18世紀末、スペインの科学的な植物探検物語 ③
「The French Geodesic Mission」での3つの疑問
(写真)Jesuit's bark-イエズス会士の樹皮(これを砕いて粉末にする)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/ec/903b180fa83b524635c16c91e67e168a.jpg)
(出典)Wikipedia
1.「The French Geodesic Mission(フランスの測地学ミッション)」は、北極での子午線の長さを測る場所としてスカンディナヴィア半島にあるラップランドで実施している。
一方、赤道での測地は、フランスに近いアフリカで実施せずに、お金と時間が余分にかかるだけでなく電話のない時代のホウレンソウ(報告・連絡・相談)がより困難な南アメリカ、現在のエクアドルの首都キト(Quito)とクエンカ(Cuenca)との間で実施した。
この合理的とは思えない測量地の選択は理解しがたい。何故だろうか?
2.フランスの南米への測地遠征隊の隊員にこのプロジェクトと直接関係のなさそうな植物学者で、しかもフランスではこの園芸・植物学領域では名門家系の出身であるジョセフ・ジュシュー(Joseph de Jussieu 1704 – 1779)が選ばれ隊員として参加している。
超一流の植物学者がアシスタントとして参加しているのは何故だろうか?
3.フランスの南米での測地遠征隊の実質的な隊長コンダミン(Charles Marie de La Condamine 1701 – 1774)及びジュシューは、ペルーのキナノキを事前に承知し、調査を目的化していたようだが、
これは個人的な計画だろうか?、それとも国家的なミッションなのだろうか?
この3つの疑問に対してフランスの「The French Geodesic Mission(フランスの測地学ミッション)」は、 「南米、キト(Quito)周辺でJesuit's barkを調べる」。そのためのプロジェクトであり人選だった。
と理解すると疑問点が全て解決する。
但し、これでは血縁があってもスペイン王室が受け入れるはずが無い。
子午線の長さを測るのはスペインを説得する方便で、
スペインが独占しているマラリアを治す治療薬としての「イエズス会士の樹皮」を
継続的・安価に手に入れるための方策を検討するためのフランス王室の投資ではなかろうか?
というのが私の推測となる。
以上の仮説を検証するには、
「The French Geodesic Mission(フランスの測地学ミッション)」が決定した1735年以前に、
フランス王室及び国家は“マラリアが治る治療薬があり、
この原料は現在のエクアドルの首都キト周辺にある木の皮”だ
ということを知っていなければならない。
ルイ14世の王太子の病気を治したタルボア
(写真)英国、エセックス州(Essex)の湿地帯
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/83/cd2fd36d3f81fdd0605e06e817f967dc.jpg)
(出典)The Royal Society for the Protection of Birds
英国・ケンブリッジで薬種商の見習いとして働いていたタルボア(Robert Talbor 1642‐1681)は、
その当時ロンドン、特に沼地が多い東部のエセックス州で大流行していたマラリアの治療に行く決心をし、
彼が作った秘密の薬で患者を治していった。
これがうわさになり、学歴・経歴などが立派な医者達は、
最初は懐疑的だったが自分が出来ないことができるので“いかがわしい”というレッテルを貼り敵対するようになった。
この点では、今も昔も人間の下賎さでは変わらないということでしょうか。
タルボアはマラリアを治した秘密の薬の成分を明らかにすることは無く、
逆に「全ての姑息な治療薬、特にジェスイットの粉末で知られているものに心せよ、その薬を服用すれば危険な影響があるだろう。」(出典:世界を変えた薬用植物、創元社)
と、イエズス会士が南米から持ち帰り、マラリアの治療薬として推奨している木の皮(ジェスイットの粉末)を使っていないことを宣言した。
そしてさらに、「この始末に終えない病気を治すための方法を見出すには観察と実験しかない。」と言う。
宗教・道徳などのイデオロギー的なものに決別し「観察」と「実験」という近代科学の基本を述べている。
立派な医者達がジェスイット会派を忌み嫌ってジェスイットの粉末をテストもしないことを学歴も無い怪しげな医者タルボアが指摘しあざ笑っていたのだろう。
1672年頃、英国王チャールズ二世(Charles II 1630 – 1685)がマラリアになり、
マラリアを治癒してくれる名医としてロンドン中で評判になっていたタルボアの診察を王自ら求め治してもらった。
当然、王室の侍医達は大反対だったが誰一人として患者を治すことなく唯死ぬのを見守るだけだったので国王も必死だったのだろう。
この功績により1678年には爵位を授与され、タルボア卿となった。
せめてもの抵抗として侍医達は治療薬の成分を明らかにするよう求めたがタルボアに拒否されてしまっただけでなく、国王からタルボアの邪魔をしないようにと釘をさされてしまった。
さて、脱線してしまったがここからが、フランス(皇室又は閣僚等の政治家)はマラリアの治療薬となるモノが南米キト周辺のところにあるということを知っていたかどうかという本題となる。
(写真)ルイ14世の王太子Louis de France
