以前、
「救命病棟(きゅうめいびょうとう)24時」
というドラマが好きで、
見ていました。
その中で、
水道菅(すいどうかん)の工事をする人が、
怪我(けが)で入院してくる。
そのドラマは、
東京に大地震が起こったという設定(せってい)だから、
その水道菅の工事をする人が、
そこらじゅう、水道菅が破裂(はれつ)して、
めちゃめちゃ、大変だった・・
という話しを、する。
それで、医者の人が、
「やめたいと思いませんでしたか?」
と、聞く。
その入院してきた水道菅の工事の人は、
やめようと思ったけど、
あるとき、
銭湯(せんとう)を無料で開放するということで、
銭湯の水道菅の修理(しゅうり)をしたそうです。
それで、修理ができて、
お湯が出た時、
子供も、大人も、
ほんとうに喜(よろこ)んで、
その姿を見て、
その人は思ったそうです。
「だれも、知らなくても、いい。
だれも、感謝してくれなくても、いい。
だれも、認(みと)めてくれなくても、いい。
やってやろうじゃないか!」
って、そう思ったと言っていました。
ちょっと、くさくて、
ドラマでなかったら、
とても、言えそうにない言葉ですが、
そういうことは、
だれでも、思っていることだと、
思う。
だれもが、認めてくれて、
感謝(かんしゃ)してくれる。
それが、いつも自覚(じかく)できるような仕事だったら、
人は、仕事を、やる気になる。
けれど、そんな恵(めぐ)まれた仕事をしている人は、
それほど、いないと思う。
だから、つらい。
あまり、気付(きづ)かれない、
また、見えてこない、
影(かげ)の仕事、
それが、ほとんどの仕事だと思う。
見えない努力、見えない真心(まごころ)、
それを、ひとことでも、
認めてくれて、感謝してくれたら、
その人は、どんなに、
喜ぶか、しれない。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
仏法(ぶっぽう)では、
『冥(みょう)の照覧(しょうらん)』
という言葉がある。
人には、見えない努力、
人には、見えない真心、
人には、見えない誠意(せいい)の行動、
それは、今は、見えなくても、
やがて、大きな花を咲(さ)かせ、
みんなから賞賛される、
素晴らしい結果(けっか)として、
結実(けつじつ)していく!
というような意味です。
仏法は、
因果(いんが)の法則(ほうそく)だから、
うそを、つかない!
やったら、必ず、結果が出るのが、
仏法(ぶっぽう)です!
だから、創価学会(そうかがっかい)が実践している、
仏法を根本にした行動は、
ひとつも、無駄(むだ)がない。
すべてが、報(むく)われていく。
必ず、そうなるのが、仏法(ぶっぽう)だからです。
けれど、世間は、違(ちが)う。
どんなに努力しても、報(むく)われないで、
沈(しず)んでいってしまう人たちが、
どれだけ、たくさん、いることか!
かえって、努力が報われないことの方が、
普通のようにも、思える!
それでは、あまりにも、かわいそうだ。
そうならないために、
創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる!
南無妙法蓮華経は、
努力が、必ず、
むくわれる法則(ほうそく)だからです。
南無妙法蓮華経の、蓮華(れんげ)は、
ハスの花を意味しているようで、
ハスの花は、泥(どろ)の中からでも、
花を、咲かせる!
すなわち、どんな苛酷(かこく)な運命にあろうとも、
どんなに暗(くら)い泥のような人生のなかにあっても、
必ず、素晴らしい幸せの花を
咲かせることができることを意味しています。
また、ハスの花は、
花と実(み)を、同時につけることから、
原因(げんいん)と結果が、
同時に現(あらわ)れるという、
意味も、あるようです。
それは、「努力」という「原因」によって、
かならず、『結果』がついてくる!
幸せになるために努力したということは、
同時に、『幸せの結果』が含(ふく)まれているので、
必ず、幸せになっていけることを、
意味しています。
その法則が、南無妙法蓮華経です。
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とは、
宇宙の、幸せの、勝利の、リズムです。
そのリズムを、自分で、となえて、
自分の生命に、きざむことによって、
自分の中に、勝利の、幸せのリズムが、
復活(ふっかつ)する。
自分の中から、勝利の、幸せのリズムが、
湧(わ)き上がってくる!!
そうなることによって、
花と実が同時にあらわれるように、
努力という原因によって、
勝利、幸せという結果が、
必ず、現れてくるようになる!
これが、
南無妙法蓮華経をとなえると、
いうことだと思う・・・・。
だから、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
現実の生活のなかで、
必ず、幸せという結果の花が、咲いていく!
それが、『南無妙法蓮華経』という、
必ず、勝利を生むリズムだからです。
そう考えると、
南無妙法蓮華経を、となえるということほど、
幸せなことは、
決して、ない・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・