前に、電車の中で、
友人と立ち話しをしていた時、
聞いた話しなんだけれど、
その友人は、頭が良くて、優秀な人なんだけど、
その人の知り合いに、科学者の人がいて、
その科学者が、
『どうしたら、願いが、かなうか?』
について、
研究しているそうです。
その科学者の研究によると、
なんか、アタマの前に、
スクリーンみたいなものを浮(う)かべて、
自分の願いを映像化すると、
願いが、かなうことが、
わかったそうです!
でも、それで、その科学者が、
悩んでしまったそうです。
それは、
それで、願いが、かなうとしたら、
ひとりで、願いがかなうことは、ありえないので、
人にしろ、世界にしろ、すべてが、
どこかで、つながっていることになってしまう!
もし、それを、認(みと)めてしまったら、
それは、もう、科学ではなく、
宗教になってしまう・・!
それで、深刻(しんこく)に悩んでいるそうです・・。
別に、それで、願いがかなうんだったら、
悩むことは、ないと思うんだけど、
ぼくが思うに、アタマの前に、
スクリーンを、浮かべるなんて、
そうとう、訓練(くんれん)しないと、
できそうもない。
願いを、かなえる前に、
スクリーンを浮かべる段階で、
挫折(ざせつ)してしまいそうです・・・。
それだったら、ぼくは、創価学会員らしく、
『祈りとして、かなわざるなし!』
と言われている、
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法連華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえるほうが、ぜんぜん、いい!!
(※ご本尊とは、創価学会が、
南無妙法蓮華経をとなえ、祈る対象としている、
文字で表現された曼荼羅(まんだら)の本尊で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その自分自身の生命に、
必ず、幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
そなわっていることを、あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。)
それのほうが、てっとり早いし、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえるということは、
どんな人にでも、だれにでも、できる。
しかも、そこには、生命の真髄(しんずい)と、
核心的(かくしんてき)な法則があるので、
本当に、その人の願いや祈りが、
かなっていく!!
ここに、創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の
スゴサがあるんですが、
行為(こうい)が、あまりにも単純で簡単なことなので、
なかなか、人は信じることが、できない!
偉大な法則(ほうそく)、偉大な宗教ほど、
人や、能力を、選ばす、
すべての人を、幸せにしていける!
ということです。
だだし、南無妙法蓮華経が、
単純だということでは、ないです。
南無妙法蓮華経が、
あまりにも、複雑でスゴイから、
人は、理解できないし、
納得(なっとく)することが、できない!
でも、信じて、南無妙法蓮華経をとなえれば、
納得し、解決もする。
それが、南無妙法蓮華経という
不思議な法則だと思う。
ちなみに、祈りとして、かなわざるなし!
といっても、
努力を、ともなわない無謀(むぼう)な願いは、
あんまり、 かなわないようです。
にもかかわらず、
真剣に、南無妙法蓮華経をとなえていくと、
意思に反して、(自分の祈りとは違うのに・・)
幸せになっていくから、
不思議です・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
戸田二代創価学会会長が、
「科学が、仏法(ぶっぽう)に追いつくには、
あと、200年かかる。」
と、言っていましたが、
仏法の正しさが、だんだん、
証明されてゆく時代が来たんだと思う!
けれど、科学で、
仏法が証明されるのを待(ま)っていたら、
命が、いくつ、あっても足りないので、
ぼくは、仏法を信じて、
ご本尊に、南無妙法連華経を、
となえることにしようと思う!!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・