先日、
映画『君が世界を変えていく』の、
話しをしました。
この短編(たんぺん)映画は、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)のエッセイ、
『君が世界を変えていく』を、
映画の中で、抜粋(ばっすい)して、
朗読(ろうどく)しているんだけれど、
最後のところで、
すごく、感動してしまったので、
今日は、その部分を、
そのまま、のせたいと思います。
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私は思う。
人は、生まれたとき、
トルコ人として生まれたのではない。
アメリカ人として生まれたのではない。
パレスチナ人として生まれたのでも、
ユダヤ人として生まれたのでもない。
それらの名は、小さな「符丁(ふちょう)」にすぎない。
(符丁とは、商人が、商品につけて値段を示す印や符号)
生まれたときは、だれもが、
ひとつの「いのち」として生まれた。
ひとりの「人間」として生まれた。
お母さんは、「日本人を産(う)もう」とか
「アラブ人を産もう」と思って、
産んだのではなかった。
ただ、「すこやかな、いのちたれ」
と願っただけのはずだ。
青きボスポラス海峡(かいきょう)の上を、
高く遠く飛んでいる雲は、風は、
地上の人類を見下(みお)ろしながら、
こんな、ささやきを、かわしているかもしれない。
――― 気づいてください。
この高い空から見れば、
世界は、ひとつ。
だれもが「地球の民(たみ)」。
「アメリカ人」なんて、いないことを。
「イラク人」なんて、いないことを。
いるのは、たまたまアメリカに住んでいる、
ボブという少年の「いのち」。
たまたまイラクに住んでいるムハンマという
少年の「いのち」。
同じ「地球の子」
それが、国の名前で分けられて、
憎(にく)み合えと教えられる!
気づいてください。
その愚(おろ)かさを。その傲慢(ごうまん)を。
この憎しみを次の世代(せだい)に引き継(つ)ぐことの、
「むごさ」を ――― と。
今、必要な「地球人意識(いしき)」。
それは、遠いどこかにあるのではない。
コンピューターの画面の中にあるのでもない。
人間として人間のために
『胸(むね)を痛(いた)める心』の中にあるのだと。
「あなたが苦しんでいるかぎり、私も苦しむ。
あなたが、だれであろうと!
あなたの悩みが何であろうと!」
と。
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