今日、9月9日は、 『重陽の節句』です。
“ちょうよう”といわれても何のことやらというぐらいなじみが薄くわからないが、
奇数が重なる月日はめでたい日で年5回しかないが、その中でも9月9日は最もめでたい日でもある。
また、季節の変わり目でもあり“節句”とも呼んでいる。
中国から伝来した風習であり、この五節句には長寿の願いが込められている。
ちなみに五節句はこのようになる。( )内は中国の呼称
1月7日 七草 (人日 じんじつ)
3月3日 桃の節句 (上巳 じょうし)
5月5日 菖蒲の節句 (端午 たんご)
7月7日 七夕 (七夕 しちせき)
9月9日 菊の節句 (重陽 ちょうよう)
9月9日は、特に健康を祈願し、菊の花を浮かべた菊酒を飲んでお祝いをしましょう。
花がなければ、菊の名前がつく酒でも飲みましょう。
キク科の植物を出したかったが、長雨で被害甚大なのがキク科のものだったので
秋の七草“ハギ”の花をアップする。
(キク科の花についてはこちらを参照)
(写真) ミヤギノハギの花
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/e2/4b53f4ff1de9c434ca67fbcb1732d1fd.jpg)
秋の七草は、奈良時代の歌人“山上憶良”が
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」と万葉集に詠んでいることから始まったようだ。
現代的には、「ハギ、ススキ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ」となる。
ここで詠んでいるハギは、古来から日本の山野に生息していたヤマハギのことと思うが、アップしたのはミヤギノハギ。
ハギ自体種の区分けが難しく、専門家をも悩ませているようだ。
見分け方は、卵型の丸みがある葉をしているのがヤマハギで、
葉の先端がシャープにとがって枝がしだれるのがミヤギノハギとなる。
ハギとつき
中秋の名月は今年は9月20日であり、
ハギ・ススキをお団子・お神酒とともに飾りお供えとする月見のイベントは、
縁側・縁台などがある日本家屋にマッチしている。
が、ベランダ、テラスでも合わないことはないが、このような風習をついつい捨ててしまうきらいがある。
我が家でもすっかりこのような風習と季節感を喪失してしまった。
『千恵子は東京に空が無いといふ』と嘆いたが、
東京には田舎がないと嘆く人間がいる。
嘆いているのは田舎から出てきた人間で、
3代東京に住む人間は、東京を汚したのは、田舎から都会に出てきた田舎者だと嘆く。
その田舎者は、よき田舎の伝統と風習を捨ててしまったから都会の田舎者になってしまったのだろう。
いまさら中秋の名月でもなかろうと思いつつも、そこにあった無病息災の願いを忘れ
伝統と文化を忘れてしまったことに気づいてしまう。
東京をはじめとした都市住民は、生活或いはそれらを包括するまつりごとで何を生み出したのだろうか?
破壊尽くしてきたという自負はあるが、残したい伝統を創ったという自負がチョッとない。
秋の七草は、春の七草とは異なり、食べるためにあるのではなく愛でるためにあるが、
その資格を問われるところが厳しい。
やはり花より団子、団子より菊酒。かな・・・・
(写真)ミヤギノハギの葉と枝ぶり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/dc/93ba7350b88577dcbb224be0fee81f17.jpg)
ミヤギノハギ(宮城野萩)
・マメ科ハギ属の落葉低木。秋の七草の一つ。
・学名は、Lespedeza thunbergii.Nakai。ツンベルクと中井猛之進が命名者となる。
・原産地は日本の本州の山野に生え、園芸品種が出回る。
・丈は1~2mで、枝が枝垂れる。葉は長楕円形で先端がとがっている。
・開花期は7~9月で、葉の脇から長い花序を出し、赤紫色の蝶のような花を咲かせる。
・荒地でも強い生命力があるので、道路建設の側面の土砂をおさえるために萩の種を入れてバラマクくそうだ。
・スペースを必要とするので、刈り込んで小さく育てる。
ハギの研究はツンベルクから
ハギ属の植物はヨーロッパに無いので、日本産の萩の研究はシーボルト時代からであり
1867年のA.W.ミクェル(Friedrich Anton Wilhelm Miquel 1811-1871)からといわれている。
ミクエルは、シーボルトが持ち帰った植物標本、原稿などをシーボルトの死後にまとめて、「フロラ・ヤポニカ」第二巻を出版した人物で、彼がいなかったらシーボルトの植物標本などのコレクションは散逸したかもわからない。
彼はシーボルトの標本から日本産の萩11種を確認し、マルバハギなどを新種として発表した。
ミヤギノハギの学名(Leguminosae Lespedeza thunbergii Nakai)には、
ツンベルクと中井の名前が命名者として残されている。
中井は、中井猛之進(1882―1952)であり、東京帝国大学教授、小石川植物園園長、国立科学博物館館長などを歴任した植物学者で、ツンベルクが間違って分類したミヤギノハギを最終的にハギ属に修正したのが中井であり、これが命名者に残ることとなったようだ。
ハギは難しいというのは、さらに異種交配による雑種が多いためのようでもある。
ミントも同じで品種を見分けるのが難しい。
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