モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

真鯛のポワレ、アンチョビオリーブソースかけ

2011-10-30 12:32:50 | 男の料理

(写真)真鯛のポワレ


もったいないから生まれたメニュー。

最近は手間をどうして抜くかを考えているので、まず最初に奥から料理に適した器を出して使うことをしなくなった。洗ってしまう事を考えると最初にカットの対象になる。
器と盛り付けは最後の仕上げとして大切だが、料理店でないので我慢をしてもらう以外ない。
二番目は、調味料とかあまり使わない食材になる。パントリーに種類豊富にストックしてあるが、賞味期限切れが意外と多いので、使わないものは買わないようにして種類を絞り基礎的なもので合わせ調味料を作るようにし始めた。食材も乾燥したもので賞味期限が長いもので万が一の時のバリエーションとして使用できるものに絞り始めた。

言い訳から始まったが、こんな状況で“あるもの”で真鯛のポワレを作ってみた。
パントリーにはそろそろ使わなければと思っていたオリーブのオイル漬けとパスタ用に買っておいた「キューピーのアンチョビソース」があったのでこれを使った。
黒オリーブとアンチョビを刻んで作ったソースを“タブナード”というそうだが、これも一応タブナード風になるのだろう。

写真写りは悪いが、味はなるほどだった。
白ワインを飲みながら食べるとパリッとした真鯛の皮とソースがワインを引き立てる。
これは、皮を食べる料理かもしれないと思った。
我が家では、皮を捨てるので“皮を食べな”と一言料理に付け加えた。

真鯛を買う場合は、皮が美味しそうなものを選んで欲しい。

(写真)


【材 料】 (4人前)
真鯛(切り身)         4切れ
塩・コショウ          適量
オリーブオイル         大さじ2杯
白ワイン            適量
<ソース>
オリーブ            15-20粒
アンチョビソース(アンチョビ) 大さじ2杯(4枚)
オリーブオイル           大さじ1杯
<付け合せ>
キャベツ            4枚
モヤシ             1袋

【作 り 方】
1. 真鯛はウロコをとり塩・コショウをふる。
2. オリーブをみじん切りにし、アンチョビソース、オリーブオイルと混ぜ合わせる。(市販のアンチョビソースには味がついているので、アンチョビを使う場合はみじん切りにし塩・コショウで味を調える。)
3. フライパンにオリーブオイルをひき、真鯛の皮目を下に中火でパリッとなるまで焼く。皮が全面焼けるように箸で押さえる。
4. パリッとなったら裏返しをし、弱火で火を通す。最後に強火にしてフライパンに白ワインをふりかけ香りをつける。
5. 焼きあがった真鯛を耐熱皿にとり、皮目を上にして2で作ったソースを塗り、200℃に熱したオーブンで5分間焼く。
6. 焼きあがるまでに、キャベツ・モヤシは温野菜として使うので硬めにゆでる。(野菜は何でも良し。)
7. 焼きあがった真鯛と温野菜を皿に盛り付ける。

この調理は、仕込みの時間が短いので、30分前後で出来上がる。

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No6:マヤ・アステカ文明をささえたトウモロコシ、その4

2011-10-25 20:53:34 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No6

『全く異なる画期的な新種Zea diploperennisを発見したことになる。』というのが前号の最後だった。
その『画期的』な幾つかをまとめてみると次のようになる。

d. Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán (1979)ジーア・ディプロペレンニス(続き)
イルチスがポスターの大きさの年賀状を書いた1976年は、トウモロコシにとって画期的なイベントがいくつも始まる年でもあった。

最初に、ジーア・ディプロペレンニス(Zea diploperennis)の命名者に名を連ねたドエブリー(Doebley , John F 1952?- )から始めよう。

遺伝学からトウモロコシの起源にアプローチしたポスト・リンネの旗手ドエブリー
(写真)Doebley , John F 
 
(出典)National Academy of Sciences

ドエブリーは、大学の専攻を生物学で始めたが、遺跡発掘などをする人類学に専攻を変え1974年にペンシルベニアのWest Chester State Collegeを卒業した。人類学での修士過程はEastern New Mexico 大学に進み、考古学的なアプローチだけでなく遺伝学・生態学・霊長類学を取り込むようになった。しかし遺伝学は苦手のようだった。1976年からの人類学での博士課程では、Wisconsin–Madison大学に進み、ここで植物学教授のイルチスと出会った。

