天津ドーナツ

みんなで力を合わせて、天津の日本語教育を楽しく、元気にしましょう。ご意見・ご要望は左下の「メッセージ」からどうぞ。

「届いて、はじめて“ことば”になる」…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-07-30 18:56:09 | 日本語学習法
このブログを始めたころ、“ことば”に対する基本的な考えとして、「届かなければ“ことば"でない!」と書いた。
・・・いくら熱弁をふるっても、音が届かなければ、聞こえない。
・・・いくら大声で怒鳴ったとしても、意味が分からなければ、伝わりはしない。
・・・いくら明晰な言語で語っても、聞き手が聞こうとしなければ、やはり伝わらない。
 相手に届かなければ、どんな名言・名説でも、空中に拡散する只の音なのだ。



 「いいや、おれはちゃんと言ったぞ」
 そう頑張ったって、聞こえなければ、詮無い話さ。
 「直接、きちんと話したじゃないか」
 そう談じ込んだって、
 「そうは受け取れなかった」
 と、言われれば、それまでなのさ。
 相手が「聞こえる」言葉で話すだけじゃあダメなんだ。
 相手が「聴いて」くれなくては、相手に届いたとは言えないね。
 もう一度、“ことば”を替えて言おう。
・・・「届いて、はじめて“ことば”になる」・・・
この一年、うんざりするほど、「子供じみた論争」を聞く度に、なさけなくなるんだよ。

 ◎「言った」というが「聞いていない」
  そもそも、「行った」のがウソかどうか。 
  「言いに行った」のだけれど「そうは言わなかった」のか。
  「言った」けれども「そうは聞こえなかった」のか。
  「聞こえた」けれど、「伝わらなかった」のか。
 ーーーーいいかい。どちらにしたって「伝わらなかった」のなら「言ったことにはならない」のだよーーー。
・ 東電は「停電などの状況下だったので、直接「言いに行った」というが、浪江町長は「知らない、聞いていない」という。
 「何時来たのか」
 「13日だ」
 「そんな記憶もないし、記録もない」
 「いいや確かに言いに行った」
 「じゃあ誰が来たのか」
 「持ち帰って精査する」
 ーーーあのね。精査とは、「事細かに事実関係をつぶさに調べる」ということなのだよ。「13日」だというからには、「誰が行った」かぐらいは、分かっての話じゃなかったのかね。   
 この話。
 「行った」「来てない」、「言った」「聞いていない」・・・それほどに、不確かなコミュニケーションでしかなかったということだけは確かなようだな。
 ことは、人の命に関わることだ。はっきりした決着を知りたいね。
 
 ◎ 清水社長は「全員撤退」とは言っていないという。頭の中にさえ無かったという。ならば・・・
 ・なんと言ったのか。
 ・具体的に、どんな“ことば”で言ったのか。
 ・相手に、その“ことば”は届いたのか。
 
 ・官邸側は、口を揃えて「撤退」と受け取って、飛んでもないことだと思い、首相はへりで飛んだ。
 ・あとになって、東電の報告書は、「あれが問題を大きくした」と、逆ねじを喰らわしている。
 ・それならば、どんな表現で、どのように言ったのかを明らかにするべきじゃあないかね。
 ーーー自己正当化をするのは、人間の弱さだからな。ーーー
 
 ◎「大きな音だ」とドジョウ首相がつぶやいた。「音」とは何かと民衆は怒った。
 ・「声」を「音」としか捕らえていなかった人間に、信頼を寄せることが出来るだろうか。
 その舌の乾かぬうちに、「私の責任で・・・」と原発を動かした。なにほどの手当も完了していないというのに。
 
 ・「つい口が滑った」と言うが、「ふと漏らした“ことば”は、人間の本性をかいま見せる」。
 ・「腹に思い」があるからこそ、舌のスキマから本音は滑り出すのだよ。
 「衣の下の鎧が、見てとれる」というのとおなじだよ。

 ーーー政治には、つくづく愛想をつかしているので、「もう、書くまい」と思ってはいるんだけどねえ。まったくーーー

「ワハハの唄」の盆踊り…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-07-19 08:11:27 | 顧問・アドバイザーから
先週のことだ。
 ーーー
 大田文化の森・運営協議会から、「ワハハの唄に踊りの振り付けが出来た。発表会をするので来て欲しい」と招きがあった。
 「文化の森の唄」を作ってくれとたのまれて、「ワハハの唄」の詩を私が作ったのは、かれこれ6・7年前にもなろうか。
 当時、協議会のメンバーだったクラウンレコードの作曲家・岡崎清吾先生の作曲で、ようやく昨年コーラス曲としてCDを完成させたところだ。
 完成に時間がかかったのは、私の病気の所為もあるが、少々歌詞がユニーク過ぎた為でもある。
 
