みなさんは、日本語の『教科書』に対して、どのようなイメージを持っていますか?
「古い」「実践の役に立たない」「おもしろくない」…、多くの学生がマイナスのイメージを持っているかもしれません。
でも、教科書はそんなに「役に立たない」ものなのでしょうか。
外国語は、教科書以外の材料で勉強したほうがいいのでしょうか。
今回は、私自身の英語学習の経験をもとに、「外国語学習における教科書の使い方」について、
考えてみたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はあることがきっかけで、英語の勉強が嫌いになりました。
そのきっかけとは、高校1年生の最初の授業で、数千の英単語のリストを渡され、
「これを憶えれば、大学入試は大丈夫だ」と言われた、というものです。
中学のときは英語の寸劇を発表したぐらい、英語が好きだったのですが、
読解も会話も聴解もなく、「とにかく単語を丸暗記をしろ」と言われ続け、英語が嫌いになっていきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その後、社会人になってから、「やっぱり英語はおもしろいかもしれない」と思い、勉強を再開し、35歳のときに、英検準2級に合格しました。
もちろん、このレベルでは「英語ができます」などとはとても言えませんし、そのあと受けた2級は、2点足りなくて不合格でしたが、「ちゃんと勉強すれば、英語もできるようになる(だろう)」という自信がつきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、同時に、35歳というのは、あまりにも遅すぎます。
それで、自分なりにここまで英語を遠ざけてしまった理由を考えてみました。
きっかけとしては、先ほど書いた高校での1回目の授業があげられますが、どうも、それだけではないように思います。
それだけでしたら、授業以外の時間に、別の方法で英語を勉強すればいいのですから。
しかし、高校生のときの私は「英語の教科書」を馬鹿にしていました。
本当に、教科書は家ではまったく開かなかったと言ってもいいぐらいです。
そして、その代わりに、『学校では教えてくれない英語表現』などという本を買い、
「自分は本当の英語を勉強している」と悦に入っていました。
当時、その本を見た中学校の校長先生は、「これは、教科書の内容をきちんと身につけた人が使う本です」と言ってくれたのですが、私には意味が分かりませんでした。
それどころか、(この先生だって知らない表現が、この本には書いてある。それが悔しいのかな)などと考えたりしたのですから、若かったとはいえ、あまりの無知・傲慢のひどさに、私自身があきれてしまいます。
その結果、2次の会話も含めて、試験に出る(つまり、一般的な)英語を身につけることができずに、
35歳でやっと準2級という結果を招いてしまったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本語学習の話に戻ります。
教科書は、確かに「最新の表現・若者言葉」のオンパレードではありません。
また、「いつでも・どこでも・誰にでも」通じる表現ばかり、でもありません。
しかし、「教科書に乗っていない日本語が正しい日本語・本場の日本語」というのも、
ちょっと偏っているのではないでしょうか。
例えば、テレビドラマやアニメで使われている日本語がありますが、
あの日本語も、「いつでも・どこでも・誰にでも通じる日本語」ではありません。
教科書だけを勉強していればいい・丸暗記すればいい、というものではないと私も思います。
しかし、「教科書そのものが役に立たない」のか、「教科書の使い方に問題がある」のか、
この両者の違いを、きちんと考えてほしいと思います。
「古い」「実践の役に立たない」「おもしろくない」…、多くの学生がマイナスのイメージを持っているかもしれません。
でも、教科書はそんなに「役に立たない」ものなのでしょうか。
外国語は、教科書以外の材料で勉強したほうがいいのでしょうか。
今回は、私自身の英語学習の経験をもとに、「外国語学習における教科書の使い方」について、
考えてみたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はあることがきっかけで、英語の勉強が嫌いになりました。
そのきっかけとは、高校1年生の最初の授業で、数千の英単語のリストを渡され、
「これを憶えれば、大学入試は大丈夫だ」と言われた、というものです。
中学のときは英語の寸劇を発表したぐらい、英語が好きだったのですが、
読解も会話も聴解もなく、「とにかく単語を丸暗記をしろ」と言われ続け、英語が嫌いになっていきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その後、社会人になってから、「やっぱり英語はおもしろいかもしれない」と思い、勉強を再開し、35歳のときに、英検準2級に合格しました。
もちろん、このレベルでは「英語ができます」などとはとても言えませんし、そのあと受けた2級は、2点足りなくて不合格でしたが、「ちゃんと勉強すれば、英語もできるようになる(だろう)」という自信がつきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、同時に、35歳というのは、あまりにも遅すぎます。
それで、自分なりにここまで英語を遠ざけてしまった理由を考えてみました。
きっかけとしては、先ほど書いた高校での1回目の授業があげられますが、どうも、それだけではないように思います。
それだけでしたら、授業以外の時間に、別の方法で英語を勉強すればいいのですから。
しかし、高校生のときの私は「英語の教科書」を馬鹿にしていました。
本当に、教科書は家ではまったく開かなかったと言ってもいいぐらいです。
そして、その代わりに、『学校では教えてくれない英語表現』などという本を買い、
「自分は本当の英語を勉強している」と悦に入っていました。
当時、その本を見た中学校の校長先生は、「これは、教科書の内容をきちんと身につけた人が使う本です」と言ってくれたのですが、私には意味が分かりませんでした。
それどころか、(この先生だって知らない表現が、この本には書いてある。それが悔しいのかな)などと考えたりしたのですから、若かったとはいえ、あまりの無知・傲慢のひどさに、私自身があきれてしまいます。
その結果、2次の会話も含めて、試験に出る(つまり、一般的な)英語を身につけることができずに、
35歳でやっと準2級という結果を招いてしまったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本語学習の話に戻ります。
教科書は、確かに「最新の表現・若者言葉」のオンパレードではありません。
また、「いつでも・どこでも・誰にでも」通じる表現ばかり、でもありません。
しかし、「教科書に乗っていない日本語が正しい日本語・本場の日本語」というのも、
ちょっと偏っているのではないでしょうか。
例えば、テレビドラマやアニメで使われている日本語がありますが、
あの日本語も、「いつでも・どこでも・誰にでも通じる日本語」ではありません。
教科書だけを勉強していればいい・丸暗記すればいい、というものではないと私も思います。
しかし、「教科書そのものが役に立たない」のか、「教科書の使い方に問題がある」のか、
この両者の違いを、きちんと考えてほしいと思います。