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/03/7535bfb128510888dfa3a2712a2dc672.jpg)
(出典)Wikipedia
チャールズ二世のいとこ、太陽王と言われたフランス国王ルイ14世(Louis XIV、1638‐1715)の王太子(Louis de France 1661-1711)がマラリアで苦しんでおり、
タルボアは1679年にチャールズ二世からフランスに派遣され、王太子のマラリアを治した。
ルイ14世は非常に感謝し、手厚くもてなしたのは当然として、
貴重なマラリアの治療薬をフランスから持ち去られるべきではないと考え、秘薬の成分を明かすならこれを買いたいと申し出た。
もちろんタルボア卿は丁重にお断りしたが、ルイ14世も二枚腰を持っており、「秘薬の処方を書きこれを封筒に入れて封印し金庫にしまっておき、タルボア卿が死ぬまでは開かない。」という提案をした。
タルボアもこの提案なら受け入れられるということで合意し、3000クラウン(1クラウンはイギリスの5シリング金貨)と終身恩給をつけてもらいイギリスに帰国した。
タルボア卿はフランス行った2年後の1681年に亡くなり、開封した秘薬の処方には次のようなことが書かれていたという。
『キナノキ外皮を細かくすりつぶして白ワインで溶かし、7グラムのバラの葉、2オンスのレモンジュースそしてリンドウ、テキサスウマノスズクサ(Aristolochia serpentaria)、チャービル、パセリ、アニス、アブサンなどで香りをつけて飲み薬にする。』
この処方では、キナノキの外皮以外にマラリアに効く成分が無いので、
タルボア卿は立派な医者達が忌み嫌っていた“ジェスイットの粉末( Jesuit's bark)”を使っていたことが明らかになった。
つまり、ルイ14世及びフランス王室は、マラリアの治療薬は南アメリカ・チリー産の木の皮『ジェスイットの粉末( Jesuit's bark)』であることを1681年にタルボア卿が死んだ直後に知ったことになる。
ジェスイット会士の活動と『ジェスイットの粉末( Jesuit's bark)』
(写真) Church of the Society of Jesus, Cuzco, Peru
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1b/87439005e101d0b06e3db48057adb2b8.jpg)
(出典)Wikipedia
ジェスイット会(Society of Jesus)は、
1534年にスペイン、バスク生まれのイグナチウス・ロヨラ(Ignatius of Loyola 1491 – 1556)によって立ち上げられた戒律の厳しいカソリックの会派で、
日本に来たフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier 1506‐1552)もこの立ち上げ時の6人のうちの1人だった。
イエズス会士は、1571年にはスペインの植民地として重要な位置にあるペルー副王国に進出し、
キト初のイエズス会士、フェレール神父(Rafael Ferrer 1570-1611)は、1602~1610年までアマゾン地域の探検をした。
現在のエクアドルのロハ(Loja)に住んでいたイエズス会士のサランブリノ(Agostino Salumbrino 1561–1642)は、
原住民のケチュア族がマラリアの症状で熱を下げるのにキナノキの樹皮を使っているのを見聞きし、
これをマラリアの治療薬としてヨーロッパに持って行ったのは、イエズス会の修道士コボ(Bernabé Cobo 1582–1657)であり、時期的には1632年にペルーからスペインに戻った時にヨーロッパにキナノキの皮を持って行った。
キナノキの皮は、Jesuit's bark として知られ、
イエズス会士がヨーロッパで嫌われているように“イエズス会士の粉末(Jesuit's bark)”もかなり嫌われ、
前述のタルボア(Robert Talbor 1642‐1681)が成分を隠さなければならなかった原因となった。
Jesuit's bark(イエズス会士の粉末)と分かったことにより、スペインの植民地ペルー副王国のロハ(Loja)当たりに生育しているキナノキというのに結びつく。
これで、『The French Geodesic Mission(フランスの測地学ミッション)』は、赤道周辺の子午線の長さを測るだけでなく、ペルー副王国にあるキナノキを調べることが隠された目的であることが鮮明になった。
「The French Geodesic Mission」での3つの疑問
(写真)Jesuit's bark-イエズス会士の樹皮(これを砕いて粉末にする)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/ec/903b180fa83b524635c16c91e67e168a.jpg)
(出典)Wikipedia
1.「The French Geodesic Mission(フランスの測地学ミッション)」は、北極での子午線の長さを測る場所としてスカンディナヴィア半島にあるラップランドで実施している。
一方、赤道での測地は、フランスに近いアフリカで実施せずに、お金と時間が余分にかかるだけでなく電話のない時代のホウレンソウ(報告・連絡・相談)がより困難な南アメリカ、現在のエクアドルの首都キト(Quito)とクエンカ(Cuenca)との間で実施した。
この合理的とは思えない測量地の選択は理解しがたい。何故だろうか?
