ここまでアダム・スミスの国富論の中での其の時代における不況について述べたが、以下国富論と自由貿易について述べる。18世紀では未だ産業革命が終了せず景気循環は19世紀程には明瞭では無かったもののその先駆け的現象は特に其の後半には観察された。18世紀前半ではイギリス自体の全体の体制は未だ重商主義的体系下にあった訳でスミスはそれについて、
金銀が実質富ではないとし、それに付きロックが金銀が国民的富であると言い又欧州の国民が自国に金銀を蓄積しようとした事を批判し(諸国民の富:岩波文庫版 大内・松川訳 第3分冊p9以下)その金銀の輸出入は制限できないとして、又、”ある商品の価値は、其の商品がその人に購買または支配させうる労働の量に等しい”(第1分冊p150)として支配労働価値説的説明を行っていますが、又別の所では”激しい辛苦に対しては斟酌される”(第1分冊p185)として投下労働価値説的説明を行っているが其の区分は明瞭にはされていないが基本的に労働価値説に立ち、それ以前の国富が金銀にあると言う所からは大きく前進した。
”対外商業政策”と連関するのがその自由貿易に関する叙述である。それにつきまず”第2編第5章 資本のさまざまの用途について”のなかで”資本が活動させる労働の量と、年々の生産物に付加する価値とは、其の用途によって異なる”としその用途として、
イ)小売商人
ロ)卸売商人
ハ)製造業者
ニ)農業者
と分類し、”等額の資本のうちでは,農業者の資本ほど多量の生産的労働を活動させるものは無い”とし(第2分冊p396)、この中で、”全ての卸売り業者(wholesale trade)は三っつの異なる部類に纏める事が出来る”とし(第2分冊p404)、それを国内商業、消費物の外国貿易、仲継貿易に分類し、国内商業は二つの国内資本を回収し、外国貿易は一つの国内資本と一つの外国資本、又仲経貿易は二つの外国資本を回収するとし、その結果、”国内商業は他の貿易より多くの生産的労働を維持する”(p412)として、ここでスミスは”あらゆる国の経済政策(political oeconomy)の大目的は其の国の富と力を増進させる事である。”としつつも、”それは国内商業よりも消費物の外国貿易を、そしてこれら二者よりも仲経貿易を決して優先させるべきでもなければ、とくに奨励すべきでもない”として、”自然ひとりでにそこへ流入するであろうより以上に大きな部分を決して強制的に流入させるべきでない。として”自由放任”を述べる。
ここでスミスは外国貿易の主要な利益は、重商主義を批判しながら”金銀の輸入ではなく、国内では需要のない剰余生産物を国外に持ち出し国内で需要のあるなにものかを持ち帰る事である”としている。(第3分冊p41)、又p58では”ある外国がわれわれ自身がある商品をつくりうるよりも安くつくり、それを我々に供給してくれることができるなら、我々は、自分たちが多少とも強みを持つようなしかたで自国の産業を活動させ、その生産物の若干部分でそれを外国から買うほうがよい。”としている。
以下順次重商主義的体系に対するスミスの批判と対応をのべると、
まず輸入に対する保護的政策についてこれにつきスミスは第4編第2章 国内で生産しうる財貨の、諸外国からの輸入に対する諸制限について の中で高率の税または絶対的な禁止のいずれによるにしても国内で生産しうる財貨の諸外国からの輸入を制限すればこういう財貨の生産に従事する国内産業のための国内市場の独占は多かれ少なかれ確保される事になる。(第3分冊p50)としこれが社会一般に有利な方向を与えるか明白ではないとして、”個人が自分自身の利益を考える事により社会にとっての有利な用途を選考するよいうになる”とするが、其の中で”国内市場のこういう独占から最大の利益を引き出す人々は商人及び製造業者である”(p62)とし、商人、製造業者を批判するが又外国製品の自由な輸入が許可されることにでもなれば、国内製造業のいくつかのものは多分損害をこうむり、またそのうちの若干のものはまったく破滅してしまい、現在これらの製造業に使用されている資材や勤労のかなりの部分は、強制的に何かの他の用途をみつけださなけれなならないであろう とする。
ここにおいて高率関税等非難はするが、上記後半に見られるようにその撤廃についてはスミス自体やはり一定慎重である事が読み取れこれにつき、留保を付けつつも、”貿易の自由は、ゆっくり段階を追いながらしかも十分慎重かつ周到に回復さるべきだ(p80)としている。
ここに於いて国内産業を奨励する為に外国産業に若干の負担を課することが一般に有利な場合として上記に例外を出しそれは
①国防上の理由によるものとして”航海条例”の維持
②国内産業の生産物に対してなんらかの租税が国内で課せられている時、としている(等価関税)
奨励金について スミスは”奨励金を必要とするのは、商人が自分の資本を通常の利益とともに回収しないような価格で其の財貨を売らざるを得ない商業か、または彼がそれを市場へ送るのに実際ついやしたより以下の価格で売らざるを得ない商業だけである”(3分冊p154)とし其の効果を”一国の商業をそれが自力で自然的におもむくであろうよりもはるかに利益の少ない方面にしいてむかわせることができるだけのものでしかない”として
一般論を述べながら輸出奨励金で重要な問題である穀物については他の輸出奨励金と同様、人民に二つの異なる租税を課すものであるとし、”第一は奨励金を支払うために人民が献納せざるを得ない租税であり、第二に国内市場におけるこの商品の価格の騰貴から生じる租税である”とし”奨励金はおそらくは全共同社会をつうじてただ一群の人々だけにしか本質的には役立たなかったし、また役立ちえ得なかったであろう。これらの人々は穀物商人つまり穀物の輸出業者および輸入業者であった。”(第3分冊p171)として穀物の輸出奨励金について否定し、”もし奨励金というものが、わたしが証明しようと努力してきたように不当なものであるならば、それがはやく停止されればされるほど、また其の価格が低ければ低いほど、それだけよいわけである。”(p233)とし,穀物法自体については後段で”それ自体は最善のものでないとはいえ、やがてはより良きもののための道を開くであろう。”としている。
参照:北野大吉 英国自由貿易運動史 日本評論社 1943年
以下次回