タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく112

2013-02-13 23:38:39 | 
まえに、
スマトラ島沖地震と津波があったとき、
その後の被災地の人たちの生活を、
ドキュメンタリーで放映していたのを、
テレビで見たことがありました。

津波で親を失い、家も失った13才の少女が、
6才になる弟と二人きりになり、
被災後、親類たちが集まって、
なんとか建てた、ほったて小屋に、
親類の人たちと、
一緒に、暮(く)らしていた。

その13才の少女は、親もいないので、
親戚のおばさんに、迷惑(めいわく)もかけられないと思い、
6才の弟を、育てるために、
学校に行くのも、やめてしまった!
6才の弟を、ちゃんと、
育ててくれる人が、いるのなら、
ほんとうは、学校に行きたいけれど、
それも、今のところ、
無理なようだと、言っていた・・。

ボランティアで、地域の住民の
子供たちの世話をしている青年も、
その13才の少女の将来(しょうらい)を、
心配していました。

家も、お金も失(うしな)い、
ボロ小屋を、自分で立てて、
生活する人々。
その、つらく、悲惨(ひさん)な光景を見ていると、
ふと、昔、小説・新人間革命に、
描かれていた話しを、思い出しました。

新人間革命は、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
創価学会の現実にあった実話を、
忠実(ちゅうじつ)に書き記(しる)した歴史小説です。

当然、その中心に池田先生が登場するので、
池田先生の名前を「山本伸一」と変え、
あと、必要とあらば、他の登場人物も、
実際とは名前を変えたりしてはいますが、
まさに、創価学会が、何をやってきたのか、
どれだけ、世界の平和、
あるいはひとりの人間の幸せのために、
戦ってきたか、貢献(こうけん)してきたかを、
明確に、世界と歴史に残すために、
池田先生が、命がけで、書き続けている、
ドキュメンタリー小説です。

小説『新人間革命』の評価は、
創価学会員ではなくても、
世界で、高く認(みと)められています。


そのドキュメンタリー歴史小説である、
『新人間革命』のなかに、
昔、福岡市の博多港に突(つ)き出た、
埋(う)め立て地の一角にあった、
『ドカン』と呼ばれていた地域の話しが、
描かれていました。

この地域には、
大きなドカン(土管)が放置(ほうち)され、
戦災(せんさい)で家をなくした人や、職を失い、
流れてきた人などが、住み着くようになった。

そのうち、ドカンに替(か)わって、
木材やトタンを集めてきては、
掘っ立て(ほったて)小屋を、立てて、住み着くようになった。
戦後、数年後には、そんなポロ小屋で、
埋(う)め尽(つ)くされた。

治安も悪く、窃盗(せっとう)、喧嘩(けんか)、
は、日常茶飯事、流血事件も、絶(た)えなかった。
真昼間から、賭博(とばく)も行われ、
酒を密造している人もいた。
アルコール中毒、ヒロポン中毒に侵(おか)され、
禁断症状に苦しむ人も、よく見受けられた。
手配中の容疑者も、ここに逃げ込めば、
つかまらないとまで、言われた。

そんなドカン地域に、異変(いへん)が起こった。
創価学会に入会する人が、出てきたのだ。
ドカンという世から捨てられた地で、
病苦や借金苦に苦しみ、
いつ、自殺しようかと考えているような人たちが、
創価学会に入り、
ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経を、となえはじめた。

気力も生きる希望も失っていた彼らは、
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえる中で、
気力が、生きる希望が、
湧(わ)き上がってくるのを、感じた。
ますます、真剣に、
南無妙法蓮華経を、となえ、
創価学会の活動にも、真剣に参加していった。

その中で、
病気の苦しみが、少しずつ、なくなり、
いつのまにか、病苦は、消え去(さ)っていた人もいた。
また、とても、返せないと思っていた借金を、
返すことができた人もいた。
ドカン地域のみんなが、
生きる希望に、歓喜(かんき)した。

その歓喜の渦(うず)は、
どんどん、ひろがり、
最終的には、ドカン地域の四百数十世帯が、
創価学会に、入ったという。
住民登録をしない人も多く、世帯数は不明ですが、
ドカン地域の半数以上が、
創価学会の信心を、したようです。

創価学会員の増加とともに、
ドカン地域の児童の就学率も、
次第に上昇(じょうしょう)していった。
また、警察も驚嘆(きょうたん)するほど、
犯罪の数が、減(へ)っていった。

