栽培植物の起源と伝播 No5
現在のトウモロコシの祖先がわからない。どこでどう育ったのかも謎だ。
謎は科学者をひきつけ、植物学者だけでなく遺跡を探索するマクネイシ(MacNeish, Richard Stockton 1918 – 2001)のような考古学者、栽培植物の歴史を調べる農業者、メソアメリカの形成を調べる文化人類学者、種の遺伝から関係を調べる遺伝学者など様々な科学者がこの謎に取り組んでいる。
それでわかったことをダイジェストで展開するが、そもそもに遡ると野生の原種の発見とその原種が育った環境である原産地の特定化が栽培にとって重要になる。
栽培というのはヒトの手によるものでありこの歴史も面白そうだ。だが、マヤ・アステカ文明でのトウモロコシに何時たどり着き着手できるのだろうかという不安をも感じ始めている。多くの科学者がいまだ答えを見つけていないだけにトウモロコシの歴史は奥が深い。
トウモロコシ属の野生の品種・原種に興味を持ってみるには、トウモロコシの祖先の謎に関わる仮説を簡単にでもわかる方が良さそうだ。
次の文章でアンダーラインを引いてあるところがわかれば謎は解けることになる。
「
数千年前に
メキシコ周辺の中央アメリカに住んでいた狩猟採取民は、住居である洞窟周辺の
テオシントと呼ばれる野生の草を育てその実を食べていた。その中からより大きな穂軸(コーン)をつける種を
選択 し
改良を続け今日のトウモロコシにたどり着いた。」
“何時、何処で、誰が、何を、どうしたのか”ということを証明することになる。しかし、いろいろな説があるのでそれをまずおさらいすることにする。
トウモロコシの起源説いろいろ
1. メキシコの 一年草のテオシント・パヴィルミス(Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley)が直接栽培され、現代のトウモロコシにつながったという説。
このテオシント=野生のジーア・パヴィルミスは、バルサ川渓谷原産で、遺伝物質 の 最高 12 % をZea mays subsp. mexicana からもらったという。
この説は、バルサ川渓谷で野生種の祖先が8700年前から栽培されたという証拠を発見したことから始る。
2. 野生のトウモロコシからわずかに変化した小さなトウモロコシを栽培し、これとZea luxurians、又は、Zea diploperennisとの間での交雑に由来するという説。
3. 野生のトウモロコシ或いはテオシントの2つ以上の品種の栽培を経たという野生のテオシント起源説。
4. メキシコからグアテマラにかけての地域に自生していたテオシント,トウモロコシの亜種とされる Zea mays subs.mexicana または Euchlaena mexicanaが起源だとする説
5. トウモロコシ属と関係が深いTripsacum属のダクティロイデス(T. dactyloides)とZea diploperennisの交雑から進化したという説。
それでは、個別の種を見てみよう。
現在認められているトウモロコシ属の品種分類
現在のトウモロコシの学名は、ジーア属メイズでこの中に4つの亜種があり、そのうちの一つ“Zea mays subsp. Mays”が現代のトウモロコシをさす。この種以外は野生種のテオシントであり、学名の最後にコモンネームを記載し野生種のテオシントの区別をつけておく。
“Zea mays subsp. parviglumis”にも“Corn”と書いてあるが、最近わかったトウモロコシの祖先説による。詳しくは別途記載する。
1.Zea mays L.(1753)Corn
1-1 Zea mays subsp. mays – Maize, Corn 現代のトウモロコシ
1-2 Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972). Mexican teosinte
1-3 Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980). Corn、Balsas teosinte
※遺伝的にZea mays subsp. Maysと似ている。古代の農民が選択的にこの品種を育て現代のトウモロコシになった特定の亜種と結論付ける。(Doebley)
1-4 Zea mays subsp. huehuetenangensis (Iltis & Doebley) Doebley, (1990). Huehuetenango teosinte
2.Zea perennis (Hitchc.) Reeves & Mangelsd (1942).)Perennial teosinte(多年草)
