まえに、
サケが、自分の生まれた川に、
戻(もど)ってくる光景を見に、
北海道に行ってきた人がいて、
いろいろ、話してくれました。
サケが、川に戻(もど)ってくると、
川は、サケの群(む)れで、
縦(たて)に、四層にも五層にも、なるそうです。
それで、川に、棒(ぼう)を、立てても、
倒れないそうです。
サケは、およそ、稚魚(ちぎょ)の、
98%が、自分の生まれた川に、
戻ってくるそうです。
よく、テレビとかで、見たけど、
川が、段になっている場合、
その箇所(かしょ)は、
滝のような形状になる!
そんな滝(たき)のような場所があっても、
サケは、川を、のぼっていく。
見ていると、サケは、
その滝のような逆流(ぎゃくりゅう)を、
上ろうとしては、ハネ返されて、
また、もどり、しばらく、
流れのゆるやかなところで、
休んで、また、滝のような逆流を、
のぼろうとし、また、
ハネ返されて、
石や砂利(じゃり)に、傷(きず)つけられながらも、
また、逆流を、上ろうとする。
そんなことを、サケは、
なんども、なんども、
繰(く)り返している。
その光景を見た人が、
「サケは、なんて、無駄(むだ)なことを、
しているんだろう!」と思い、
地元の漁師に、聞いたそうです。
「なんで、サケは、あんな無駄なことを、
しているんですかね!」と。
すると、地元の漁師の人は、
「サケは、ああやって、逆流にハネ返され、
石や砂利(じゃり)に、自分の腹を、
ぶつけることによって、
タマゴを包(つつ)んでいる袋を、
自分で、破っているんだよ!」
と、答えてくれたそうです。
それを聞いた観光の人も、
なにごとも、無駄(むだ)なことなんて、
ないんだな!と、関心したそうです。
サケは、卵を産むために、
自分の生まれた川に、帰ってくる。
そして、タマゴを生んだら、
死んでいく。
それだけのために、
はたから見たら、大変な思いをして、
川を、上っていく。
死ぬために、川に戻ってくるようなものだから、
考えによっては、
とても、はかなく、哀(あわ)れにも思われる。
けれど、それも、無駄ではない。
死んだサケの体は、さまざまな動物の、
食料にもなるし、また、そのまま、残り、
腐食(ふしょく)していったサケの体は、
やがて、プランクトンにまで、
分解(ぶんかい)されていく。
そして、ちょうど、そのころ、
サケの卵は、孵化(ふか)し、
サケの体から、生まれたプランクトンは、
サケの稚魚(ちぎょ)の、エサになっていく。
プランクトンを食べたサケの稚魚は、
海に出て成長し、
また、生まれた川に帰ってくる。
そこには、無駄(むだ)はない。
すべてが、無駄なくスムーズに、
循環(じゅんかん)している!
これが、本来の自然の摂理(せつり)なのかも、
しれない。
すべてに無駄がない生命の法則(ほうそく)、
もっと言えば、
すべてに無駄がない、宇宙の法則。
これが、本来の姿!
その本来の、宇宙のリズムの中では、
すべてが、スムーズに、
なんの無駄もなく、循環(じゅんかん)していく。
これが、
本来の生命の法則であり、
宇宙の法則なんだと思う。
ところが、
人間の人生には、
あるいは、人間の生き方には、
なんと、無駄が、多いのかと、
思うことがある。
生命のリズムに無駄がないということは、
それは、『幸せ』を意味しているんだと思う!
なにもかも、すがすがしく、心地(ここち)よい!
だから、幸せを感じる。
だから、無駄は、その逆(ぎゃく)で、
なにもかも、うまくいかない!
スムーズでない。気持ちよくない。
それは『不幸』を意味してるんだと思う。
この世には・・・、
ほんとは、あってはいけない・・・、
すなわち、人生にとって『無駄』であるはずの、
『不幸』が、なんと、たくさん、
存在(そんざい)しているんだろうか・・・・!
宇宙は、本来、無駄がなく、
スムーズに循環(じゅんかん)しているはずだ!
それは、すなわち、
宇宙には、本来、『不幸』はなく、
すべてが、幸せのために、
循環していくことを、意味する。
それなのに、
人間は、多くの『不幸』を、かかえている!
それは、なぜなんだろう?