2.フランスの南米への測地遠征隊の隊員にこのプロジェクトと直接関係のなさそうな植物学者で、しかもフランスではこの園芸・植物学領域では名門家系の出身であるジョセフ・ジュシュー(Joseph de Jussieu 1704 – 1779)が選ばれ隊員として参加している。
超一流の植物学者がアシスタントとして参加しているのは何故だろうか?
3.フランスの南米での測地遠征隊の実質的な隊長コンダミン(Charles Marie de La Condamine 1701 – 1774)及びジュシューは、ペルーのキナノキを事前に承知し、調査を目的化していたようだが、
これは個人的な計画だろうか?、それとも国家的なミッションなのだろうか?
この3つの疑問に対してフランスの「The French Geodesic Mission(フランスの測地学ミッション)」は、 「南米、キト(Quito)周辺でJesuit's barkを調べる」。そのためのプロジェクトであり人選だった。
と理解すると疑問点が全て解決する。
但し、これでは血縁があってもスペイン王室が受け入れるはずが無い。
子午線の長さを測るのはスペインを説得する方便で、
スペインが独占しているマラリアを治す治療薬としての「イエズス会士の樹皮」を
継続的・安価に手に入れるための方策を検討するためのフランス王室の投資ではなかろうか?
というのが私の推測となる。
以上の仮説を検証するには、
「The French Geodesic Mission(フランスの測地学ミッション)」が決定した1735年以前に、
フランス王室及び国家は“マラリアが治る治療薬があり、
この原料は現在のエクアドルの首都キト周辺にある木の皮”だ
ということを知っていなければならない。
ルイ14世の王太子の病気を治したタルボア
(写真)英国、エセックス州(Essex)の湿地帯
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/83/cd2fd36d3f81fdd0605e06e817f967dc.jpg)
(出典)The Royal Society for the Protection of Birds
英国・ケンブリッジで薬種商の見習いとして働いていたタルボア(Robert Talbor 1642‐1681)は、
その当時ロンドン、特に沼地が多い東部のエセックス州で大流行していたマラリアの治療に行く決心をし、
彼が作った秘密の薬で患者を治していった。
これがうわさになり、学歴・経歴などが立派な医者達は、
最初は懐疑的だったが自分が出来ないことができるので“いかがわしい”というレッテルを貼り敵対するようになった。
この点では、今も昔も人間の下賎さでは変わらないということでしょうか。
タルボアはマラリアを治した秘密の薬の成分を明らかにすることは無く、
逆に「全ての姑息な治療薬、特にジェスイットの粉末で知られているものに心せよ、その薬を服用すれば危険な影響があるだろう。」(出典:世界を変えた薬用植物、創元社)
と、イエズス会士が南米から持ち帰り、マラリアの治療薬として推奨している木の皮(ジェスイットの粉末)を使っていないことを宣言した。
そしてさらに、「この始末に終えない病気を治すための方法を見出すには観察と実験しかない。」と言う。
宗教・道徳などのイデオロギー的なものに決別し「観察」と「実験」という近代科学の基本を述べている。
立派な医者達がジェスイット会派を忌み嫌ってジェスイットの粉末をテストもしないことを学歴も無い怪しげな医者タルボアが指摘しあざ笑っていたのだろう。
1672年頃、英国王チャールズ二世(Charles II 1630 – 1685)がマラリアになり、
マラリアを治癒してくれる名医としてロンドン中で評判になっていたタルボアの診察を王自ら求め治してもらった。
当然、王室の侍医達は大反対だったが誰一人として患者を治すことなく唯死ぬのを見守るだけだったので国王も必死だったのだろう。
この功績により1678年には爵位を授与され、タルボア卿となった。
せめてもの抵抗として侍医達は治療薬の成分を明らかにするよう求めたがタルボアに拒否されてしまっただけでなく、国王からタルボアの邪魔をしないようにと釘をさされてしまった。
さて、脱線してしまったがここからが、フランス(皇室又は閣僚等の政治家)はマラリアの治療薬となるモノが南米キト周辺のところにあるということを知っていたかどうかという本題となる。
(写真)ルイ14世の王太子Louis de France
