天津ドーナツ

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ドーナツ日記 学生に任せる

2011-02-26 09:22:08 | 管理人の日記
新学期が始まりました。

天津市の日本語学習サークル「ドーナツ」も、

冬休みの間にリーダーたちが連絡を取り合ったり(みんな違う地方の出身です)、

早めに天津に戻って会議を開いたりして準備を進めてきました。



日本企業と協力しての就職対策講座やスピーチなどの各種コンテスト、

留学生との青年交流会(「あとは若い人達で…」というやつですね)など、

天津商業大学宝徳学院の陳さんを中心に、進めてきました。



学生に任せると言っても、こちらが一切手を出さない、というわけではなく、

天津日本人会や日本企業の方に挨拶をしたり、審査員やゲストの依頼をしたり

しているのですが、「学生ができることはがくせいにやらせる」というのは、

授業と同じで、学生に成長してもらうためには必要なことだと考えています。



そう、ドーナツは「学生が成長できる環境を創る」ことを目的にスタートしました。

ですので、スピーチコンテストも、選手だけではなく、あらゆるスタッフ果ては観客までが

成長できるコンテストでなければ、ドーナツのコンテストではありません。



実際に何をするのか、誰がどのようにするのかを決めるのは、

「何のために」という理念や目的だと思います。



その目的のために、リーダーたちは冬休みも準備をしてきました。

3月5日のドーナツ会議から、ドーナツの新学期がスタートです。



昨晩、会場校となった河北工業大学の先輩から、長崎大学の大学院入試をパスしたとの連絡が

入り、母校でドーナツ会議が開かれて嬉しいと言っていました。



国際交流基金の先生が、地域の日本語教育のモデルになるかもしれないとおっしゃっていた

ドーナツの挑戦は、「学生に任せる」というところから本当のスタートです。

この冬休みにしてきた準備が無駄ではなかったことを証明する1学期にしたいと思います。

日本語が好きな人の勉強法・嫌いな人の勉強法

2011-02-17 03:22:34 | 顧問・アドバイザーから
日本語が好きな人の勉強方法



1.紙の辞書を使う:

  持っているだけで楽しい⇛中国語の部分を読んで楽しい⇛特に良い文章の日本語の部分を読んで楽しむ⇛日本語  と中国語を比較して楽しむ

  電子辞書も、音声を聞くだけで楽しい。無理に覚えようとはしない。

2.試験を楽しむ:

  ときどき、文章を読んで感動のあまり泣きそうになったり、吹き出したりする。試験が終わったあと、その文章を書   いた人の作品を探して、読んだりもする。

3.文章を読む:

  単語帳の丸暗記などはしない。面白い文章を見つけるのがうまい。

  つまらない文章は適当に読み流す。面白い文章は覚えて人に紹介する。

  文脈や話脈で覚えるから、状況に応じて日本語が使えるようになる。

4.日本語で話そうとする:

  間違えても全く気にしない。逆に「チャンス」だと思うし、そもそも日本語で話す時間を楽しんでいる。

5.「りんご」と言われたら「りんごそのもの」を思い浮かべる。







日本語が嫌いな人の勉強方法



1.電子辞書を持っていて、たまに使う。使い方もよくわからなくなってくる。



2.試験が近づくと勉強し、終わると復習もしないからすぐに忘れる。

  試験の目的は「点数」だけ。どんな問題だったのかも覚えていないし、試験中に感動したり、卒論のテーマが見つ  かるなんてことはない。

  「日本語能力試験」と聞いただけで、暗い気持ちになる。



3.単語帳を持っていて、1ページ目から丸暗記をする。

  どんな状況でどんな目的で使われるのか、「文脈」や「話脈(話の流れ)」を考えずに覚える

  ⇛「KY」になるか、状況を把握しようとするだけで精一杯、会話を楽しむことはできない。

  ⇛会話が嫌いになってくる⇛ますます日本語の勉強が嫌いになる、の繰り返し。

  

  1ページ目からやっているから、10ページ目にとりかかる頃には、最初の部分は忘れている

  ⇛どんどん辛くなる⇛効率が悪くなる、の繰り返し。



4. 間違えるのが怖いから、できるだけ日本語は使わない。(3の必然的な結果)



