マクロ経済そして自然環境

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景気政策史ー45 19世紀イギリス対外商業政策と不況 その2 国富論と不況

2012-03-03 11:50:06 | 景気政策史

  アダム・スミス(1723.6.6-1790.7.17)がこの“不況“というものについてどの様に関していたかであるが、スミスの国富論は初版が1776年、生前の最終版(5版)が1789年に出版されている。スミスと言えば自由貿易、見えない手(an invisible hand)等が有名であり、又一般的理解として経済学の最初の体系的叙述とされているが

 背景になった18世紀の経済史的状況から言うなら、Ⅰでも概ね述べたが18世紀半ばには産業革命が始まり又今日見られる景気循環についても、“J.クラパム イングランド銀行その歴史  ダイヤモンド社 1970“ によれば”18世紀半ば以降には1753、1763、と続く景気循環が見られるようになってきた”とされており、其の後半の1788-1789の恐慌についてもポール・マントウーはその”産業革命 東洋経済社 1971年“で製造業者の言葉として”これまで木綿工業においておびただしい破産の事例をみてきた。1788年には、もう回復する事はあるまいと考えた”としてその恐慌が深刻であった事をのべており、スミスも同時代にいた事を考えるなら何らか述べているとも思われるが、其の点につき筆者としては三点について若干其の事を述べる。

 

 ①一点目としてこれは上述クラパムⅠに引用されている部分であるが、1763年恐慌に関して(クラパムⅠp.273、p.275)“アダム・スミスは英銀行がこの時イギリスや外国の商人の援助のために゛1週間のうちに、約160万ポンドをその大部分は地金で゛貸し出したという話しを聞いた。゛しかしながら、私はこの金額の大きさについても、またその期間の短さについても、あえて保障しようなどとは思わない゛と彼は賢明にも付言している。“(参照:諸国民の富(二)p.317  岩波文庫版(大内兵衛他 訳))同ページでスミスは“同行は、商業手形の割引もしたのであって、しかも様々の場合にイングランドばかりでなく、ハンバーグやオランダの主要商館の信用を維持してやったこともあった。“としている。

 

②としては“第4編、第1章商業の体系、すなわち重商主義体系の原理について“ で貨幣が払底しているというありふれた不平は借り入れの困難さを意味するにすぎない”という項目で

”貨幣が不足しているというこの不平は、必ずしもつねに将来の事を考えぬ浪費者たちだけかぎられたものではない。ときとしては、商業的な都会の全部やその近傍地方をつうじて一般的であることもある。”第3分冊p23、としその原因についてスミスは”過剰取引(over-trading)がその共通の原因である”とし、”商業の利潤がたまたま通常の利潤より大きい場合には大小いずれの商人のあいだでも、総じて過剰取引という過誤が犯されるようになる。”として”国内でも海外でも、信用によって平常以上の量の財貨を買いそれに対する支払請求がくる前に代金が回収されるであろう事を期待しつつ、どこか遠方の市場に送る。ところが支払請求は代金回収より以前にやってくるのであって”としてその状況を説明している。

 其のあと続けて”すなわち貨幣の払底についての一般的な不平をひきおこすのは、金銀の払底でもなんでもなくて、このような人々が借りいれたり、またかれらの債権者たちが支払をうけたりする場合に当面する困難性なのである。”としているが具体的にはその対応をどうすべきかは書いていない。

 

③三点目としては同章の項目の”売るよりも買うほうがたやすいのは、単に貨幣が商業の用具であるからにすぎない”の中で 

 ”商人が財貨で貨幣を買うよりも貨幣で財貨を買うほうが一般によりたやすいことを承知しているのは、富が財貨よりもより本質的には貨幣に存しているからではなくて貨幣は、よく知られ、基礎のかたい商業用具で、それと交換にあらゆるものがたやすくあたえられるはするけれども、”とし其の後で”かてて加えて、彼の利潤は買いよりも売りによっていっそう直接的に生じる”と述べておりこれらから読み取れるのは不況時に販売が不振になる現象からの叙述と読み取れるのではと言う事である。(但しその後半では一国民、又は一国がこれと同一の災難に見舞われるということは無い。として一国全部の不況は否定しているが) 

 これについての対応と読み取れるのはその後半で(p26)

 ”たとえ財貨は、必ずしもつねに貨幣が財貨をひきつけるほどたやすく貨幣をひきつけぬにしても、長時間(in the long-run)をとってみれば、貨幣が財貨をひきつけるのにくらべてさえ、いっそう必然的に財貨は貨幣をひきつける。財貨は貨幣を購買する以外の多くの他の目的に役立つけれども、貨幣は、財貨を購買する以外には全然役立ち得ない。それゆえ貨幣は、必然的に財貨のあとを追わざるを得ないが、財貨は必ずしもつねに、または必ずしも必然的に、貨幣のあとを追うとは限らない。”として

 財貨に多くの使用価値があることから論立てしているが其の使用価値は交換されて始めて役立つものでありしたがってそのことにより貨幣が財貨を追うとは言えないと思われる事であるが、”長時間をとってみれば”という前提を置いていることからするなら、”過剰分”は長期的には”均衡する”と言う事を述べる趣旨ともとれる。

 

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