その出会いはこんな感じだったようだ。
イルチスが「人類学者は、植物のことを何も知らない。」といっているのを聞いた学生が、「ドエブリーはそうじゃない。」といったのを聞いたイルチスが、「君のためのプロジェクトがある。」とドエブリーを誘ったそうだ。
イルチスが手がけていたプロジェクトとは、“トウモロコシと野生のテオシント(ブタモロコシ)との関係を分類し、トウモロコシの起源を明確にする”プロジェクトだった。
ドエブリーは自分で何が出来るか勝敗もわからずにこの誘いに乗ってしまい、ここから大きな変革をドエブリーが作り出すことになる。

専攻をころころ変える優柔不断なドエブリーと見られても仕方ないが、結果的には、生物学がわかり考古学・人類学がわかり遺伝学がわかるというトウモロコシの起源に関わった科学者のクロスオーバーをドエブリー個人で完結するスキルを身につけていたことになる。運が良かったのかチャンスを呼び込んだのかわからないが、師匠のイルチスではでき得なかったドエブリーのための舞台が用意されていて彼はこれをしっかりと掴んだ。

ドエブリー以前の植物の分類は、雄しべ雌しべの数・形、花弁の枚数・形、葉の生え方・形・枚数等々親の形質を受け継ぐ形態による比較で、同じ品種か違う品種かを分類していた。この分類方法を、この手法を編み出した“リンネ”主義による分類とすると、ドエルビーは、植物の形態その物を作り出す遺伝子からアプローチする手法開発にその後20年間も取り組むことになる。

今では、血液から親子の関係を明確にするDNA鑑定は広く知られるようになっているが、トウモロコシで親子の関係、親戚関係、他人を区別するだけでなく、遺伝子を組み替えてクーロンを作り出すことを可能にしたのがドエルビーなので、ポスト・リンネの旗手ドエブリーを見出したイルチスはすごい人材をハンティングしたことになる。
膨大な植物標本を作り出したイルチスだが、プラントハンターというよりは、マン&ウーマンのハンターとしての能力も優れたものを持っていたようだ。

1976年は、この年にZea diploperennisを発見することになるグアダラハラ大学の学生グスマン(Guzmán, Rafael 1950-)、この種が全くの新種だということを分析し、この種の特殊能力を発見することになるドエブリー(Doebley , John F 1952?-)が出会い、トウモロコシの起源と世界三大穀物であるトウモロコシのビジネスが大きく変わる変革のスタートの年でもあった。

ウイルスに強い耐性をもつ新種 ジーア・ディプロペレンニス
画期的なことの二番目は、ジーア・ディプロペレンニス(Zea diploperennis)そのものにある。それは、Zea diploperennisは、トウモロコシにとって厄介な病気を引き起こす7種類のウイルスに強いという特質を持っていたということだった。
さらに、同じ多年草のZea perennisの場合は、他種と交配しても1代限りであり孫を作れないのに対して、Zea diploperennisは自由に雑種が作れるので、これまでにないトウモロコシの品種を創れるという可能性が高まった。

ウイルスに強く新たな品種を創りえる野生の新種の発見は、その当時の社会の識者を興奮させ、ニューヨークタイムズの一面を飾ったのもうなずける。
俄然注目を集め、この遺伝子を使って科学者はウイルスに強いトウモロコシの種類を開発し、世界三大穀物であるトウモロコシビジネスに関わる企業は、旱魃(カンバツ)に強く、害虫・ウイルスに強い収穫量の多いトウモロコシを新たに生み出せるのではないかという期待からその計り知れない価値に注目した。
当然、遺伝資源の利用と保全、知的財産権など新しい問題提起も起こされた。もはや内緒でZea diploperennisをメキシコ国外に持ち出すとか、内緒で遺伝子を組み替えた実験をするとかは国際的に犯罪になる時代に入った。

