天津ドーナツ

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ドーナツが解決する就職問題

2011-09-26 18:53:08 | 顧問・アドバイザーから
ドーナツのひとつの目的に、「日本語科の学生の就職問題を解決する」というものがあります。

と、このように書くと、「うん、それはいい目的だ」とうなずいてくれる方が多いかと思いますが、

もしかしたら、そのような方々のご理解と、私の目指しているところは違うのかもしれません。



そこで、今後のためにも、私の考えていることを書いておくことにします。



私は、ドーナツがあることによって、日本語科の学生の就職率が上がる状態になることを

目指します。しかし、この目的にはいくつかの意味が含まれています。



まず、天津市の日本語科の学生が新卒時で100%の就職率を達成する、というのは絶対に無理です。



天津市に限っても、日本語科の学生は5000人、日本語学校などで学んでいる人も合わせると、

20000人前後、と言われています。また、企業の採用枠は、景気の動向に左右されますので、

毎年100%を目指そうとしたら、以下のような方法をとるしかありません。



1.可能性のある学生だけに絞る

2.人数は数人から10人以内

3.絶対に採用枠を設けてくれる職種・企業に絞る

4.その職種・企業が必要とするような能力を身につけるために、最高レベルの講師を雇う

5.書籍・視聴覚教材・食事・住まいなど、一流のものを揃える

6.世界の一流の人物との交流の機会を、日常的に設ける



日本で予備校に勤めていたときに、

「合格率90%」「クラスの一人を除いて全員合格」という発表はするけれど、

人数は公表しない学校がありました。

そこで、確認してみると、「最終的に残った5人のうちの4人が合格」とか、「二人のうちの一人」とか、

「数字ってすごいな…」と思うことが少なくありませんでした。



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ドーナツが目指しているのは、新卒時の日本企業への就職率の向上、だけではありません。



別に日本企業じゃなくてもいいし、どこに就職したのかを調べ発表する必要もありません。

ただ、ドーナツに関わることによって、その学生の就職の可能性が高くなれば、それでいいと思っています。



また、新卒時に限る必要もありません。

5年後、10年後に、何かに気がついて仕事を一生懸命にするようになる、

そのときに本当の意味での就職ができるようになる、

その種を蒔くことができたら、それはすばらしいことだと思うのです。



さらに言えば、ドーナツが目指しているのは、人生への就職率の向上です。



人生への就職というのは、

自分の人生に責任を持とうとすること、です。



その手助けができたら、ドーナツの名前なんて知らない人がいっぱいいても、

どうでもいいと思っています。

「聞き違い?」「言い違い?」 …元NHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2011-09-25 19:13:03 | ドーナツの宝
*  「君が言い間違えたのだよ!」
 「いいや、あんたが聞き間違えたのだ!」
 さて、どっちの責任だろうか。
 
 昔、NHKの現役だった頃、アナウンサーの仲間の研究会で「聞き違い」「言い違い」のどちらが多いかという統計を取ったことがある。
 もちろん私的な集計だし、サンプルにしても、たまたまテープに取ってあったトーク・対話・討論番組(民間放送を含む)を対象とした数字だから、正しい根拠とは言えないかも知れないが、その数字をみて、改めて驚いた。
 
 なんと、数人で聴取し判定した結果、146のすれ違い対話例のうち、どちらに責任があるとも断定できない(同音異義語や異音異義語が絡んでいる場合を含む)のが「48」で、あとは「86:12」という圧倒的な比率で「聞き違い」の負けだった。
 「聞き違い」のほうが「言い違い」の7倍強と言うことになる。
 聞き手の「聞き違い」、「勘違い」、「空耳(うっかり聞き)」の何と多いことか、反省とともに、大いに慨嘆したことを覚えている。
 
 「聞き違い」での例を少しあげると・・・。
 ・例えば、与党と野党(ヨトウとヤトウ)を聞き違えて、討論がしばし空転した。
 ・圏外と圏内、県外と県内(いずれもケンガイとケンナイ)という聞き違いも、日常的なレベルで起こっている。
 ・「ヨとヤ」は、口を開かずに喋る人の90%が、“聞き手”にわからない。(実験結果)
 ・「ガとナ」も紛らわしい。ことに「ガを鼻濁音で発するときの「ガ」は(実験によると85%)が聞き違える。
 