それは、簡単に考えると、
人間が、宇宙のリズム、
宇宙の法則、生命の法則に、
反(はん)しているからだと思う。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
人間が、この宇宙のリズムに、
逆(さか)らい、
宇宙の法則に、逆らい続けるかぎり、
人間の不幸は、なくならないかもしれない・・。
人間の、ありとあらゆる不幸は、
根底(こんてい)から言うと、
宇宙の法則、宇宙のリズムに、反(はん)し、
宇宙の、生命のリズムに、逆らい続けているから、
起こると、いえる。
その生命の法則である、宇宙のリズム!
生命のリズムである、宇宙の法則が、
実は、創価学会の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』です!!
南無妙法蓮華経は、宇宙のリズムであり、
生命の法則なんです!
だから、宇宙のリズム、生命のリズムから、
外(はず)れてしまった人間、
宇宙のリズムと、完全に、ずれて、
歯車(はぐるま)が、
狂(くる)ってしまった人間。
そうなった人間のことを、
きっと、『不幸』というのだろうけれど、
宇宙のリズムから、はずれ、
生命のリズムが、狂ってしまった、
不幸なる人間も、
宇宙のリズムである、
『南無妙法蓮華経』を、となえていくと、
自分で、宇宙のリズムである、
『南無妙法蓮華経』を、となえているので、
自分の生命が、宇宙のリズムと、
合致(がっち)してくるようになる。
すなわち、宇宙のリズムと、
歯車が、かみ合うようになってくる!
本来、宇宙のリズムは、
幸せのリズムなのだから、
宇宙のリズムである『南無妙法蓮華経』を、となえて、
自分の生命が、宇宙のリズムに、
なっていけば、
「宇宙のリズム」イコール「幸せのリズム」なので、
当然、その人は、
幸せになっていける。
そうなれば、
当然、努力は、報(むく)われ、
夢や希望を、かなえて、
人生を、勝利できる!
それが、南無妙法蓮華経の法則だと思う。
だから、創価学会の人たちは、
どんな人であろうと、
どんなに、歯車が狂って、
不幸になってしまった人でも、
南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
宇宙のリズム、幸せのリズムを、取り戻(もど)し、
蘇生(そせい)して、
幸せになっていける!
そしてその、証明(しょうめい)として、
創価学会は、
世界192ヶ国に、広がり、
あらゆる人々に、希望と勇気、
勝利と幸せを、もたらしている・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
サケが、自分の生まれた川に、
戻(もど)ってくる光景を見に、
北海道に行ってきた人がいて、
いろいろ、話してくれました。
サケが、川に戻(もど)ってくると、
川は、サケの群(む)れで、
縦(たて)に、四層にも五層にも、なるそうです。
それで、川に、棒(ぼう)を、立てても、
倒れないそうです。
サケは、およそ、稚魚(ちぎょ)の、
98%が、自分の生まれた川に、
戻ってくるそうです。
よく、テレビとかで、見たけど、
川が、段になっている場合、
その箇所(かしょ)は、
滝のような形状になる!
そんな滝(たき)のような場所があっても、
サケは、川を、のぼっていく。
見ていると、サケは、
その滝のような逆流(ぎゃくりゅう)を、
上ろうとしては、ハネ返されて、
また、もどり、しばらく、
流れのゆるやかなところで、
休んで、また、滝のような逆流を、
のぼろうとし、また、
ハネ返されて、
石や砂利(じゃり)に、傷(きず)つけられながらも、
また、逆流を、上ろうとする。
そんなことを、サケは、
なんども、なんども、
繰(く)り返している。
その光景を見た人が、
「サケは、なんて、無駄(むだ)なことを、
しているんだろう!」と思い、
地元の漁師に、聞いたそうです。
「なんで、サケは、あんな無駄なことを、
しているんですかね!」と。
すると、地元の漁師の人は、
「サケは、ああやって、逆流にハネ返され、
石や砂利(じゃり)に、自分の腹を、
ぶつけることによって、
タマゴを包(つつ)んでいる袋を、
自分で、破っているんだよ!」
と、答えてくれたそうです。
それを聞いた観光の人も、
なにごとも、無駄(むだ)なことなんて、
ないんだな!と、関心したそうです。
サケは、卵を産むために、
自分の生まれた川に、帰ってくる。
そして、タマゴを生んだら、
死んでいく。
それだけのために、
はたから見たら、大変な思いをして、
川を、上っていく。
死ぬために、川に戻ってくるようなものだから、
考えによっては、
とても、はかなく、哀(あわ)れにも思われる。
けれど、それも、無駄ではない。
死んだサケの体は、さまざまな動物の、
食料にもなるし、また、そのまま、残り、
腐食(ふしょく)していったサケの体は、
やがて、プランクトンにまで、
分解(ぶんかい)されていく。
そして、ちょうど、そのころ、
サケの卵は、孵化(ふか)し、
サケの体から、生まれたプランクトンは、
サケの稚魚(ちぎょ)の、エサになっていく。
プランクトンを食べたサケの稚魚は、
海に出て成長し、
また、生まれた川に帰ってくる。
そこには、無駄(むだ)はない。
すべてが、無駄なくスムーズに、
循環(じゅんかん)している!