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/03/7535bfb128510888dfa3a2712a2dc672.jpg)
(出典)Wikipedia
チャールズ二世のいとこ、太陽王と言われたフランス国王ルイ14世(Louis XIV、1638‐1715)の王太子(Louis de France 1661-1711)がマラリアで苦しんでおり、
タルボアは1679年にチャールズ二世からフランスに派遣され、王太子のマラリアを治した。
ルイ14世は非常に感謝し、手厚くもてなしたのは当然として、
貴重なマラリアの治療薬をフランスから持ち去られるべきではないと考え、秘薬の成分を明かすならこれを買いたいと申し出た。
もちろんタルボア卿は丁重にお断りしたが、ルイ14世も二枚腰を持っており、「秘薬の処方を書きこれを封筒に入れて封印し金庫にしまっておき、タルボア卿が死ぬまでは開かない。」という提案をした。
タルボアもこの提案なら受け入れられるということで合意し、3000クラウン(1クラウンはイギリスの5シリング金貨)と終身恩給をつけてもらいイギリスに帰国した。
タルボア卿はフランス行った2年後の1681年に亡くなり、開封した秘薬の処方には次のようなことが書かれていたという。
『キナノキ外皮を細かくすりつぶして白ワインで溶かし、7グラムのバラの葉、2オンスのレモンジュースそしてリンドウ、テキサスウマノスズクサ(Aristolochia serpentaria)、チャービル、パセリ、アニス、アブサンなどで香りをつけて飲み薬にする。』
この処方では、キナノキの外皮以外にマラリアに効く成分が無いので、
タルボア卿は立派な医者達が忌み嫌っていた“ジェスイットの粉末( Jesuit's bark)”を使っていたことが明らかになった。
つまり、ルイ14世及びフランス王室は、マラリアの治療薬は南アメリカ・チリー産の木の皮『ジェスイットの粉末( Jesuit's bark)』であることを1681年にタルボア卿が死んだ直後に知ったことになる。
ジェスイット会士の活動と『ジェスイットの粉末( Jesuit's bark)』
(写真) Church of the Society of Jesus, Cuzco, Peru
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1b/87439005e101d0b06e3db48057adb2b8.jpg)
(出典)Wikipedia
ジェスイット会(Society of Jesus)は、
1534年にスペイン、バスク生まれのイグナチウス・ロヨラ(Ignatius of Loyola 1491 – 1556)によって立ち上げられた戒律の厳しいカソリックの会派で、
日本に来たフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier 1506‐1552)もこの立ち上げ時の6人のうちの1人だった。
イエズス会士は、1571年にはスペインの植民地として重要な位置にあるペルー副王国に進出し、
キト初のイエズス会士、フェレール神父(Rafael Ferrer 1570-1611)は、1602~1610年までアマゾン地域の探検をした。
現在のエクアドルのロハ(Loja)に住んでいたイエズス会士のサランブリノ(Agostino Salumbrino 1561–1642)は、
原住民のケチュア族がマラリアの症状で熱を下げるのにキナノキの樹皮を使っているのを見聞きし、
これをマラリアの治療薬としてヨーロッパに持って行ったのは、イエズス会の修道士コボ(Bernabé Cobo 1582–1657)であり、時期的には1632年にペルーからスペインに戻った時にヨーロッパにキナノキの皮を持って行った。
キナノキの皮は、Jesuit's bark として知られ、
イエズス会士がヨーロッパで嫌われているように“イエズス会士の粉末(Jesuit's bark)”もかなり嫌われ、
前述のタルボア(Robert Talbor 1642‐1681)が成分を隠さなければならなかった原因となった。
Jesuit's bark(イエズス会士の粉末)と分かったことにより、スペインの植民地ペルー副王国のロハ(Loja)当たりに生育しているキナノキというのに結びつく。
これで、『The French Geodesic Mission(フランスの測地学ミッション)』は、赤道周辺の子午線の長さを測るだけでなく、ペルー副王国にあるキナノキを調べることが隠された目的であることが鮮明になった。