 そのときの研究会での討論の主題は、当然のことながら、漢字と読みの問題に移っていったことを思い出す。その結論は・・・
 「日本語では、文字面での区別は出来ても、発音と聴取の間でのディスコミュニケーションが、実に多く、これはひとえに、文字伝達に偏りすぎた文化的な欠陥である」
 
 ま、堅い話は、いずれきびしく取り上げますが、ここでは、息抜きに、少し馬鹿な話を・・・数少ない「言い間違え」の内、「異音異義語」のヒット作をご紹介します。

* ・・・ある民間放送の釣り番組。キャスターは大変有名なベテラン俳優だ。
 「えーと、この相模湾での磯釣りはですね・・・なんと『なまイワシ』を使うんですよ。はい・・・」
 ・・・聞いていた私の独り言。
 「なにナマイワシだ。当たり前だろ、煮たイワシだの、佃煮なんぞを使う訳ないだろうが・・・ははあ、「生きイワシ」を読み違えて喋ったな・・・」
 
* ・・・ある民間のラジオ、若い女性・・・ 番組の予告編らしく、一節を読んでいるらしい。
 「シタテニンを追っメアキらしいのがニニン、ナカヤマミチをアガッテゆきます」
 ・・・寝そべって聞いていた私は、跳ね起きた。
 「なんだと! おいおい・・助けてくれよ・・・まともに読めば、「ゲシュニンを追ってメアカシらしいのがフタリ、ナカセンドウをノボッテゆきます。だろうが!・・・でもね。こりゃ異音異義語の所為も確かにあるよね。けど、参ったなあ・・・本文は、多分、
 「下手人を追って目明らしいのが二人、中山道を上って行きます」って書いてあったんだろうけどさ、「きっと、このこのタレントさんは、タップリ絞られたか。クビになっただろう・・・ヤレヤレだぜ」
 
 では、ここで異音異義語を少し・・・
空間 あきま・くうかん
一方 いちかた(炭坑)いっぽう ひとかた
一行 いっこう いちぎょう
一期 いっき いちご
一見 いっけん いちげん
一時 いちじ いっとき
一文 いちぶん いちもん
一寸 ちょっと いっすん
大事 おおごと だいじ
大勢 たいせい おおぜい
御礼 おふだ おさつ
大人気おとなげ だいにんき
仮名 かな かめい
生魚 いきうお なまさかな・或いはナマウオ
強力 ごうりき きょうりょく
金星 きんせい きんぼし
国立 くにたち こくりつ
下手 したて しもて げしゅ
地味 じみ ちみ
初日 しょにち はつひ
・・・
・・・
 あるは、あるは・・・ものすごい量だぜ。これでは、第2外国語として日本語を学ぶ人には、負担が多すぎる。ご苦労だなと。。。


50音図の落とし穴・・・続 ハ行の反乱③…元NHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2011-09-18 09:49:42 | 日本語学習法
中国で日本語を教えておられる川端さんから頂いた、以前のメールの中に、こんな一節がありました。
 ーーー「ハ行」の音は、母音に近い音ということでしょうか。学生達が、ときどき「私」を「はたし」と聞き違えることがあります。また、私自身もニュースなどの視聴覚教材を聞いていて「あれ?今のは「は」かな、「あ」かな」と思うこともありますーーー

 では、実際にハ・ヒ・フ・ヘ・ホのh音を出してみましょうか。
 この音は、わかりやすく言えば、カキクケコの子音k音と同じ所で出す音でして、違いは破裂音と摩擦音だということです。
 k音の場合は、この、舌の奥と口蓋の奥を、一旦閉じておいて、そこを呼気で突破して「K」と出す。いわゆる破裂音です。
 h音の場合は、同じ所に、少し隙間を空けておき、そこへ息を通す、いわゆる摩擦音です。
 (でも、摩擦と言うほどの摩擦はありませんので、隙間音といった方が分かりやすいと、私は思っていますがね)
 ともかく、舌先や唇などと違って、この辺りの口蓋は柔らかく、舌の奥の感覚はやや鈍いものですから、人によって、隙間の巾はマチマチになりやすく、これが「難しい音」とされるところです。それに、出る音そのものも頼りない。
 そして、この隙間が大きくなれば、h音はa音と区別出来なくなるのです。出しにくい音とは、実は聞き別けにくい音でもあります。

