天津ドーナツ

みんなで力を合わせて、天津の日本語教育を楽しく、元気にしましょう。ご意見・ご要望は左下の「メッセージ」からどうぞ。

第5回会議のお知らせ

2010-06-16 13:14:43 | ドーナツメンバーへの連絡
2010年6月14日(月)   

        天津商業大学宝徳学院 陳エイ

1.日時:2010年6月26日(土) 14:00~

2.場所:天津財経大学 ※校門にドーナツのTシャツを着た案内がいます。

3.内容:

(1)報告・連絡事項

①メンバー同士の自己紹介

②1年の歩みの振り返り

③ドーナツの目標と課題の確認(川端)

④会長の挨拶

  (2)検討事項

     ①会費を集めるかどうか(50元、4年間有効など)

     ②各部署の人員配置と仕事の内容:組織図の完成

     ③来年度のスケジュールと担当校

      ※コンテストの名称を変更します。

      例:天津商業大学杯第2回天津市2年生スピーチコンテスト

        天津商業大学主催 天津日本人会会長講演会 協力:ドーナツ

  (3)次回の会議の担当校と日時の決定および会議までの仕事の確認

4.会議までに考えておいてほしいこと

  (1)配置希望部署

  (2)担当希望イベント

  (3)今年の活動の改善点や提言

北京KODAMAと天津ドーナツが兄弟の理由

2010-06-10 18:20:14 | ドーナツメンバーへの連絡

 ジャスロンという笈川先生たちが作っているホームページがありますが、その中に「北京KODAMAと天津ドーナツは兄弟です」という一文があることは、知っている人も多いでしょう。

今日は、どうしてその2つが兄弟なのかを考える材料を載せてみたいと思います。

これは、昨年の9月27日に、笈川先生が天津に講演に来てくれたときの挨拶用原稿です。事情があって日の目を見ることができませんでしたが、ドーナツが大きくなりかけた今の時期だからこそ、本来の目的を考えるためにもメンバーには読んで欲しいと思います。冬休みにしっかり心の準備をして、新学期には新しい一歩を踏み出しましょう。

(ここから始まりです)

みなさん こんにちは。天津理工大学の川端です。

ほとんどの人が、「もう、1ヶ月以上前からこの日を楽しみにしていた、早く笈川先生の話を聞きたい」と思っているでしょう。でも、もう少し待ってください。私には、今ここで話をする権利があるのです。それは、私はこの日を3年間待っていたからです。

 3年前も、わたしは天津で日本語を教えていました。そして、自分の指導した学生がスピーチコンテストの天津代表になったので、他の代表の学生たちと一緒にバスで北京に行きました。

 当時の日本語教育は、能力試験の1級に合格することが目的で、語彙と文法の暗記に明け暮れていました。スピーチも暗記力の試合みたいで、心に残る内容や表現はほとんどありませんでした。こんなことで人間が育つのだろうか、これが教師の仕事なのかと思いましたが、どうしたらいいか、私には分かりませんでした。そんな時、北京に行って、KODAMAを作った徐バイさんに会ったのです。

皆さんは、スピーチコンテストに出場したことがありますか?

自分の名前を呼ばれたらどうしますか?

たぶん、ほとんどの人が、「はい」と返事をしてそのまま壇に上がるでしょう。でも、徐さんたちは違いました。名前を呼ばれたら仲間の顔を見てこぶしを握り、相手もまたこぶしを握って「頑張れ」とメッセージを送っていたのです。私は、中国に来てから初めて「励ましあってスピーチに取り組む人たち」を見て、「これをやろう」と思いました。

 そして、学校対抗歌合戦や茶道見学、留学生への天津ガイド、演劇コンクール、アフレコなどを実施しながら、KODAMAを作った徐さんのように、自分から声をかける学生が現れるのを待ちました。そして、今年の2月28日、ドーナツ部長の邱さんに出会いました。

天津外国語学院で行われた中日友好スピーチコンテストの会場で、「日本人の先生ですか」と声をかけられたのです。

天津の人たちは、恥ずかしがりやだと聞いたことがあります。なかなか自分から声をかけないし、行動しない、行動する人がいても「頑張れ!」と声をかけるのを躊躇する、気持ちがあってもなかなか表現できない、私はそう聞きました。そして、去年までの私もそう思っていました。でも、もう状況は少しずつ変わってきているのではないでしょうか。

邱さんが私やみなさんに呼びかけたこと、そして、その声に皆さんが応えてくれたことがドーナツの誕生につながりました。ドーナツとKODAMAの名前は違いますが、声を出そう、その声に応えようという心は同じです。

最初は勇気が必要かもしれません。でも、自分が変われば周りも変わります。

3年前、私が天津の代表たちと一緒にバスで北京に行ったとき、行きも帰りもバスの中での学生同士の会話はありませんでした。私も、どう声をかけたらいいか分かりませんでした。

でも、今は1年前には誰も想像しなかったドーナツが、多くの人の支えで、今日ここに存在しているのです。状況は少しずつ変わってきている、私はそう思います。

最後になりますが、笈川先生、本日は、本当にお忙しいところ、天津まで来ていただき、ありがとうございました。先生の支持のおかげでドーナツがスタートすることができました。

私たち教師は物忘れが激しいですが、学生たちは記憶力抜群です。先生が今日ここで話されることは、必ず天津に残ります。どうぞご安心ください。そして、今後とも宜しくお願いいたします。(これで終わりです)