 多目的ホールのある五階に上がると、懐かしい曲が聞こえてきた。
 歌詞は四季に別れていて、聞こえてきたのは、二番の“夏の祭り”だ。
 ♪♪
  ウッハハ ワッハハ ワッハワッハ ワッハハ
  文化の森から ワッハハ ワッハハ
   夏の広場は櫓に太鼓 
   粋な浴衣で ワッハハハ ワッハハ
  とうさんポッコリ 出腹で演歌
  かあさんドレスで シャンソン・ショウ
  ホールでカラオケ 広場にゃ提灯
   ワッハハ ワッハハ ワッハ ワッハ ワッハハ
   たまにゃあ 文化の森に おいでなさい
 
 [ソロ]「カ行で笑うは カラスにカエル
       カッカラ カカカー ケッケロ グールグ 
       クワーラ コワーラ ギャロギャロ グァグァ」♪♪
 
 ホールに入ると、40人ほどの地元の女性が、思い思いの浴衣を着て、練習をしている。
 輪の中心にで、振り付けの荒木先生が、手本を示しながら、優雅に踊る。
 爽やかな振り付けだ。ありがとうございます。
 
 友人の一人が近寄って来た。
 「なぜ、ワッハハ ワッハハと、初めから終わりまで、笑いまくるんですかね」
 「なぜって、いまの日本、どこを向いてもギスギスしていて、極端に笑い声が少なくなっていると思わないかね」
 「そうだね。自然災害、昏迷極わまる政治、世界に蔓延する金詰まり、児童の悪質ないじめ・・・“憤慨する”“悲しくなる”“落胆する”“諦める”“居たたまれなくなる”・・・確かに“笑い”どころじゃあないな」
 「だがねえ、考えてもみろよ。“笑う”という行為は、人間だけに許された“ことば”なんだぜ。人間だけが・・・」 
 「じゃ、アハハでもエヘヘでもいいのかな」
 「悪かないけど、やっぱり腹筋を動かして、腹から笑うことだよ。だから“アハハ”より“ワッハハ”がいいさ」
 「腹式呼吸に通づるってわけか」
 「呼吸というのは、吐く息が肝心だ。カンキ・イッソクって、座禅ではいうね。先ずしっかりと吐く。そうすれば、腹にあった“一物”だって、吐き飛ばせるよ。腹蔵無く笑いあう。そうすれば、人間関係の豊さにつながっていくのさ」
 「腹の底から笑うんだ」
 「そこから、人の幸せが始まる。良いまち作りも出来るのじゃないかね」
 「じゃボクも、7月27日には、唄って踊るとするか。綺麗な女の子の傍で・・・」
 
          ーーーーーーーーーー終わりーーーーーー



「掃除のおじさん」…一番大切なことを大切にしてから、技能や知識の話をしましょう

2012-07-10 19:50:39 | 顧問・アドバイザーから
※フェイス総研 代表取締役社長 小倉 広のメールからの転載です。



◆ 掃除のおじさん ◆

毎朝、ランニングをしている。6~8kmを走り終わり、家路に着く途中、私

はいつも麻布十番の網代公園脇を通る。すると、決まっておじさんとおば

さんが二人で一所懸命に掃除をしている場面に出くわす。



私は、深々と頭を下げずにはいられない。なぜならば、二人は一切の手抜

きをせず、誠心誠意、私たちの公園をきれいにしてくれているからだ。



あんなにゴミが散らかっていた公園には空き缶一つ落ちていない。そして、

黒土の上に白い砂がまかれた地面には、ほうきの目がきれいについている。

二人はトイレに水をまき、ぴかぴかに磨き上げる。そして、私の挨拶に気

づくと、二人も深々と頭を下げてくれる。



私は思う。彼らはなぜ、あそこまで誠心誠意を尽くせるのだろうか?と。





彼らを監視している上司はいない。おそらく、掃除後のチェックも行われ

てはいないだろう。掃除の徹底度が評価される成果主義の給与があるわけ

でもなさそうだ。つまり、彼らには強制の力も、報酬の力も働いていない。

しかし、彼らは、決して手を抜くこともなく、一所懸命に汗を流し続ける

のだ。それはなぜなのだろうか?



おそらく、それは彼らの道徳心だ。人様のお役に立ちたい。人様に喜ばれ

たい。その一心だ。誰も見ていなくても、お天道様が見ている。自分の良

心がそれを見ている。それが理由だろう。





もちろん、規則やルールがないわけではない。受け持ちのエリア。掃除を

する時間帯。使用する道具。最低限のルールはあるだろう。しかし、ルー

ルが彼らを突き動かしているのではない。ルールに従うだけであれば、彼

らはあそこまでていねいにやる必要はない。いくらでも手抜きをできるの

だから。



そう考えたときに、次の疑問がわいてきた。では、彼らが道徳心を持ち、

発揮するに至ったのは何故だろうか?と。学校教育のお陰か?両親の育て

方が良かったのか? 良き上司先輩に恵まれ、よき教育を受けたからか?

はたまた彼、彼女自身の持って生まれた天分なのだろうか?