 そこで本題。
 唇の音「ph音」が「h音」に乗っ取られたのは、実は「語頭にくる音」が中心だったようでして、語の中や、末尾にくる音は、必ずしも、簡単に移籍は出来ませんでした。
 そこで、語中や語尾にくる音については、「変われるものは変わりなさい」「変われないものは、どこか居場所を探しなさい」「その際、表記については、それぞれ御勝手にどうぞ」・・・となったと考えるのです。
 
 だから、日本(ニホン・nihon)、気品(キヒン・kihin)、位牌(イハイ・ihai)・・・など、語中のh音が生まれる一方で、変わりにくい音、例えば「恋心(コヒゴコロ→コイゴコロ)、買い換える(カヒカヘル→カイカエル)・・・」などでは、表記も実際の音も、母音になってしまったのでしょう。
 こうした例は数多くあり、例えば、“思う” という動詞は、ついこの間までは“思ふ”と書かれていた。しかし、今では“思う”と、音に従って表記されるようになり、“思はぬ”は“思わぬ”、“思ひ”は“思い“、“思へ”は”思え“となって、音の変化に表記も引きずられて変わった。
 ところが、ハ行の助詞「〜は」は、「文字はハ行だが音はワ・wa音」となり、同じく助詞「〜へ」は、「文字はハ行で音は母音」と、音と文字とが、泣き別れとなってしまった。
 これを「思 い は・・・」と繋げてみると、「なんじゃ、このルールは!」となる。

 このことで、不可解な旧仮名遣いと新仮名遣いは、さらに昏迷の度を深めるとともに、50音図の落とし穴はどっと増えて、かつては、表音記号であった筈の仮名文字体系すら崩れてゆくのですな。
 
ハ行の移転については、もう一つ指摘しなければならない問題がありますね。それは、「フ」。なぜ、ヘボン式のローマ字では、この「フ」だけが「f」になっているのか。これは次回に・・

第9回ドーナツ会議

2011-09-11 10:39:09 | ドーナツの宝
☆ドーナツ説明会:10:00~12:30

1.天津の日本語教育の現状とドーナツの必要性

「教科書・教師・教室」からの解放(20年以上前の論文および各地の日本語教育の現状から)


2.社会人になるためのスタートとしてやってほしいこと

「日本語・コミュニケーション」能力の向上
「会社・仕事について調べ、考える」
「面接の準備」


3.卒業論文基礎ゼミナールガイダンス

「作文と論文は違う」
「論文とは何か」



☆ドーナツ会議:13:00~14:30

今年度のスケジュールおよび担当者決定


☆卒業論文ゼミナール 第1回

「参考文献リスト」の作り方など

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ドーナツが本当に学生のためになっているのか、
それは、メンバーの成長振りを見て判断していただきたいと思います。

50音図の落とし穴・・・続 ハ行の反乱② もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2011-09-11 10:31:33 | ドーナツの宝
今や「なでしこブーム」だ。
  ーーー 沢がパスを送る。大野が受けてクロスを打つ。川澄がゴールを狙う。
 (あれ、サッカーなのに、誰もボールを“蹴らない”のかな・・・)
 ま、それはともかく、応援が大変だ。故郷のオカアサンまでユニホーム姿で娘を声援する。
 ・・・ニッポン ちゃちゃちゃ ニッポン ちゃちゃちゃ・・・
 これが、
 ・・・ニホン ちゃちゃちゃ ニホン ちゃちゃちゃ・・・じゃ、力が入らない、気が抜けてしまうね。
 元々日本語の音は、ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ と書いて、発音は、ファ・フィ・フ・フェ・フォだったのだから(左欄のカテゴリー参照)、おとなしく音を出せば、両唇の摩擦音“Pho・フォ”で“ニフォン”になり、元気よく音を出せば、両唇の破裂音“Po・ポ”で“ニッポン”になった。これならごく自然だ。
 ところが、徳川300年の鎖国の間に、ハ・ヒ・フ・ヘ・ホのカナ文字の音は、唇の音から、口の最も奥で出す音に変わってしまった。しかも、うっかりすれば母音と紛れるような、実に出しにくい音、ha・hi・hu・he・hoになってしまったのだ。
 その犯人は誰か。いまだに「迷宮入り」だ。あとは、推論するしかない。
 
