昔、暇なときに、
「クロノクルセイド」というアニメを、
見たことがあります。
悪魔退治(あくまたいじ)を専門に扱(あつか)う
マグダラ修道会という、
キリスト教のシスター、ロゼットが、
なぜか、悪魔のクロノと組んで、
活躍(かつやく)する物語でした。
あんまり、おもしろくありませんでしたが、
暇だったので、最後まで見ました・・。
内容は、なんというか・・メチャメチャな感じでしたが、
最終回だけは、良かったと思いました。
この物語は、
ロゼットの破天荒(はてんこう)な活躍と、
ロゼットの、人を思う純粋な行動と、
やさしさが、魅力(みりょく)のようです。
ロゼットは、悪魔クロノから、
力を借(か)りるために、
契約(けいやく)を結びます。
その契約の結果、
ロゼットは、悪魔クロノが力(ちから)を使うごとに、
命が削(けず)られ、
悪魔クロノが、力を出せば出すほど、
ロゼットの寿命(じゅみょう)が
縮(ちぢ)まっていくという、
ストーリー展開で、
最後、ロゼットは、寿命が無くなり、
若くして、悪魔クロノと一緒に、
死んでいきます。
詳(くわ)しい話しは、さておき、
このアニメは、
ロゼットが、キリスト教のシスターだということで、
どうしても、キリスト教色が、
強かったと思います。
おもしろいのは、
神の立場に立つシスターが、
悪魔を仲間とし、悪魔と協力する点です。
キリスト教の教義(きょうぎ)から考えれば、
神が悪魔と手を結(むす)ぶことも、、
悪魔が神と協力することも、ありえないと思いますが、
このアニメの中の登場人物が言うには、
悪魔クロノを助け、仲間とする、
ロゼットは、
地獄(じごく)行きとなるそうです。
最終的に、この物語では、
ロゼットの修道会の上司(じょうし)である、
シスターケイトが、
ロゼットと悪魔クロノの生き様を見て、
キリスト教を捨てることを、
決断します。
また、天使として登場する、
牧師レミントンも、
混沌(こんとん)とした世界の中で、
神と悪魔の偽善(ぎぜん)的宗教観に、
絶望して、無力のまま、路頭(ろとう)に迷(まよ)い、
地に倒れていきます。
このアニメの作者の意図(いと)としては、
キリスト教は、人間を救うことは、できない!
人間が、本当に人間らしく
生きようとしたならば、
キリスト教を、捨てるしかない・・・!
あたかも、
そう、言いたかったかのように見えます。
生命の最小単位である自分の生命の中でさえ、
神的なものと、悪魔的なものが、
どちらも、存在している。
まして、神的存在と、悪魔的存在が、
ごっちゃまぜに、混在(こんざい)する、
この現実の世界で、キリスト教の信仰を、
つらぬこうとしたならば、
その人は、偽善者(ぎぜんしゃ)に、
ならざるをえないかもしれない・・。
その中で、
もっとも、人間らしく描かれているのが、
ロゼットです。
ロゼットは、自分の思うがままに行動する。
キリスト教では、
けっして受け入れられるはずのない、
悪魔を助け、仲間として、愛していく。
自分の真心、やさしさ、人間性だけを信じ、
ありのままの、つくろわない、
ピュアな心で、行動していきます。
作者が、伝(つた)えたかったことは、
この、まったく、つくろわない、
ありのままの人間性なのかも、しれない。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
仏法(ぶっぽう)には、
無作(むさ)という言葉が、あります。
無作(むさ)とは、
「つくろわず、はたらかさず、ありのまま」
という意味です。
この、つくろわない、はたらかさない、
ありのままの人間性を、開花させるのが、
実は、創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。
南無妙法蓮華経を、となえていると、
その、つくろわない、ありのままの人間性が、
開花していきます。
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
もっとも人間らしい心、
もっとも人間らしい行動、
その人間としての、もっとも人間らしい最高の行動を、
なんの飾り(かざり)もなく、
なんの抵抗(ていこう)もなく、ありのままに、
働かせるエネルギーのようなものです。
だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
