前回投稿でイギリスに於いて不況時に対外関係から高金利にせざるを得ない状況から国内産業に負担を架す事-公定歩合と連動していた産業企業の当座貸越利率の上昇を齎す事無しに貨幣市場及び割引市場の利率を引上げる事(ポンド・スターリング) - に対し種々の実験を始めたとしましたが、
それはセイヤーズ:イングランド銀行によれば
“公定歩合を引上げる事はその目的は対外的な資本収支状態に影響を及ぼし金準備を強化するか又は少なくともそれを防衛する事“であり“直接にせよ預金通貨の供給収縮により商業や産業活動を抑制する事は同行の目的ではなく、市場操作はロンドン手形市場における金利を引上げる事だけに向けられていた“とし“公定歩合の操作がロンドンの外にどのような影響を持つか国内経済の調査をした“とし、支店において商業銀行の当座貸越利率がどの程度公定歩合と結び付けられていたか調査した“とします。これから判断される事は対外金利の影響は多く“手形市場による“ものと考えられ、それは産業、商業向けの当座貸越利率とは必ずしも連動していなかった事を示すと思われます。
セイヤーズは1900年代の事としていますが“公定歩合条項“の事に触れていますが他方で一部地方での“最低約款“-最低利率以下の利率変動を無視する事-を述べています。
そこにおいて“貨幣市場、割引市場“に影響を与える方策としては、ポンドスターリングでは
①市場からの借入
イ)通常のやり方は“イングランド銀行が貸手に対して担保として証券を預託するという事により行ったとされます。
ロ)多額の残高のある保有者と特別の取り決めを行い、通常利子を支払わなかったものに対し一部分を利子つきで又貸する。
等によったとされます。
②証券の直接売却することにより市場から資金を取り除いたとされます。
手形の割引対象の期間を調整することにより市場に影響を与えたとされます。
又直接的に金準備を増加する方策として
金市場に対する間接的影響により金保有の増大手段とした。
英銀行の金買取に関する“最高買入価格“、“最高売却価格“には1844年法には規定が無かったことにより買入価格を操作したとされます。
又、地金デイーラー等に対し無利子貸付をする事等も行ったとされます。
これらの金操作(gold devises)は、ライヒスバンク(独)でも“金輸入業者に無利子前貸し等が行われたとされ、欧州各国で普通に行われていた“とされます。(ドイツの通貨と経済:ドイツ・ブンデスバンク編)
これらは当然“金の公定価格“に影響を与えずに操作する方法という事ですがどの程度の効果が有ったかは議論の有る所のようですが金利を上げずに金保有を増やす為の一手段であった事は事実であろうと思います。
これらの方法が上記高利率の元で産業、企業に負担を懸けないようにする工夫とされましたが19世紀末にはロンドン証券市場には多くの証券が流通していたとされ、日本政府でも1870年、1873年にロンドンでポンド建国債を発行したとされ、1870年代には既に国際電信ネットワークが有り、1875年にはおもな16ヵ国の国債残高は6億ポンドとされ、1905年には12億ポンドの残高があったとされます(100年前の日本国債:富田俊基 知的資産創造 2005 4月号)
これらの事は当然、国債等証券の価格と市場利子率の相関関係に影響が出ていた事を想起させ英銀行が高金利政策を取る事に対し問題で有ったであろう事は当然予測させるものです。2008.11.16訂正
参照 酒井一夫他編:比較金融史研究
未定稿 2008.11.20