金蔵寺(こんぞうじ)て京都の方も知らない方が多いかもしれない。
京都検定では結構 簡単な問題らしい。
奈良時代初期の養老2年(718)、天正天皇の勅命により隆豊(りゅうほう)禅師が創建したとか
その後、神亀5年(728)には聖武天皇から「金蔵寺」の勅額を賜り、経典を書写して埋めたとか
開山堂の東100mほどの所、下の川弁財天を祀った祠の背後に聖武天皇経塚碑がある。
桓武天皇の平安京造営の際に、平安(王城鎮護)を祈願のために都の四方の岩倉(岩座・磐座)に経文を納めて
この金蔵寺が西の岩倉となった。山号西岩倉山はこれに因むという。法相宗と三輪宗の寺であったが衰微した。
天台宗に改まり、境内には堂塔、伽藍は四十九院を擁する大寺院となったが、戦火などにより再建を繰り返し荒廃。
徳川幕府五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院(京都の女性)によって再建されたとか、ここも善峯寺と同等だ。
紅葉が有名だがあまり名所にされないのは遠さのためと思う
門から見る 石段の青椛
登りきると 蒼さの庭
開山堂は緑に覆われて
京都検定では結構 簡単な問題らしい。
奈良時代初期の養老2年(718)、天正天皇の勅命により隆豊(りゅうほう)禅師が創建したとか
その後、神亀5年(728)には聖武天皇から「金蔵寺」の勅額を賜り、経典を書写して埋めたとか
開山堂の東100mほどの所、下の川弁財天を祀った祠の背後に聖武天皇経塚碑がある。
桓武天皇の平安京造営の際に、平安(王城鎮護)を祈願のために都の四方の岩倉(岩座・磐座)に経文を納めて
この金蔵寺が西の岩倉となった。山号西岩倉山はこれに因むという。法相宗と三輪宗の寺であったが衰微した。
天台宗に改まり、境内には堂塔、伽藍は四十九院を擁する大寺院となったが、戦火などにより再建を繰り返し荒廃。
徳川幕府五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院(京都の女性)によって再建されたとか、ここも善峯寺と同等だ。
紅葉が有名だがあまり名所にされないのは遠さのためと思う
門から見る 石段の青椛
登りきると 蒼さの庭
開山堂は緑に覆われて