創価学会の南無妙法蓮華経の信仰は、
闇(やみ)のなかを生きてきた人々の心に、
希望の光を、そそぎ、
生きる勇気を、もたらした。


池田先生が、新人間革命の中で、言っている。

『創価学会の最大の偉業(いぎょう)は、
 苦悩する民衆のなかに、分け入り、
 現実に、そうした一人ひとりを、
 蘇生(そせい)させたことにある!』

と。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

真実の信仰は、
苦難が大きければ大きいほど、光るものだ。
苦しみが、大きい時ほど、光るものだ。
辛(つら)く、悲しみが、
大きい時ほど、輝(かがや)くものだ。

真実の信仰というものは、
どんな苦難も苦しみも悲しみも、
乗り越(こ)えていく力(ちから)が、あるからだ!

現実に苦しんでいる人に、
なぐさめなんか、きかない!
気休めの、安らぎなんて、
なんにも、ならない!
ところが、ほとんどの人が、
宗教とは、そういうものだと思っている。
単なる一事的な、なぐさめ、
一時的な、安らぎ、
それが、宗教だと、思い込(こ)んでいる。

けれど、現実に苦しんでいる人にとって、
そんなことは、「くそくらえ!!」なんだ!
現実の苦しみを解決し、
現実に希望を、もたらし、
現実に夢を、かなえていける宗教!
それでなかったら、
何の意味もない!!

そして、現実に、苦しみや苦難(くなん)を、解決し、
現実に、人々の心に希望を、もたらし、
現実に、夢を実現する力(ちから)となり、
人々に、幸せを、もたらしてきたのが、
創価学会であり、
創価学会の信仰している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


それは、
ドカン地域のような、
最も過酷(かこく)な条件におていも、
証明され、
それが真実である証拠(しょうこ)として、
創価学会は、世界192ヶ国に広がり、
また、状況は違(ちが)っても、ドカン地域と同じように、
世界の各地の創価学会員が、
幸せと勝利の証明を、今も続けている・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく104

2012-10-30 08:40:50 | 
先日、
フランスの話しを、
ちょこっと、したんですが、
それで、思い出しましたが、
少し前に、フランス革命(かくめい)を題材にした、
ディケンズの「ニ都物語」という小説を、
読みました。


ディケンズは、19世紀の作家なので、
古典(こてん)の部類に入ると思います。


この小説では、最初、
フランスの貴族たちの圧制(あっせい)に苦しむ、
民衆の姿が、描かれている。


貴族たちに、まるで、
虫ケラのように扱(あつか)われ、
簡単に、殺されていく民衆たち。

しかも、平気で行われている殺人を、
訴(うった)える手段は、民衆たちには、ない!

ただ、動物のように、耐(た)え、
下を向いて、ぼろぼろになるまで、
働かされ、死んでいくしかない!

そして、貴族たちの、
放蕩(ほうとう)の生活は、続く。


そんな中、民衆たちの、
怒りと、復讐心(ふくしゅうしん)は、
水が、沸騰(ふっとう)するように、
沸騰点を越え、
燃え盛(さか)っていく!!

そして、有名なバスティーユ監獄(かんごく)の
襲撃(しゅうげき)へと、つながっていく。


そして、フランス革命は、なされ、
有名なギロチンが、登場する。


ギロチンは、「ラ・ギョティーヌ」と、
女性の名前で、呼ばれ、
貴族たちは、不正の有無(うむ)を問わず、
殺されていった!

怒(いか)りと復讐心に燃えた民衆たちは、
フランス革命と共に、
彼らを、
凶暴(きょうぼう)な殺人者に、変えてしまった!

彼ら民衆たちは、
貴族たちが、裁判に召(め)しだされたなら、
判決(はんけつ)の有無にかかわらず、
貴族たちを、平気で、なぶり殺した!


そんな殺人の祭りが、
昼夜(ちゅうや)、続く。


想像しただけでも、ゾッとする世界だ。


そして、復讐の象徴(しょうちょう)として、
「ラ・ギョティーヌ」(ギロチン)は、
貴族たちの血を、吸(す)いつづけ、
民衆の面前で、喝采(かっさい)とともに、
血の宴会(えんかい)は、続く。


貴族たちの、人間を人間とも思わない、
残酷(ざんこく)としか言えない、
あまりにも愚(おろ)かな圧制は、
民衆たちを、殺人を楽しむような、
狂気の鬼(おに)に、変えてしまった!


