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タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく46

2011-12-18 12:45:17 | 
まえに、聖教(せいきょう)新聞の
「わが友に贈(おく)る」に、
こう、書いてありました。
(わが友に贈る、は、池田先生
[創価学会インターナショナル会長]が
毎日、新聞に、のせてくれている短い
4・5行のメッセージです)


『幸福の軌道(きどう)は、
 
すべて御書(ごしょ)にある!』



『幸福の軌道は、
すべて、御書にある!』

スゴク、心に残(のこ)った。

御書(ごしょ)というのは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が
書かれた論文や手紙を
すべて集めたものなんだけれど、
その中に、

『幸福の軌道のすべてが、ある!』

ということだ・・・。


なぜだろう?


本を読むのが好きな人は、
だいだい、心の支(ささ)えのように
思っている本が、あったりする人が多い。

それは、その本を読むと、
元気になる。
勇気がわく。
希望が、出てくる。
自分の励(はげ)みになる等が、あげらける。

しかし、『幸せの軌道のすべてがある!』
と、言い切れる書物が、あるだろうか?


それが、『御書(ごしょ)』だという。


日蓮大聖人は、
貧(まず)しい漁民の子として生まれたが、
子供のころから、お寺なので、
勉学に励(はげ)んだ。

当時(とうじ)は、
お寺や寺院は学校のようなもので、
一流の寺院は、
現代の大学に等(ひと)しかった。

日蓮大聖人は、超優秀な子供で、
とんとん拍子(びょうし)に学位を取得(しゅとく)し、
なんと、17才で、
仏教の総本山といえる比叡山(ひえいざん)で、
今でいう教授(きょうじゅ)になっている。

現代的に言えば、天才的な頭脳(ずのう)を
持っていたんだと思う。


しかも、日蓮大聖人には、誓(ちか)いがあった。


それは、
全民衆を、不幸から救いたい!
はるか未来にまでわたる、
全民衆を、幸せにしたい!!


ということだった。

そして、日蓮大聖人は、
とうとう、自らの生命で、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)である
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
悟(さと)っていく!


この時点で、日蓮大聖人は、躊躇(ちゅうちょ)した。


「もし、自分が悟った
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)、
南無妙法蓮華経を、人々に説いたならば、
想像を絶(ぜっ)する迫害(はくがい)にあうであろう!」


なぜなら、当時の宗教というものは、
自分の権力(けんりょく)を思うがままに
あやつるための道具にしかすぎず、
権力者にとっては、
民衆を、自分たちの奴隷(どれい)にする、
かっこうの材料であり、
隠(かく)れみのだったからです。

もし、真実の仏法(ぶっぽう)である
南無妙法蓮華経を広められてしまったら、
自分たちの私腹(しふく)を、こやすための宗教が
否定(ひてい)されてしまい、
商売、あがったりとなり、
とんでもない!

だから、日蓮大聖人を亡(な)き者にしようと、
徹底的(てっていてき)に迫害してくるのは、
目に見えていた。


だが、
この南無妙法蓮華経を説(と)かなかったら、
不幸に、あえいでいる人々を、
救うことはできない!

だったら、説くべきだ。


けれど、迫害に負けて、
途中で降参(こうさん)するようだったら、
最初から、説かないほうがいい!

その、とてつもない葛藤(かっとう)の中で、
日蓮大聖人は、すべての民衆のため、
もっと言えば、未来の全世界の民衆のために、
究極(きゅうきょく)の法(ほう)である
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』を、
説こうと、決断する!


そして、予想(よそう)どおり、
とてつもない命に及(およ)ぶ、迫害を受けながらも、
全民衆のために残されたのが、
この『御書(ごしょ)』だと、
考えていいと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

御書は、
人が、普通、本に期待(きたい)する、
その本を読むと元気になる。
勇気がわく。希望が出てくる。
励(はげ)みになるというレベルでは、
ないと思う。

最高の哲学(てつがく)と、
最高の幸せの法則(ほうそく)を、
生命に刻(きざ)むことのできる書物、


それが、御書(ごしょ)なのだろうか!


