今年に入って、新型コロナのため外出もままならず、気づいて見れれば今年になって初めてのお寺めぐり。
電車で行って散策を兼ねて行ける所として東急東横線沿線、菊名神社へ。
電車に乗ってすぐに菊名駅の菊名神社だけでなく、その一つ先の大倉山駅近くの師岡熊野神社へ目的地を変更。
改札を出て左へ。商店街を抜けて綱島街道を目指します。
綱島街道へ出て、左へ進み熊野神社入り口の信号を右折して道なり。
しばらく歩くと右手に池があり、池の中央には水天社(弁財天)、左手の石段を登った先が熊野神社本殿。
池の名前は「いの池」といい、横浜市地域史跡の一つ。神社本殿裏に「のの池」があり、今は無くなった「ちの池」と合わせ
い・の・ちの池と呼ばれていたそうです。
参拝後、授与所で御朱印をお願いするとコロナ対策のため御朱印は書き置きを渡しているとのこと。
しばし境内を散策。
本殿裏に「のの池」と摂社・末社。
そして本殿左手にさざれ石。
一服して次の当初の目的地、菊名神社へ。
大倉駅から菊名駅へ行き、参拝しようかとも思いましたが、googleMapで調べると歩いても負担のない距離。
周りの風景を楽しみつつ歩いていくことにしました。
綱島街道に戻り、左手分かれ道手前で見かけた庚申塔と太尾妙義神社。
環状2号を渡って、しばらく住宅街の進んで行くと、民家と民家の間に不動尊の鳥居。
そして、その先に伸びる小道。
進んで行くと高台の伸びる石段。
木々に覆われ、その先は見えなかったのですが取り敢えず行ってみることに。
階段の途中右手には今は水が枯れているでしょうか、何か口から水が流れ出ていてもおかしくないような獅子が顔だけ石壁から出していました。
石段を上り切った先、草むらの先に小さな社。これが不動尊なんでしょうか、遠目に拝んで元の道へ戻りました。
多少寄り道をしつつですが、目的地の菊名神社到着。
お参りをして御朱印をお願いした後は境内散策。
御祭神以外、手水鉢の四方を支えている4体の鬼の石像が寛政年間(1789-1801)からジッと忍耐強く支えていることから「がまんさま」として親しまれているそうです。
御朱印は全部で6種類あるそうで、私の前にお願いしていた人は全部お願いしていて3,500円納めていました。
私は通常のもの、例祭バージョン、限定版の3種。
限定御朱印には説明付き。
電車で行って散策を兼ねて行ける所として東急東横線沿線、菊名神社へ。
電車に乗ってすぐに菊名駅の菊名神社だけでなく、その一つ先の大倉山駅近くの師岡熊野神社へ目的地を変更。
改札を出て左へ。商店街を抜けて綱島街道を目指します。
綱島街道へ出て、左へ進み熊野神社入り口の信号を右折して道なり。
しばらく歩くと右手に池があり、池の中央には水天社(弁財天)、左手の石段を登った先が熊野神社本殿。
池の名前は「いの池」といい、横浜市地域史跡の一つ。神社本殿裏に「のの池」があり、今は無くなった「ちの池」と合わせ
い・の・ちの池と呼ばれていたそうです。
参拝後、授与所で御朱印をお願いするとコロナ対策のため御朱印は書き置きを渡しているとのこと。
しばし境内を散策。
本殿裏に「のの池」と摂社・末社。
そして本殿左手にさざれ石。
一服して次の当初の目的地、菊名神社へ。
大倉駅から菊名駅へ行き、参拝しようかとも思いましたが、googleMapで調べると歩いても負担のない距離。
周りの風景を楽しみつつ歩いていくことにしました。
綱島街道に戻り、左手分かれ道手前で見かけた庚申塔と太尾妙義神社。
環状2号を渡って、しばらく住宅街の進んで行くと、民家と民家の間に不動尊の鳥居。
そして、その先に伸びる小道。
進んで行くと高台の伸びる石段。
木々に覆われ、その先は見えなかったのですが取り敢えず行ってみることに。
階段の途中右手には今は水が枯れているでしょうか、何か口から水が流れ出ていてもおかしくないような獅子が顔だけ石壁から出していました。
石段を上り切った先、草むらの先に小さな社。これが不動尊なんでしょうか、遠目に拝んで元の道へ戻りました。
多少寄り道をしつつですが、目的地の菊名神社到着。
お参りをして御朱印をお願いした後は境内散策。
御祭神以外、手水鉢の四方を支えている4体の鬼の石像が寛政年間(1789-1801)からジッと忍耐強く支えていることから「がまんさま」として親しまれているそうです。
御朱印は全部で6種類あるそうで、私の前にお願いしていた人は全部お願いしていて3,500円納めていました。
私は通常のもの、例祭バージョン、限定版の3種。
限定御朱印には説明付き。