18世紀末、スペインの科学的な植物探検物語 ⑥
(2)コカノキ(Erythroxylum coca エリスロキシム コカ)
コカといえば、コカイン、マフィア、コロンビアの麻薬組織メデジン・カルテルという悪い連想につながる。
悪の権化的なイメージだが、これは、コカの葉からアルカロイドの一種が抽出されコカインと命名された1862年以降につくられていくイメージで、
生活の必需品としてコカの葉を必要とするアンデスから遠く離れた国で創られていくことになる。
コカノキは、1786年にフランスの生物学者及び進化論の初期提唱者ラマルク(Lamarck, Jean-Baptiste Pierre Antoine de Monet de 1744-1829)によってエリスロキシム コカ(Erythroxylum coca Lam. )と命名された。
コカノキの最初の採取者として記録に残るジュシュー(Joseph de Jussieu 1704‐1779)が死亡した7年後のことであった。
ちなみに、属名のErythroxylumは1756年にアイルランドの医師・植物学者Patrick Browne (1720-1790)によって命名され、
「erythros(紅色)」+「xylon(木)」を意味し、コカの木の枝につく実が紅色しているところから名づけられた。
(写真)コカノキ 属名の由来となる赤い実
(出典)wikimedia
ジュシュー、コカとの出会い
(写真)コカの木
(出典)wikimedia
ヨーロッパ人で初めてコカノキを採取したのはジュシュー(Joseph de Jussieu 1704‐1779)で、1749年6月29日 ボリビアの首都ラパスの南にあるシカシカ地方(Sica Sica)で採取したと記録されている。
南米エクアドル、キトー周辺で子午線の長さを測るコンダミン探検隊の目的が完了したのが1743年5月で、
同年9月にはコンダミン達がアマゾン川下流の大西洋岸に到着しヨーロッパに帰国するが、
ジュシューは帰れずにアンデス山脈沿いにエクアドルからペルー、ボリビアへと南下していた。この時に採取したことになる。
しかし実際は、エクアドルの太平洋の港町マンタ(San Pablo de Manta)から目的地のキトーに向かう途上、道なきジャングルを切り開き、手足は傷だらけ、虫に刺されて熱を出し(マラリアにかかる)、豪雨で進めず、氷点下の気温で凍りつき、あらゆる苦難が待ち受けていた。
ガイド・荷役として雇った現地人が、自生しているキナノキで熱を下げ、コカの葉で痛みを和らげることをジュシューに教えてくれていたので「コカの葉」には1736年頃に遭遇していたことになる。
しかし、ヨーロッパ人とコカの出会いはもっと早く、1533年にインカ帝国を滅ぼしたフランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro、1470年頃-1541)達、スペイン人の征服者コンキスタドール(Conquistador)がアンデス地域に登場した頃にさかのぼる。
フランス人のジュシューが採取するまで200年以上も植物学的なアプローチがなされずにいたのは何故なのだろうか?
征服者のスペイン人に植物学者としての栄誉を求める者はいなかったのだろうか?
或いは、重要な機密事項として公表することが禁じられていたのだろうか?