3.Zea luxurians (Durieu & Asch.) R.M.Bird(1978) Guatemalan teosinte
4.Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán (1979)Diploperennial teosinte(多年草)
5.Zea nicaraguensis Iltis & B.F.Benz,(2000). Nicaragua teosinte
以上の品種を命名された年代順に紹介する。
a:Zea perennis (Hitchc.) Reeves & Mangelsd (1942). ジーア・ペレンニス
・ 多年草
・ コモンネーム:ペレニアル・テオシント(Perennial teosinte)
(写真)タッセル(房飾りのような枝)
Z. perennis - tassels (Photo H. Iltis)
(出典)
University of Wisconsin-Madison
ジーア・ペレンニス(Zea perennis)は、1942年に米国の植物学者で『The Origin of Indian Corn and Its Relatives』を共著したリーブス(Reeves, Robert Gatlin 1898-1981)とマンゲルスドルフ(Mangelsdorf, Paul Christoph 1899-1989)によって命名され、Zea diploperennisが発見されるまで唯一の多年草の植物だった。
多年草のテオシント(perennial teosinte)とも呼ばれ、草丈150-200cmで細長い茎に2-8個の直立したタッセル(房飾りのような枝)(写真)が特徴的で、ハリスコ州コリマ火山の1500-2000mmp北斜面という狭い領域に自生するという。
Zea diploperennisとよく似ているが、他品種との交配でハイブリッド品種を作ることが出来ないという。
1930年代後期にマンゲルスドルフは、「耕作化されたトウモロコシは、未知の野生のテオシントとトウモロコシ属の姉妹属ともいえるTripsacum属の種(T. dactyloides)との交雑の結果である。」という説を提唱した。
しかし、トウモロコシの起源に関わるTripsacum(Tripsacum dactyloides)の役割は現代の遺伝子のテストによって論破されマンゲルスドルフのトウモロコシ起源説は否定された。
確かにトウモロコシは、姉妹属のTripsacum dactyloidesと多年生野生のテオシントであるZea diploperennisとの交雑種から誕生したと仮定することも可能だという。 T. dactyloides は耕作されたコーンと交雑することができるが、しかし、直接的な交雑による子供たちは通常不妊症であり孫を作ることが出来ないという。
これでは姉妹属のTripsacumとの交雑では、祖先として子孫を残すことが出来ないということで「トウモロコシの起源に関わるTripsacum」の役割は否定された。
b:Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972).ジーア・メイズ・メキシカーナ
・一年草、Mexican teosinte
画:Hitchcock, A.S. 1950
(出典)
USDA
ジーア・メキシカーナは、北メキシコ、チワワ州から中部メキシコのプエブラ一帯の高度1700-2600mのところで自生している。メキシカン・テオシント(Mexican teosinte)とも呼ばれ、草丈150-400cmで、10-20の枝をつけるので実が多いことになる。また、75日未満で実を熟成させるという他種にはない特徴があり、他種よりも温度が低い環境でも早く・多くの実を熟成させる。
学名は、1972年にイリチス(Iltis, Hugh Hellmut1925-)によって命名されている。初期の採取者は不明だが、メキシコを探検したプラントハンター、プリングル(Pringle, Cyrus Guernsey(1838-1911)が1892年10月にミチョアカン州で、パーマ(Edward Palmer 1831-1911)が1896年11月にドゥランゴ州で、ヒントン(Hinton, George Boole 1882-1943)も1932年9月にこの品種を採取している。
もちろん命名者のイリチスもその弟子に当たるドエブリー(Doebley, John F.)とともに1976年から10年以上にわたってグアテマラ、メキシコでこの種を採取している。
このジーア・メキシカーナは、トウモロコシの祖先に関わっている可能性がある。というのは、トウモロコシの祖先かもしれないという後で記述するZea mays subsp. Parviglumisに遺伝的形質を伝えているのでその可能性がある。