しかし、それでも、
民衆たちの怒りは、
おさまらなかったに違(ちが)いない。


なぜ、ここまで、
民衆たちは、復讐の鬼神(きじん)と化(か)したのか?

民衆たちに、他の手段は、なかったのだろうか?

民衆たちの心に、
ふくれあがった怒り、悲しみ、憎しみは、
おそらく、
こうでもしなかったら、
鬱積(うっせき)して、
自分が、おかしくなっていたのかもしれない。


それほど、民衆たちの怒りは、大きかった。


ほかに、彼らにとって、
方法は、なかった。

それ以外、彼らの悲しみと怒りを、
おさえる方法は、無かったのだろう・・・。


なぜなら、そうする以外に、
彼ら民衆の心に、希望と安(やす)らぎと幸せを、
もたらす方法は、なかったと思うからです。


けれど、もし、
殺人という最も凶暴な手段(しゅだん)に出なくても、
彼ら民衆の心に、
希望と安らぎと、幸せの勝利感を、
もたらす方法があったとしたら、
彼らは、迷(まよ)わず、
そちらを、選んだに違いない!

なぜなら、殺人を犯(おか)さなくても、
彼ら民衆の心に、幸せが、もたらされるなら、
わざわざ、残酷(ざんこく)になって、
殺人を、犯す理由が、
ないからです。


現代でも、似(に)たようなことはある・・・。


問題は、最も凶暴な手段に出なくても、
民衆の心に、
希望と安らぎと、幸せの勝利感を、
本当に!もたらす方法が、
現実に、
存在(そんざい)するか?
どうかだと思う・・・。


その殺人や戦争という、
もっとも残酷な手段に訴(うった)えなくても、
民衆の一人一人の心(生命)に、
最高の幸せと、最高の希望、
最高の安らぎと勝利を、もたらす方法が、
実(じつ)は、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です!!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


『無血(むけつ)革命!』


「ラ・ギョティーヌ」(ギロチン)という、
冷酷(れいこく)な女神を、引っ張り出さなくても、
民衆の一人一人の心に、
最強の幸せと希望、
一国の王のような勝利感を、
太陽のように、カクカクと、
燃え上がらせていけるのが、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)です。


南無妙法蓮華経を、となえていくと、
ひとりひとりが、
太陽のように、自立していく!

南無妙法蓮華経を、となえていくと、
その人の生命(せいめい)は、
人間の王者と、輝(かがや)いていく!

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえていくと、
自分の中に、
大いなる希望と大いなる力(ちから)が、
あることに目覚(めざ)め、
自分自身で、
自己と人生を変革していける、
確信と歓喜(かんき)を、感じていける!!


そして、自己の宿命(しゅくめい)を変革し、
幸せを勝ち取っていける。


この生命の革命を、
創価学会では、

『人間革命(にんげんかくめい)』

と、いう!


この人間革命は、
世界中に、広がり、
世界192ヶ国の創価学会員が、
実践(じっせん)し、体験している!

そして、世界の創価学会員の心に、
ふくれあがった希望の太陽は、
今も、輝きを増し続け、
世界を、大きく、照(て)らし出している!


それが、創価学会が、
世界中に広げている、幸せの革命、
無血革命なんだと思う。


そして、この人間革命の光が、
全世界を、覆(おお)い尽(つ)くす時、
冷酷の女神「ラ・ギョティーヌ」は、

「私の出番は、なくなった!!」

と、にっこり、微笑んで、
去(さ)っていくことでしょう・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく94

2012-09-10 09:26:07 | 
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の御書に、

『三沢抄(みさわしょう)』

という、
御書(ごしょ)があります。


御書(ごしょ)というのは、
日蓮大聖人が書かれた手紙や論文(ろんぶん)を、
すべて、集めたものです。

御書には、
ひとつひとつ、書かれた内容によって、
何々抄(しょう)とか、何々論(ろん)とかいった感じに、
名前が、ついています。

その何々抄とか、何々論とか、
名前がついた御書の、
ほんの一部分を学ぶだけでも、
人生において、
勝利し、幸せになっていくための、
大きな指針(ししん)と、大きな確信を、
与(あた)えてくれます。