という疑問が浮かぶ。
コカの歴史
(写真)コカの葉
(出典)wikimedia
コカノキの原産地は、南アメリカ、ペルー、ボリビアの標高800~1800mのアンデス山脈東側というからアマゾン側の熱帯雨林に生息し、場所的にはキナノキと同じ地域になる。
歴史的には、紀元前3000年頃のペルー低地にあるお墓から、コカの葉、石灰、これらを混ぜるようなキセル型の道具などが出土し、
ミイラの毛髪にはコカインの成分が含まれていたというので、石灰を混ぜてコカの葉をかむというスタイルは古くから完成していたことになる。
これら古代アンデスに居住した住民は、
アンデス山脈の薄い空気に対応するために、心拍数を上げ、呼吸を速める目的で乾燥させたコカの葉を噛んだ。
コカの葉をかむと疲労が回復し、忍耐力が促進され、気分が爽快になるという。
この驚くべき効能を知っていたからこそ紀元前3000年頃から今日までアンデスの住民の生活に定着してきた。
といっても、今日のようにタバコを吸いたいと思えば誰でもが吸えるような状態ではなく、インカ帝国時代では厳重に管理されていて宗教的な儀式のときにだけコカの葉をかむことができたという。
ヨーロッパ人で初めてコカを記述したモナルデス
(画像)モナルデスの肖像画
(出典)wikimedia
ヨーロッパ人で初めてコカに言及したのは、スペインの医師・植物学者ニコラス・モナルデス(Nicolás Monardes 1512‐1588)だった。
モナルデスは、一度も新大陸アメリカに行ったことがないが、新大陸から帰ってきた役人・船乗り・兵士・商人などから新大陸アメリカの薬草・ハーブなどについて情報を集め、1569年に『西インド諸島からもたらされた薬として役立つすべてのもの』(Historia medicinal de las cosas que se traen de nuestras Indias Occidentales)を出版し、コカを紹介した。
1571年には、『西インド諸島からもたらされた有用医薬に関する書 第二部』を出版し、このなかで彼は「たばこ」を万能薬と位置づけ、新大陸の先住民の使用法や、その薬効などを事細かに解説し推奨したことで知られている。
使い方を間違うと怖い三商品ともいえる「コカ(覚せい剤等を含む麻薬)」「たばこ」「酒」を推奨した。
ジュシュー(Joseph de Jussieu 1704‐1779)は、とんでもないものを採取してしまった。
(写真)コカの花
(出典)wikimedia
コカノキ
・コカノキ科コカ属の常緑低木樹で樹高は2~3m。
・学名はエリスロキシム コカ(Erythroxylum coca Lam. (1786))1786年にフランスの進化論提唱者、ラマルク(Lamarck, Jean-Baptiste Pierre Antoine de Monet de 1744‐1829)によって命名される。
・原産地は南アメリカ、ペルー、ボリビアの標高800~1800mのアンデス山脈東側熱帯雨林に生息する。
・ヨーロッパ人で初めてのコカノキの採取者はジュシュー(Joseph de Jussieu 1704‐1779)で、1749年6月29日ボリビアの首都ラパスの南にあるシカシカ地方(Sica Sica)で採取したと記録されている。
・cocaとは、先住インディアン(アイマラ族)の言葉で、「旅行者の食料」という意味。
(2)コカノキ(Erythroxylum coca エリスロキシム コカ)
コカといえば、コカイン、マフィア、コロンビアの麻薬組織メデジン・カルテルという悪い連想につながる。
悪の権化的なイメージだが、これは、コカの葉からアルカロイドの一種が抽出されコカインと命名された1862年以降につくられていくイメージで、
生活の必需品としてコカの葉を必要とするアンデスから遠く離れた国で創られていくことになる。
コカノキは、1786年にフランスの生物学者及び進化論の初期提唱者ラマルク(Lamarck, Jean-Baptiste Pierre Antoine de Monet de 1744-1829)によってエリスロキシム コカ(Erythroxylum coca Lam. )と命名された。
コカノキの最初の採取者として記録に残るジュシュー(Joseph de Jussieu 1704‐1779)が死亡した7年後のことであった。
ちなみに、属名のErythroxylumは1756年にアイルランドの医師・植物学者Patrick Browne (1720-1790)によって命名され、
「erythros(紅色)」+「xylon(木)」を意味し、コカの木の枝につく実が紅色しているところから名づけられた。
(写真)コカノキ 属名の由来となる赤い実
(出典)wikimedia
ジュシュー、コカとの出会い
(写真)コカの木
(出典)wikimedia
ヨーロッパ人で初めてコカノキを採取したのはジュシュー(Joseph de Jussieu 1704‐1779)で、1749年6月29日 ボリビアの首都ラパスの南にあるシカシカ地方(Sica Sica)で採取したと記録されている。
南米エクアドル、キトー周辺で子午線の長さを測るコンダミン探検隊の目的が完了したのが1743年5月で、
同年9月にはコンダミン達がアマゾン川下流の大西洋岸に到着しヨーロッパに帰国するが、
ジュシューは帰れずにアンデス山脈沿いにエクアドルからペルー、ボリビアへと南下していた。この時に採取したことになる。
しかし実際は、エクアドルの太平洋の港町マンタ(San Pablo de Manta)から目的地のキトーに向かう途上、道なきジャングルを切り開き、手足は傷だらけ、虫に刺されて熱を出し(マラリアにかかる)、豪雨で進めず、氷点下の気温で凍りつき、あらゆる苦難が待ち受けていた。
ガイド・荷役として雇った現地人が、自生しているキナノキで熱を下げ、コカの葉で痛みを和らげることをジュシューに教えてくれていたので「コカの葉」には1736年頃に遭遇していたことになる。
しかし、ヨーロッパ人とコカの出会いはもっと早く、1533年にインカ帝国を滅ぼしたフランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro、1470年頃-1541)達、スペイン人の征服者コンキスタドール(Conquistador)がアンデス地域に登場した頃にさかのぼる。
フランス人のジュシューが採取するまで200年以上も植物学的なアプローチがなされずにいたのは何故なのだろうか?
