すべての人の、こころの中には、
宝物(たからもの)がある。
それは、当然なのかもしれません。
なぜなら、それは、
自分の生きている証(あかし)であり、
生きていく大きな支え(ささえ)となっていると、
思うからです。
大切な大切な、こころの中の宝物。
自分が生きてきた、
また、生きている証(あかし)である
生命に刻(きざ)まれた宝物。
けれど、その、こころの中の宝物は、
ほとんどの場合、
人には、わからない、
人には、見えないものかもしれない。
けれど、
だれがなんと言おうと、
やっぱり、すべての人が、
こころの中に、宝物を持っている。
その、こころの中の宝物は、
自分の心の壁(かべ)に、閉(と)ざされて、
決して、出てこない場合もあるかもしれません。
また、そんな、こころの中の宝物なんて、
忘れ去(さ)っている場合も、
あるかもしれません。
その、こころの中の宝物を、
ほんとうは、外に出したいのに、
出せない場合も、多いかもしれない。
すべての人が、
かけがいのない『人間』であることの、
『証(あかし)』
それが、
「こころの中の宝物」かもしれない・・・。
その・・、
その人が持っている、こころの中の宝物を、
もし、ほんの、わずかでも、
わかってあげられたら・・・・!
こころの中の宝物を、
ほんのわずかでも、
認(みと)めてあげることが、できたなら・・・!
そういう人が、
世界に、一人でも、いたならば、
その人は、幸せかもしれない・・・。
人は、自分の中の、
「こころの中の宝物」を、
出したがっていると思う。
別にそんなもの、出したくもないし、
人に見せたくもないと言うかもしれませんが、
ほんとうは、
自分の中の「こころの中の宝物」を、
みんなに見せて、
自分だって、生きいてるんだ!と、
誇(ほこ)らかに、
声をあげて、
叫(さけ)びたがってるんだと思う。
「こころの中の宝物」を、
自分の中から、
おもいっきり出すことが、できたなら、
その人は、
世界一の、幸せ者だと思う。
けれど、
その「こころの中の宝物」を、
出せない悲しみ・・・!
「こころの中の宝物」を、
出すことのできない苦しみ・・・!
「こころの中の宝物」があるのに、
出すことのできない、
だれも、わかってもらえない辛(つら)さ・・・!
また、自分の中に、
「こころの中の宝物」が、
あることすら、わからず、
信じられない人も、多いかもしれない。
そこから、不幸は、
生まれるのかもしれないと思う。
その辛さ(つらさ)から、
人は、ある時は、
人を、傷(きず)つけたり、
ある時は、
大変な犯罪に、およぶことも、
あるかもしれない。
すべての人が、
「こころの中の宝物」を、
持っているにも、かかわらず・・・・!
こころの中の宝物が、
人間の生命の中に存在すると仮定(かてい)する。
そして、その、
人間の生命の中にある、
最も強く、最もあったかく、
最も清(きよ)らかで、
最も素晴らしく、
あらゆる価値(かち)と
あらゆる可能性を秘(ひ)めた、
最も輝(かがや)いてる
「こころの中の宝物」のことを、
仏法(ぶっぽう)では、
あるいは、創価学会(そうかがっかい)では、
「仏界(ぶっかい)の生命」
と、呼ぶ。
あるいは、
「仏(ほとけ)の生命」
と呼ぶ。
仏界(ぶっかい)の生命とか、
仏(ほとけ)の生命とかいうと、
仏法用語だし、
わかりずらく思ってしまうかもしれない。
また、自分には、
関係ないような気もしてくる。
けれど、『こころの中の宝物』なら、
すべての人が、もっている。
すべての人が、
その「こころの中の宝物」を、
輝かせ、開花(かいか)させていきたいと思う。
すべての人の中にある、
『こころの中の宝物』。
その、こころの宝物の中で、
最も強く、最も深く、最もたくましく、
この『こころの中の宝物』があるおかげで、
何ものにも負けず、
どんな苦難(くなん)も跳(は)ねのける、
強くて、あったかくて、やさしくて、
最高の幸せと、無限の可能性を秘(ひ)めた、
最強最高の生命(せいめい)。
そんなものが、あるとしたら、
それが、だれもが望(のぞ)む、
最強無敵(さいきょうむてき)の
『こころの中の宝物』だと思う。
そして、その最強無敵の『こころの中の宝物』に、
名前をつけて、
『仏界(ぶっかい)の生命』
と呼んでいる。
すぺての人の中に、
『こころの中の宝物』があることは、
わかると思う。
だとしたら、自分の中に、すべての人の中に、
最強無敵の『こころの中の宝物』があることも、
推測(すいそく)ができると思う。
そして、それは、実際(じっさい)にある!!
世界中の、どんな人でも、
どんな環境(かんきょう)の人でも、
必ず、幸せになっていける、
『こころの中の宝物』。
どんな悩みも、どんな困難(こんなん)も、
必ず乗り越(こ)えていける、
『こころの中の宝物』。
どんな運命(うんめい)や環境も、
打ち破(やぶ)り、人間革命して、
必ず、勝っていける、
『こころの中の宝物』。
その可能性とエネルギーと、
影響力(えいきょうりょく)が、
とても表現できないほど、
スケールが大きく、無限大(むげんだい)だから、
表現しようがないので、
その『こころの中の宝物』のことを、
『仏界の生命』と呼んでいる。
そして、素晴(すば)らしいことに、
こころの中の宝物が、すべての人の中にあるのと、
まったく、同じように、
その最強無敵の「こころの中の宝物」である、
『仏界(ぶっかい)の生命』は、
すべての人の中にあり、
すべての人が、持っている!!!
