メキシコのサルビアとプラントハンターの物語 No11
お奨めしたいメキシコのサルビアがある。
英名の“ジャーマンダーセージ”のほうが通用しているが、最初に誰が採取したかわかっていない。が、1800年代の早い時期に既にヨーロッパの庭で栽培されていたというので、このこと自体サルビアとしては珍しく米国では1980年代に導入されたようだ。
花色は光を反射させないためか渋いブルー、葉は灰緑色で小さな楕円形、草丈30cmぐらいの小潅木なのでこじんまりしている。このサルビアを見ていると、落ち着いた気持ちになれる。
「サルビア・カマエドリオイデス(Salvia chamaedryoides)」
ジャーマンダーセージ(Germander sage)
“ジャーマンダーセージ”こと「サルビア・カマエドリオイデス(Salvia chamaedryoides)」は、初期に誰が採取したかわからないが、1793年にスペインの植物学者カバニレス(Cavanilles, Antonio José(Joseph) 1745-1804)によって命名されている。この頃からヨーロッパに持っていかれ庭で普及したのだろう。
再発見は、ドイツ生れの医師・薬剤師のシャフナーが1876年9月メキシコで採取している。その後、パリー(Parry,Charles 1823-1890)とパーマー(Palmer,Edward 1829-1911)が1878年にメキシコのサン・ルイス・ポトシの2000-2500mの山中で採取している。
(「ジャーマンダーセージ」に関してはここを参照)
パリーとパーマーはいずれ触れることになるが、記録に残る第一発見者のシャフナー(Schaffner, Johann Wilhelm、又は、Schaffner, Jose Guillermo 1830-1882)は、ドイツ、ダルムシュタットで生まれ薬剤師としての訓練を受けた。メキシコに移住し、1852-1857年の間は、薬剤師として勤め、1871-1874にハイデルベルク、ミュンヘン、ウィーンで医学を学び、1875年から死亡するまでサン・ルイス・ポトシで医者・薬剤師を開業する。そしてこの頃から植物の収集を始める。
という程度しかわかっていない。だから、どこかの植物園やスポンサーのために植物を採取するのではないので、プラントハンターというよりはプラントコレクターという方が適しているだろう。
彼が採取した植物は、キュー植物園のデータに182種登録されているので、趣味の領域を超え本格的に採取したといえる。
このうちサルビア属の植物は6種類が含まれていて、その中に“ジャーマンセージ”と呼ばれる大好きな「サルビア・カマエドリオイデス(Salvia chamaedryoides)」があった。
シャフナーの植物標本のコレクションは、彼の死後にドイツ出身の薬剤師ヴィゲナー(Vigener, Anton 1840 -1921)が買い取り、温泉がある保養地ヴィースバーデンにある博物館(Museum Wiesbaden)に寄贈している。
ドイツの保養地バーデンバーデンにもカジノ、ミュージアム、クアハウスなどが小川をはさんだこじんまりした街並みにあったが、ヴィースバーデンにはカジノつきのクアハウスがあるそうだ。
シャフナーが住んでいたサン・ルイス・ポトシは、メキシコを縦に貫く二つの山脈のうち東側にあるシェラ・マドレ・オリエンタル(Sierra Madre Oriental)の標高1850mの高地にある州都で、1583年にフランシスコ会派の入植から街づくりが行われ、フランスのルイ9世の名を取ってサン・ルイス(セントルイス)とつけられた。
ポトシが加えられたのは、この地域で金・銀を産出したので、1545年に発見されスペインを大国に押し上げる原動力となった南米ボリビアのポトシの銀山にあやかったという。
もっとも、これらの金銀財宝を略奪するためにカリブ海には英国・フランスの非公式公認海賊が横行した。映画“パイレーツオブカリビアン”の世界であり、彼ら海賊が中南米の植物をヨーロッパにもたらした可能性も高い。(とても歴史に残せないとは思うが?)この時代の珍しい植物は、高価な絵画か宝石なみの価値があったので、心優しくなくても取り扱えたが、生きたまま持ち帰るのが難しいので手を出しにくかったのだろう。
シャフナーが採取したサルビア
2.Salvia macellaria サルビア・マセラリアの謎
学名の「Salvia macellaria」は、1939年に米国の植物学者・プラントハンターのエプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)によって命名されたが、シャフナーは、1876年にサン・ルイス・ポトシのSan Miguelito山でこのサルビアを採取している。
しかし、このサルビアは謎のサルビアのようで、今もって確定していない。命名したエプリング自身が、“Salvia greggii と Salvia chamaedryoides の自然交雑種である可能性が高い”と述べている。
おや?この組み合わせは、「サルビア・ムエレリ(Salvia muelleri)」と同じではないか!
