天津ドーナツ

みんなで力を合わせて、天津の日本語教育を楽しく、元気にしましょう。ご意見・ご要望は左下の「メッセージ」からどうぞ。

ドーナツは解散いたしました

2013-04-04 14:56:41 | 顧問・アドバイザーから
天津日本語学習サークル「ドーナツ」を応援してくださった方々へ

大変残念なご報告ですが、天津ドーナツは解散いたしました。

大学の教室だけでは学べないものを、各大学の学生や日本企業が協力することで補っていく、という理念のもとにスタートしたドーナツは、多くの方々のご支持で、天津市レベルのスピーチコンテストや日本語カラオケコンテスト、プレゼンテーションコンテスト、日本人留学生との交流会、日本人会会長の講演などを実施することができました。

どれも、ドーナツが設立される前には存在していなかった活動で、活動の企画や準備を通じて学生たちは多くのことを学びましたし、1つの活動が終わるたびに少しずつ成長していきました。

全て、応援してくださったみなさまがたのおかげです。
本当にありがとうございました。


解散に至ったのは、メンバーが増えるに従い、活動の準備の確認に目が届かず、来賓や会場校以外の学校からの厳しい評価が続いたことが直接の原因です。

設立当初の目的にもあるように、活動そのものは手段であり、学生たちが何かを学ぶことができない活動が続くようであれば、解散する他ありません。

もちろん、一度や二度、失敗したからと言って解散する必要はありません。
しかし、準備をしたうえでの失敗ではなく、ほとんど準備をしない失敗を何度も繰り返すようになった以上、サークル活動を続ける意味も、社会から支援を受ける資格もありません。

この失敗を教訓として、本当に学生が成長する活動というものを、もう一度、考え直したいと思います。

今まで、本当にありがとうございました。

サークルを、ノリだけで運営しないでください

2012-08-23 15:03:38 | 顧問・アドバイザーから
国際的な学生サークルという触れ込みの団体が、「日本語教師インターン」というプログラムを作成し、一人の女子学生をルーマニアに送り出しました。

とはいっても、実際の手続きは、本人が現地の事務所と連絡をとって進めなければいけないようです。

その結果、現地の空港に深夜に到着、そこから自力で駅に移動し、3時間の列車による移動をすることになりました。



ところが、空港についた所まではツイッターで確認できていたものの、その後、行方不明になり、

捜索の結果、暴行された後、殺害された状態で見つかりました。

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この事件が起きる前から、日本では「海外に行け」「自分を磨け」と言う人が多くなっています。

「海外に出た経験が成長につながる」という人もいます。



しかし、私が初めて海外に行きたいと思ったとき、職場の上司は「何も特技がない人間は、海外でも相手にされないぞ」と言って、自分をある程度磨いた上で海外に行くように諭してくれました。



今は、日本語教師としての勉強をしなくても、サークル活動のノリで、海外で日本語を教えることができるということに驚きましたし、何より、送り出すほうも迎えるほうも、全く組織としての体をなしていないということに、憤りを憶えます。

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多くの学生たちは反対するでしょうけれど、学生達が自分たちのノリだけで行動をしたら、どういう結果になるのかを想像してほしいと思います。

今回のように、女性一人を海外に送り、深夜に行動させるという発想は、社会通念から大きく外れています。

もし、一般の旅行会社がこのようなスケジュールを組んで事件を起こしたら、その会社は間違いなく潰されますが、学生サークルであれば許されるのでしょうか。



ここ天津でも、「学生たちの受けがいい」「学生たちのノリにあわせられる」「学生たちをノセラレル」先生が、いい先生だと思われているようです。

日本語が多少上手になっても、ノリでしか行動できない人間を大量に作り出す、それがまっとうな日本語教育だとは私には思えません。



この国際的な学生サークルの日本における責任者は有名大学の教授との琴ですが、

社会に通用する組織は、学生サークルや熱血教師のノリでは作れないということを、私自身が肝に銘じたいと思います。

「ワハハの唄」の盆踊り…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-07-19 08:11:27 | 顧問・アドバイザーから
先週のことだ。
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 大田文化の森・運営協議会から、「ワハハの唄に踊りの振り付けが出来た。発表会をするので来て欲しい」と招きがあった。
 「文化の森の唄」を作ってくれとたのまれて、「ワハハの唄」の詩を私が作ったのは、かれこれ6・7年前にもなろうか。
 当時、協議会のメンバーだったクラウンレコードの作曲家・岡崎清吾先生の作曲で、ようやく昨年コーラス曲としてCDを完成させたところだ。
 完成に時間がかかったのは、私の病気の所為もあるが、少々歌詞がユニーク過ぎた為でもある。
 