御書には、すごく、わかりやすい部分もあるけれど、
すごく、難(むずか)しい部分もある。

日蓮大聖人は、手紙を送った相手によって、
頭の良い人には、難しい内容を、
なもない庶民(しょみん)には、ほんとうに、
わかりやすい内容を、
というように、
自由自在(じゆうじざい)に、
表現を変えている。


創価学会(そうかがっかい)では、
よく、「御書根本」とか、
「御書を、心肝(しんかん)に染(そ)める」
とか言う。

それは、御書が、
自分の人生を、幸せに導(みちび)いてくれる!
あるいは、
自分の人生を、
勝利してゆくための鉄則(てっそく)が、
御書に、すべて、ふくまれている!

ということだと思う。


けれど、御書は、難しい・・・。
だって、古文(こぶん)で書いてあるから・・・


現代では、
創価学会の機関紙(きかんし)である聖教新聞や、
月刊誌『大百蓮華(だいびゃくれんげ)』などで、
御書の一部分を抜粋(ばっすい)して、
現代語に訳(やく)して解説してくれているけれど、
それにしても、御書は、
理屈(りくつ)で理解しようとするには、
やはり、
限界(げんかい)がある。

どういうことかというと、
本当の意味では、
御書を理屈で理解しようとしても、
それだけでは、

『自分の人生を幸せにすることは、できない!』

ということです。


御書が、人々の夢や希望を、かなえ、
幸せに導(みちび)く手立(てだ)てとなるのは、
なぜかというと、
それは、自ら、南無妙法蓮華経を、となえて、
仏法の実践(じっせん)をするなかで、
その実践の中で、自分の生命で、
御書の内容を、感じとっていくからだと思う。


御書を、
現実の人生の、
幸せを切り開くための書物にするためには、
やはり、自分で、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を
実践するしかないということです。


それ以外、
『御書』を、
『幸せ』 『人生の勝利』に
直結(ちょっけつ)させていく方法は、
ないでしょう・・・。


ともかく・・・
それにしても言えることは、
人間の、幸福への軌道を、
あますことなく、明確(めいかく)に、
表現しきっている書物は、
『御書(ごしょ)』しかない!

ということだと、思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく17

2011-08-12 07:46:58 | 
前に、
ルネサンス時代の詩人である、
ダンテの古典、
『神曲(しんきょく)』を、読んだ。

聖教(せいきょう)新聞に、ダンテの話しがのっていて、
それで、興味(きょうみ)をもって、
読んだんだけれど、
地獄篇(へん)、煉獄篇(れんごくへん)、天国篇の三部からなっていて、
地獄篇、煉獄篇(れんごくへん)は、
映画みたいなイメージがあって、おもしろいんだけれど、
天国篇(へん)は、まったく、わけがわからなくて、
難(むずか)しかったです。

ダンテ自身も、天国篇の前書きで、
「天国篇は、地獄篇、煉獄篇とは違(ちが)い、
難解(なんかい)きわまりないので、
その難解さに、ついていけない人は、
読むのを、やめたほうがいい!」
と、自分で、言っていたので、
よく、わからなくて当然(とうぜん)かもしれない。

天国篇となると、まったく、
空想に頼(たよ)らざるえないので、
きっと、ダンテも、よく、
わかっていなかったのではなかろうか・・・・?
(ダンテ先生、失礼いたしました・・・!)


それは、ともかく、
ダンテは、
ルネサンス時代の偉大(いだい)な詩人だった。

ダンテは、最愛の女性の死、
そして、祖国からの不当な追放(ついほう)という、
二つの大きな失望を、味(あじ)わいながらも、
その中から、この有名な古典『神曲』を、
つくりだしていったと、いうことだ。

まえに、聖教新聞に書いてあったけれど、
ダンテは、自(みずか)らの私的な不幸を、
世界の多くの人々の希望へと、
転換(てんかん)していったと、いう。

失(うしな)うことは、
あまりにも、つらいし、
残酷(ざんこく)だ!