ワトソン(Watson ,James Dewey 1928- )とクリック(Crick, Francis Harry Compton 1916-2004)がDNAの二重らせん構造を明らかにしたのは1953年だったが、1970年代になると遺伝子工学が発達し遺伝子の組み換え実験がなされるようになる。その最初の実験は、1971年にスタンフォード大学のポール・バーグ(Paul Berg, 1926-)によってなされた。
無秩序な遺伝子組み換えによる実験は地球にない危険な生物を生み出す危険もあり、ポール・バーグも提唱者となり、1975年にカリフォルニア州のアシロマで国際会議が開催されそのガイドラインが議論された。
核物理学者が科学の進歩を無秩序に是認したために原子爆弾を作ってしまった世界的な反省があり、分子生物学者をして自己規制をするルールを事前に作るようになった。

ジーア・ディプロペレンニス(Zea diploperennis)はこんな時代背景の中で発見されたので、野生種の保存は、遺伝子工学を活用する点でも、或いは、遺伝子工学を倫理的に使わない場合にはもっと重要性を持つようになる。


Sierra de Manantlan Biosphere Reserve
シエラ・デ・マナントラン生物保護区の設立

野生種のテオシント(ブタモロコシ)は、農地の拡大などで急速に生息地が減少し生存の危機に直面している。イルチスは野生種の保存、生物の多様性を保護する環境の保護に力を入れていて、ジーア・ディプロペレンニス(Zea diploperennis)の発見はメキシコ政府・ハリスコ州政府に環境保護の必要性を感じさせるのに十分だった。
ジーア・ディプロペレンニス(Zea diploperennis)が発見されてから10年後の1987年に、発見された場所であるシエラ・デ・マナントラン(Sierra de Manantlan)に生物保護区を作った。350,000エーカー(1416k㎡)の土地を保護区としグアダラハラ大学が管理することになった。
この保護区熱帯雨林地帯が基本で、斜面にはオーク、パインが広がり、メキシコ原産の植物が多いので知られているところだが、この広さは東京都の半分以上の広さがあるから驚きだ。

(地図)Sierra de Manantlan(メキシコシティの西)


イルチスがポスターの大きさの年賀状に書いた『“荒野で絶滅している(Zea perennis)!”』は、東京都の半分以上の広さの野生種のテオシントなどを保護する保護区となり、そこにはイルチスの夢も、そして、トウモロコシを必要とする人間の夢も育まれる場が出来た。

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No5:マヤ・アステカ文明をささえたトウモロコシ、その3

2011-10-19 21:45:11 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No5

現在のトウモロコシの祖先がわからない。どこでどう育ったのかも謎だ。
謎は科学者をひきつけ、植物学者だけでなく遺跡を探索するマクネイシ(MacNeish, Richard Stockton 1918 – 2001)のような考古学者、栽培植物の歴史を調べる農業者、メソアメリカの形成を調べる文化人類学者、種の遺伝から関係を調べる遺伝学者など様々な科学者がこの謎に取り組んでいる。

それでわかったことをダイジェストで展開するが、そもそもに遡ると野生の原種の発見とその原種が育った環境である原産地の特定化が栽培にとって重要になる。
栽培というのはヒトの手によるものでありこの歴史も面白そうだ。だが、マヤ・アステカ文明でのトウモロコシに何時たどり着き着手できるのだろうかという不安をも感じ始めている。多くの科学者がいまだ答えを見つけていないだけにトウモロコシの歴史は奥が深い。

トウモロコシ属の野生の品種・原種に興味を持ってみるには、トウモロコシの祖先の謎に関わる仮説を簡単にでもわかる方が良さそうだ。

次の文章でアンダーラインを引いてあるところがわかれば謎は解けることになる。
数千年前メキシコ周辺の中央アメリカに住んでいた狩猟採取民は、住居である洞窟周辺のテオシントと呼ばれる野生の草を育てその実を食べていた。その中からより大きな穂軸(コーン)をつける種を選択 し 改良を続け今日のトウモロコシにたどり着いた。」
“何時、何処で、誰が、何を、どうしたのか”ということを証明することになる。しかし、いろいろな説があるのでそれをまずおさらいすることにする。