 多目的ホールのある五階に上がると、懐かしい曲が聞こえてきた。
 歌詞は四季に別れていて、聞こえてきたのは、二番の“夏の祭り”だ。
 ♪♪
  ウッハハ ワッハハ ワッハワッハ ワッハハ
  文化の森から ワッハハ ワッハハ
   夏の広場は櫓に太鼓 
   粋な浴衣で ワッハハハ ワッハハ
  とうさんポッコリ 出腹で演歌
  かあさんドレスで シャンソン・ショウ
  ホールでカラオケ 広場にゃ提灯
   ワッハハ ワッハハ ワッハ ワッハ ワッハハ
   たまにゃあ 文化の森に おいでなさい
 
 [ソロ]「カ行で笑うは カラスにカエル
       カッカラ カカカー ケッケロ グールグ 
       クワーラ コワーラ ギャロギャロ グァグァ」♪♪
 
 ホールに入ると、40人ほどの地元の女性が、思い思いの浴衣を着て、練習をしている。
 輪の中心にで、振り付けの荒木先生が、手本を示しながら、優雅に踊る。
 爽やかな振り付けだ。ありがとうございます。
 
 友人の一人が近寄って来た。
 「なぜ、ワッハハ ワッハハと、初めから終わりまで、笑いまくるんですかね」
 「なぜって、いまの日本、どこを向いてもギスギスしていて、極端に笑い声が少なくなっていると思わないかね」
 「そうだね。自然災害、昏迷極わまる政治、世界に蔓延する金詰まり、児童の悪質ないじめ・・・“憤慨する”“悲しくなる”“落胆する”“諦める”“居たたまれなくなる”・・・確かに“笑い”どころじゃあないな」
 「だがねえ、考えてもみろよ。“笑う”という行為は、人間だけに許された“ことば”なんだぜ。人間だけが・・・」 
 「じゃ、アハハでもエヘヘでもいいのかな」
 「悪かないけど、やっぱり腹筋を動かして、腹から笑うことだよ。だから“アハハ”より“ワッハハ”がいいさ」
 「腹式呼吸に通づるってわけか」
 「呼吸というのは、吐く息が肝心だ。カンキ・イッソクって、座禅ではいうね。先ずしっかりと吐く。そうすれば、腹にあった“一物”だって、吐き飛ばせるよ。腹蔵無く笑いあう。そうすれば、人間関係の豊さにつながっていくのさ」
 「腹の底から笑うんだ」
 「そこから、人の幸せが始まる。良いまち作りも出来るのじゃないかね」
 「じゃボクも、7月27日には、唄って踊るとするか。綺麗な女の子の傍で・・・」
 
          ーーーーーーーーーー終わりーーーーーー



「掃除のおじさん」…一番大切なことを大切にしてから、技能や知識の話をしましょう

2012-07-10 19:50:39 | 顧問・アドバイザーから
※フェイス総研 代表取締役社長 小倉 広のメールからの転載です。



◆ 掃除のおじさん ◆

毎朝、ランニングをしている。6~8kmを走り終わり、家路に着く途中、私

はいつも麻布十番の網代公園脇を通る。すると、決まっておじさんとおば

さんが二人で一所懸命に掃除をしている場面に出くわす。



私は、深々と頭を下げずにはいられない。なぜならば、二人は一切の手抜

きをせず、誠心誠意、私たちの公園をきれいにしてくれているからだ。



あんなにゴミが散らかっていた公園には空き缶一つ落ちていない。そして、

黒土の上に白い砂がまかれた地面には、ほうきの目がきれいについている。

二人はトイレに水をまき、ぴかぴかに磨き上げる。そして、私の挨拶に気

づくと、二人も深々と頭を下げてくれる。



私は思う。彼らはなぜ、あそこまで誠心誠意を尽くせるのだろうか?と。





彼らを監視している上司はいない。おそらく、掃除後のチェックも行われ

てはいないだろう。掃除の徹底度が評価される成果主義の給与があるわけ

でもなさそうだ。つまり、彼らには強制の力も、報酬の力も働いていない。

しかし、彼らは、決して手を抜くこともなく、一所懸命に汗を流し続ける

のだ。それはなぜなのだろうか?



おそらく、それは彼らの道徳心だ。人様のお役に立ちたい。人様に喜ばれ

たい。その一心だ。誰も見ていなくても、お天道様が見ている。自分の良

心がそれを見ている。それが理由だろう。





もちろん、規則やルールがないわけではない。受け持ちのエリア。掃除を

する時間帯。使用する道具。最低限のルールはあるだろう。しかし、ルー

ルが彼らを突き動かしているのではない。ルールに従うだけであれば、彼

らはあそこまでていねいにやる必要はない。いくらでも手抜きをできるの

だから。



そう考えたときに、次の疑問がわいてきた。では、彼らが道徳心を持ち、

発揮するに至ったのは何故だろうか?と。学校教育のお陰か?両親の育て

方が良かったのか? 良き上司先輩に恵まれ、よき教育を受けたからか?

