明日は天気が崩れるそうなので、今日は散策。
相鉄西谷駅から帷子川沿って鶴ケ峰まで行って帰って来ようかと西谷駅に行ったんですが、駅から出てすぐのところに駅付近からの案内図を発見!
緑の軸と言うルートです。
西谷中学校の近くを通り、川島小学校跡地の公園を通り陣が下渓谷を抜けて、西谷浄水場・日本カーリットの森を通り抜け新桜ヶ丘にある子神社、境木の丘・境木地蔵、ゴールは権太坂の英連邦墓地。
ゴールまでたどり着けるかは判りませんが、行けるところまでということで散策スタート。
西谷の駅から帷子川を学校橋で渡り、急坂を登り西谷中学校の前を通り所々に建てられている『緑の軸』の標柱を頼りに歩いて行くと川島小学校跡地の公園を抜けて杉山神社へ。
川島小学校跡の石碑の脇に建てられた川島小学校の沿革によれば明治6年7月に川島村随流院に川島学舎開設(学舎番号4番、学区川島村・上星川村)
明治8年4月15日川島学校開校(現在の川島町公園)
川島小学校から鶴ケ峯小学校、上菅田小学校、上星川小学校、くぬぎ台小学校、坂本小学校と分校・学区分割で別れて行ったそうです。
杉山神社
川島杉山神社の由来によると天文年間(1532-1555)北条氏康が上杉朝定との戦いの時、この地に陣を張った夜、日本武尊の東征の夢を見て、その加護により勝利は必定であると、ここに祠を建てて武運長久を祈ったと言われています。果たして勝利し、ただちに社殿を新築し、除地一反歩を与えて報恩の意を表したと伝えられています。
祭神は日本武尊・五十猛命
杉山神社の階段を下りて、道案内に従って歩いて行くとその先は環状2号線高架橋下に位置する陣が下渓谷です。
撮影する角度によってはそれなりに山深いところにいるような気分になれます。
整備された遊歩道を歩いて渓谷を抜け、環状2号線を越えて保育園脇を通り,
西谷浄水場のフェンスに沿って歩いて日本カーリット跡地の森へ。
宅地開発が進んでおり、横浜・星の丘ビュウシティやサンシティ横浜といったマンション群が立並んでいます。
新しく道路も造られたようで方向感覚も怪しくなり携帯電話のGPS機能を利用して場所を確認。
デジカメで撮影した緑の軸のコース(通過ポイント)も併せて確認。
新桜ヶ丘に出て、住宅街を抜けて保土ヶ谷バイパスの上に架かる橋を渡り、新桜ヶ丘団地の信号を右折して『子神社』へ。
由来は栞によれば、創建及び沿革当神社の創建に関しては、その年代が詳らかではありません。恐らくは今井の地に人々が生活をはじめた頃、村の中央の丘上に産土神として祀られたものと思われます。天和三年 (1683年) 12月28日には御社殿が再興され、文化五年 (1808年) 9月18日にも御社殿の造営が行われ、文化七年 (1810年) には石鳥居が建立されました。明治六年、村社に列せられました。現在の御社殿は、昭和51年10月16日に竣工したもので、鉄筋コンクリ-ト造、広さ四三・七坪。社殿形式は、本殿・幣殿・拝殿から出来ており、権現造風のものですが、伝統的な神社建築に現代の建築様式を採り入れた独特の御社殿。
祭神は大国主命。
境内を通り抜け参道の階段を下りて一般道へ。
横浜新道今井IC付近の高架橋の手前、金剛寺バス停近くで『右 旧東海道へ至』 『史蹟 今井城址・城山稲荷入』『左 旧鎌倉古道』と書かれた道標の板を発見。
案内の板を正面に見て右(進行方向)は確かに東海道線のガードをくぐり旧東海道へ続く道ですし、左は鎌倉古道なんでしょう。
どこか今井城址・城山稲荷に通じる道はないかと辺りを見回すと案内の板の後ろの民家と駐車場の間に細い道がありました。
