある界隈でした。
大分前に行った時には風俗営業の店や看板が増えてがっかりした思い出があります。
後に中心部にある小学校が廃校になったことを知り、風営法の規制が外れた事が原因ではないかと推察しました。
高瀬川というと森鷗外の「高瀬舟」を思い出します。
おっしゃる通り木屋町通りは夜の飲み屋街になっています。以前はかなりひどく、町内会と警察による取締りや巡回などで少しはましになっています。
木屋町通りにあった歴史ある小学校は建物は今も残され、地域や観光のイベントなどに活用されています。
私はもう何十年も夜の木屋町通りは歩いたことがないです。
夜でも落ち着いた風情ある木屋町通りになってほしいと思っています。