けれど、


『失うことは、ゼロではない!』


たとえ、あまりにも大切なものを失ったとしても、
人間は、そのマイナスをプラスに転換する力を、
持っているということだと、
思う。


人間が本来、持っているエネルギーというのは、
スゴイんだと、思う!

けれど、ダンテのような精神の持ち主なら
ともかく、普通は、失ったマイナスを
プラスに転換してゆくのは、
なかなか、難しいし、
それには、物凄(ものすご)いパワーが、
必要だと思う・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

仏法(ぶっぽう)では、
『変毒為薬(へんどくいやく)』という法則が、
説かれています。

読み下(くだ)すと、
「毒を変じて、薬となす」と読むんですが、
人生における、さまざまな苦難、災難、苦悩を、
逆(ぎゃく)に、薬に変えていくという意味です。

さっきも言いましたが、
苦難や災難、苦悩は、
それはそれは、辛(つら)いし、悲しいし、
それを乗り越(こ)えていくには、
物凄いエネルギーが必要です。

どう考えても、
『辛すぎる!!』
と、言っていい。

けれど、仏法(ぶっぽう)では、
その苦難を、
乗り越えていく法則(ほうそく)が、
説かれている!

ということは、仏法には・・・、
創価学会(そうかがっかい)が実践している
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法には、
どんな苦難も、乗り越えられる、
ものすごいパワーとエネルギーが、
ある!と、いうことだ。


人間には、苦難を乗り越える、
素晴(すば)らしい生命力が、ある!!


たしかに、それは、あるんだけれど、
その素晴らしい生命力を、
どうやって?出したらいいのか?
そのことが、わからないし、
知らない人が、多いと思う。

実は、その方法を、
だれでも、簡単にできるようにしたのが、
仏法(ぶっぽう)であり、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
「南無妙法蓮華経」の信仰なんです。


人間には、どんな苦難も、乗り越(こ)えられる、
すごいパワーと、エネルギー!生命力が、ある!


その根本の生命力!
どんな苦難や悲しみ、悩みも、乗り越えていける、
強力なエネルギー、強い強い生命力!

その強力なエネルギー、
あらゆる苦難を乗り越えていける生命力のことを、
『南無妙法蓮華経』と言うんだと思う。

そして、
その強力なエネルギー、生命力を、引き出す方法が、

『南無妙法蓮華経を、となえる!』

と、いうことです。


単純に言うと、
創価学会の人たちは、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』ということを、
知っているし、実践(じっせん)している!!

だから、創価学会の人たちは、
さまざまな苦難にも負けないで、変毒為薬して、
幸せを、つかんでいけるんだと思う・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく4

2011-06-18 21:12:21 | 
創価学会(そうかがっかい)では、 
御書(ごしょ)学習会というのが、
あります。 

御書とは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書かれた、 
論文とか手紙をすべて集めたものを、 
いいます。

「御書(ごしょ)」というのは、
めちゃめちゃ、分厚(ぶあつ)い書物で、 
しかも、文字が細かくて、 
しかも、文章は、古文(こぶん)です。 
だから、普通に読んでも、なかなかわからない! 

だから、普通は、
御書を、直接、持ってきて学ぶというより、 
創価学会の雑誌や新聞で、
一部分をとりあげて、
その部分を、現代文に通解(つうかい)して、 
少しの部分を、そのつど、そのつど、 
学んでいきます。 

確かに、難(むずか)しいけれど、 
御書は、日蓮大聖人が、 
未来のすべての民衆を、幸せにするために
残されたものなので、
学んでいくと、 ものすごく深くて、
人生の上でも、 
信仰の上でも、
大切な糧(かて)になることが、 
たくさん!たくさん!、つまっています。 

