モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

葬式帰りのグリーン車は宴会場

2007-04-07 00:49:54 | Weblog
辻堂から東京へ戻る東海道線のグリーン車は、缶ビール片手にピーナッツをかじっている葬式帰りの親父二人が、自分達専用の宴会場に切り替えてしまい盛り上がっていた。
この歳になると人生のゆるぎない真実は、「死を目標としている」この一点である。
悲しい葬式に数多く出席し、自分には無縁と思いたいが避けることが出来ないことを、頭だけでなく五臓六腑でわかってくる歳になってしまった。
「生」vs「死」、「繁栄」vs「衰退」、「ケガレ」vs「清め」などコインの裏表であり、一時でも早く「死」から「生」に切り替えなければならない。
葬式からの帰り道が、いわゆる「聖」(=神)から「俗」(=けだもの)に戻る重要な儀式の場であり、神社仏閣の周りには、お清めをする「ケガレ」の場が多いのは、このような理由からであろう。

辻堂駅前には、チェーン化された居酒屋など標準化された個性がない店ばかりが目立っていた。
そんな中で地元らしさが期待できそうな寿司屋を発見し入った。
入った瞬間に、サザエのつぼ焼きの匂いが満ちており、これで一杯ということになった。
このときは、理性的に、お銚子各々1本、手酌で飲むというルールが成立し、
故人をしのぶ「お清め」であった。

サザエが1個しか残っていないため、これを焼いてもらい3人で食べれるように6個にきってもらった。
採りたての新鮮さゆえかうまいこと。
たった二切れのサザエのつぼ焼きが、後で考えると暴走のスイッチを入れてしまった。

お銚子1本のはずが、それぞれもう1本、追加でもう1本・・・・
地元であがったアジは如何? いただきましょう!
てなことで、3時間は飲んでしまった。

帰りは、2人になってしまい(もう1人がどうして消えたか不明)、
缶ビール4本、乾き物を調達しグリーン車に。
「お清め」もすんだので、ここからは一転して「ケガレ」の世界の話題に突入です。
我々も生きるのだ。生きるということは、しぶといのだ~など
訳のわからないことを言っていたのでしょう。

又飲もうということで友人は品川で下車していきましたが、
きっと次に飲んでいるのは、又葬式の帰りかもわかりません。

間違いなくゴールに向かっているという既視感、
これを払い落とすために次のキヨメの場に向かって千鳥足を進めた。
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沈黙の奥にあるもの

2005-01-06 14:04:40 | Weblog
2004年10月1日
シアトルマリナーズのイチロ選手が、この日5打数3安打で259本の安打数世界新記録を達成した。
最終的には、安打数262(世界新記録)打率 .372(アメリカンリーグ1位)という素晴らしい成績であった。
このイチロー選手にシーズンオフのインタービューが殺到するのは当然だが、その中で驚いた瞬間、出来事があった。
それは、インタビュアーの質問に答えられない比較的長~い沈黙の時間であった。
この沈黙に、その時のイチロー選手の思いの全てがこめられていたのだろう。

記録を目指すとき、勝負を行っている瞬間、勝負に向かうまでの間、頭はあらゆるコトを考えている。
見れども見えず、聞けども聞こえずだけでなく、眠れない、吐き気がする、体が自分の意志どうりに動かないなど、
平常と異なる症状を示す。
プレッシャー、ストレス、金縛りなどであり、誰しもがこれを経験する。
しかも、自分にとって一番重要と思うときほどこの圧力が強くなる厄介な代物なのだ。
これを如何に乗り越えていくかが、自分の一番重要なモノ・コトを獲得する近道にあり、
鍛錬・場数を踏むことにより、身体だけでなく心を鍛えない限り乗り越えられない。。

プロ中のプロ イチロー選手にも金縛りになったときがあったようだ。
自己新その先の世界新記録の安打数がかかった9月中頃に、2試合無安打が続いた。
インタビュアーは、この2試合無安打の時のイチロー選手の心理状態を聞いた。
イチローは、宙の一点を見つめ、ウ~、無言、ウ~、無言。であった。
テレビから伝わる緊張感。イチローほどのスーパスタ-の苦悩が垣間見られた。

テレビというメディアは、15秒以上画面が見えない、音がないという状態に耐えられないと思う。
それだからこそ、イチローの無言は、圧倒的な苦悩する人間の存在感があった。

「もう打てないかと思った」
イチロー選手は、自分の世界の終末を見たのだろう。

終末を見た数ほどヒトは強くなれる。そして、やさしくなれる。
鍛えられないやさしさ、冗長なやさしさは、鍛錬という裏付けがないだけリアリティがない。
イチローには、ヒトとしての圧倒的な存在感があった。
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今日はクリスマスなんだ~

2004-12-24 20:27:47 | Weblog
古の頃、私にもクリスマスというものがあった。

北国仙台の町のとある教会では、クリスマスに教会に来ることが出来ない信者家庭を祝福するために
有志によるクリスマスを祝う出前サービス(聖歌隊と言っていた?)を12月24日の24時を頂点に行っていた。
15~20人はいたであろうか、松明・提灯等を持ち、道々寒さと戦いながら賛美歌を歌い、歩いた。
寒い、足が痛い、眠い。
たどり着いた家で、賛美歌を歌い、クリスマスを祝う。
そこで振舞われた甘酒1杯の体を突き抜けるおいしさ。
暗闇の中でのロウソクの小さな明かり、深々とした寒さの中での甘酒のぬくもり。

身体全体をつつむ苦が圧倒的なのに対して、ほんの手のひらにのりそうな小さな心地よさ。
この心地よさをもう一度体験できるのだろうか?
この心地よさを感じることができるのだろうか?

「ときめき」を発見する探検隊をスタートする。 今日から。
探検と言っても冒険をするわけではない。見えている「モノ」「コト」を「ときめき」がなくなった私が、見直す旅である。

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