その御書のほんの一部分ではあるけれど、
三沢抄という御書の一節(いっせつ)に、
こうあります。


『この法門、出現せば、
正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)に、
論師・人師の、申せし法門は、
皆、日、出(い)でて後の光、
巧匠(たくみ)の後の拙(つたな)きを
知るなるべし、

この時には、
正像の寺堂の仏像・僧等の霊験(れいけん)は
皆、消え失せて、
ただ、この大法のみ、
一閻浮提(いちえんぶだい)に、
流布(るふ)すべしとみえて候(そうろう)。』

です。


正法(正法時代)とは、
仏(ほとけ/釈尊[しゃくそん]/ブッダ)の教えが、
正しく行われる時期(じき)で、
釈尊が死んでから、
1千年の間を、いいます。

像法(像法時代)とは、
仏教が、形骸化(けいがいか)して、
形だけ残って、
正しい教えが、失われていく時期で、
釈尊が死んでから、
1千年後から2千年の間の時代を、
いいます。

そして、
釈尊が、死んでから、
2千年以後を、
「末法(まっぽう)」といって、
仏教が、完全に、
滅(ほろ)び去(さ)ってしまった時代です。


だから、現代は、
『末法(まっぽう)』の時代です。


一閻浮提(いちえんぶだい)とは、
全世界という意味です。

通解(つうかい)すると、

「この法門(ほうもん)が出現するならば、
正法時代や像法時代に、
論師や人師が、説いた法門は、
みな、日が出た後の光のようなものであり、
名匠(めいしょう)が出た後に、
拙(つたな)さが、わかるようなものとなろう。

この時は、
正法時代や像法時代の寺堂の仏像や、
僧等の利益(りえき)は、
みな消えうせて、
ただ、この大法だけが、
全世界に流布(るふ)するであろうと、
説かれている。」


この大法というのは、
日蓮大聖人の
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
のことで、
釈尊の仏教が、
滅(ほろ)び去った末法の時代では(現代のこと)、
この「南無妙法蓮華経」以外には、
現実の人間を幸せにでき、
本当に結果がでる、
力(ちから)のある法(ほう)は、
ありません。


また、正法時代や像法時代の
寺堂の仏像や、僧等というのは、
日本に、はびこっている、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光仏教のことで、
それらは、すでに、
滅(ほろ)び去ったもので、
なんの功徳(くどく)も力も効力も、
ありません!

かえって、末法という現代の時代では、
それらの葬式仏教や観光仏教は、
人々を不幸にする、
マイナスの存在(そんざい)です。

また、神社(じんじゃ)信仰にしても同じで、
人々を不幸にする原因(げんいん)にしかなりません。


よく、世間では、
あそこは、縁切(えんき)りの神様だとか、
あそこは、安産の神様だとか、
あそこは、受験に効(き)くとか、
縁結(えんむす)びは、あそこの神様だとか、
あそこは、交通安全の神様だとか、
ひとつ、ひとつ、
ぜ~~んぶ!違(ちが)っている。

それを、いちいち、
全部、行っていたら、
大変なことに、なってしまう。

けれど、これらは、
さきほども言ったように、
正法時代、像法時代の産物(さんぶつ)なので、
なんの効力(こうりょく)もなく、
全部、デタラメです。


かえって、
全部、デタラメですから、
人生を、デタラメにする結果(けっか)になり、
人々を、
不幸に、してしまいます。


ところが、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
末法(現代)の大法でる、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰は、

病気の時も、
南無妙法蓮華経を、となえればいい!

経済苦(けいざいく)の時も、
南無妙法蓮華経を、となえればいい!

家庭不和(かていふわ)の時も、
南無妙法蓮華経を、となえる!

人間関係で悩んでいる時も、
南無妙法蓮華経!

安産(あんざん)を願うときも、
受験の合格を願(ねが)う時も、
さまざまな夢を、かなえるためにも、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)!!!


すべて、

『ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえればいい!』

のであって、
他は、まったく、いらないんです!


世界中のだれであろうとも、
いつもで、どこでも、
南無妙法蓮華経を、となえる!!


