タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく120

2013-04-17 09:18:43 | 幸せ
●テーマ●
『師匠を持つことの魅力について』

一般的には、
師匠(ししょう)というと、
芸術とか、芸能、
あるいは、スポーツの世界の話しのような、
気がする。
特殊(とくしゅ)な技能や技術、
あるいは、特別な分野での活躍(かつやく)を、
目指す場合に、
それを、教えていただく先生、
もっと、踏(ふ)み込むと、
『師匠(ししょう)』という存在が、
必要になってくるんだと、思う。

それら、特別な分野での、
師匠という存在は、
たしかに、その特別な分野での成長を、
めざす人にとっては、
大切な、かけがいのない存在に、
なるんだと思う。

師匠が、いると、なぜ、いいのか?
ある意味、手本(てほん)となる存在がいるということは、
目的を、達(たっ)するのに、
最短距離で、進むことが、できると思う。
もちろん、それだけではないと思うけれど、
自分が目指(めざ)すものの、手本として、
ナビゲートして(導いて)くれる存在が、
いれば、険(けわ)しい道であっても、
安心して、進んでいけるのかも、
しれない。

また、分野においては、
師匠につかないと、未来が開けない場合もある。
また、師匠を持たず、
独学で、大成(たいせい)していく人も、いる。
それはそれとして、
実は、師匠を持つということは、
技能や技術面での成長より、
人間としての成長が、大きいように、
思われる。
親でも、友達でもない、師匠、
この微妙(びみょう)な関係だけが、成(な)しうる、
人間関係!
師匠と弟子でなかったら、
けっして、生まれることのない人間関係。
ここに、人間として、
大きく開花していく、鍵(かぎ)と、
秘密(ひみつ)が、かくされているのかもしれない。


創価学会では、
師弟(してい)の概念(がいねん)を、
とても大切にします。
師匠と弟子!
創価学会が、実践している仏法(ぷっぽう)は、
人間に、最高峰(さいこうほう)の希望と幸せを、もたらす
最高の法則であるがゆえに、
ある意味、きびしい道のりかも、しれない。
仏法は、いまだ、科学で、解明(かいめい)されていないし、
世間的にも、理解できなかったり、
理解されていない部分が、多いかもしれない。

だから、この最高の幸せと勝利を、
つかむために、仏法(ぶっぽう)を、
真に実践(じっせん)している師匠の存在が、
とても大切になっていく!
同じ人間として、最高最大の仏法の法則(ほうそく)を、
現実の人間として、開花させ、
現実に行動し、
その素晴らしさを、自(みずか)らの姿をもって、
表現しきっている存在!
その存在(そんざい)を、目の当たりに見て、
初めて、弟子は、
仏法のすごさ、素晴らしさ!
仏法の偉大(いだい)さを、理解し、
感じ、自分も、実践してみようと、
思うのかもしれない。



普通、師匠というと、
芸能、芸術、など、かぎられた、
狭(せま)い分野での
特定の人だけの存在に、
思われる。

けれど、創価学会の師匠は、
あらゆる人間にとっての師匠です。

創価学会の師匠は、
当然、創価学会インターナショナル会長の、
池田大作先生だけれども、
池田先生は、創価学会の、
あらゆる分野のひとたちの師匠です。
芸術家であろうと、
主婦であろうと、
とび職人であろうと、
船乗りであろうと、
医者であろうと、
科学者であろうと、
保母さんであろうと、
学生であろうと、
看護士であろうと、
サラリーマンであろうと、
社長であろうと、
飲み屋の姉さんであろうと、
その、すべての師匠が、
池田先生です!

それは、なぜか?
池田先生は、人間のための師匠だからです!
人間として、勝利し、
幸せをつかむための、師匠(ししょう)!
それが、池田先生です。
だから、池田先生は、すべての人の師匠と、なりうる。

また、世界でも、
優秀であればあるほど、
池田先生の価値(かち)と偉大さが、
わかるという。
その最優秀の人たちは、
別に、創価学会員でなくても、
自分の師匠は、
『池田大作先生だ!』といって、
はばからない人たちが、
たくさん、いる!
それほど、池田先生という師匠は、
偉大だということです。

師匠が、大きく、偉大であればあるほど、
その弟子たちは、
自由に、希望を持って、
自分の夢と幸せのために、
まっすくに、人生の道を、進んでいける!