トウモロコシの起源説いろいろ
1. メキシコの 一年草のテオシント・パヴィルミス(Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley)が直接栽培され、現代のトウモロコシにつながったという説。
このテオシント=野生のジーア・パヴィルミスは、バルサ川渓谷原産で、遺伝物質 の 最高 12 % をZea mays subsp. mexicana からもらったという。
この説は、バルサ川渓谷で野生種の祖先が8700年前から栽培されたという証拠を発見したことから始る。
2. 野生のトウモロコシからわずかに変化した小さなトウモロコシを栽培し、これとZea luxurians、又は、Zea diploperennisとの間での交雑に由来するという説。
3. 野生のトウモロコシ或いはテオシントの2つ以上の品種の栽培を経たという野生のテオシント起源説。
4. メキシコからグアテマラにかけての地域に自生していたテオシント,トウモロコシの亜種とされる Zea mays subs.mexicana または Euchlaena mexicanaが起源だとする説
5. トウモロコシ属と関係が深いTripsacum属のダクティロイデス(T. dactyloides)とZea diploperennisの交雑から進化したという説。

それでは、個別の種を見てみよう。

現在認められているトウモロコシ属の品種分類
現在のトウモロコシの学名は、ジーア属メイズでこの中に4つの亜種があり、そのうちの一つ“Zea mays subsp. Mays”が現代のトウモロコシをさす。この種以外は野生種のテオシントであり、学名の最後にコモンネームを記載し野生種のテオシントの区別をつけておく。
“Zea mays subsp. parviglumis”にも“Corn”と書いてあるが、最近わかったトウモロコシの祖先説による。詳しくは別途記載する。

1.Zea mays L.(1753)Corn
1-1 Zea mays subsp. mays – Maize, Corn 現代のトウモロコシ
1-2 Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972).  Mexican teosinte
1-3 Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980). Corn、Balsas teosinte
※遺伝的にZea mays subsp. Maysと似ている。古代の農民が選択的にこの品種を育て現代のトウモロコシになった特定の亜種と結論付ける。(Doebley)
1-4 Zea mays subsp. huehuetenangensis (Iltis & Doebley) Doebley, (1990). Huehuetenango teosinte
2.Zea perennis (Hitchc.) Reeves & Mangelsd (1942).)Perennial teosinte(多年草)
3.Zea luxurians (Durieu & Asch.) R.M.Bird(1978) Guatemalan teosinte
4.Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán (1979)Diploperennial teosinte(多年草)
5.Zea nicaraguensis Iltis & B.F.Benz,(2000).  Nicaragua teosinte

以上の品種を命名された年代順に紹介する。

a:Zea perennis (Hitchc.) Reeves & Mangelsd (1942). ジーア・ペレンニス
・ 多年草
・ コモンネーム:ペレニアル・テオシント(Perennial teosinte)

(写真)タッセル(房飾りのような枝)
 Z. perennis - tassels (Photo H. Iltis)
(出典)University of Wisconsin-Madison

ジーア・ペレンニス(Zea perennis)は、1942年に米国の植物学者で『The Origin of Indian Corn and Its Relatives』を共著したリーブス(Reeves, Robert Gatlin 1898-1981)とマンゲルスドルフ(Mangelsdorf, Paul Christoph 1899-1989)によって命名され、Zea diploperennisが発見されるまで唯一の多年草の植物だった。
多年草のテオシント(perennial teosinte)とも呼ばれ、草丈150-200cmで細長い茎に2-8個の直立したタッセル(房飾りのような枝)(写真)が特徴的で、ハリスコ州コリマ火山の1500-2000mmp北斜面という狭い領域に自生するという。
Zea diploperennisとよく似ているが、他品種との交配でハイブリッド品種を作ることが出来ないという。

