英語で、「invoke」という言葉があります。
「invoke」は、発動(はつどう)する、行使(こうし)する、とか、
祈願する、祈る、という意味がある。
そのほか、「invoke」には、
「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」などの意味もあり、
いわば、「invoke」は、
ロールプレイングゲームなどで、
魔法獣(まほうじゅう)を召喚するといったところだろうか・・。
「invoke」という言葉は、
キリスト教から来ていると思うけれど、
これは、なかなか、おもしろいと思った。
最初に言ったように、「invoke」には、
祈る、祈願(きがん)する、という意味がある。
ただし、このキリスト教から来ている
「invoke」という言葉の「祈る」「祈願する」は、
「invoke」の他の意味でもある、
「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」
という意味からもわかるように、
自分の外にあるものを呼び出す。
自分の外にあるものを、もらい受(う)けるという
意味合いになってくると思う。
自分の中にはないものを、神様(かみさま)などから、
ほどこしてもらう!
というところだろうか・・・。
だから、キリスト教の「祈る」「祈願する」というのは、
自分には、幸せになる力(ちから)がないから、
自分とは、かけ離(はな)れた存在である神様に、
ひたすら、おすがりして、
ほどこしてもらう・・
といった意味合いが強くなってくる。
こういう自分には幸せになる力がないから、
自分の外から、
幸せになるための力(ちから)をもらう。
環境(かんきょう)や人や権力(けんりょく)など、
自分の外にあるものによって
幸せになろうという生き方のことを、
『外道(げどう)』
と言います。
だから、
環境がこうだから、幸せになれない。
あの人がこうだから、幸せになれない。
など、
幸せになれない理由を、
自分の外に並(なら)べ上げたりする生き方は、
『外道(げどう)』の生き方だと、
言えます。
さっきも言ったように、キリスト教は、
神(かみ)という自分とは、かけ離れた存在(そんざい)に、
幸せを祈ります。
自分には幸せになる力(ちから)がないから、
神におすがりすると、いうことです。
だから、キリスト教は、
『外道(げどう)』の宗教だと言えます。
ところが、
創価学会が実践(じっせん)している
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)は、違う!!
創価学会(そうかがっかい)の
南無妙法蓮華経の仏法では、
『自分自身が仏(ほとけ)なんだ!』
と説(と)く。
『あなたの中に、素晴らしくて最高の
仏(ほとけ)の生命が、あるんだよ!』
と説く。
『だから、自分の中から、
素晴らしくて偉大(いだい)な仏(ほとけ)の生命を引き出して、
幸せになっていくんだよ!』
と説く。
こういう生き方を、
『内道(ないどう)』
と言います。
だから、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
『内道(ないどう)』の宗教だと言えます。
ここに、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法と、
その他の宗教との
決定的な違(ちが)いがあります。
神様や仏様など、
自分とは、かけ離れた存在に、
おすがりする、おすがり信仰(しんこう)・・。
ここには、はっきり言って、
希望はありません。
神や仏などを、
あがめれば、あがめるほど、
人間との距離(きょり)がどんどん、離(はな)れていく。
そして、人間は、
どんどん卑小(ひしょう)になり、
みじめな存在になっていく。
そして、精神的(せいしんてき)には、
神や仏など、
自分があがめるものの奴隷(どれい)のような
存在になってしまいます。
冷静(れいせい)に考えて、
このような状態で、
幸せになれるとは、思えません。
それが、日本にはびこる
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
神社信仰だと言うことも、できます。
また、はっきり言えば、
それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰は、
間違(まちが)った宗教であり、
間違っているがゆえに、
どんなに祈(いの)ったとしても、
逆(ぎゃく)に不幸になってしまいます。
それは、さまざまな形で、
不幸という結果が出てきてしまう・・
ということです。
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「invoke」という言葉における、
「祈る」「祈願する」という意味は、
自分にないものを、外から呼び出す。
自分ではなく、
棚(たな)からぼた餅(もち)のように、
環境や人、外部の何かを呼び出して、
幸せになろうという
意味合いが強いと思います。
それに対して、創価学会における、
『祈る』という行為(こうい)は、違う!!!
創価学会における
『祈(いの)る』という行為は、
自分の中から、幸せになる力(ちから)を
呼(よ)び起こすんです!!
本来(ほんらい)、自分の中に、
必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
存在している!
その幸せになっていける仏(ほとけ)の生命を、
自分の中から呼び起(お)こし、
自分の中から、
強い強い生命力(せいめいりょく)を
湧(わ)き上がらせて、
幸せになっていくんです。
神様や仏さまに、おすがりするのではなく、
本来、自分の中にある無限(むげん)の力(ちから)を、
呼び起こしていく!
これが、創価学会での、
『祈る』という行為なんです・・・!
その内(うち)から溢(あふ)れる『祈り』の結果として、
自分の生命が輝(かがや)き、
蘇生(そせい)していく。
やがて、その蘇生した自分の生命の力によって、
さまざまな悩みを解決(かいけつ)し、
夢や希望をかなえて、
幸せになっていけるんです。
そして、蘇生(そせい)し輝いた自分の生命が、
まわりの環境や世界を照(て)らし、
環境や人、世界をも、
幸せに変えていくんです。
それが、創価学会の人たちの『祈り』です。
その自分の中から、
仏(ほとけ)の生命という
無限の可能性(かのうせい)と力(ちから)を、
湧(わ)き上がらせ、
自分の中から、悩みや問題を解決し、
自分の中から幸せを勝ち取っていけるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・