これが、本来の自然の摂理(せつり)なのかも、
しれない。
すべてに無駄がない生命の法則(ほうそく)、
もっと言えば、
すべてに無駄がない、宇宙の法則。
これが、本来の姿!
その本来の、宇宙のリズムの中では、
すべてが、スムーズに、
なんの無駄もなく、循環(じゅんかん)していく。
これが、
本来の生命の法則であり、
宇宙の法則なんだと思う。
ところが、
人間の人生には、
あるいは、人間の生き方には、
なんと、無駄が、多いのかと、
思うことがある。
生命のリズムに無駄がないということは、
それは、『幸せ』を意味しているんだと思う!
なにもかも、すがすがしく、心地(ここち)よい!
だから、幸せを感じる。
だから、無駄は、その逆(ぎゃく)で、
なにもかも、うまくいかない!
スムーズでない。気持ちよくない。
それは『不幸』を意味してるんだと思う。
この世には・・・、
ほんとは、あってはいけない・・・、
すなわち、人生にとって『無駄』であるはずの、
『不幸』が、なんと、たくさん、
存在(そんざい)しているんだろうか・・・・!
宇宙は、本来、無駄がなく、
スムーズに循環(じゅんかん)しているはずだ!
それは、すなわち、
宇宙には、本来、『不幸』はなく、
すべてが、幸せのために、
循環していくことを、意味する。
それなのに、
人間は、多くの『不幸』を、かかえている!
それは、なぜなんだろう?
それは、簡単に考えると、
人間が、宇宙のリズム、
宇宙の法則、生命の法則に、
反(はん)しているからだと思う。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
人間が、この宇宙のリズムに、
逆(さか)らい、
宇宙の法則に、逆らい続けるかぎり、
人間の不幸は、なくならないかもしれない・・。
人間の、ありとあらゆる不幸は、
根底(こんてい)から言うと、
宇宙の法則、宇宙のリズムに、反(はん)し、
宇宙の、生命のリズムに、逆らい続けているから、
起こると、いえる。
その生命の法則である、宇宙のリズム!
生命のリズムである、宇宙の法則が、
実は、創価学会の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』です!!
南無妙法蓮華経は、宇宙のリズムであり、
生命の法則なんです!
だから、宇宙のリズム、生命のリズムから、
外(はず)れてしまった人間、
宇宙のリズムと、完全に、ずれて、
歯車(はぐるま)が、
狂(くる)ってしまった人間。
そうなった人間のことを、
きっと、『不幸』というのだろうけれど、
宇宙のリズムから、はずれ、
生命のリズムが、狂ってしまった、
不幸なる人間も、
宇宙のリズムである、
『南無妙法蓮華経』を、となえていくと、
自分で、宇宙のリズムである、
『南無妙法蓮華経』を、となえているので、
自分の生命が、宇宙のリズムと、
合致(がっち)してくるようになる。
すなわち、宇宙のリズムと、
歯車が、かみ合うようになってくる!
本来、宇宙のリズムは、
幸せのリズムなのだから、
宇宙のリズムである『南無妙法蓮華経』を、となえて、
自分の生命が、宇宙のリズムに、
なっていけば、
「宇宙のリズム」イコール「幸せのリズム」なので、
当然、その人は、
幸せになっていける。
そうなれば、
当然、努力は、報(むく)われ、
夢や希望を、かなえて、
人生を、勝利できる!
それが、南無妙法蓮華経の法則だと思う。
だから、創価学会の人たちは、
どんな人であろうと、
どんなに、歯車が狂って、
不幸になってしまった人でも、
南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
宇宙のリズム、幸せのリズムを、取り戻(もど)し、
蘇生(そせい)して、
幸せになっていける!
そしてその、証明(しょうめい)として、
創価学会は、
世界192ヶ国に、広がり、
あらゆる人々に、希望と勇気、
勝利と幸せを、もたらしている・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・