「S.ムエレリ」も好きな花だが、その出自には疑問のところがある。
(写真)「S.マセラリア」として販売されていたSalvia greggii hybrid
(出典)Plantdelights.com
http://www.plantdelights.com/Catalog/Current/Detail/salvia_california_sunset_05952.html
「サルビア・マセラリア」として販売されている花色で青紫、イエローオレンジなどがあるが、イエローオレンジの花色に関しては、「サルビア・グレッギー」の交雑種とわかってきたようだが、青紫色の花色となると「サルビア・ムエレリ」に限りなく近くなる。キュー王立植物園でもこのサルビアを間違っていたようなので素人には難しいのだろう。
(「S.ムエレリ」に関してはここを参照)
3. Salvia neurepia サルビア・ネウレピア
(出典)Botanic Garden
http://www.botanic.jp/plants-sa/salneu.htm
1876年にシャフナーがサン・ルイス・ポトシの森の中で発見し、「サルビア・ネウレピア(Salvia neurepia)」と命名したが、1939年にエプリングによってサルビア・ミクロフィラの変種「Salvia microphylla var. neurepia」と修正される。
秋に赤い花を開花させ、葉は小さな楕円形でフルーツの香りがするので、Fruity littleleaf sageとも呼ばれる。
4.Salvia oresbia サルビア・オレシビア(=Salvia darcyi)
(出典)Sue Templeton's Nursery
http://www.salviaspecialist.com/itm10103.htm
「サルビア・オレシビア(Salvia oresbia)」は、1876年にシャフナーがサン・ルイス・ポトシの山中で採取しているが、1991年10月20日に英国のコレクターであるコンプトン(Compton, James A. 活躍時期:1994)がメキシコで採取し、別名の「サルビア・ダルシー(Salvia darcyi J.Compton)」として1994年に登録した。今では、「サルビア・ダルシー」の方が有名であり、発見にまつわる逸話の方もよく知られている。
というのは、手柄を横取りしたというか新発見の植物の命名での英国人の身びいきがあった話である。
米国のYucca Do Nurseryは、1988年からメキシコの植物調査を始め、オーナーの
ローリー(Lynn Lowery)は、若手のジョン・フェアリー(John Fairey)とカール・ショーンフェルド(Carl Schoenfeld)を連れて行った。この二人が野生種の「サルビア・ダルシー」を1988年に発見した。
Yucca Do Nursery は、1991年に英国のメキシコ探検隊を案内することになり、この隊員の一人であったコンプトンがシェラマドレオリエンタルの山中で「サルビア・ダルシー」を採取し、英国の植物学者で後にミズリー植物園のダルシー博士(D'Arcy, William Gerald 1931-1999)にちなんで名前をつけた。
Yucca Do Nurseryが無視され、後に発見したコンプトンの命名が採用された経緯はこんな感じだった。
メキシコに住み着いたシャフナーとこのシリーズNo10で登場したギエスブレットの二人は、その居住地での素晴らしいサルビアを採取しており、通り過ぎる旅行者にはない選択眼がありそうだ。
ところで、Yucca Do Nurseryの探検隊はメキシコで重要なことを体感しているという。メキシコ人達が自分たちの植物の価値に20世紀後半になって気づき始めた。ということであり、プラントハンターの活動が制約される時代に入ることを意味する。
そして、100年以上も遅れて、サルビアはまさに21世紀になってその価値を認められる。
お奨めしたいメキシコのサルビアがある。
英名の“ジャーマンダーセージ”のほうが通用しているが、最初に誰が採取したかわかっていない。が、1800年代の早い時期に既にヨーロッパの庭で栽培されていたというので、このこと自体サルビアとしては珍しく米国では1980年代に導入されたようだ。
花色は光を反射させないためか渋いブルー、葉は灰緑色で小さな楕円形、草丈30cmぐらいの小潅木なのでこじんまりしている。このサルビアを見ていると、落ち着いた気持ちになれる。