1930年代後期にマンゲルスドルフは、「耕作化されたトウモロコシは、未知の野生のテオシントとトウモロコシ属の姉妹属ともいえるTripsacum属の種(T. dactyloides)との交雑の結果である。」という説を提唱した。
しかし、トウモロコシの起源に関わるTripsacum(Tripsacum dactyloides)の役割は現代の遺伝子のテストによって論破されマンゲルスドルフのトウモロコシ起源説は否定された。

確かにトウモロコシは、姉妹属のTripsacum dactyloidesと多年生野生のテオシントであるZea diploperennisとの交雑種から誕生したと仮定することも可能だという。 T. dactyloides は耕作されたコーンと交雑することができるが、しかし、直接的な交雑による子供たちは通常不妊症であり孫を作ることが出来ないという。
これでは姉妹属のTripsacumとの交雑では、祖先として子孫を残すことが出来ないということで「トウモロコシの起源に関わるTripsacum」の役割は否定された。

b:Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972).ジーア・メイズ・メキシカーナ
・一年草、Mexican teosinte
  画:Hitchcock, A.S. 1950
(出典)USDA

ジーア・メキシカーナは、北メキシコ、チワワ州から中部メキシコのプエブラ一帯の高度1700-2600mのところで自生している。メキシカン・テオシント(Mexican teosinte)とも呼ばれ、草丈150-400cmで、10-20の枝をつけるので実が多いことになる。また、75日未満で実を熟成させるという他種にはない特徴があり、他種よりも温度が低い環境でも早く・多くの実を熟成させる。

学名は、1972年にイリチス(Iltis, Hugh Hellmut1925-)によって命名されている。初期の採取者は不明だが、メキシコを探検したプラントハンター、プリングル(Pringle, Cyrus Guernsey(1838-1911)が1892年10月にミチョアカン州で、パーマ(Edward Palmer 1831-1911)が1896年11月にドゥランゴ州で、ヒントン(Hinton, George Boole 1882-1943)も1932年9月にこの品種を採取している。
もちろん命名者のイリチスもその弟子に当たるドエブリー(Doebley, John F.)とともに1976年から10年以上にわたってグアテマラ、メキシコでこの種を採取している。

このジーア・メキシカーナは、トウモロコシの祖先に関わっている可能性がある。というのは、トウモロコシの祖先かもしれないという後で記述するZea mays subsp. Parviglumisに遺伝的形質を伝えているのでその可能性がある。

c:Zea luxurians (Durieu & Asch.) R.M.Bird(1978)ジーア・ルクリアンス
・一年草、Guatemalan teosinte
 Curtis’s Botanical Magazine, vol. 105 (1879)
(出典)plantillustrations.org

カーティスのボタニカルマガジン1879年105巻に「Euchlaena luxurians Durieu & Asch(1877)」として掲載されたが、現在の学名はジーア・ルクリアンス(Zea luxurians)となる。

(出典)University of Wisconsin-Madison

実写はイルチスが撮影した立ち枯れたものしかないが、カーティスの植物画で補うこととする。
この種は、南東部グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアで自生する野生のテオシントで、グアテマラ・テオシントとも呼ばれる。北部に当たるメキシコのオアハカでも1845年に一度だけ採取されたことがあるが、その後採取されたことがないという。
草丈200-300㎝の一年草で、槍状の葉は30-80mmと幅が広い。根が弱いが枝は直立でタッセルと呼ぶ雄花の穂は4-20個と少なく、多年草のテオシントが二つあるがこれらと似ている。

d. Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán (1979)ジーア・ディプロペレンニス
・多年草、Diploperennial teosinte

(出典)flickr.com

ジーア属の野生種テオシント、ジーア・ディプロペレンニス(Zea diploperennis)は、劇的に登場する。
1978年10月22日にハリスコ州マナントゥラン山脈で発見採取され、最初の発見・採取者として命名者と同じイルチス、ドブリー、グスマンそしてもう一人命名者にはなっていないがラッセイグネ(Lasseigne, Alex A. 1944-)達四人が採取したと記録上はなっている。
しかし、物語は1976年から始る。

1976年の初めにイルチスは、世界中の植物学者にポスターほどの大きさの年賀状を送った。そこにはウィスコンシン大学でのイルチスたちのルールに則って自然環境の保全と保護を訴えた。このポスターには、1921年を最後にその姿が見られなくなった「Zea perennis」を描き、そしてこんなコピーをつけたという。 
“荒野で絶滅している(Zea perennis)!”