最高の人間性が、開花していく。
それは、
さまざまな悩みを解決し、
宿命(しゅくめい)を打ち破(やぶ)り、
夢や希望をかなえていく、
大きな大きな力(ちから)となっていきます。
また、おもしろいことに、
南無妙法蓮華経を、となえると、
どんな鬼神(きじん)や悪魔も、
南無妙法蓮華経を、となえる人に、
危害(きがい)を加えることは、できなくなり、
悪魔や鬼神であっても、
南無妙法蓮華経を、となえる人を、
助け、守る存在(そんざい)になります。
南無妙法蓮華経は、
全宇宙の生命を、つかさどる、
絶対的な法則(ほうそく)であるがゆえに、
どんな鬼神や、悪魔であっても、
この南無妙法蓮華経の法則に、
したがわないわけには、
いかなくなるからです。
だから、悪魔や鬼神は、
南無妙法蓮華経を、とえなる人に、
逆(さか)らうことは、できず、
どうしても、南無妙法蓮華経を、となえる人を、
助け、守るしか、なくなります。
だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
あらゆる神々が、鬼神や悪魔であっても、
その人を、守り助ける存在になります。
キリスト教のような矛盾(むじゅん)は、
一切(いっさい)なく、
現実における、あらゆる存在が、
なんの矛盾もなく、自分を助け、
自分を守る、プラスの存在として、
働いてくれる。
これが、南無妙法蓮華経を、となえるスゴサだと思う!!
問題は、現実です。
現実の人生を、どうやって、切り開いていくか?
現実の自分を、どうやって、変えていくか?
現実の世界を、どうやって、変えていくか?
現実の自分を、どうやって、幸せにし、
夢を、かなえていくか?
その現実に、真っ向から挑戦し、
現実のすべてを、プラスに変え、
現実の自分を、幸せに変え、希望を、つかみ、
あらゆる現実の中で、
勝利していける法則!
そのあらゆる現実を、
幸せに変えていく、
法則であり力(ちから)が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)だと、いうことです・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
「クロノクルセイド」というアニメを、
見たことがあります。
悪魔退治(あくまたいじ)を専門に扱(あつか)う
マグダラ修道会という、
キリスト教のシスター、ロゼットが、
なぜか、悪魔のクロノと組んで、
活躍(かつやく)する物語でした。
あんまり、おもしろくありませんでしたが、
暇だったので、最後まで見ました・・。
内容は、なんというか・・メチャメチャな感じでしたが、
最終回だけは、良かったと思いました。
この物語は、
ロゼットの破天荒(はてんこう)な活躍と、
ロゼットの、人を思う純粋な行動と、
やさしさが、魅力(みりょく)のようです。
ロゼットは、悪魔クロノから、
力を借(か)りるために、
契約(けいやく)を結びます。
その契約の結果、
ロゼットは、悪魔クロノが力(ちから)を使うごとに、
命が削(けず)られ、
悪魔クロノが、力を出せば出すほど、
ロゼットの寿命(じゅみょう)が
縮(ちぢ)まっていくという、
ストーリー展開で、
最後、ロゼットは、寿命が無くなり、
若くして、悪魔クロノと一緒に、
死んでいきます。
詳(くわ)しい話しは、さておき、
このアニメは、
ロゼットが、キリスト教のシスターだということで、
どうしても、キリスト教色が、
強かったと思います。
おもしろいのは、
神の立場に立つシスターが、
悪魔を仲間とし、悪魔と協力する点です。
キリスト教の教義(きょうぎ)から考えれば、
神が悪魔と手を結(むす)ぶことも、、
悪魔が神と協力することも、ありえないと思いますが、
このアニメの中の登場人物が言うには、
悪魔クロノを助け、仲間とする、
ロゼットは、
地獄(じごく)行きとなるそうです。
最終的に、この物語では、
ロゼットの修道会の上司(じょうし)である、
シスターケイトが、
ロゼットと悪魔クロノの生き様を見て、
キリスト教を捨てることを、
決断します。
また、天使として登場する、
牧師レミントンも、
混沌(こんとん)とした世界の中で、
神と悪魔の偽善(ぎぜん)的宗教観に、
絶望して、無力のまま、路頭(ろとう)に迷(まよ)い、
地に倒れていきます。
このアニメの作者の意図(いと)としては、
キリスト教は、人間を救うことは、できない!