ただ、それだけでいい・・!!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

ほんとうは、
こんなスゴイ法(ほう)、
こんなズコイ信仰(しんこう)は、ないのですが、
あんまり、オイシイから、
信じられない・・。

オイシイ話しは、信じるな!と、
教えられていますし・・・笑


また、
万能調理機(ばんのうちょうりき)ほど、
使えないものは、ない!と、
言います。

だから、
どんなことにでも、効(き)くというか?
どんな悩みや希望にも、
対応(たいおう)してくれる、
この、創価学会の、
南無妙法蓮華経の信仰が、
信(しん)じられないんです。


南無妙法蓮華経が、なぜ?
どんな悩み、願い、希望にも、
対応できるかと、いうと、

それは、南無妙法蓮華経が、

『人間の根本の(根源[こんげん]の)生命を、
幸せに変革(へんかく)する』
からです。


「生命(せいめい)を、幸せに変革する」
ことは、
人間の人生において、
あらゆる分野(ぶんや)に、
影響(えいきょう)を、およぼします。


たとえば、
肉体(身体)を、自分の生命を、
強く健康に、変革する。

自分の心を、
負けない強い強い心に、変革する。

愛する力を、強く強く変革する。

夢を、かなえる力を、
強く強く、強靭(きょうじん)に、変革する。

家族を大切にし、世界を大切にする心を、
強く強く、変革する!

悪を許(ゆる)さない心を、
強く強靭(きょうじん)に変革する。

人生を左右する「運(うん)」を、
自分に、引っ張(ひっぱ)り込み、
「運」を、
強い強い「強運」に、変革する。

惰性(だせい)や怠惰(たいだ)、
不摂生(ふせっせい)を改善(かいぜん)し、
自分を、しっかりと制御(せいぎょ)し
律(りっ)することのできる自分に、
変革する。

勇気を出せる自分に、変革する。

夢を、かなえるために、
行動し、前進する、
挑戦(ちょうせん)する力を、
もっともっと、強いものに、変革する。

願いを、かなえる一念(いちねん/こころ)を、
強く強く、強靭(きょうじん)に、
変革する。

自分勝手な心から、
人を思いやれる、
おおらかで、大きな心に、変革する。

宿命(しゅくめい)に流され負けてしまう自分から、
宿命を打ち破(やぶ)る自分に、
変革する。


これらは、すべて、

『人間の根本の(根源の)生命を、幸せに変革する』

ということに、
あたると思います。


そして、
自分の生命が、幸せに変わっていけば、
やがて、
まわりの人たちや、環境(かんきょう)、世界も、
幸せに、変わっていきます。


自分の生命が、幸せに変革されると、
それは、まわりにも影響を与え、
まわりの、
もう一人の人の生命(せいめい)を、
幸せに、変革していくことに、
なっていきます。


一人から二人、
二人から三人へ、
それは、自分のまわりの人たち、
環境、世界を、
幸せに変革していくことに、なり、
やがて、全世界を、
幸せに変革していくことに、
つながっていきます。


これが、仏法(ぶっぽう)であり、
これが、生命の法則(ほうそく)です。


だから、南無妙法蓮華経は、
あらゆる人の、
悩み、願い、希望に対応し、
一人一人の願いを、かなえていくことが、
できる!!


それが、
『人間の根本の生命を、幸せに変革する!』
と、いうことだと思います。


そして、さきほども話したように、
人間の根本の生命を、幸せに変革していけば、
あらゆる悩みが、解決し、
努力しだいでは、
あらゆる夢が、かなうのは、
自明(じめい)の理(り)かもしれません。


自分の中の根本の生命を、
太陽のように輝(かがや)かせ、変革する!


それが、創価学会が実践(じっせん)している、
末法(現代)の時代の、
『太陽の仏法(ぶっぽう)』、

『南無妙法蓮華経』なんだと、
思います。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく65

2012-03-22 06:47:12 | 
ユネスコが編纂(へんさん)した、
『語録(ごろく)  人間の権利』
という書物があります。

この「語録  人間の権利」は、
紀元前(きげんぜん)6、7世紀から
21世紀にいたるまでの、
名だたる偉人たちの
人間の権利(けんり)に関する
名言(めいげん)を集めたものです。


その書物の中に、

『権力の限界の章(しょう)』

という項目(こうもく)があります。


その中で、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の言葉が、
引用されているそうです。

それは、こうです。

『王地(おうち)に生まれたれば、
身をば随(したが)えられ たてまつるやうなりとも、
心をば、随(したが)えられ たてまつるべからず!』

その国に生まれた以上、
身は、その国の権力に、
したがえらているようだけれど、
心までは、
したがえることは、できない!!