このポスターは、イルチスの友人であるメキシコのグアダラハラ大学植物学の教師Luz Maria Villareal de Pugaが大学の掲示板に張出し、教え子に向って「このZea perennisを見つけに行ってください。そして、イルチスが間違っているということを証明してください。」と檄を飛ばしたそうだ。

この激に刺激された学生がいた。グスマン(Guzmán, Rafael 1950-)で、ハリスコ州グアダラハラの山に行き、二日目に知識のある農民に教えられたところで実を結んでいない野生種のテオシントを掘り起こしグアダラハラ大学に持って帰った。2ヵ月後にこれが絶滅したと思われていた「Zea perennis」であることがわかった。

グスマンは、トウモロコシ起源研究の大家イルチスの鼻を明かしたわけだが、これで満足することなく、もっと大きい魚を釣った。
(写真)生物多様性のSierra de Manantlán

(出典)costalegre.com

これも友人から“「Zea perennis」が他の所にもある。”という情報を元に、マナントラン山脈(Sierra de Manantlán)の中央にあるサンミゲルという町に行き「Zea perennis」と思われるテオシントを採取し、この種(タネ)をウィスコンシン大学のイルチスに送った。1977年のことだった。

イルチスはこれを育て、「Zea perennis」同様に多年草のテオシントであるが、染色体の数が二分の一でありまったくの新種であることがわかった。
この新種に「Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán(1979)」という名前をつけ、命名者にイルチス、ドブリーと並びグスマンも栄誉を得ることになった。
“diploperennis”は外交的な多年草を意味し、他のテオシントと交雑しハイブリッドを生み出すので「Zea perennis」とは全く異なる画期的な新種を発見したことになる。

(写真)Sierra de ManantlánでのZea diploperennis

(出典)botany.si.edu
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No4:マヤ・アステカ文明をささえたトウモロコシ、その2

2011-10-12 12:35:38 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No4
トウモロコシは祖先がわからないという。野生の原種が必ずあるはずだが、どこかで不連続な突然変異があったようだ。8千年前にはトウモロコシの栽培化が始ったようだが、人類が採取して食していた1万年前の頃なのか,大規模に栽培されるようになった5千年前の頃なのかわからないが、そこには祖先とは異なる大きな変化が起きたようだ。
現在提示されているシナリオとしては、

(1) 野生の原種に突然変異が起こったという説。
(2) 野生の種が交配して誕生し、親は絶滅したという説。
の二つがある。(別途説明)

ルーツ・祖先を探すということは人類の足跡を遡る科学的なロマンでもあるが、一方で、祖先=遺伝子と捉えると、トウモロコシほどの重要な穀物ともなると計り知れない利益をもたらす種(タネ・遺伝子)ビジネスのチャンスともなってくる。
人間の食料・動物の飼料・エネルギー源として利用されるトウモロコシにもその品種改良によって起きてきた問題がある。品種改良により大量に生産される品種だけが栽培されるようになると多様性を失うので、かつてヨーロッパで起こったバクテリアを原因とするジャガイモ飢饉のように全滅する危険がある。
原種があれば最初からやり直すことが可能であり、トウモロコシの祖先探しは人類の生存という“実利”が賭けられた“ロマン”でもありそうだ。

さらに無関係そうなエピソードだが、トウモロコシの祖先探しに貢献した米国の植物学者でウイスコンシン・マディソン大学の植物学教授イルチス(Iltis, Hugh Hellmut1925- )のキャリアを見るとなるほどと思うところがある。

(写真)イルチス
 
(出典)ミズリー大学
彼は、チェコスロバキアで生まれ、ナチスが侵攻する直前に米国に脱出し、米軍の兵士としてヨーロッパ戦線に加わったという。戦後ナチスが残した書類からナチスの戦争犯罪を証拠づけるものを発見したという。
見るもの見えずという凡人ではなく、仮説を設定し立証していくという能力に優れていたのだろう。だからこそ謎めいたトウモロコシの祖先を発見できたのだろうとも思う。