c:Zea luxurians (Durieu & Asch.) R.M.Bird(1978)ジーア・ルクリアンス
・一年草、Guatemalan teosinte
Curtis’s Botanical Magazine, vol. 105 (1879)
(出典)
plantillustrations.org
カーティスのボタニカルマガジン1879年105巻に「Euchlaena luxurians Durieu & Asch(1877)」として掲載されたが、現在の学名はジーア・ルクリアンス(Zea luxurians)となる。
(出典)
University of Wisconsin-Madison
実写はイルチスが撮影した立ち枯れたものしかないが、カーティスの植物画で補うこととする。
この種は、南東部グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアで自生する野生のテオシントで、グアテマラ・テオシントとも呼ばれる。北部に当たるメキシコのオアハカでも1845年に一度だけ採取されたことがあるが、その後採取されたことがないという。
草丈200-300㎝の一年草で、槍状の葉は30-80mmと幅が広い。根が弱いが枝は直立でタッセルと呼ぶ雄花の穂は4-20個と少なく、多年草のテオシントが二つあるがこれらと似ている。
d. Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán (1979)ジーア・ディプロペレンニス
・多年草、Diploperennial teosinte
(出典)
flickr.com
ジーア属の野生種テオシント、ジーア・ディプロペレンニス(Zea diploperennis)は、劇的に登場する。
1978年10月22日にハリスコ州マナントゥラン山脈で発見採取され、最初の発見・採取者として命名者と同じイルチス、ドブリー、グスマンそしてもう一人命名者にはなっていないがラッセイグネ(Lasseigne, Alex A. 1944-)達四人が採取したと記録上はなっている。
しかし、物語は1976年から始る。
1976年の初めにイルチスは、世界中の植物学者にポスターほどの大きさの年賀状を送った。そこにはウィスコンシン大学でのイルチスたちのルールに則って自然環境の保全と保護を訴えた。このポスターには、1921年を最後にその姿が見られなくなった「Zea perennis」を描き、そしてこんなコピーをつけたという。
“荒野で絶滅している(Zea perennis)!”
このポスターは、イルチスの友人であるメキシコのグアダラハラ大学植物学の教師Luz Maria Villareal de Pugaが大学の掲示板に張出し、教え子に向って「このZea perennisを見つけに行ってください。そして、イルチスが間違っているということを証明してください。」と檄を飛ばしたそうだ。
この激に刺激された学生がいた。グスマン(Guzmán, Rafael 1950-)で、ハリスコ州グアダラハラの山に行き、二日目に知識のある農民に教えられたところで実を結んでいない野生種のテオシントを掘り起こしグアダラハラ大学に持って帰った。2ヵ月後にこれが絶滅したと思われていた「Zea perennis」であることがわかった。
グスマンは、トウモロコシ起源研究の大家イルチスの鼻を明かしたわけだが、これで満足することなく、もっと大きい魚を釣った。
(写真)生物多様性のSierra de Manantlán
(出典)costalegre.com
これも友人から“「Zea perennis」が他の所にもある。”という情報を元に、マナントラン山脈(Sierra de Manantlán)の中央にあるサンミゲルという町に行き「Zea perennis」と思われるテオシントを採取し、この種(タネ)をウィスコンシン大学のイルチスに送った。1977年のことだった。
イルチスはこれを育て、「Zea perennis」同様に多年草のテオシントであるが、染色体の数が二分の一でありまったくの新種であることがわかった。
この新種に「Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán(1979)」という名前をつけ、命名者にイルチス、ドブリーと並びグスマンも栄誉を得ることになった。
“diploperennis”は外交的な多年草を意味し、他のテオシントと交雑しハイブリッドを生み出すので「Zea perennis」とは全く異なる画期的な新種を発見したことになる。
(写真)Sierra de ManantlánでのZea diploperennis
(出典)botany.si.edu