少し進んで、草木で覆われた小道をのぞいて見ると鳥居らしきものが、見えたので草木や蜘蛛の巣に注意しながら確認しに行ってみました。
一応、参道と思われる道を進んで行くと手作りの石段があり、登った先には祠と今井城址について書かれた石碑がありました。
石碑に書かれた説明によると
『今井城址は室町時代初期に築城された典型的な山城で、現在にその遺構を伝えている。城は標高87メートルの尾根上に構築され、南北約300メートル、東西約200メートルの規模を示し、中腹には曲輪。南端には空堀をはさんで、守護神と伝承される城山稲荷が鎮座する。』等々。
今井城址の全体像は判りませんが、この場所が城山稲荷だそうです。
再び、道に戻り道なりに進みJR東海道線のガード下をくぐって元町の信号を左に進み旧東海道保土ヶ谷宿の案内板や標柱、モニュメントや建物を見ながら相鉄の天王町駅を目指して歩いて行きました。
保土ヶ谷駅のロータリを過ぎて一つ目の信号の角に『田中橋跡』の解説板があります。改修前の今井川が保土ヶ谷宿を横切るように流れていてこの場所に田中橋が架かっていたそうです。
信号を左に入りメイン通りと平行している細い道にコース変更。
旧東海道の道よりも前の古東海道といわれる通りになります。
古東海道と相州道が交差する地点、神明社前信号近くにある地蔵堂。
地蔵堂の右脇、交差点には正面に相州道、右側面に古東海道と彫られた石柱が建っています。
信号を渡って路地へ。
相鉄線踏切手前の交差点手前マンション脇に建てられている解説板です。
河川改修前には左の画像の停車している車から手前に『旧古町橋』が架かっており、「江戸名所図絵」の「帷子里神戸村神明宮」には古町通と帷子川に架かる橋が描かれているそうです。
天王町駅前の帷子橋のモニュメントを撮影して本日の散策は終了。
相鉄西谷駅から帷子川沿って鶴ケ峰まで行って帰って来ようかと西谷駅に行ったんですが、駅から出てすぐのところに駅付近からの案内図を発見!
緑の軸と言うルートです。
西谷中学校の近くを通り、川島小学校跡地の公園を通り陣が下渓谷を抜けて、西谷浄水場・日本カーリットの森を通り抜け新桜ヶ丘にある子神社、境木の丘・境木地蔵、ゴールは権太坂の英連邦墓地。
ゴールまでたどり着けるかは判りませんが、行けるところまでということで散策スタート。
西谷の駅から帷子川を学校橋で渡り、急坂を登り西谷中学校の前を通り所々に建てられている『緑の軸』の標柱を頼りに歩いて行くと川島小学校跡地の公園を抜けて杉山神社へ。
川島小学校跡の石碑の脇に建てられた川島小学校の沿革によれば明治6年7月に川島村随流院に川島学舎開設(学舎番号4番、学区川島村・上星川村)
明治8年4月15日川島学校開校(現在の川島町公園)
川島小学校から鶴ケ峯小学校、上菅田小学校、上星川小学校、くぬぎ台小学校、坂本小学校と分校・学区分割で別れて行ったそうです。
杉山神社
川島杉山神社の由来によると天文年間(1532-1555)北条氏康が上杉朝定との戦いの時、この地に陣を張った夜、日本武尊の東征の夢を見て、その加護により勝利は必定であると、ここに祠を建てて武運長久を祈ったと言われています。果たして勝利し、ただちに社殿を新築し、除地一反歩を与えて報恩の意を表したと伝えられています。
祭神は日本武尊・五十猛命
杉山神社の階段を下りて、道案内に従って歩いて行くとその先は環状2号線高架橋下に位置する陣が下渓谷です。
撮影する角度によってはそれなりに山深いところにいるような気分になれます。
整備された遊歩道を歩いて渓谷を抜け、環状2号線を越えて保育園脇を通り,