創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が、
「世界中のすべての人が、
自分の中に、
仏界(ぶっかい)の生命があることが、
わかったら、
戦争は、なくなる!」
と、言っていた。
たしかに、そうだと思う。
仏界の生命とは、
どんな人でも、必ず幸せをつかんでいける、
最強無敵の『こころの中の宝物』です。
その、「こころの中の宝物」が
あることが、わかったら、
また、その「こころの中の宝物」を、
自分の中から、出すことができたなら、
それだけで、
その人は、満(み)たされ、
犯罪(はんざい)や、戦争を起こす必要が、
無くなっていく。
なぜならば、
必ず幸せをつかんでいける
「こころの中の宝物」が、
自分の中にあることが、わかり、
また、それを、自分の中から、
出すことが、できたなら、
それは、そのまま、
自分の価値、自分の存在を、
自分で認め、人からも、
認められることに、なっていくからです!
その、満たされた心からは、
犯罪は、起こらないと思う!!!
その、すべての人の中にある、
『仏(ほとけ)の生命』という、
最強の「こころの中の宝物」を、
自分で、わかり、自分で認め、
自分で、自分の中から、
引き出す、
世界で唯一(ゆいいつ)の方法を説いたのが、
『仏法(ぶっぽう)』であり、
それが、創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法です。
そして、その、
『仏界(ぶっかい)の生命』という
最強無敵の「こころの中の宝物」を引き出す、
世界で、たった一つの方法!
それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
ということなんです。
だから、
『南無妙法蓮華経を、となえる』と、
自分の中の、「こころの中の宝物」に、
目覚(めざ)め、
自分の中から、「こころの中の宝物」を、
引き出すことが、できるようになり、
やがて、
さまざまな夢や希望、幸せを、
つかむことが、
できるようになってくる。
それが、
『ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえる』
ということだと思う。
少し、掘(ほ)り下げて話すと、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしています。
だから、仏の生命そのものの名前が、
「南無妙法蓮華経」だと言っていい。
そして、ご本尊(ほんぞん)とは、
その仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、あらわした、
自分の生命の鏡(かがみ)のようなものです。
南無妙法蓮華経という仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあるので、
どんな人でも、
その『仏の生命(せいめい)』を引き出せば、
必ず幸せになっていける。
そのことを、あらわした、
自分の生命の象徴(しょうちょう)のようなものが、
『ご本尊』です。
だから、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえていった時、
自分自身の心を見て、
自分の心を呼び覚ますように、
その人の中から、最高の「こころの宝物」が、
引き出され、
自分の生命に、
大いなる価値と幸せを感じ、
勇気や知恵や、歓喜(かんき)となって、
その人を輝(かがや)かせ、
やがて、それは、悩みを解決したり、
夢を、かなえたりして、
現実の結果となって、
その人を、幸せに導(みちび)いていく・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
すべての人の中に
「こころの中の宝物」はある。
そして、その「こころの中の宝物」の中で、
最も強く、最も深く、最もあたたかく、
最もたくましい、何ものにも負(ま)けない、
無限の可能性を秘めた、
最も幸せな、「こころの中の宝物」!
それが、『仏界(ぶっかい)の生命』であり、
『仏(ほとけ)の生命』だと言えます。
そして、さきほども言ったように、
『仏界の生命』の本源的(ほんげんてき)な名前のことを、
『南無妙法蓮華経』と言います。
南無妙法蓮華経とは、本源的な、
最強無敵の「こころの中の宝物」の名前だと言えるので、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ということは、
その「最強無敵の、こころの中の宝物」の名前を呼び、
呼び出すことになります。
だから、呼ばれて、
自分の中から「こころの中の宝物」が、
引き出され、開花していく。
また、逆(ぎゃく)に言えば、
南無妙法蓮華経は、
『仏界の生命』『仏の生命』を表現した、
唯一(ゆいいつ)の名前ですから、
その名前を呼ぶ以外、
『仏の生命』という、
最強無敵の「こころの中の宝物」を、
引き出す方法は、ありません。
『南無妙法蓮華経を、となえる。』
それは、仏界の生命という、
最強無敵の『こころの中の宝物』を引き出す、
たったひとつの、
唯一(ゆいいつ)の方法なんです。
だから、人生、いろいろ、ありますが、
最終的には、
『南無妙法蓮華経を、となえるしかない!!』
と言っても、さしつかえありません。
そして、その南無妙法蓮華経の仏法を、
世界規模(きぼ)で実践しているのが、
創価学会(そうかがっかい)です。
だから、
世界の良識ある、有能は人物たちは、
(大げさに聞こえるかもしれませんが)
創価学会に、まるで、
世界を救えるのは、創価学会だけだ!
とでも、言わんばかりに、
創価学会に、期待し、絶賛(ぜっさん)し、
世界の希望を、たくしている!
けれど本当は、おおげさではなく、
実際(じっさい)に、そうかもしれません。
それほど、創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法は、スゴク、
現実と世界と人間を、
着実(ちゃくじつ)に、ひとつひとつ、
善(ぜん)の方向に、平和の方向に、
幸せの方向に、変革(へんかく)している。
またそれが、世界の善意の人たちの、
一貫(いっかん)した、
創価学会に対する、見方(みかた)です。
やがて、そのことに、
日本も、
また一人、また一人と、
水かさが増すように、
気づいていくことでしょう・・・・!
そして、
創価学会の、素晴らしさ、偉大(いだい)さを、
素直に、
賞賛(しょうさん)せざるおえない時代も、
来ることでしょう・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・