モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

『J・ジュシューが採取した植物』 (1)キナノキ

2017-10-29 06:03:31 | Ruiz&Pavón探検隊、ペルーの植物探検
18世紀末、スペインの科学的な植物探検物語 ⑤

ジュシューが採取した植物

(1)キナノキ
(地図)キナノキを採取したエリア


キナノキの皮は、1632年にイエズス会の修道士コボ(Bernabé Cobo 1582–1657)によってヨーロッパに伝わり、 「ジェスイットの粉末」として知られていたが、実際の生きたキナノキを見たものは無かった。

ヨーロッパの科学者でキナノキを実際に確認したのはジュシューとコンダミンが最初のようだが、記録上は、フランスに先に帰ったコンダミンがキナノキに関して発表したのでコンダミンということになっている。

1737年にコンダミンがキトからペルー・リマの銀行に行く時にロハ(Loxa、Loja)で“Quin quina”と書かれたプレートをつけたキナノキ3種を見つけた。この旅はキナノキを調べる為に意図的につくられた旅であり、キナノキは3種あることがこの時点で初めて明らかになった。
しかも、コンダミンは帰国後に完璧なキナノキを説明する論文(「Sur l'arbre du quinquina(キナノキの木について)」)を発表している。

しかし、この旅にジュシューが同行していないはずがない。何故かというとコンダミンは植物学が専門ではなく、標本が作れず、又特徴を記述することも出来ないので、ジュシューに頼らざるを得ない。
「彼は(ジュシューは)私の植物の目である。」とコンダミンが言っているようにキナノキを探すことが南アメリカで子午線の長さを測るプロジェクトの隠れた狙いであるならばジュシューがその中心にいるはずだ。

ジュシューについて分かっていることは
ジュシューは、1739年というから子午線の長さを測る最終局面の頃、クエンカ(Cuenca)から125kmほど南下したロハ(Loxa、Loja)、及びロハから60km北西にあるサルマ(Zaruma)でキナノキを採取していたことが分かっている。

これは、ジュシューが採取したキナノキの標本が英国のキニーネ製造会社の経営者で化学者のハワード(John Eliot Howard 1807-1883)のコレクションとなり、ハワードの筆跡で“The knotty sort of Jussieuジュシューのもつれたタイプ”というラベルが貼り付けられているという。

(写真)Cinchona tree by Theodor Zwinger, 1696


キナノキの歴史
1.キナノキの概要
キナノキは、アカネ科シンコーナ(Cinchona「/ s ɪ ŋ ˈ k oʊ n ə / or /-kəʊnə/ 」)属の5~10mの高さの常緑樹で、少なくとも23種があり、そのうちマラリアに効くキニーネを含有する薬用品種は3種だけである。原産地は、南アメリカ、エクアドル・ペルー・ボリビアなどのアンデス山脈東側の熱帯雨林に生息する。

2.薬用植物3種と属名の由来
(写真)Cinchona calisayaの葉と花

(出典)Wikipedia

< 薬用3種の学名 >
1. Cinchona officinalis L. (1753) - quinine bark
2. Cinchona pubescens Vahl (1790) - quinine tree
3. Cinchona calisaya Wedd. (1848)

キナノキの学名の命名は、キナノキの植物標本を1743年にコンダミンから前述の論文と一緒に受け取ったリンネ(Carl von Linné 1707-1778)が、1753年にCinchona officinalisと命名した。

属名の“Cinchona”は、リンネの大きな誤解、根拠のない伝説を信じることから生まれた。

1638年、当時のペルー総督Chinchón伯爵の夫人アナ・デ・オソリオ(Ana de Osorio 1599–1625)がマラリアにかかりキナノキの樹皮に救われた。そして、この薬をヨーロッパに持って帰り貧しい人たちに分け与えた。という伝説を信じたリンネが、Chinchón伯爵夫人に敬意を表して名づけたという。

偉大なリンネも伝説に惑わされることがあったが、このような事実はないというのが現在の定説となっている。
伯爵夫人アナ・デ・オソリオはペルーに行く前の1625年に死亡しており、実際にペルーに行ったのは二番目の夫人Francisca Henríquez de Riberaで、彼女は健康に恵まれていてマラリアにはかかっていなかったという。

(植物画)Cinchona calisaya 1872

(出典)Dessins-Images-Cliparts-Gravures-Illustrations

3.現地でのキナノキとマラリアとの関係
キナノキは、エクアドル、ペルー、ボリビアに住むケチュア族の人々によって体温が低いときの震えに対する筋肉疾患剤として長く栽培されてきた歴史があり、1600年代にスペイン人が、現地人が熱と寒けの薬として木の皮を使っていることを発見した。

一方、マラリアは、ヨーロッパ人或いはヨーロッパ人によって連れてこられたアフリカ人が新大陸アメリカに持ち込んだ可能性が高く、ペルー副王国でマラリアとキナノキの必然的な遭遇となった。

この二つを結びつけたのは、エクアドルのロハ(Loxa、Loja)に住んでいた薬剤師の資格を持つイエズス会の修道士アゴスティーノ・サルムブリノ(Agostino Salumbrino 1561‐1642)で、現地のケチュア人がキナノキの皮で熱を下げるなどの治療に使用していることを観察し、マラリア患者にも応用してみたがこれが意外にも効果があり、マラリアの決定的な治療薬の発見となった。

イエズズ会の宣教師は、マラリアの治療薬としてヨーロッパの医学界にキナノキの皮を導入したが、“Jesuit's bark(ジェスイットの粉末)”として知られたが忌避された。

マラリアという病気が存在しない南アメリカに、その特効薬キニーネの成分を含むキナノキが用意されていたことは、まるで予定調和的だが天の差配なのだろうか?
と思ってしまう。

4.キナノキの皮、採取現場
キナノキの生育する場所はアンデス山脈の東崖、アマゾン側で高度が1200~3600mで多雨多湿の雲霧地帯にのみ生育するという特徴を理解して1枚の絵を見ると良くわかる。
晴れるということが少ないようだが、晴れて霧がない日のワンショットのようだ。

(絵)カラバヤ(ペルー)の森におけるキナノキの採集.サン・フアン・デル・オロ(Peru San Juan Del Oro)の谷

出典:国際日本文化研究センター
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