5.「りんご」と言われたら、「苹果」(中国語)を思い浮かべ、その後、りんごそのものを思い浮かべる。

  会話の時は間に合わないし、実感が伴わないから、せっかく覚えた単語も忘れることも多い。

  機械的な丸暗記が、大脳生理学的には相当に無理のある記憶の方法だということを知らない。





 中学生の時の私は、英語大好き少年でした。

 文化祭で英語のコントを披露したり、英語新聞を発行したり、高校入試の英語もおそらく98点か100点だったはずです。(スペルをひとつ間違えた可能性がありますが、その問題は今でも覚えています)何しろ、英語の辞書を年中持ち歩き、凡例まで含めて「繰り返し」読んでいたのですから、英語を忘れるなんてことはありえなかったのです。

また、お小遣いが入ると英語の辞書を買う、というのが私の当時のお金の使い方でした。



 しかし、高校入学後の初めての授業で、英語が嫌いになりました。

 教室に入ってきたその先生はあいさつもそこそこに数枚のプリントを配り、「この単語を覚えたら大学入試は大丈夫です」と言ったのです。プリントに目をやると、数えきれないほどの単語が例文もイラストもなく並んでいました。



 なんて言ったらいいのかわからなくてそのプリントをじっと見ていると、

「これはまだ半分です。もう少ししたらあとの半分を渡します」と先生は続けました。

そして、プリントの単語を一つずつ読んでいったような気がしますが、この後のことは、それ以降の授業も含めて、ほとんど覚えていません。



 その先生は、女子生徒の間でも噂になるぐらい、美人でセクシーな女性でした。休み時間にわざわざ教室をのぞきにくる学生もいたぐらいです。

 しかし、私はその先生の授業は大嫌いでしたし、顔も覚えていません。どんな話をしてくれたのかも覚えていません。おそらく、その先生とはほとんど会話もしなかったのだと思います。



 もしかしたら、「川端は甘い。単語の丸暗記が一番いい英語上達法だ」と言う人がいるかも知れません。「勉強は苦しいものだ。その辛さに耐えてこそ…」という考え方の人もいるでしょう。



 上記の「日本語が好きな人の勉強方法」は、中学生の時の私の勉強方法です。

そして、「大学受験のカリスマ英語教師」の(ドラゴン桜のモデルになった人)が、カリスマになるきっかけとなった出来事を参考にもしています。さらに、近年、進歩の目覚しい大脳生理学(脳科学)や学習心理学の成果も取り入れています。



 結局、本人が意義を感じているか、楽しいと感じていない限り、「エビングハウスの忘却曲線」通りの結果しか残らないのだと思います。つまり、普通に勉強していたのでは、1ヶ月後には殆ど忘れてしまっているのが人間の脳だということです。

 これが、「単語が覚えられない」「長期休暇明けには殆ど忘れて、一からやり直し」という状況の原因です。

 

1.学習直後から忘却が始まる

  ⇛終了間際にポイントを再確認する、夜寝る前に復習をする、忘れかけた頃に復習をする(完全に忘れたら一から  やり直しです)

2.何かと結びつけて覚える(単語帳の機械的な丸暗記とは正反対のやり方です)



という脳の機能の研究成果に逆らって勉強していますから、いつまでたっても覚えられませんし、会話もできるようになりません。努力の成果が現れないのですから、時間が経てば経つほど、勉強が苦痛になってきます。



勉強も仕事も、今やっていることの中から無駄なことを捨て去るだけで、成果は変わってきます。それを手抜きだという人もいるでしょうけれど、大事なのは「勉強を楽しむ」「成績が上がる」ということであり、「(意味もわからず)努力をする」ということではないと思います。



孔子だって「マジメより好きな方が上達する」と言っているのですから、真面目に勉強しているのに上手になっていない人は、「肩の力を抜いて・絵を書いたり連想したりしながら・繰り返し」勉強してみてください。



※冒頭の「好きな人・嫌いな人の勉強方法」について、「私はこうしている・こう思う」ということがきっとあると思います。ぜひみなさんの経験・方法を教えてください。

スピーチについて  テクニックに溺れない

2011-02-11 04:40:34 | ドーナツの宝
人の心を動かすプレゼンテーション、と言うテーマで講演をされている方の話です。

(引用ここから)

論理思考って勉強している人も多いかと思いますが、そんな人ほどハマッてしまう
落とし穴があるって知っていました?