「サルビア・カマエドリオイデス(Salvia chamaedryoides)」
ジャーマンダーセージ(Germander sage)
“ジャーマンダーセージ”こと「サルビア・カマエドリオイデス(Salvia chamaedryoides)」は、初期に誰が採取したかわからないが、1793年にスペインの植物学者カバニレス(Cavanilles, Antonio José(Joseph) 1745-1804)によって命名されている。この頃からヨーロッパに持っていかれ庭で普及したのだろう。
再発見は、ドイツ生れの医師・薬剤師のシャフナーが1876年9月メキシコで採取している。その後、パリー(Parry,Charles 1823-1890)とパーマー(Palmer,Edward 1829-1911)が1878年にメキシコのサン・ルイス・ポトシの2000-2500mの山中で採取している。
(「ジャーマンダーセージ」に関してはここを参照)
パリーとパーマーはいずれ触れることになるが、記録に残る第一発見者のシャフナー(Schaffner, Johann Wilhelm、又は、Schaffner, Jose Guillermo 1830-1882)は、ドイツ、ダルムシュタットで生まれ薬剤師としての訓練を受けた。メキシコに移住し、1852-1857年の間は、薬剤師として勤め、1871-1874にハイデルベルク、ミュンヘン、ウィーンで医学を学び、1875年から死亡するまでサン・ルイス・ポトシで医者・薬剤師を開業する。そしてこの頃から植物の収集を始める。
という程度しかわかっていない。だから、どこかの植物園やスポンサーのために植物を採取するのではないので、プラントハンターというよりはプラントコレクターという方が適しているだろう。
彼が採取した植物は、キュー植物園のデータに182種登録されているので、趣味の領域を超え本格的に採取したといえる。
このうちサルビア属の植物は6種類が含まれていて、その中に“ジャーマンセージ”と呼ばれる大好きな「サルビア・カマエドリオイデス(Salvia chamaedryoides)」があった。
シャフナーの植物標本のコレクションは、彼の死後にドイツ出身の薬剤師ヴィゲナー(Vigener, Anton 1840 -1921)が買い取り、温泉がある保養地ヴィースバーデンにある博物館(Museum Wiesbaden)に寄贈している。
ドイツの保養地バーデンバーデンにもカジノ、ミュージアム、クアハウスなどが小川をはさんだこじんまりした街並みにあったが、ヴィースバーデンにはカジノつきのクアハウスがあるそうだ。
シャフナーが住んでいたサン・ルイス・ポトシは、メキシコを縦に貫く二つの山脈のうち東側にあるシェラ・マドレ・オリエンタル(Sierra Madre Oriental)の標高1850mの高地にある州都で、1583年にフランシスコ会派の入植から街づくりが行われ、フランスのルイ9世の名を取ってサン・ルイス(セントルイス)とつけられた。
ポトシが加えられたのは、この地域で金・銀を産出したので、1545年に発見されスペインを大国に押し上げる原動力となった南米ボリビアのポトシの銀山にあやかったという。
もっとも、これらの金銀財宝を略奪するためにカリブ海には英国・フランスの非公式公認海賊が横行した。映画“パイレーツオブカリビアン”の世界であり、彼ら海賊が中南米の植物をヨーロッパにもたらした可能性も高い。(とても歴史に残せないとは思うが?)この時代の珍しい植物は、高価な絵画か宝石なみの価値があったので、心優しくなくても取り扱えたが、生きたまま持ち帰るのが難しいので手を出しにくかったのだろう。
シャフナーが採取したサルビア
2.Salvia macellaria サルビア・マセラリアの謎
学名の「Salvia macellaria」は、1939年に米国の植物学者・プラントハンターのエプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)によって命名されたが、シャフナーは、1876年にサン・ルイス・ポトシのSan Miguelito山でこのサルビアを採取している。
しかし、このサルビアは謎のサルビアのようで、今もって確定していない。命名したエプリング自身が、“Salvia greggii と Salvia chamaedryoides の自然交雑種である可能性が高い”と述べている。
おや?この組み合わせは、「サルビア・ムエレリ(Salvia muelleri)」と同じではないか!