人間が、本当に人間らしく
生きようとしたならば、
キリスト教を、捨てるしかない・・・!
あたかも、
そう、言いたかったかのように見えます。
生命の最小単位である自分の生命の中でさえ、
神的なものと、悪魔的なものが、
どちらも、存在している。
まして、神的存在と、悪魔的存在が、
ごっちゃまぜに、混在(こんざい)する、
この現実の世界で、キリスト教の信仰を、
つらぬこうとしたならば、
その人は、偽善者(ぎぜんしゃ)に、
ならざるをえないかもしれない・・。
その中で、
もっとも、人間らしく描かれているのが、
ロゼットです。
ロゼットは、自分の思うがままに行動する。
キリスト教では、
けっして受け入れられるはずのない、
悪魔を助け、仲間として、愛していく。
自分の真心、やさしさ、人間性だけを信じ、
ありのままの、つくろわない、
ピュアな心で、行動していきます。
作者が、伝(つた)えたかったことは、
この、まったく、つくろわない、
ありのままの人間性なのかも、しれない。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
仏法(ぶっぽう)には、
無作(むさ)という言葉が、あります。
無作(むさ)とは、
「つくろわず、はたらかさず、ありのまま」
という意味です。
この、つくろわない、はたらかさない、
ありのままの人間性を、開花させるのが、
実は、創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。
南無妙法蓮華経を、となえていると、
その、つくろわない、ありのままの人間性が、
開花していきます。
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
もっとも人間らしい心、
もっとも人間らしい行動、
その人間としての、もっとも人間らしい最高の行動を、
なんの飾り(かざり)もなく、
なんの抵抗(ていこう)もなく、ありのままに、
働かせるエネルギーのようなものです。
だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
最高の人間性が、開花していく。
それは、
さまざまな悩みを解決し、
宿命(しゅくめい)を打ち破(やぶ)り、
夢や希望をかなえていく、
大きな大きな力(ちから)となっていきます。
また、おもしろいことに、
南無妙法蓮華経を、となえると、
どんな鬼神(きじん)や悪魔も、
南無妙法蓮華経を、となえる人に、
危害(きがい)を加えることは、できなくなり、
悪魔や鬼神であっても、
南無妙法蓮華経を、となえる人を、
助け、守る存在(そんざい)になります。
南無妙法蓮華経は、
全宇宙の生命を、つかさどる、
絶対的な法則(ほうそく)であるがゆえに、
どんな鬼神や、悪魔であっても、
この南無妙法蓮華経の法則に、
したがわないわけには、
いかなくなるからです。
だから、悪魔や鬼神は、
南無妙法蓮華経を、とえなる人に、
逆(さか)らうことは、できず、
どうしても、南無妙法蓮華経を、となえる人を、
助け、守るしか、なくなります。
だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
あらゆる神々が、鬼神や悪魔であっても、
その人を、守り助ける存在になります。
キリスト教のような矛盾(むじゅん)は、
一切(いっさい)なく、
現実における、あらゆる存在が、
なんの矛盾もなく、自分を助け、
自分を守る、プラスの存在として、
働いてくれる。
これが、南無妙法蓮華経を、となえるスゴサだと思う!!
問題は、現実です。
現実の人生を、どうやって、切り開いていくか?
現実の自分を、どうやって、変えていくか?
現実の世界を、どうやって、変えていくか?
現実の自分を、どうやって、幸せにし、
夢を、かなえていくか?
その現実に、真っ向から挑戦し、
現実のすべてを、プラスに変え、
現実の自分を、幸せに変え、希望を、つかみ、
あらゆる現実の中で、
勝利していける法則!
そのあらゆる現実を、
幸せに変えていく、
法則であり力(ちから)が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)だと、いうことです・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・