はたまた彼、彼女自身の持って生まれた天分なのだろうか?



それはわからない。先にあげたもののうちのいくつかが当てはまる。そん

なところだろう。





そう思ったときに、気がついた。彼らのように心を込めて仕事をする人が、

一人でも多くなったなら、間違いなく会社は良い会社になるだろうな、と。



では、会社において、先に挙げたような施策はどれだけ実施されているだ

ろうか?道徳心あるものの採用。道徳心を育てる企業内教育。道徳心を発

揮する上司の教育。そう考えたとき、多くの企業においては、どれも心許

ないものであることに気がついた。



一番大切だとわかっているのに、そこに投資がされていない。道徳心を育

てるのは企業の責任ではなく、学校の責任である。家庭の責任である。企

業はそこまではタッチする必要はない。そんな声が、人事部や経営者から

聞こえてきそうだ。



本当にそうだろうか? 私は思う。



継続的に高い業績をあげ続ける企業では、業務上の知識や技術、すなわち

スキル教育以上に人間教育を徹底している。即効性は低いかもしれないが、

時間がかかるかもしれないが、一番大切なことを一番大切にしているのだ。

大切なことを疎かにして、大切なことがかなうはずはない。





私は道徳心を高める人材育成を一社でも多くの企業に導入してほしいと思

う。もし、それがかなわないのであるならば、我々リーダーや経営者がそ

の背中で従業員に語るという育成を続けていくほかはないだろう。研修プ

ログラムやコンサルティングを通じて。さらには、背中で語るリーダー育

成を通じて、企業のお役に立ち、それがひいては国のお役に立てるよう頑

張っていきたい。そのためには、私自身が背中で語れる人間になることだ。

修行の道のりは長い。

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今、日本語学校の夏期講習(学生)や週末コース(企業の方)のトレーニングをしています。

さまざまな年齢や立場の学習者を相手にしていて、やはり思うのは、「挨拶・返事・表情・態度」などの基本がきちんとできている人は、日本語の上達も早いです。



それは、「日本語」がその人自身を表すものだったり、周囲の人とのコミュニケーションのツールである以上、当たり前のことなのかもしれません。



どんな立派な道具・技術だって、それを使う人次第で結果(周囲の人の受け取り方)が違ってくるのは当たり前なのですから。

ドーナツ3周年、おめでとうございます

2012-06-27 15:15:36 | 顧問・アドバイザーから
天津に、「ドーナツ」という日本語学習サークルがあります。

3年前の2009年6月28日に誕生し、今では、天津市の日中交流会や各種スピーチコンテスト、カラオケやアフレココンテストを主催するまでになっています。

また、天津日本人会や日本企業の方々に学生を紹介するときに、「ドーナツのメンバーです」というだけで通じるようになってきました。

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ソニーが初めてラジオを作ったとき、ドイツでは全く知られていなかったそうです。

そこで、営業責任者は、「よし、ドイツの喫茶店で「ソニーをください」と言って、店員が「ソニーはラジオですよ」と言われるようになるまで、頑張ろう」と決めたそうです。

そして、さまざまな苦労をして、2年後には、喫茶店の店員が「ソニーですか?私も持っています」と言ってくれるぐらいにまでなりました。

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3年前には誰も想像していなかった「各大学の学生が集まって、自分たちに必要な活動をしていく」という状態が、天津に生まれ、会議も誕生パーティーも、1年間のスケジュールも、自分たちで決められるようになりました。



このことを一番嬉しく思うのは、「ドーナツなんて勉強の邪魔だ」「天津の各大学が協力するなんて無理だ」と言われても活動を続けてきた初代のメンバーたちでしょう。



批判する人のほうが多い中で、蒔きつづけた種が、ようやく芽を出し始めたのです。

初代のメンバーはもう大学を卒業して社会人になっていますが、今の天津の大学生達が他の大学の学生と交流できるのは、その人たちのおかげです。

「天津には何もない、北京がうらやましい」と言いながらも、自分たちでできることを積み重ねてきた結果が、

現在の天津です。



ソニーのラジオとは同じではありませんが、天津のドーナツと言えば、日本語サークルのことだと分かる人が

本当に増えてきました。



あのときの苦労は、他の人には分からないかもしれませんが、自分たちのしてきたことを誇ってもいいと私は思います。

そういう気持ちを込めて、ドーナツの3周年をお祝いしたいと思います。

これからも、天津の学生たちのために何ができるのかを考え続けていってください。