「S.ムエレリ」も好きな花だが、その出自には疑問のところがある。
(写真)「S.マセラリア」として販売されていたSalvia greggii hybrid
(出典)Plantdelights.com
http://www.plantdelights.com/Catalog/Current/Detail/salvia_california_sunset_05952.html
「サルビア・マセラリア」として販売されている花色で青紫、イエローオレンジなどがあるが、イエローオレンジの花色に関しては、「サルビア・グレッギー」の交雑種とわかってきたようだが、青紫色の花色となると「サルビア・ムエレリ」に限りなく近くなる。キュー王立植物園でもこのサルビアを間違っていたようなので素人には難しいのだろう。
(「S.ムエレリ」に関してはここを参照)
3. Salvia neurepia サルビア・ネウレピア
(出典)Botanic Garden
http://www.botanic.jp/plants-sa/salneu.htm
1876年にシャフナーがサン・ルイス・ポトシの森の中で発見し、「サルビア・ネウレピア(Salvia neurepia)」と命名したが、1939年にエプリングによってサルビア・ミクロフィラの変種「Salvia microphylla var. neurepia」と修正される。
秋に赤い花を開花させ、葉は小さな楕円形でフルーツの香りがするので、Fruity littleleaf sageとも呼ばれる。
4.Salvia oresbia サルビア・オレシビア(=Salvia darcyi)
(出典)Sue Templeton's Nursery
http://www.salviaspecialist.com/itm10103.htm
「サルビア・オレシビア(Salvia oresbia)」は、1876年にシャフナーがサン・ルイス・ポトシの山中で採取しているが、1991年10月20日に英国のコレクターであるコンプトン(Compton, James A. 活躍時期:1994)がメキシコで採取し、別名の「サルビア・ダルシー(Salvia darcyi J.Compton)」として1994年に登録した。今では、「サルビア・ダルシー」の方が有名であり、発見にまつわる逸話の方もよく知られている。
というのは、手柄を横取りしたというか新発見の植物の命名での英国人の身びいきがあった話である。
米国のYucca Do Nurseryは、1988年からメキシコの植物調査を始め、オーナーの
ローリー(Lynn Lowery)は、若手のジョン・フェアリー(John Fairey)とカール・ショーンフェルド(Carl Schoenfeld)を連れて行った。この二人が野生種の「サルビア・ダルシー」を1988年に発見した。
Yucca Do Nursery は、1991年に英国のメキシコ探検隊を案内することになり、この隊員の一人であったコンプトンがシェラマドレオリエンタルの山中で「サルビア・ダルシー」を採取し、英国の植物学者で後にミズリー植物園のダルシー博士(D'Arcy, William Gerald 1931-1999)にちなんで名前をつけた。
Yucca Do Nurseryが無視され、後に発見したコンプトンの命名が採用された経緯はこんな感じだった。
メキシコに住み着いたシャフナーとこのシリーズNo10で登場したギエスブレットの二人は、その居住地での素晴らしいサルビアを採取しており、通り過ぎる旅行者にはない選択眼がありそうだ。
ところで、Yucca Do Nurseryの探検隊はメキシコで重要なことを体感しているという。メキシコ人達が自分たちの植物の価値に20世紀後半になって気づき始めた。ということであり、プラントハンターの活動が制約される時代に入ることを意味する。
そして、100年以上も遅れて、サルビアはまさに21世紀になってその価値を認められる。