それはわからない。先にあげたもののうちのいくつかが当てはまる。そん

なところだろう。





そう思ったときに、気がついた。彼らのように心を込めて仕事をする人が、

一人でも多くなったなら、間違いなく会社は良い会社になるだろうな、と。



では、会社において、先に挙げたような施策はどれだけ実施されているだ

ろうか?道徳心あるものの採用。道徳心を育てる企業内教育。道徳心を発

揮する上司の教育。そう考えたとき、多くの企業においては、どれも心許

ないものであることに気がついた。



一番大切だとわかっているのに、そこに投資がされていない。道徳心を育

てるのは企業の責任ではなく、学校の責任である。家庭の責任である。企

業はそこまではタッチする必要はない。そんな声が、人事部や経営者から

聞こえてきそうだ。



本当にそうだろうか? 私は思う。



継続的に高い業績をあげ続ける企業では、業務上の知識や技術、すなわち

スキル教育以上に人間教育を徹底している。即効性は低いかもしれないが、

時間がかかるかもしれないが、一番大切なことを一番大切にしているのだ。

大切なことを疎かにして、大切なことがかなうはずはない。





私は道徳心を高める人材育成を一社でも多くの企業に導入してほしいと思

う。もし、それがかなわないのであるならば、我々リーダーや経営者がそ

の背中で従業員に語るという育成を続けていくほかはないだろう。研修プ

ログラムやコンサルティングを通じて。さらには、背中で語るリーダー育

成を通じて、企業のお役に立ち、それがひいては国のお役に立てるよう頑

張っていきたい。そのためには、私自身が背中で語れる人間になることだ。

修行の道のりは長い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、日本語学校の夏期講習(学生)や週末コース(企業の方)のトレーニングをしています。

さまざまな年齢や立場の学習者を相手にしていて、やはり思うのは、「挨拶・返事・表情・態度」などの基本がきちんとできている人は、日本語の上達も早いです。



それは、「日本語」がその人自身を表すものだったり、周囲の人とのコミュニケーションのツールである以上、当たり前のことなのかもしれません。



どんな立派な道具・技術だって、それを使う人次第で結果(周囲の人の受け取り方)が違ってくるのは当たり前なのですから。

 音のイメージ3 「あ」その一 …もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-07-08 06:05:37 | 日本語学習法

 新聞の訃報欄に、思いがけない人の名を見つけて、驚くことは多い。「え、あの人が亡くなったのか! あの人も・・・」
 そして、己の馬齢を顧みる。

 ☆☆☆波瀬満子(はせみつこ)本名・白波瀬智子さん。4月19日急性腎不全のため死去・・・劇団四季を経て、谷川俊太郎さんらと「ことばあそびの会」を設立。NHKの・・・☆☆☆

 波瀬さんに初めて会ったのは、代官山の小部屋での“会話会”だった。ゲストスピーカーとして参加していただいた。胸に大きな星の縫い取りをしたセーターを着て、大きな瞳をくるくる回しながら話し始める。
 ・・・神奈川の受賞身障児の施設で、子供を前に、「あ」という言葉だけで、対話をしたいと申し出た。施設長は笑って言った。
 「そりゃダメですよ。ココの子はね。話に集中して聞けるのは、せいぜい20秒ですから・・・」
波瀬さんは、絨毯の上に思い思いの姿勢で転がっている子供たちの中に立った。そして、さまざまな 「あ」という音を出し続けた。
 「あ あっ あああ あああああ あーあーあああ・・・」
 波瀬さんの表現力は無限に広がる。「あ」の音が打ち寄せる波の如く、川のせせらぎの如く、雲の行くなすが如くに続いた。「あ」の山道だ。「あ」の津波だ。
 子どもたちの表情が、次第に解けてゆく・・・
 やがて、子ども達は不自由な体をずらしながら、波瀬さんを囲んだ・・・中には涙を流して反応する子供もでてきた・・・
 もっとも驚いたのは施設長だった。
 そして一時間半、「あ」の音はようやく止まった。
 感動の渦が巻き起こった・・・
 
 聞き入っていた“会話会”の参加者の目には、涙が溢れていた。
 「人間の肉声の持つ表現力の地平」を誰もが感じていた。

 その波瀬さんに、私は頼んだ。
 「今、三省堂から“中学生向けの教材作成を頼まれている”力を貸してくれませんか」
 彼女は、全面的に、協力してくださった。
 「あっ あっ あーあ あ・あ・あ・ああーーーあっあああ・・・」

 久しぶりに、教材のCDのホコリを払って耳を傾けた。
 NHKの「あいうえお」の「オコソトノ姫」のイメージも浮かんでくる。
 もっと生きていて頂きたかった人だった。純粋に、日本語の音を楽しみ、味わうことを、実践し、教えてくれた人だった。
 「あ ああ ああああああ」
 素敵な人は、なぜ皆、逝ってしまうのか。
 大きい目を、倍の大きさに拡げて、波瀬さんは逝かれたのだろうか。
 「嗚呼」