先日も、話しましたが、
創価学会には興味(きょうみ)はないし、
仏法(ぶっぽう)にも興味はないし、
宗教なんかには、興味はない。
・・・そう、言われる場合がある。
創価学会(そうかがっかい)は、
仏法を実践する宗教団体だから、
仏法(ぶっぽう)を、具体的に実践するために、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が
残された曼荼羅(まんだら)の
『ご本尊(ほんぞん)』に、
日々、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえています。
どういうことかというと、
ご本尊というのは、
仏(ほとけ)の生命(せいめい)そのものを、
あらわしています。
仏(ほとけ)の生命というのは、
強くて、やさしくて、
歓喜(かんき)していて、
幸せで、なにものにも負けない、
どんな困難も乗り越(こ)えていける、
無限の創造力とエネルギーを有(ゆう)した、
幸せと勝利をもたらし、
つかんでいける、
最強無敵(さいきょうむてき)の生命だと、
表現できます。
そして、その仏の生命を引き出していけたなら、
どんな悩みも解決でき、
どんな困難(こんなん)も乗り越えて、
幸せになっていけるわけです。
それは、だれもが望(のぞ)んでいることです。
だれもが、求(もと)め、
必要としているものです。
人は、そのような生き方を望み、
恋い焦(こ)がれ、生きているといっても、
間違(まちが)えではないと思う・・。
では、その、
歓喜していて、幸せで、なにものにも負けない、
どんな困難も乗り越えていける、
無限の創造力(そうぞうりょく)とエネルギーを有した、
幸せをもたらし勝利していける、
最強無敵(むてき)の生命は、
いったい、どこにあるのだろうか・・・?
実(じつ)は、それは、
どこでもない・・、
自分自身の中にある・・!
だから、本当は、
歓喜していて、幸せで、
どんな困難も乗り越えていける、
無限の創造力とエネルギーを有(ゆう)した、
最強無敵の生命とは、
自分自身のことなんです・・!
さきほども言ったように、
その、最強無敵の生命のことを、
『仏(ほとけ)の生命』と言います。
そして、その「仏の生命」は、
自分自身の中にあり、
自分自身の中から、その仏の生命を引き出していけば、
幸せになるわけです。
外になにかを求めるのではなく、
自分の中から、幸せの宝(たから)、
勝利と幸せの源泉(げんせん)を、
湧(わ)き上がらせていけばいいわけです。
そんなこと言ったって、
そんな難(むずか)しいこと、できた話しではない・・。
仏(ほとけ)の生命を引き出すと言ったって、
方法がわからないし、どうしようもない・・。
幸せを開くドアが、どこにあるのか、
パスワードも鍵(かぎ)もわからない。
だから、途方(とほう)にくれてしまう。
だから、人は、悩み、苦しむ結果となる。
結論(けつろん)から言うと、
すべての人の中に、仏(ほとけ)の生命はある。
けれど、その仏の生命を開くドアがわからないし、
パスワードも鍵もない・・。
だから、人生に不幸がつきない。
実は、
そのドアと鍵の役割(やくわり)をはたすのが、
ご本尊(ほんぞん)と、南無妙法蓮華経なんです。
ご本尊は、幸せを開くドアのようなものです。
そして、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
幸せのドアを開くパスワードであり、鍵です。
その幸せを開くドアである「ご本尊」に、
幸せのパスワードである、
「南無妙法蓮華経」を、となえることによって、
ドアが開き、
悩みを解決できたり、
夢や希望をかなえたりして、
幸せをつかんでいけるわけです。
的(まと)を得(え)ているか、わかりませんが、
これが、創価学会の人たちが、
ご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえて祈る理由だと、
イメージしてください。
はじめのテーマに戻(もど)ると、
よく、言われる、
私は、創価学会にも、宗教にも、
興味はない!
だから、創価学会も、ご本尊も、
そんなものは、必要ない!ということだけれど、
それでは、はたして、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経をとなえるという、
仏法の信仰(しんこう)も、
また、祈(いの)る対象として具現化(ぐげんか)した、
ご本尊も、必要がない人間は、
いるのだろうか?
答えは、「ノー」です。
南無妙法蓮華経というのは、
一宗派(いちしゅうは)だけにしか通用しない、
狭(せま)い範囲(はんい)だけに通用するような、
かたよった思想ではない。
すべての人に共通する法則(ほうそく)が、
南無妙法蓮華経です。
たとえば、宇宙は動いている。
なぜ、動くのか?なぜ、誕生(たんじょう)するのか?
なぜ、滅(ほろ)んでいくのか?
