先日から、
アニメ・火の鳥「黎明編(れいめいへん)」を
見た話しをしているんですが、
その中で、
なんとも言えない悲しみと、
無常感(むじょうかん)を感じたと、
書きました・・・・。
あとから、考えて、
なぜだろう?
と、思いました。
このアニメの登場人物は、
ひとりひとりが、欠点(けってん)はあるにしても、
自分なりに、
一生懸命(いっしょうけんめい)、生きている。
戦争などの、
むなしい行動を繰(く)り返している
愚(おろ)かな面もありますが、
それにしても、
人間として、精一杯(せいいっぱい)、
生きようとしている!
にもかかわらず、
このアニメを見ると、
言い知れない悲しみと、無常を感じる。
それは、なぜだろう?
そう、考えた時、
やはり、それは、
『火の鳥』の存在(そんざい)だろう!
と思われる。
「火の鳥」という永遠(えいえん)の生命を持った存在が、
あまりにも輝(かがや)かしいために、
人間の行動が、
あまりにも、
愚かに、悲しく、
見えてきてしまう。
老(お)いと、死という、
絶対に避(さ)けることのできない、
宿命(しゅくめい)を持っている人間にとって、
「火の鳥」の存在が、
あまりにも、大きいからだと思う。
永遠の生命を持つ、
火の鳥の存在が、
普段(ふだん)、気づかない、
死というものを、
人間に、気づかさせてくれているんだと、
思う。
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、
『仏法(ぶっぽう)を学ぶには、
最初に、死について、考えなさい!』
と、言っている。
別に、死を、
恐(おそ)れよということではない。
死が、あるからこそ、
生きて、生きて、生き抜(ぬ)きなさい!
と、いうことだと思う。
創価学会(そうかがっかい)二代会長の戸田先生も、
仏法の真髄(しんずい)は、
「自分自身に、生き切ることだ!」
と、言っている。
最初の「火の鳥」の話しに戻(もど)りますが、
アニメ「火の鳥」は、
永遠の生命を持つ火の鳥と、
必ず、死ぬことがわかっている、
人間の営(いとな)みとの対比(たいひ)によって、
不思議(ふしぎ)な生命空間を、
表現している。
いずれ死ぬ人間と、
永遠の生命を持つ火の鳥を、
同時に描(えが)くことによって、
必ず死ぬということと同時に、
生命の継続性(けいぞくせい)、
永遠的なものを、
描いているのかもしれない・・・。
ここに人間は、『何か?』を感じる・・。
仏法(ぶっぽう)では、
その『永遠の生命』を、説いている。
それは、幽霊(ゆうれい)とか、
霊魂(れいこん)とかいう存在ではなく、
かといって、まったく消えて、
なくなってしまうわけでもない。
形や存在が残(のこ)るものではないけれど、
それでも、存在するもの。
仏法では、それを、
『生命(せいめい)』と表現している。
仏法で使う『生命』という表現は、
難(むずか)しいけれど、
自分の生命自体は、死んでも、無(な)くならず、
宇宙に溶(と)け込んで、
存在しつづける。
それが、なにかの拍子(ひょうし)に、(なにかの縁で)
フッと、また、
一個の生きた生命として、
誕生(たんじょう)していく!
と説いている。
ちょうど、一日、
疲(つか)れたら眠り、
また、朝、元気になって
起き上がるように。
年を、とって疲れた生命は、
休まなければならない。
そして、また、みずみずしい、
若々しい生命として、
誕生していく。
だからと言って、
生まれ変わるというのではない。
生命それ自体の性質は、
永遠に継続(けいぞく)し続ける。
自分という「我(が)」の存在は、
永遠に変わらず、
存在し続けるということです。
だから、自殺(じさつ)は、無意味だと説く。
なぜならば、
自殺したいような苦しみも、
自殺した地獄(じごく)のような苦しみも、
全部、自分で、背負(せお)ったまま、
生命それ自体は、
宇宙に溶(と)け込んでも、
永遠に残り、
その苦しみは、続くからだ。
そして、また、何かの縁(えん)で、
生まれてきても、
また同じように、
自殺したいような苦しみを、味(あじ)わい、
また、自殺という地獄の苦しみを、
味わう結果(けっか)になる。
だから、自殺しても、かえって、
自分の業(ごう/悪い宿命)が増(ふ)えるだけで、
次に生まれてきても、
今より、もっと悲惨(ひさん)な自分として、
生まれてきてしまう。
その悪循環(あくじゅんかん)が、続くだけだ。
その悪循環を、
打ち破(やぶ)るために、
真実の仏法(ぶっぽう)はあり、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
あります!
その悪循環を打ち破る、
唯一(ゆいいつ)の秘策(ひさく)が、
実は、創価学会が実践する、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
と、いうことです。
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
だけが、
自分の悪循環の宿命(しゅくめい)を、
打ち破ることが、できる!!
だから、創価学会の人たちは、
それぞれの人が、
さまざまな宿命や悩みを、もっているにもかかわらず、
その宿命や悩みを、乗り越(こ)えて、
夢や希望、幸せを勝ち取り、
堂々(どうどう)と、生きている!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
人間は、いずれ、死ぬ。
けれど、自分の生命自体は、
永遠に、存在し続ける。
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
無意識(むいしき)にしろ、
その自分の中にある
「永遠の生命」を、
感じることができるんだと思う。
最初、
火の鳥という永遠の生命を持った存在が、
人間の存在を、悲しく、愚(おろ)かに
見せていると言いましたが、
だとしたら、逆(ぎゃく)に、
永遠の生命が、自分の中にあるとしたら!
自分の中に火の鳥が、いるとしたら、
自分の生命を、
より偉大(いだい)に、
より輝かしく、より大きく、
感じることが、できる!!
その火の鳥のような
『永遠の生命』を感じることが、
実は、
『南無妙法蓮華経を、となえる!!』
ということかもしれない・・・。
だから、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
元気になってきて、強くなってきて、
楽しくなってきて、
勇気が出てきて、
生きるのが、幸せになってくる!
それは、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
人間は、はかなく、むなしいものではなく、
人間は(自分は)、
偉大で、素晴らしく、
最高に輝かしい存在なんだ!と、
無意識にしろ、
わかってくるからだ!!
そして、自分が、生きる意味を、
生きる使命(しめい)を、
思い出していく。
あたかも、それは、
自分の中に、
『火の鳥』が、いるように・・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・