ようするに、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)が、
つまっています。 

だから、御書は、 
ほんの数行だけ、学んだだけでも、 
講義(こうぎ)する人は、それだけでも、 
長い講義を、ついやすことにもなるし、 
また、それだけの価値(かち)があります。 

だから、 
幸せになっていくために、
人生を、勝利するために、
信心を、強く、深くしていくために、 
御書を、学んでいきます。 


ある時の御書講義で、 
講義してくれた人が、 
南無妙法蓮華経を、となえないと、 
「宿命転換(しゅくめいてんかん)」できない!って、
言っていました。

宿命転換とは、自分のさまざまな宿命、 
自分の存在そのものが持っている、 
喜びとか、悲しみとか、
運命とか、境遇(きょうぐう)など、 
自分の生きていること、そのものを形成している、 
どうにもならない生命のゆがみや癖(くせ)など、 
そして、それによって人生に引き起こる、 
さまざまな出来事や、そのことによって、 
できあがってくる環境(かんきょう)などを、
自分の生命の根本から変革(へんかく)することによって、 
自分自身も、
その世界も、幸せにしていくことだと、 
思います。


説明が長くなったけれど、
御書を、講義してくれた人が、 
南無妙法蓮華経を、となえないと、 
『宿命転換(しゅくめいてんかん)できない!』って、 
言った・・・。


これは、決定的なことだと思う!!
今、幸せの人も、いるだろうし、 
幸せでない人もいる。 
順調(じゅんちょう)な楽しい人生を、
おくっている人もいれば、 
それこそ、悲嘆(ひたん)にくれ、 
地獄(じごく)のような苦しい思いを
している人もいる。 

けれど、どっちにしろ、
南無妙法蓮華経を、となえないと、
宿命転換は、できない!
ようするに、南無妙法蓮華経を、となえないと、 
いくら、表面的なことを、いろいろ、やってみても、 
根本的(こんぽんてき)に解決することは、できない! 
ということだと思う。 


たぶん、南無妙法蓮華経とは、 
人生を開く鍵(カギ)なんだと思う! 


外に大きな世界が、広がっていたとしても、 
ドアを開けるカギが、なかったら、 
外に出ることは、できない! 
その、決定的な存在が、 
『南無妙法蓮華経』なんだと思う。 


『南無妙法蓮華経を、となえないと、 
宿命転換は、できない!』 


確かに、そうだとは、思うけれど、 
わかってはいるけど、 
南無妙法蓮華経って、 
なかなか、となえられない!

だいたい、日々、仕事で、 
疲れ果(は)ててるし、その中で、 
南無妙法蓮華経を、 
たくさん、となえるのは、 
大変だ! 


でも、
『南無妙法蓮華経を、
となえないと、宿命転換できない!』の、 
ひとことが、こころに、ささったので、 
それからは、仕事をしている時でも、 
頭が、空(あ)いている時は、 
こころの中で、南無妙法蓮華経を、 
となえるように、しています。 


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

宿命って、なんだろう? 
生まれた時から、背負(せお)わされて、 
持っているもの? 
それが、良い宿命だったら、いいけれど、 
「なんで、自分が、こんな目に!」みたいな、 
悪い宿命は、たしかに、きつい!! 
確かに、そういう宿命は、 
超(こ)えたり、打ち破るのは、困難だと思う! 


じゃあ、南無妙法蓮華経を、となえると、 
どうして、宿命を、打ち破(やぶ)ることが
できるんだろう? 


南無妙法蓮華経は、
仏(ほとけ)の生命そのものだと、いう。 
そして、その仏の生命は、 
すべての人間の中に、
もともと、 
そなわっている!ものだと、いう! 

そして、もともと、そなわっている 
仏(ほとけ)の強く、素晴らしい生命が、 
南無妙法蓮華経を、となえることによって、 
自分の中から引き出され、 
自分の、かたよった宿命や、 
偏屈(へんくつ)になった自分の生命の壁(かべ)を、 
打ち破ってくれると、
いうことだろうか・・・? 


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・