 この長い鎖国の間、外国からの文化の窓は、長崎・出島ただ一つだった。だからここには、国外の文化を求めて、多くの学者がひしめいていた。
 当時は、オランダやポルトガルの文化も入って来てはいたが、なんと言っても圧倒的だったのは隣国・中国からの文化だ。文学や宗教・哲学(儒教・仏教・論語等々)は言うに及ばぬ。こうした文化は、当然、言葉で綴られている。
 上海と書いて(シャンハイ)、海口は(ハイコウ)、香港と書いて(ホンコン)・・・海・香と書いてカイ・コウと、“k”音で読まずに、“h”音が頻繁に登場する。
 新らしもの好きな学者たちは、この音を早速に使う。現在でも、気障な学者や専門家と称する連中が、英語やフランス語やドイツ語などで、専門性をひけらかしているのと変わらなかったのだろうよ。
 そして彼らは、50音の中に、その音の、文字としての居場所を探した。
 何しろ、国学の総帥、本居宣長大先生が、50音が日本語の音であると断じて、縦5×横10の五十音だけが正しい音であり、それ以外は全て邪音であると決め込んだ時代のことだ。表記を50音図のどこかに置かなければならない。そこで、目を着けられたのが、両唇の破裂音“Po・ポ”と両唇の摩擦音“Pho・フォ”の間で揺れている“ph・ハ行”だ。
 ちなみに、金平糖という砂糖菓子がある。これはポルトガルからの輸入品だ。漢字で書けば金平糖だが、原語では「コンフェイト」である。先日も、古くからの京都の店・緑寿晻庵から桐箱入りが届いた。箱には焼き印で「confeito」と記してあった。その当時から、よく間違えられていたのだろう。“フェ”と“ぺ”の使い分けは、揺れていて、紛らわしかったに違いない。
 そこで、「ph・ハ行音」は、新しい音、“h”音に、乗っ取られてしまったのだろう。
 
 この説には、確かな証拠は無い。ただ、推論する根拠はある。もし、「いや、そうではない」という説があるならば、どうぞ、証拠を示して、お聞かせ願いたい。

 さて問題は、“ph”音が“h”音に置き換わった結果、次々に起こる混乱だ。“h”音が語頭に来る場合は、それほど問題は生じない。「花・塀・堀」などは、“hana”、“hei”、“hori“と苦もなくできる。
 だが、この音が語中にくるとそうはいかない。「くさばな」「いたべい」「こぼり」など、いわゆる連濁になると、昔のph音の濁音“b”の唇音を使わざるをえない。
 そこで、“ハ・h”音の濁音は存在しないのに、表記では清濁の関係として残ってしまった。おまけに、語中でhの清音を使おうとすると「くさハな」「いたへい」「こホり」となって、日本語の音のルールから外れてしまう。
  
 まだ問題は続出する。江戸っ子などはつい最近まで、“hi・ヒ”が言えなかったから大変だったろうね。関西の質屋(ヒちや)は江戸では(シちや)、七(ヒち)は(シち)になる。
 そして、“フ”の音などは、“phu”なのか“hu”なのか、現在でも全国的に混乱している有様だ。 それよりも、h音に、ついて行けなかった音達が大勢いる。一体、どこへ行ってしまったのだろう。
 これについては、来月・・・では間が開きすぎるので、来週、続けて書くことにしましょう。
           ーーーーつづくーーー