西谷浄水場のフェンスに沿って歩いて日本カーリット跡地の森へ。
宅地開発が進んでおり、横浜・星の丘ビュウシティやサンシティ横浜といったマンション群が立並んでいます。
新しく道路も造られたようで方向感覚も怪しくなり携帯電話のGPS機能を利用して場所を確認。
デジカメで撮影した緑の軸のコース(通過ポイント)も併せて確認。
新桜ヶ丘に出て、住宅街を抜けて保土ヶ谷バイパスの上に架かる橋を渡り、新桜ヶ丘団地の信号を右折して『子神社』へ。
由来は栞によれば、創建及び沿革当神社の創建に関しては、その年代が詳らかではありません。恐らくは今井の地に人々が生活をはじめた頃、村の中央の丘上に産土神として祀られたものと思われます。天和三年 (1683年) 12月28日には御社殿が再興され、文化五年 (1808年) 9月18日にも御社殿の造営が行われ、文化七年 (1810年) には石鳥居が建立されました。明治六年、村社に列せられました。現在の御社殿は、昭和51年10月16日に竣工したもので、鉄筋コンクリ-ト造、広さ四三・七坪。社殿形式は、本殿・幣殿・拝殿から出来ており、権現造風のものですが、伝統的な神社建築に現代の建築様式を採り入れた独特の御社殿。
祭神は大国主命。
境内を通り抜け参道の階段を下りて一般道へ。
横浜新道今井IC付近の高架橋の手前、金剛寺バス停近くで『右 旧東海道へ至』 『史蹟 今井城址・城山稲荷入』『左 旧鎌倉古道』と書かれた道標の板を発見。
案内の板を正面に見て右(進行方向)は確かに東海道線のガードをくぐり旧東海道へ続く道ですし、左は鎌倉古道なんでしょう。
どこか今井城址・城山稲荷に通じる道はないかと辺りを見回すと案内の板の後ろの民家と駐車場の間に細い道がありました。
少し進んで、草木で覆われた小道をのぞいて見ると鳥居らしきものが、見えたので草木や蜘蛛の巣に注意しながら確認しに行ってみました。
一応、参道と思われる道を進んで行くと手作りの石段があり、登った先には祠と今井城址について書かれた石碑がありました。
石碑に書かれた説明によると
『今井城址は室町時代初期に築城された典型的な山城で、現在にその遺構を伝えている。城は標高87メートルの尾根上に構築され、南北約300メートル、東西約200メートルの規模を示し、中腹には曲輪。南端には空堀をはさんで、守護神と伝承される城山稲荷が鎮座する。』等々。
今井城址の全体像は判りませんが、この場所が城山稲荷だそうです。
再び、道に戻り道なりに進みJR東海道線のガード下をくぐって元町の信号を左に進み旧東海道保土ヶ谷宿の案内板や標柱、モニュメントや建物を見ながら相鉄の天王町駅を目指して歩いて行きました。
保土ヶ谷駅のロータリを過ぎて一つ目の信号の角に『田中橋跡』の解説板があります。改修前の今井川が保土ヶ谷宿を横切るように流れていてこの場所に田中橋が架かっていたそうです。
信号を左に入りメイン通りと平行している細い道にコース変更。
旧東海道の道よりも前の古東海道といわれる通りになります。
古東海道と相州道が交差する地点、神明社前信号近くにある地蔵堂。
地蔵堂の右脇、交差点には正面に相州道、右側面に古東海道と彫られた石柱が建っています。
信号を渡って路地へ。
相鉄線踏切手前の交差点手前マンション脇に建てられている解説板です。
河川改修前には左の画像の停車している車から手前に『旧古町橋』が架かっており、「江戸名所図絵」の「帷子里神戸村神明宮」には古町通と帷子川に架かる橋が描かれているそうです。
天王町駅前の帷子橋のモニュメントを撮影して本日の散策は終了。