という意味です。


これは、当時(とうじ)、
日蓮大聖人が、
鎌倉幕府の最高権力者であった
平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)に呼び出され、
対峙(たいじ)したときに、
日蓮大聖人が、言った言葉です。


当時、日蓮大聖人は、
権力と結託(けったく)した、
民衆を奴隷(どれい)にするような宗教に、
真っ向から、対決し、
民衆を、真に自立させ、
民衆に、真に幸せを、もたらす、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法(ぶっぽう)を、広めていた。

そのため、権力の崩壊(ほうかい)を恐れる、
エセ宗教家たちが、
権力者と結託(けったく)して、
日蓮大聖人を、亡(な)き者にしようと、
命に及(およ)ぶ、
さまざまな迫害(はくがい)を、加えてきた。

そして、日蓮大聖人は、
無実の罪で、
佐渡の地に流罪(るざい)された。

けれど、
日蓮大聖人の予言(よげん)したとおりに、
「北条時輔(ほうじょうときすけ)の乱」
という内乱が起こり、
これも、日蓮大聖人の予言どおり、
蒙古(もうこ)が襲来(しゅうらい)して、
海外から、
日本は、攻(せ)められた。

日蓮大聖人の予言が、
見事に的中(てきちゅう)したため、
時の権力者、平左衛門尉は、
恐(こわ)くなって、
流罪の地、佐渡から、
日蓮大聖人を鎌倉に連れ戻(もど)し、
日蓮大聖人は、
平左衛門尉と対面(たいめん)することになる。

その時に、
日蓮大聖人が、
言い放(はな)った言葉が、
上にあげた、

『王地(おうち)に生まれたれば、
身をば随(したが)えられ たてまつるやうなりとも、
心をば、随(したが)えられ たてまつるべからず!』

です。


烈々(れつれつ)たる気迫(きはく)が、
心に伝(つた)わってくるような言葉です。

スゴイと思う。


まさに、人間としての、
真骨頂(しんこっちょう)を、感じる。


すなわち、これが、
権力の限界(げんかい)だということだと思う。



権力には、限界がある・・・。

それは、人間が、
権力では抑(おさ)えることのできない、
とてつもない『何か』を、
持っている!!
ことを意味します。


人間には、
権力を、はるかに超(こ)えた力が、ある!


その力(ちから)が、
日蓮大聖人の生命には、
脈々(みゃくみゃく)と、みなぎり、
あふれんばかりに、
湧(わ)き上がっていた!

また、それは、
日蓮大聖人だけでなく、
すべての人間に共通のものであり、
共通の欲求(よっきゅう)であり、
すべての人が欲(ほっ)し、望んでいる、
抑えることのできない、
人間としての誇(ほこ)りであり、
「生命の欲求」だと思う。


だから、言うことができる。


「権力を超えた、生命の力は、
ぼくたち、すべての人間の中に、
脈(みゃく)打っている!」


・・と。


問題は、

その、権力を超えた、生命の力とは、
何か?

ということです。


実(じつ)は、その、
権力をも超えた、最強の生命、
どんな圧力(あつりょく)をも、
乗り越えることができる、
最強にして最高の生命のことを、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』

と、言うんです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


この『南無妙法蓮華経』の生命は、
すべての人間の中にある。


仮(かり)に、
「私には、そんな生命はない」
と言う人がいたとしても、
その人の中にも、
必ず!!
その「南無妙法蓮華経」という生命が、
あります。

その「南無妙法蓮華経」という
生命があるということは、
すべての人が、
権力をも超えた最強の生命を、
持っている!
ということです。

だから、ぼくたち、
創価学会(そうかがっかい)の人々が、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
自分の中から、
どんな困難(こんなん)、
どんな圧力にも屈(くっ)しない、
その、最強の生命が、
ドクンドクンと、脈を打って、
湧(わ)き上がってくる!

それは、人間が、最も恐れる、
『不幸』という運命の力(ちから)さえも、
みごとに、打ち破り、
すなわち、『幸せ』という勝利の姿を、
現実に、
示(しめ)すことになっていく!