それは、わからないかもしれないけれど、
そこに宇宙の法則は、
存在(そんざい)している。
その宇宙の法則が、南無妙法蓮華経なんです。
生命は、生まれ、成長し、
やがて年老(としお)い死んでいく。
なぜ、そうなるのか、わからない。
けれど、生命の法則が、
確実(かくじつ)に存在している。
その生命の法則が、南無妙法蓮華経なんです。
生命も宇宙も、
すべてを動かし、変化させている、
その、おおもとのエネルギー、
おおもとの力(ちから)であり法則が、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)です。
だから、南無妙法蓮華経は、
人間の生命の法則そのものだと、
言うことができます。
南無妙法蓮華経は、
人間の生命の法則そのものなんだから、
その南無妙法蓮華経の法則に逆(さか)らえる人は、
当然(とうぜん)、
いないことになります。
また、南無妙法蓮華経は、
生命を動かし変化させる、
おおもとのエネルギーであり力なんだから、
その「南無妙法蓮華経」を必要としない人も、
いないことになる。
だから、創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法を必要としない人は、
本当は、世界に、
ひとりも、いないことになる。
そして、必然的(ひつぜんてき)に、
具体的な祈る対象として、
ご本尊(ほんぞん)も、必要となっていきます。
それを必要ない!と言っているのは、
知らないだけであり、
また、知ろうとしていないだけであり、
さまざまな我見(がけん)やポリシーに
執着(しゅうちゃく)するあまり、
本当に必要なものが、
見えないし、わからない・・・。
また、体験していないから、
実感(じっかん)として、理解できないだけだと思う。
だから、おそらく、
過去の偉大(いだい)な精神を持った偉人たちが、
この創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
もし、知ったならば、
飛(と)びついて、実践したことでしょう・・。
だいたいにおいて、
宗教(しゅうきょう)というと、
そんなものは、うざいし、
必要ない!と考えやすいですが、
では?
自分にとって、
自分は、必要だろうか?
それは、
人から見て、
自分が必要な存在かとか、
自分の、世間の評価や評判(ひょうばん)は、
関係ありません。
自分が生きていることを、
感じるために、
自分が必要か?ということです。
そうなれば、普通は、
「必要だ!」と答えると思う。
それは、そうです。
なぜなら、自分の存在という、
自分の生命が、なかったら、
楽しむことも、喜ぶことも、
遊ぶことも、命を賭(か)けることも、
挑戦(ちょうせん)することも、笑うことも、
泣くことも、できない!
どういうことかというと・・・、
自分の生命から、避(さ)けることのできる人は、
ひとりも、いない!
ということです。
さきほど、仏(ほとけ)の生命は、
自分自身の中にあると言いましたが、
その「仏の生命」とは何かと言ったら、
それが、「南無妙法蓮華経」なんです。
仏の生命の名前が、
「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」
だということです。
だから、仏の生命が自分自身の中にあるということは、
自分の中に、
「南無妙法蓮華経」がある!
ということです。
自分の生命の、
最高に尊(とうと)くて、素晴らしい、
核(かく)となるものが、
南無妙法蓮華経だと思っていいと思います。
そして、さきほど、
南無妙法蓮華経とは、
宇宙の法則であり生命の法則だと、
言いました。
ということは、
南無妙法蓮華経は、自分の中にあり、
しかも、それが生命の法則だということは、
南無妙法蓮華経とは、
「自分の中にある生命の法則」だ!ということです。
言い換(か)えれば、
南無妙法蓮華経とは、
『自分自身の法則』だと、いうことです。
自分の中に、
南無妙法蓮華経があり、
自分の中に、
南無妙法蓮華経という法則がある。
たとえば、かりに・・・、
自分の生命が、
宇宙(うちゅう)にフワフワ、浮(う)いているとします。
その自分の生命の真ん中に、
『ドーン!』とあって、
まるで、太陽のように輝(かがや)いてるもの、
それが、『南無妙法蓮華経』だと、
思っていいと思う。
自分の生命の本質(ほんしつ)にあって、
最も大切なもの!
それが、『南無妙法蓮華経』です。
だから、『南無妙法蓮華経』は、
自分の外にあるのではなく、
自分の生命の中に、確実に、しっかりと!
存在しているんです・・。
しかも、この『南無妙法蓮華経』は全宇宙にもあり、
全宇宙を表現したものが、
『南無妙法蓮華経』でもあるんです。
小宇宙である自分の生命も、
南無妙法蓮華経であり、
無限の大宇宙も、その本質の生命は、
南無妙法蓮華経なんです。
さきほど言ったように、
自分の生命から、避(さ)けることのできる人は、
ひとりも、いない!
その自分自身の生命の本質が、
『南無妙法蓮華経』なんだから、
その自分の生命そのものと言える、
『南無妙法蓮華経』から、
避けることのできる人は、
ひとりも、いないことになります・・。
いわば、自分にとって、
絶対に避けられないものが、
自分の生命の本質である『南無妙法蓮華経』であり、
おのずから、その本質の法則である、
『南無妙法蓮華経の法則』なんです。
普通に考えて、
自分自身の生命の法則から、
のがれることのできる人は、いないでしょう・・。
その『自分自身の生命の法則』が、
『南無妙法蓮華経』です。
単純(たんじゅん)に考えれば、
自分の生命を、ひとことで、
言い表(あら)わしたものが、
『南無妙法蓮華経』だと、思っていいと思う。
そして、『ご本尊』は、
自分の生命を、具体的に、わかり、
認識(にんしき)するために、
具現化した、自分の生命の鏡(かがみ)だと、
言っていいと思います。
それが、『ご本尊』!!