「論理思考の罠」なんて言われているそうですが、典型的には、
ロジカル<論理的>に話さなければとの思いが強くて、人と話すときに
紋切り型の「大事なポイントは三点あります。第一は…」なんてパターンばかりの人。

聞いている方は、(またかよ…)とウンザリです。

あるいは、クリティカル<批判的>にものごとを見るのが大事だ、なんて教え込まれて、
他人の言葉や企画のアラばかりが目に付くようになり、口うるさく指摘する人。

いつの間にか社内では(彼は「評論家」だから…)と評判がた落ちです。

もちろん、論理思考を学ぶこと自体は間違いではないのでしょうが、
ビジネスのコミュニケーションって、伝えた結果、「相手が動いてくれる」のが目的ですから、
相手をウンザリさせたり、自分の評価を落とすようでは本末転倒です。

では、どうすれば、「本当に使える論理思考」が身に付くの?

という答えが、

 「論理だけでなく心理」

だそうなんです。

たしかに、ロジカルに分かりやすく説明されうえに、心理面でも共感できたら、思わず「イエ
ス」って
言ってしまいそうですものね。

実際、ハーバード流交渉術でも心理の重要さは指摘されていて、タフな交渉になればなる
ほど、

 「自分と相手の双方の感情に対して敏感になる」
ことが必要とのこと(「新ハーバード流交渉術 論理と感情をどう生かすか」より)

(引用ここまで)



以前、あるスピーチコンテストで、何人もの学生が同じパターンのスピーチを

披露したことがありました。



「私が話したいことのポイントは3つあります。ひとつは…」、

即席スピーチのテーマを繰り返し、時間を稼ぐ、

制限時間の半分ぐらいしか使っていないのに、

「まだ話したいことがありますが、時間の都合で…」

など、です。



それが4人目、5人目となったとき、審査員が失笑しているのを

見てしまいました。いえ、審査員だけではなく、会場で聞いている

学生たちも、笑い出していました。

そして、スピーチをしている本人は、どうして笑われているのか分からない様子で、

困った顔をしていました。



このようなテクニックが無意味だとは思いません。

話が分かりやすいかどうかは、確かにテクニック(発音・文の構成・決まり文句など)の問題です。



でも、15人~20人の選手が、程度の差こそあれ、同じようなテクニックでスピーチをしているところを

想像してみてください。そんなコンテストを聞きたいと思いますか?



スピーチは、「話の分かりやすさ」が最大のポイントなのでしょうか。

もしそうなら、スピーチではなく、「日本語発音・記憶力コンテスト」になってしまいます。



天津の学生たちから、「スピーチコンテストはつまらない」「形式化してきている」という

話を聞くことが増えてきてしまいました。



私はスピーチが好きです。

自分の思いが相手に伝わり、相手の反応によって自分も変わっていく、

それは本当に嬉しいことだと思うからです。



だからこそ、テクニックばかりに気をとられ、会場とのコミュニケーションが成立せずに

終わってしまっている学生たちを見ると、なんとも言えない気持ちになってしまいます。

(こんなスピーチは、コンテスト以外では役に立つのかな…)と思ってしまいます。



もしかしたら、「スピーチコンテストはつまらない」と言っている学生たちは、

うまく言葉にはできないけれど、ここに書いたようなことを感じ取っているのかもしれません。

「あの人たちは流暢に話しているけれど、私に聞いてほしいと思っているんじゃないや…」

「こちらの気持ちには関係なく、自分のスピーチの上手さをアピールしたいだけみたい…」

という具合に、です。



日本語のスピーチコンテストが、

日本語本来の目的である「コミュニケーションの道具を磨く」コンテストになるために、

来学期からは、「スピーチ」というテーマで学生たちに話をしていくことにしました。



また、それは、国際交流基金と北京日本学センターが報告をしているように、

「日本語教育学を軸にして、「教育」や「学習」への視点を不可欠なものとした」日本語教育

そのもののありかたではないでしょうか。

(国際交流基金 日本語教育通信 2002年5月 海外日本語教育レポートより)



来学期以降の中国のスピーチコンテスト、というのは話が大きいですね。

私が関わることができるコンテスト(勤務校・ドーナツのコンテスト)でのスピーチは、

「論理・情熱・共感」をテーマにしていきたいと思います。