モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ブルー&ホワイトが美しい、サルビア・ファリナセア‘ストラータ’(Salvia farinacea 'Strata')の花

2016-06-21 15:59:15 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・ファリナセア‘ストラータ’(Salvia farinacea‘Strata’)


サルビア・ファリナセアとして園芸店で売られていたが、サルビア・ファリナセアの園芸品種‘ストラータ’(Salvia farinacea‘Strata’)で、オールド品種は花と萼が同系統の濃いブルーだが、園芸品種ストラータは、萼が白く、花色は、オールド品種より淡いブルーなので区別がつけやすい。写真のようにこの組み合わせでコンパクトな花穂に数多くの花の密集が美しい。

このブルー&ホワイトは、エーゲ海のクルージングで廻るロードス島などの島々の漆喰の白と海の青さ、ブルー&ホワイトを彷彿させ、湿度の高いジメジメした日本の梅雨から夏場の一風の清涼となる。

(写真) エーゲ海とサントリーニ島の風景

(参考)サントリーニ島

サルビア・ファリナセア‘ストラータ’(Salvia farinacea‘Strata’)のブリーダー(生産者)は、英国ノーフォーク州ドレハムのFloranova社で、この作品を1996年の全米の品評会AAS(All-America Selection)に出品し、金賞(Flower Award Winner)をとっている。それから20年経過した今でも輝きが衰えることなく、全世界に普及した逸品となっている。

(写真)サルビア・ファリナセア‘ストラータ’の立ち姿


サルビア・ファリナセア‘ストラータ’(Salvia farinacea 'Strata')
・シソ科アキギリ属の耐寒性が弱い多年性小木。日本では、耐寒性が無いため1年草として扱われる。霜に当てないように越冬させると関東以南では多年草として来年も期待できるようだ。
・学名はサルビア・ファリナセア‘ストラータ’(Salvia farinacea 'Strata')。種小名のファリナセアは“粉をふくと”という意味。
・ 英名ではMealy-cup sage 'Strata'“粉状のセージ”と呼ばれる。
・原産地はメキシコ北部からアメリカ・テキサス。
・丈は50cm、横幅30cm程度で直立。茎は白い産毛で覆われ、粉をふいている。
・20cm程度の花柄を伸ばしその茎に淡い部ブルー色の花を多数咲かせる。開花期は初夏~晩秋で夏場は木陰で休ませると良い。
・葉はコンパクトで、披針形。
・冬場は水をあまりやらずに、室内又は霜の当たらない暖かいところで管理する。
・どんな土壌でも育つというタフで、育てやすい植物だが、腐葉土を入れた水はけのよい土が推奨。
・作出は英国ノーフォーク州ドレハムのFloranova社。
コメント

サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)の花

2016-06-17 07:42:37 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)の花

日本の園芸店でブルーセージ(Blue sage)として販売されているサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)は、開花期が長く春から晩秋までの長い間咲く。夏場は暑さに弱いため一休みするが、その休み前の一時の写真を撮った。

不思議なことに過去のサルビアの栽培記録を見直してみたら、今回が初めての栽培ということが分かった。
何故手を出さないできたかというと、1年草の扱いがされてきたためで、同じ扱いがされている真っ赤な花が咲き園芸店で「サルビア」として販売されているサルビア・スプレンデンス(Salvia splendens)にも手を出していない。但し、多年草の園芸品種には幾つか手を出して栽培しているが・・・。

サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)もブルーセージ(Blue sage)と呼ばれているが、同じブルーセージと呼ばれるサルビアが結構ある。
しかしこれでは区別がつかない。サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のブルーセージはしょうがないとして、他は識別がつくように次のように呼ばれている。
・アズレアブルーセージ(Salvia azurea)
・コスミックブルーセージ(Salvia sinaloensis)
・メキシカンブルーセージ(Salvia chamaedryoides)

サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のコレクターと命名のなぞ
この、サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)は、メキシコ北部から米国南部テキサス地域が原産地で、
1823年4月にフランスの探検家で博物学者のベルランディア(Berlandier, Jean Louis 1805-1851)によって米国テキサス(米墨戦争前はメキシコ)で採取され、
1833年に英国の大植物学者ベンサム(Bentham, George 1800-1884)によって「Salvia farinacea Benth. 1833」と命名された。
どうしてベンサムが命名できたのだろうか? というのが疑問となる。

(写真)Berlandier著「The Indians of Texas in 1830」


(写真) Berlandier Owl (Strix torquata)

出典:Smithsonian Institution Archives.

サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のコレクター、ベルランディアは、メキシコとアメリカの国境地帯での動植物調査を1827年~1829年までの20歳代の若い時に経験し、1829年11月からは米国との国境近くにあるタマリパス州マタモロスで医師・薬剤師として居住し、この一帯の植物調査を行ったという。現在のマタモロスは、米国と国境を接し、GM、ベンツなどの自動車生産の拠点となってる発展著しいところだ。
ベルランディアが採取した植物は、スイスの大植物学者デ・キャンドール(Augustin Pyrame de Candolle 1778‐1841)の息子Alphonse de Candolle(1806-1893)にも送ったというので、サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)もデ・キャンドールの息子のところに届いていたのだろう。

一方、ベルランディアは、ある面で米国とメキシコの国境地帯の自然環境・地理に詳しいスペシャリストでもあり、米国とメキシコとの間で起きた米墨戦争(1846-1848)ではメキシコ軍の大尉・地図製作者として参加し、メキシコ敗戦後にカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラド等領土の1/3を割譲する協定を結んだが、国境を画定する委員会に現地を知るエキスパートとして参画したという。
奥地を探検するプラントハンターは、いざ戦争となるとその特殊能力が高い価値を持ち、地図製作者、諜報員・スパイなどで戦争に巻き込まれやすい。

ベルランディアよりも20年も前にサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)を採取した人間がいた。
時期としては1787年~1803年頃で、メキシコ、サカテカス州ラ・カヘテイリャ辺りで採取し、この植物に「Salvia linearis」と命名した。種小名の“linearis”は“リニア”つまり真直ぐに伸びる花穂を意味したのだろう。
採取し名前を付けたのは、スペイン王立メキシコ植物探検隊の隊長セッセ(Sessé y Lacasta, Martín 1751 –1808)とその隊員のモシーニョ(Mociño, José Mariano 1757 ‐1820)だった。

彼らがスペインに戻り提出した報告書が発見され、1887年にメキシコで出版され以上のことが明らかになった。
ルールでは、先に公表し認められた植物名とその命名者が採用されることになっているので、セッセ達の命名は残念ながら採用されない。

しかし、命名者ベンサムは、何処で或いはどの植物標本を見てサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)と命名したのだろうか?

推理するための事実を箇条書きにまとめてみると次のようになる。
1.メキシコで植物を採取しているベルランディアが採取した植物標本は、デ・キャンドールの息子に届けられていた。
2.セッセ探検隊の成果である植物画はモシーニョーが持っていて、これをデ・キャンドールに一時預け、デ・キャンドールはこのコピーを作り保持していた。
3.セッセ探検隊の成果である植物標本及び特徴などを記述したものが、当時のスペインの植物学者パボン(Pavón, Jiménez José Antonio Jiménez 1754-1840)のコレクションに紛れ込んだようだ。この標本は現在キューガーデン、大英博物館にあるという。
4.ベンサムはデ・キャンドールを尊敬し又親交があった。
5.1830~1834年の間、ベンサムはヨーロッパ中の植物標本を調べるために各地を訪問した。