だから、『ご本尊』も、
『南無妙法蓮華経』という生命の法則も、
あきらかに!
自分と、関係ないものではない!
しかも、この『南無妙法蓮華経』の法則こそが、
自分の生命の、自分の人生の、
幸不幸を決定づける、
決定的な法則であり、力(ちから)なんです!
だから、本当は、
自分の人生にとって、最も大切で、
最も重要な行動が、
『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』
ということなんです。
最初のテーマにもどれば、
創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法も、ご本尊も、
決して必要ないものではない!!
逆(ぎゃく)に、もっとも、
自分に関係あるのも!
最も、自分と、密接(みっせつ)なもの!
宇宙と自分を、
直結的(ちょっけつてき)に結(むす)び、
感じることができる、
大切な大切な、自分の生命であり、
幸福を決定づける決定的なもの!
その、
自分の未来の、
勝利と幸福を決定づける、
決定的な存在(そんざい)が、
『南無妙法蓮華経』であり、
『ご本尊』だと思う。
もっと、遊びたいし、
もっと、楽しみたいし、
もっと、幸せになりたいし、
もっと、輝(かがや)きたいし、
もっと、もっと、希望や夢を、かなえたい!
その本来(ほんらい)の自分自身の生命が、
『南無妙法蓮華経』なんです。
だから南無妙法蓮華経は、実は、
大切な大切な、もっとも、輝かしい、
自分自身だと、思っていいと思う。
そして、本来の自分の生命そのものを、
表現したものが、『ご本尊』!
この本来の自分の生命である、
『南無妙法蓮華経』が、
自分と関係ないし、興味がないなんてことは、
本当は、ありえない!!
また、人は、鏡(かがみ)がないと、
自分を見ることが、できない。
鏡が、ないと、
自分が、わからないし、
化粧(けしょう)も、オシャレも、できない!
それと、同じように、
自分の生命は、ほんとうは、
こんなに、素晴(すば)らしく、すごいんだ!!
と、自分で、自分に、わからせるために、
自分の生命の鏡である
『ご本尊(ほんぞん)』も、
生きていく上で、
必要不可欠(ひつようふかけつ)となっていく!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
自分が、持っている、
めくるめく想(おも)い!
その大切な、海のように、空のように、
広く、自分自身の希望を、
すべて、持ち合わせた、
無限(むげん)のエネルギー体!
その無限のエネルギー体が、
自分だとしたら、
そのエネルギー体の、
本来の姿(すがた)が、南無妙法蓮華経だと、思う。
すなわち、
南無妙法蓮華経は、
最高に強くて、最高に、あたたかくて、
最高に楽しく、幸せな、
『自分自身そのもの』だと、思う。
その最高に強くて、最高に、あたたかく、
最高に楽しく、幸せな、
『自分自身そのもの』を、
引き出す方法が、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ということなんです!!
だから、南無妙法蓮華経を、
となえることを、必要としない人は、
世界に、ひとりも、いない!
なぜなら、最高の自分を、欲(ほっ)しない人は、
世界に、ひとりも、いないからです。
その最高の自分が、
『南無妙法蓮華経』です。
だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
自分の本当の姿、
最高の自分が、
さまざまな形や、現象(げんしょう)となって、
自分自身の中から、
出現(しゅつげん)してくる!
だから、
自分が生きていることを、感じるために、
自分を必要としない人は、いないように、
南無妙法蓮華経を、となえるということを、
必要としない人は、
世界に、ひとりも、いない!!!
ゆえに、真(しん)に、
南無妙法蓮華経の仏法を実践する、
創価学会を、必要としない人も、
また、『ご本尊』を、必要としない人も、
ほんとうは、世界に、ひとりも、いない!!!
それほど、
仏法(ぶっぽう)は、スゴイし、
それほど、南無妙法蓮華経の仏法は、
理(り)にかなっていて、
すべての人に、結果と幸せを、もたらす!
インドのガンジーも、
最終的には、そのことが、
わかって、
南無妙法蓮華経を、となえていた!
そうです。
また、世界192ヶ国の人たちが、
創価学会員として、
南無妙法蓮華経を、となえている!
絶対に、うらぎらないし、
絶対に、ウソがなく、
絶対に、幸せを、もたらす法則。
それが、自分自身の生命の法則であり、
もっとも、自分にとって、
かかわりが、深(ふか)い、
本当は、自分が、もっとも、
興味を、抱(いだ)かなければならない、
南無妙法蓮華経の仏法だと、思う。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・