征服者のスペイン人に植物学者としての栄誉を求める者はいなかったのだろうか?
或いは、重要な機密事項として公表することが禁じられていたのだろうか?
という疑問が浮かぶ。
コカの歴史
(写真)コカの葉
(出典)wikimedia
コカノキの原産地は、南アメリカ、ペルー、ボリビアの標高800~1800mのアンデス山脈東側というからアマゾン側の熱帯雨林に生息し、場所的にはキナノキと同じ地域になる。
歴史的には、紀元前3000年頃のペルー低地にあるお墓から、コカの葉、石灰、これらを混ぜるようなキセル型の道具などが出土し、
ミイラの毛髪にはコカインの成分が含まれていたというので、石灰を混ぜてコカの葉をかむというスタイルは古くから完成していたことになる。
これら古代アンデスに居住した住民は、
アンデス山脈の薄い空気に対応するために、心拍数を上げ、呼吸を速める目的で乾燥させたコカの葉を噛んだ。
コカの葉をかむと疲労が回復し、忍耐力が促進され、気分が爽快になるという。
この驚くべき効能を知っていたからこそ紀元前3000年頃から今日までアンデスの住民の生活に定着してきた。
といっても、今日のようにタバコを吸いたいと思えば誰でもが吸えるような状態ではなく、インカ帝国時代では厳重に管理されていて宗教的な儀式のときにだけコカの葉をかむことができたという。
ヨーロッパ人で初めてコカを記述したモナルデス
(画像)モナルデスの肖像画
(出典)wikimedia
ヨーロッパ人で初めてコカに言及したのは、スペインの医師・植物学者ニコラス・モナルデス(Nicolás Monardes 1512‐1588)だった。
モナルデスは、一度も新大陸アメリカに行ったことがないが、新大陸から帰ってきた役人・船乗り・兵士・商人などから新大陸アメリカの薬草・ハーブなどについて情報を集め、1569年に『西インド諸島からもたらされた薬として役立つすべてのもの』(Historia medicinal de las cosas que se traen de nuestras Indias Occidentales)を出版し、コカを紹介した。
1571年には、『西インド諸島からもたらされた有用医薬に関する書 第二部』を出版し、このなかで彼は「たばこ」を万能薬と位置づけ、新大陸の先住民の使用法や、その薬効などを事細かに解説し推奨したことで知られている。
使い方を間違うと怖い三商品ともいえる「コカ(覚せい剤等を含む麻薬)」「たばこ」「酒」を推奨した。
ジュシュー(Joseph de Jussieu 1704‐1779)は、とんでもないものを採取してしまった。
(写真)コカの花
(出典)wikimedia
コカノキ
・コカノキ科コカ属の常緑低木樹で樹高は2~3m。
・学名はエリスロキシム コカ(Erythroxylum coca Lam. (1786))1786年にフランスの進化論提唱者、ラマルク(Lamarck, Jean-Baptiste Pierre Antoine de Monet de 1744‐1829)によって命名される。
・原産地は南アメリカ、ペルー、ボリビアの標高800~1800mのアンデス山脈東側熱帯雨林に生息する。
・ヨーロッパ人で初めてのコカノキの採取者はジュシュー(Joseph de Jussieu 1704‐1779)で、1749年6月29日ボリビアの首都ラパスの南にあるシカシカ地方(Sica Sica)で採取したと記録されている。
・cocaとは、先住インディアン(アイマラ族)の言葉で、「旅行者の食料」という意味。