それが、
権力(けんりょく)をも、
運命をも超えた、
最強の生命の力だと思う。


ここに、創価学会の素晴(すば)らしさ、
また、南無妙法蓮華経を、となえて生きる
素晴らしさが、あり、
創価学会の人々が、
どんな困難、
どんな不幸にも屈(くっ)せず、
幸せを勝ち取っていける理由がある。


すなわち、
南無妙法蓮華経は、
南無妙法蓮華経を、となえることは、
宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)する力となり、
悩みを克服(こくふく)する力となり、
夢や希望を、かなえていく力(ちから)となって、
世界中の創価学会の人々に、
勝利と、幸せを、
もたらしている・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく64

2012-03-17 11:47:51 | 
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の、
有名な御書(ごしょ)の中のひとつに、
(御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
論文や手紙を、すべて集めたものです)
『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』
という、御書が、あります。


『旅客、来たりて嘆(なげ)いて曰く(いわく)。

近年より近日に至るまで、
天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきよう)
・あまねく天下に満(み)ち広く地上に、はびこる。

牛馬、ちまたに、たおれ、
骸骨(がいこつ)、路(みち)に充(み)てり、
死を招(まね)くの輩(ともがら)
すでに大半を超(こ)えて、悲しまざるのやから、
あえて、一人も無し。』


という書き出しで始まる立正安国論ですが、
当時の日本の状況(じょうきょう)が、
どれだけ、ひどかったか、
よく、伝わってくると思います。


時代は変わっても、
現代でも、
似(に)たようなことは、あると思います。


そして、その結論(けつろん)として、
日蓮大聖人が、言っていることは、


この世の中に、はびこる不幸の根源(こんげん)は、
『間違(まちが)った宗教・思想にある!』


と、断言(だんげん)しています。


現代で言えば、
いろいろ、あると思いますが、
自分に関係あること以外は、
興味を示(しめ)さない、
「無関心主義(むかんしんしゅぎ)」

これも、一種の「無関心教」という、
宗教と、いえると思う。


宗教とは、人間が生きていく上で、
信じているもの、
よりどころとしているものです。


何も、信じないで、
生きている人は、いません。


たとえば、水、
水が、飲んでも大丈夫(だいじょうぶ)だと、
信じているから、
飲むわけで、それを、信じていなかったら、
飲みません!

このように、人間の行動は、
信じるということなしには、成(な)り立ちません。


同じように、
「哲学(てつがく)を持たない」
生きていく上での、確固(かっこ)たる信念を持たない、
「哲学を持たない」という宗教は、
「哲学無し教」「信念(しんねん)無し教」
と、言えるかも、しれない。


あるいは、権力(けんりょく)やお金、物質にしか、
興味(きょうみ)を持たないのは、
「お金・権力・物質主義教」
と、言えるかも、しれない。


あるいは、生命(せいめい)を軽視(けいし)するのは、
「生命軽視教」
と、言えるかもしれない。


なぜならば、
そういうことを、生きる、よりどころと
しているということは、
そういうことを、信じているからだと、
言えるからです。


このように、日蓮大聖人は、
間違った宗教・思想が、
世界に、はびこる不幸の根源だと、
断言しています。


では、どうしたら、
その不幸を、打ち破(やぶ)り、
幸せになっていくことが、できるのか?


日蓮大聖人は、それには、
「本当に正しい宗教」
本当に、力(ちから)のある、
現実の人間と世界を、変えることのできる、

『真実の仏法(ぶっぽう)』によるほか、ない!

と、言っています。


「真実の仏法」とは、
日蓮大聖人の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法(ぶっぽう)のことですが、
ようするに、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
日々、ご本尊(ほんぞん)に
南無妙法蓮華経をとなえていますが、
その、
「南無妙法蓮華経をとなえて祈る信仰(しんこう)」が、
『真実の仏法』だということです。

だから、
その創価学会の人たちが実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経を、となえて祈る
仏法(ぶっぽう)の信仰以外、
さまざまな不幸・・、
あらゆる不幸を、
「本当の意味」で、打ち破り、
幸せになっていく道は、ない!!
ということです。