ベンサムとそれぞれの関係を見ると
1.デ・キャンドール親子とは親交があり、1830年からの訪問で植物標本或いはセッセ探検隊の植物画のコピーを見せてもらった可能性は高い。
2.パポンのコレクションを見せてもらい、又このコレクションに紛れ込んだセッセ探検隊の植物標本を見た可能性も否定できない。
1833年にベンサムが「Salvia farinacea Benth. 1833」と命名しているので、デ・キャンドール親子からの情報ルートの確率が高そうだ。

(写真)サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)立ち姿


サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)
・シソ科アキギリ属の耐寒性が弱い多年性小木。日本では、耐寒性が無いため1年草として扱われている。
・学名はサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea Benth. (1833).)。種小名のファリナセアは“粉をふく”という意味で、1833年に英国の植物学者ベンサム(George Bentham 1800-1884)によって命名された。
・英名ではmealy sage“粉状のセージ”と呼ばれるが、日本では花色の青さでブルーセージ(Blue sage)として流通・販売している。。
・原産地はメキシコ北部からアメリカ・テキサス。
・丈は60cm、横幅30cm程度で直立した低木。
・20cm程度の花柄を伸ばしその茎にラベンダー色の花を多数咲かせる。開花期は晩春~晩秋で夏場は木陰で休ませると良い。
・葉はコンパクトで、披針形。
・冬場は水をあまりやらずに、室内又は霜の当たらない暖かいところで管理する。


【セッセ探検隊の物語】
先行しているはずのセッセ探検隊の成果報告が消えた謎解きをされたい方は

No33:セッセ探検隊①:偶然から始ったメキシコ植物探検隊
No34:セッセ探検隊②:メキシコ植物相探検プロデューサー、オルテガと隊員
No35:セッセ探検隊③:準備・第一回の探検(1787-1788年)
No36:セッセ探検隊④:仲たがい
No37:セッセ探検隊⑤:世紀の谷間に消えたセッセ探検隊の成果
No38:セッセ探検隊⑥:漂流するモシニョーと植物画
No39:セッセ探検隊⑦:漂流するモシニョーと植物画:その2
No40:セッセ探検隊⑧:セッセ探検隊が採取したサルビア
コメント

サルビア・チアペンシス(Salvia chiapensis)の花

2016-06-09 11:02:23 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・チアペンシスの花


メキシコのサルビアは艶やかなものが結構あるが、このサルビア・チアペンシス(Salvia chiapensis)もかなり艶やかだ。別名、サルビア・ローズシャンデリアとも呼ばれているが、バラの花色のようなシャンデリアとは言い得て妙だと思う。

このサルビア・チアペンシスは、メキシコ南部の州チアパスの2100-2900mの霧の多い湿った地域で生息し、草丈50-60㎝で横に広がり、花茎を伸ばしその先に鮮やかな桃色の花を5~11月まで咲かせる。光沢のあるオリーブ色の葉も美しい。

(写真)Edward William Nelson


このサルビアを最初に採取したのは、アメリカの博物学者ネルソン(Edward William Nelson 1855-1934)で、1892年から1906年までの14年間米国農務省の下でメキシコの動植物フィールド調査をアシスタントのEdward Alphonso Goldman (1873 – 1946)と一緒に行っており、1895年9月にチアパス州サン・クリストバル市近くの標高2150-2460mのところでこのサルビアを採取した。

ネルソンは、アラスカの博物学的調査をした初期の人間で、彼が22歳の時の1877年から4年間天気を観測する役割で米国陸軍のメンバーとしてアラスカに駐在し、エスキモーとアサバスカ文化の民族学的情報を記録した。ネルソンの徹底した調査・収集は“役立たずのものまで集めた男”として知られるようになった。この実績があり、メキシコの動植物調査にふさわしい男として選ばれたと言う。

しかし、ネルソンは、博物学者として何でも関心を持ち、ゴールドマンは動物学者として後に大成するのでこのチームは植物への関心があまり高くない。ミズリー大学植物園の植物標本データに記録されているところでは、ネルソンが採取した植物は320個、サルビアに関しては5個3品種だけしか採取していない。その中の1品がサルビア・チアペンシスということになる。