また彼は、植物探検隊を派遣しウィスコンシン・マディソン大学ハーバリウムに膨大なコレクションを作ったコレクターでもあり、植物標本100万枚を集めたともいうので徹底している。
絶滅危惧種を保存するための環境保護運動にも積極的で、トウモロコシの先祖探しも保護することが目的のひとつにあったのだろう。
ついでに補足しておくと、イルチスはペルーで野生のトマトを発見していて、トマト好きの人々に素晴らしい恩恵をもたらしている。いずれ「トマト」のところで触れなければならないだろう。

現在のトウモロコシの基礎
トウモロコシは、イネ科の一年草で草丈200㎝にも育ち、イネ科とは思えないほど葉が幅広い。茎の先端にはススキのような雄花が咲き、茎の中ほどに雌花が咲く雌雄異花であり、風により雄しべの花粉を雌しべにあたるトウモロコシのひげが受粉すると実をつける。
学名は、Zea mays L.で、和名ではトウモロコシ(玉蜀黍)トウキビ(唐黍)など様々な呼び方がある。英語ではコーン(Corn)が一般的だが、英国ではメイズ(Maize)と呼ぶ。

(写真)雌花(左) 雄花(右)

(出典)家庭菜園で癒しの空間

現在認められているトウモロコシ属の品種分類

1.Zea mays L.(1753)
1-1 Zea mays subsp.mays – Maize, Corn
1-2 Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972).
1-3 Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980).
1-4 Zea mays subsp. huehuetenangensis (Iltis & Doebley) Doebley, (1990).
2.Zea perennis (Hitchc.) Reeves & Mangelsd (1942).(多年生)
3.Zea luxurians (Durieu & Asch.) R.M.Bird(1978)
4.Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán (1979)(多年生)
5.Zea nicaraguensis Iltis & B.F.Benz,(2000).

ジーア属、和名ではトウモロコシ属は、メキシコおよび中央アメリカ原産の5つの野生種(イルチスは4つとしZea nicaraguensisは含まれない。)と4つの亜種からなり、Zea mays subsp.mays (Maize, Corn)を除く7種の野生種をテオシント(teosinte、和名ではブタモロコシ)とも呼ぶ。


“神のトウモロコシ”テオシント(teosinte,wild Zea spp. 和名ブタモロコシ)
このテオシントは、トウモロコシに最も近い野生種で、アステカ文明を支えたナワ族の言葉では“神の(teo)トウモロコシ(centli)”を意味し、先祖から受け継いだ尊い食糧を示唆する。

(写真)Teosinte

(出典)ミズリー大学

(写真)左Teosinte、右トウモロコシ、中央両者のハイブリット
 
(出典)University of Wisconsin-Madison
 Teosinte ear (Zea mays ssp mexicana) on the left, maize ear on the right, and ear of their F1 hybrid in the center (photo by John Doebley)

と言っても、現在のトウモロコシと比べると草丈は小さく葉が大きい。養分が葉にいっている為か穂軸は小さくそこにつく実も小さく10粒程度と少なく食用に耐え得ない。

そこで次回は、7種の野生種のテオシントを命名された年代順にそれぞれの特徴を見ることにする。

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No3:マヤ・アステカ文明をささえたトウモロコシ、その1

2011-10-04 17:31:40 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No3

アステカの四大食糧
スペイン人が侵略する以前のアステカには、食糧となる重要な栽培植物があった。
スペイン人が記述していた重要な食物として、トウモロコシ(maize or corn)豆(beans)チア(Chia)アマランス(amaranth)をアステカの四大食糧としてあげている。
これらは何れもメキシコ及びその周辺が原産地で、アマランスを除き世界に普及した植物だ。そのほかにも、唐辛子、カボチャ、トマト、カカオ、ピーマン、ズッキーニそしてタバコなど我々の食卓・嗜好に欠かせないものが多い。