だから、
人生と幸せを、考えた時、
師匠を持つ意義(いぎ)は、あまりにも大きい!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

師匠がいるから、勝てた。

師匠がいるから、悩みや困難(こんなん)を、
乗り越(こ)えることができた。

師匠がいるから、夢や希望を、
かなえることができた。

どんな状況でも、どんな環境(かんきょう)でも、
どんなに悲しい時でも、
師匠がいるから、負けないで戦い、
幸せを勝ち取ることができた。

創価学会では、
そのような声が、その、人の数だけあると、
言ってもいいと思う。

『師匠』対『多数の人々』ではなく、
一対一の関係で、
ひとりひとりが、『師匠』を持っている。

それが、どれだけの、
強さと勇気と、
希望と幸せを、もたらすか、
それこそ、計(はか)り知れない・・!!


創価学会が実践している仏法(ぶっぽう)は、
人間に、最高峰(さいこうほう)の希望と幸せを、
もたらします。

仏法(ぶっぽう)とは、
世界最高の人間哲学(てつがく)、
生命哲学、
あるいは最高の勝利の哲学であり
幸せの哲学(てつがく)です。

だから、
その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法とは、
必ず、人々に勝利と幸せをもたらす、
無限にして最大の法則であり力(ちから)だと、
言えます。

その、仏法における師匠を持ち、
師弟(してい)を、つらぬくことは、
その人々に必ず勝利と幸せをもたらす、
無限にしてい最大の法則であり力(ちから)を、
つらぬくことになっていきます。

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、
世界最高の人間哲学(てつがく)であり
生命哲学であり、
また、世界最高の勝利と幸せの哲学なんだから、
それを、つらぬこうとする師弟(してい)は、
当然、世界最高の勝利と幸せを、
つかむことになっていきます。

最高にして最大の勝利と幸せを、
つかむためにあるのが、『仏法(ぶっぽう』。

仏法は、人間としての、
最高峰(さいこうほう)の『幸せの法則』!!

だから、
その最高峰の幸せの法則を持った、
最高の師匠は、
哲学的(てつがくてき)にも、生命的にも、
現実的にも、生活的にも、
人間的にも、その弟子を、
最高の幸せへと、導(みちび)くことができます!

だから、創価学会の、
池田先生は、
文字通り、世界最高の師匠となる!
何の師匠かというと、
人間に勝利と幸せを、もたらすための、
世界最高の師匠ということです。

すなわち、その師匠を持つということは、
師匠と同じ、世界最高の勝利と幸せを、
めざす道を、進み、
その結果、
必ず、勝利と幸せを、つかめる!
ということです。
同じ道を、進んでいるんだもの!
たとえ、足の遅(おそ)い、早いは、あったとしても、
最終的には、
必ず、『幸せ』という到達点に、達(たっ)するはずです!



師匠がいなくても、
人生は、人生だし、
時は、過(す)ぎていく・・。

けれど・・、
だれでも、幸せになりたいし、
人生に勝利したい・・。

それに、人生、
幸せと勝利につながる道を、探すのは、
大変です!

路頭(ろとう)に迷(まよ)い、
途方(とほう)に暮(く)れることも、あるかもしれない。

そんな時、もし、幸せと勝利の道を、
明確(めいかく)に知っている人が、いれば、
その人の歩んだ道を、
進めば、必ず、幸せを、つかめる!


仏法における「師匠」とは、
『人生における勝利』
『人間としての勝利』をもたらす、
『幸せ』という、すべての人に共通する、
大目的を果(は)たすための『師匠』です。

その、幸せをつかむための師匠が、
必要でない人は、
ひとりも、いないはずです。
仏法の眼(まなこ)から、見れば、
それを必要としないというのは、
おごりであり、一人よがりであり、
心の狭(せま)い、みじめな人間だと、言えます。

仏法でいう師匠は、
結局(けっきょく)、人間を、最高の幸せへと、
導くからです!!!

言葉では、言い表(あらわ)せないけれど、
偉大な『師匠』が、いるということ!
これほど幸せなことは、
おそらく、ないと思う。
また、逆に、
師匠の必要性(ひつようせい)を、
理解しないことほど、
かわいそうなことは、ないのかもしれない。

それほど、
師匠というものは、大切であり、
人生を、左右する。


師匠と弟子の関係は、
人間として、最高の輝(かがや)き、
最高の勝利、最高の幸せを、生み出す!

本当は、『師匠』は、
人生においても、『生命』においても、
幸不幸を左右する決定的な部分を、しめている。

幸福になりたいのならば、
人生を勝利したいのならば、
あまりにも大切なのが、
『師匠』である!と言い切ることができる!!

また、それが、師匠を持つ魅力(みりょく)だと思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・