このネルソンが収集した標本を元に命名したのは、ハーバード大学グレイ植物標本館のアシスタントだった(後には館長、植物学教授)Fernald, Merritt Lyndon (1873-1950)であり、1900年に原産地の名を採用してSalvia chiapensisと名付けた。

しかし、実際の庭に導入されたのは時間が大分経過した1981年の頃であり、カルフォルニア大学バークレイ校植物園の探検隊がメキシコ、チアパスで採取してから普及したという。

(写真)Dennis Eugene Breedlove、サンフランシスコ植物園のチアパスから移植した雲霧林の植物をバックに


どんな人たちが探検隊で出かけたのだろうかと気になり調べてみたら、ブリードラブ(Breedlove, Dennis Eugene 1939–2012)という人物が登場してきた。

カリフォルニア科学学校の植物学者だったデニス・ブリードラブは、メキシコ最南端の州チアパスの植物相の研究を25歳のときの1964年から開始し、1992年まで広範囲な調査を行い、72,000セットという膨大な植物標本を収集し1981年には「Flora of Chiapas」を出版した。

デニス・ブリードラブは、数多くの植物品種をチアパスで採取したが、サルビアに関しても65種類も採取しており、また見知らぬサルビアが存在しているのではないかと興味がわいてきた。
ブリードラブが活躍したメキシコ最南端のチアパス州は、8250種もの植物種がある植物相が豊かな地域で、今でも開発という人間の手が入らないところが残るメキシコでも最貧地域であり、植物種の宝庫とも言えるところのようだ。

ブリードラブ(Breedlove, Dennis Eugene)、バーソロミュー(Bartholomew, Bruce Monroe 1946-)達を隊員とする、カリフォルニア大学植物園の種子及びカッティングなどを収集する探検隊が1981年11月にメキシコ、チアパスに出発した。
この旅行は2週間を予定し、全世界400あまりの植物園にメキシコの植物の種子を送ることと、カリフォルニアの気候に適したチアパスの植物を採取し同地域の植物園に配布すること、及び、余剰の収穫があった場合は翌春に販売することが目的だった。

カリフォルニアの気候に適した植物となると、気温が似ている高度での探索採取となり、2000メートル以上の地域での探索がなされ、成果としては、200品種以上の種子と生きた移植用の植物がこの探検で採取された。
採取した中でのハイライトは第一にサルビア類であり、サルビア・チアペンシスもこの探検隊に採取され、サンフランシスコに持ってこられた。採取したのはバーソロミューではなく、フリードラブのようだ。

(写真)サルビア・チアペンシスの花と葉


サルビア・チアペンシス(Salvia chiapensis)
・シソ科アキギリ属の耐寒性が弱い多年草。冬場は、室内に取り込むか、霜があたらないような場所で管理する。
・原産地はメキシコ・チアパス州の標高2100-2900mの霧の多い湿った地帯。
・学名は、Salvia chiapensis Fernald.(1900)。米国の植物学者Fernald, Merritt Lyndon (1873-1950)によって1900年に命名された。
・英名ではChiapas Sage(チアパスセージ)、日本の園芸店ではサルビア‘ローズシャンデリア’で流通している。
・このサルビアを最初に採取したのはNelson, Edward William (1855-1934)で、1895年にメキシコ、チアパス州サン・クリストバル近くの2150~2460mの高さのところで採取した。
・草丈は、60~120cmで地植えすると大株に育つようだ。現在は鉢植えなので30cm程度。
・葉は対生し、光沢のある濃い緑色の葉が光を反射して美しい。
・20cm程度の花序が数本伸び、ここに桃色(Magentaマゼンタ)に輝く花を咲かせる。開花期は一年中ということだが、暑い夏場は咲かないようだ。

コメント