天津ドーナツ

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民主主義と数字の関係について ①…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-09-18 07:28:36 | 日本語学習法
二大政党の社会がある。
欧米民主主義の歴史的な基本パターンだという。
前回の選挙で、日本もそれに習い、追いつこうとした。
そっして見事に失敗した。
何のことはない、国会という対話の場を放棄して、密室の談合で国の有り様を決め始めた。
ごうごうたる非難の声が巻き起こった。
今度は、第三勢力が選挙の鍵なのだそうな。
随分、様変わりをしたもんだ。

だがここで、もう一度、この二大政党政治が、本当に民主主義の形なのかどうか、考えてみてはどうだ。
欧米がそうだから、そうに違いないと思いこんでいる側面がありはしないか。
私はこの考え方に、疑問を呈する。

二人の人間が応対すれば、対話して合意するか、自我と自我の対立となるか、どちらかだ。
今の複雑な社会。それに一億を超す人間。
合意を得るには時間が掛かる。
そこで、代議員を送り、国会を開く。
そう、国会議員とは国民の代弁者なのだ。
選挙の結果、議員の数が決まる。
最後には議員の数で決めようとなる。
数での勝ち負けは、初手から決まっている。
だから、少数派は精一杯抵抗する。
あがく。
多数派は、暫く我慢をしていれば、勝と解っている。
低姿勢で相手を刺激しないように応対する。

これは、日本だけの話ではない。
もっとも日本が典型的なだけだ。
一票差でも勝ちは勝ち、負けは負けだ。
多数決という数の論理は、実は民主主義の非常手段なのだ。
その非常手段が、常套手段だと思いこんでいる。

丁度良い機会だから、民主主義を人間の対話の場と捉えて、少し解説することにしよう。

順序として、“1”から始めて見る。
“1”の対話、即ち“独り言”だ。
私も、このところ独り言が多くなった。
TVを見ていて、つい怒る。
「馬鹿なことやってんじゃねえよ くだらねえな」
口調も、独り言だから下品になる。
チャンネルを変える。
「あれ、またコイツが出てる テレビの寄生虫め」
リモコンを押す。
「叫ぶなよ! おれはテレビの傍にいるんだぜ、全く」
またリモコンを押す。
「また食ってる。ああ、喋るのはよせっ!バカモン 汚えなあ」

独り言は罪がない。人畜無害だ。
でも、それを誰かに聞かれたら、独り言ではなくなる。
二人の対話ではないにしろ、1.5人の対話かなあ?

人が向き合って対話が生まれる。
だが、自我と自我の会話だ。
対話のチャンネルを線で表せば、二人の間を結ぶ一本の線が浮かぶ。
これが対話チャンネルだ。二人は一本の線の両端にいるのだ。
綱引きでも、棒押しでもやってくれ。
一本の線の上でね。


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