それが、日蓮大聖人の結論であり、
メッセージです。


創価学会の初代会長である、
牧口常三郎先生は、
戦時中、間違った宗教である
国家神道(こっかしんとう)の「神札」を
受けることを、拒否しました。

そのため、軍部権力によって、
投獄(とうごく)されます。

牧口初代会長は、
獄中での訊問(じんもん)でも、
立正安国論の経文(きょうもん)を引いて、

「この法(日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法)が、
国内から衰亡(すいぼう)するのを見捨て置(お)いたならば、
やがて、国には、
内乱・飢饉(ききん)・疫病(えきびょう)等の、
災禍(さいか)が起きて、
滅亡(めつぼう)するに、いたるであろう。」

と、訴(うった)えています。

また、

「法華経(ほけきょう/南無妙法蓮華経のこと)の法(ほう)は、
宇宙根本の大法(たいほう)でありまして、
過去・現在・未来の三世を通じて
絶対不変万古不易(ぜったいふへんばんこふえき)の
大法であります。・・・・・・・・

ゆえに、この大法に反(はん)する事は、
人類としても、
また、国家としても、
許(ゆる)されない事で、
反すれば、
直ちに法罰(ほうばつ)を受けるのであります。」

と、述(の)べています。


軍部権力の訊問(じんもん)に対しても、
これだけ、堂々(どうどう)と、
言い切るのもスゴイと思いますが、
仏法の法則(ほうそく)というのは、
実は、宇宙の法則なので、
それだけ、厳格(げんかく)で、
間違いがない!
と、いうことです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

国家神道という間違った宗教を、
国民に強要(きょうよう)し、
精神的支柱(しちゅう)に置いた
日本の軍部権力は、
結局(けっきょく)、
牧口先生を投獄し、獄死させた。

そして、戦争によって、
国民に、塗炭(とたん)の苦しみを、なめさせ、
日本は、敗北しました。

また、牧口先生を獄死させた軍国日本は、
文化の大恩(だいおん)ある
中国、韓・朝鮮半島を侵略(しんりゃく)し、
アジアの民(たみ)を
不幸の、どん底に、落とし入れた!


間違った思想、宗教が、
どれだけ、恐(おそ)ろしいか!!


ということだと、思う。


仏法というのは、
ひとつの宗派(しゅうは)や、
かたよった、ひとつの考え方では、
決してない!

人間としての、
当然(とうぜん)の道理(どうり)、
宇宙のリズムであり、
生命の当然の法則、
それが、仏法(ぶっぽう)です。

だから、この仏法の法則に、
逆(さか)らった生き方は、
必ず、不幸になります。

これは、
一人の人間としても、
国家としても、
世界としても、
宇宙としても、
同じです。

仏法の法則というのは、
それだけ、広大(こうだい)であり、
また、逆(ぎゃく)に、
どんな小さなことにも、かかわっている、
大切な法則であり、
生きていく上でも、宇宙から見ても、
大切なリズムです。


だから、この仏法の法則に反して、
幸せになることは、
絶対に、ありえません。


そのことを、ありのままに話し、
ありのままに、実践しているのが、
創価学会の人たちです。

ようするに、人間として当然のことを、
だれよりも、一生懸命(いっしょうけんめい)、
やっているのが、
創価学会の人たちです。

だから、幸せになるんです。

宇宙の法則から見ても、
生命の法則から見ても、
当然(とうぜん)正しいことを、
創価学会の人たちは、
ありのままに、
真っ直(まっす)ぐに実践している。

それゆえに、当然、
幸せになるわけです。

もっとも、
それを可能にするのは、
宇宙のリズムであり、
宇宙の法則である、
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰』
が、あるからです。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法の信仰とは、
当然のごとく、
必ず幸せになる法則です。

宇宙のリズム、法則通りに、
必ず、当然のごとく、
勝利していける法則です。


それが、
『南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰』です。


だから、当然、
南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、
あらゆる悩みを解決していけ、
無限の生命力を湧(わ)き上がらせながら、
困難(こんなん)を乗り越え、
夢や希望に向かって、
進むべき、
最高の道を進んでいけるようになります。


それが、
宇宙の法則であり、生命の法則だからです。


だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
生命のリズムにも、宇宙のリズムにも、
完全に合致(がっち)した生き方、行動が、
なぜだか、
できるようになっていくんです。

そして、それは、
その人に、
人間としての最高の行動を、もたらすことになり、
人間として最高の行動が、もたらされたならば、
当然、人間として、
最高の幸せを、つかめる!
と、いうことです。


それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
と、いうことだと思い、
また、創価学会が、世界192ヶ国に、
広がっている理由のひとつではないか、と思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・