ここにあげたものは、コロンブス以降にメキシコ・中南米からヨーロッパへ、そして日本へと伝播・普及していくことになる。
いまでは、あまりにも身近になりすぎ気にも留めない存在となっているが、美味しくいただくために遠い昔に戻ってみることにする。

世界の三大穀物
ちなみに、世界の三大穀物はすべてイネ科の植物で、小麦・米・トウモロコシが世界の三大穀物といわれている。トウモロコシもイネ科だったのですね。

この三大穀物の原産地を見ると、まるで神の見えざる手による配置がなされたかのように見事に分布している。
小麦は、中央アジアのコーカサス地方から西アジアのイラン周辺が原産地と考えられていて、1 粒系コムギの栽培は1万5千年前頃に始まりヨーロッパに入ってきた。
一方、米つまりイネは、中国・雲南省から、ラオス、ミャンマーと国境を接する亜熱帯気候のかなり広範囲な地域が原産地と言われ、その栽培は1万年前頃に始まりアジアに広まる。
トウモロコシについてはこれから検証していくが、原産地はメキシコ周辺といわれ、ベーリング海峡を渡って南下してきたモンゴロイドのために用意されていたのだろうか?
紀元前5000年頃には南北アメリカで栽培され、マヤ文明、アステカ文明を支えた食糧となったが、トウモロコシだけはその祖先がよくわからない。
この謎を解こうとしたのが米国の考古学者マクネイシ(MacNeish, Richard Stockton 1918 – 2001)だった。

メキシコの古代遺跡発掘のリーダー、マクネイシ
マクネイシ(MacNeish, Richard Stockton 1918 – 2001)は、ニューヨークで生まれ12歳のとき学校の授業でのマヤ人のことをレポートしたときから考古学に興味を持ったというから若くして将来なすべきことを見つけた。

1949年、彼が31歳の時にシカゴ大学から博士号を取得し、この年にメキシコ北東部のSierra de Tamaulipasの洞窟で相当に古い原始的なトウモロコシの穂軸を発見した。これが彼の生涯の研究テーマを決めることになり、アメリカ大陸での農耕の起源と栽培植物としてのトウモロコシの原種探索を追い求めることになった。

ところで、Sierra de Tamaulipas洞窟で発見したトウモロコシは、紀元前2500年頃のものであり、同じ頃にニューメキシコのBat 洞窟で発見されたトウモロコシと同じ年代だった。
マクネイシは、トウモロコシの祖先はもっと南から来たのではないかと推理し、メキシコとペルーの間にあるのではないかと思った。
乾燥した洞窟をホンジュラス、グアテマラで探したが見つからなかったので、Tamaulipas洞窟より南にあるメキシコに絞り込んで洞窟を探した。

(写真)テワカンバレー

(出典)Flickriver

1961年夏からはメキシコシティの南東部にあるテワカンバレーの発掘に集中し、この一帯で人間が住んでいた500の洞穴と屋外の居住区を確認し、植物の痕跡と生活に使った道具など100,000点以上も発掘した。
その中には、「最も古いトウモロコシ、最も古いスカッシュとヒョウタン、最も古いトウガラシと豆、最も古いトマトとアボカド、最も古いコットン、最も古い飼いならされた犬と七面鳥、最も古いメキシコのミツバチ」の証拠を見つけた。

数多くの洞窟の中でも重要な発見がされたコスカトラン洞窟(Coxcatlan Cave)は、240㎡の広さに1万年前の人間の居住した炉の痕跡があり、堆積した土壌から8千年前(紀元前5960年頃)の栽培された植物(トウモロコシ、ヒョウタン、スカッシュ、豆)の痕跡が見つけられた。

(写真)Coxcatlan Cave

(出典)University of Michigan

トウモロコシは紀元前5960年頃コスカトラン洞窟付近で栽培が始っていたことになり、
マクネイシは、メキシコからペルーの間にトウモロコシの起源があるという彼の仮説の立証に近づいていたことになる。

トウモロコシの祖先とその原産地は依然として諸説がありよくわかっていないところがあるので、次回その謎解きをしてみよう。

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