以前、聖教(せいきょう)新聞に、
『池田先生とフィリピン』という記事が、
のっていました。
池田先生(創価学会インターナショナル会長)という人間が、
とても良くわかる内容になっていたので、
その『池田先生とフィリピン』の
記事の抜粋(ばっすい)を、
そのまま、のせたいと思います。
・・・・・・・・・・
ヤシの木が茂(しげ)る
マニラのホテルの入り口。
「ようこそ!フィリピンへ」
玄関前で日本人客を迎(むか)えた
ジョイ・アルベスは、
流(りゅう)ちょうな日本語で頭を下げた。
従業員の彼女は、
名古屋大学に留学した経験が
買われている。
しかし、高級車から出てくる日本人は、
たいていアルベスには目もくれず、
さっさとロビーへと向かってしまう。
「これだから、日本人は・・・・・・・・」
最後の言葉は、ぐっと飲みこんだ。
ホテルは空港から15分。
客室から有名な
『マニラ湾の夕日』が一望(いちぼう)できる。
どうやら近々、
日本の宗教団体のトップが来るらしい。
アルベスは
「また失望(しつぼう)させられるのか」
と思ったが、
迎(むか)える側の地元メンバーの熱意に打たれ、
ともに準備に奔走(ほんそう)してきた。
1991年4月19日の午後11時過ぎ。
池田大作SGI(創価学会インターナショナル)会長を
乗せた車がホテルの入り口に止まった。
車から降(お)りた会長は、
アルベスに折(お)り目を正し、
深々(ふかぶか)とおじぎをした。
「うちの人が無理難題(むりなんだい)を言って、
困らせたんでしょ。
本当に、ありがとうございます。」
アルベスの小さな手を
両手で握(にぎ)りしめた。
隣(となり)に立っていた
ホテルのマネージャーに語りかける。
「彼女は本当に
陰(かげ)で良くやってくれたと
伺(うかが)っています。
日本から贈(おく)り物を持ってきたので、
渡(わた)してもいいですか」
マネージャーは驚(おどろ)いた様子を見せた後で、
にっこり微笑(ほほえ)んだ。
その深夜、アルベスは、
SGI(創価学会インターナショナル)のメンバーと
遅(おそ)い夕食を共(とも)にした。
「実は私、今まで、
日本人は傲慢(ごうまん)な人ばかりだと
思っていました。」
池田SGI会長から贈(おく)られた写真集に
視線(しせん)を落とすと、
大粒(おおつぶ)の涙をためた。
「でも、池田会長にお会いして、
日本人が好きになりました!」
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
国立フィリピン大学。
フィリピンの最高学府(がくふ)で、
日本で言えば東京大学にあたろうか。
池田SGI会長に
「名誉法学博士号」を授与(じゅよ)している。
マニラ郊外(こうがい)のケソン市に、
メーンキャンパスが広がる同大学。
国花・サンパギータの
白い花が
咲(さ)き誇(ほこ)っていた。
1991年(平成3年)4月21日、
卒業式典(しきてん)の席上での
授与式(じゅよしき)だった。
壇上(だんじょう)のSGI会長は、
卒業生が前を通るたびに、
椅子(いす)から身を乗り出す。
拍手(はくしゅ)を送り呼びかける。
「よくやった!」
「勝ったね!」
日本語を解(かい)さない学生にも、
心は確実に伝わる。
前を通りすぎる時、
うれしそうな笑(え)みを浮(う)かべる。
ホセ・V・アブエバ総長(そうちょう)も、
穏(おだ)やかに見守った。
学生の列は、途切(とぎ)れなく続いた。
1時間が経過(けいか)すると
随行(ずいこう)メンバーは、
だんだん不安な顔になった。
常夏(とこなつ)の島。
気温は30度を超(こ)え、
じっとしても汗(あせ)が吹(ふ)き出る。
会場にクーラーはない。
扇風機(せんぷうき)だけである。
それでも、スーツの上に
ガウンをまとった池田SGI会長が、
身体(からだ)全体で
歓呼(かんこ)を送っている。
この直前に
経営学部で記念講演(こうえん)を
行ったばかり。
疲労(ひろう)はピークのはずだ。
体調は大丈夫(だいじょうぶ)なのか。
役員が香峰子夫人(かねこふじん/池田会長夫人)に
尋(たず)ねた。
「学生が、かわいくて、しかたがないんですよ。」
静かに微笑(ほほえ)んだ。
ようやくSGI会長の謝辞(しゃじ)になった。
用意した原稿(げんこう)を伏(ふ)せ、
話しはじめた。
「マニラを訪(おとず)れ、
私は思いました。
世界一、荘厳(そうごん)なる
旭日(きょくじつ)を仰(あお)ぎ、
世界一、尊厳(そんげん)なる夕日を望(のぞ)む
皆様の心もまた、
美しき宝の心であると!」
拍手(はくしゅ)が
一斉(いっせい)に沸(わ)き上がった。
鳴(な)りやまない。
この日、一番の大歓声である。
スタンディング・オペーションが
起こった。
2年後。
アブエバは授与式(じゅよしき)を振(ふ)り返り、
誇(ほこ)らしく語った。
「あの後、学生たちが
『池田会長のスピーチ原稿(げんこう)をください。
もう一度、心に刻(きざ)んでおきたい!』
とやって来ましたよ。
学生たちの伝説になっています。」
・・・・・・・・・・・・・
池田先生は、
今回、話したフィリピンの話しにかぎらず、
世界中いたるところで、
池田先生が出会った、
あらゆる人々に、
あたたかい感動と印象(いんしょう)を、
与(あたえ)え続けてきたんだと思う。
その、世界の人々の
評価と賞賛(しょうさん)の結果が、
名誉博士や名誉教授などの
350の名誉学術称号(めいよがくじゅつしょうごう)や、
750の名誉市民称号となって、
あらわれているんだと思う・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
『池田先生とフィリピン』という記事が、
のっていました。
池田先生(創価学会インターナショナル会長)という人間が、
とても良くわかる内容になっていたので、
その『池田先生とフィリピン』の
記事の抜粋(ばっすい)を、
そのまま、のせたいと思います。
・・・・・・・・・・
ヤシの木が茂(しげ)る
マニラのホテルの入り口。
「ようこそ!フィリピンへ」
玄関前で日本人客を迎(むか)えた
ジョイ・アルベスは、
流(りゅう)ちょうな日本語で頭を下げた。
従業員の彼女は、
名古屋大学に留学した経験が
買われている。
しかし、高級車から出てくる日本人は、
たいていアルベスには目もくれず、
さっさとロビーへと向かってしまう。
「これだから、日本人は・・・・・・・・」
最後の言葉は、ぐっと飲みこんだ。
ホテルは空港から15分。
客室から有名な
『マニラ湾の夕日』が一望(いちぼう)できる。
どうやら近々、
日本の宗教団体のトップが来るらしい。
アルベスは
「また失望(しつぼう)させられるのか」
と思ったが、
迎(むか)える側の地元メンバーの熱意に打たれ、
ともに準備に奔走(ほんそう)してきた。
1991年4月19日の午後11時過ぎ。
池田大作SGI(創価学会インターナショナル)会長を
乗せた車がホテルの入り口に止まった。
車から降(お)りた会長は、
アルベスに折(お)り目を正し、
深々(ふかぶか)とおじぎをした。
「うちの人が無理難題(むりなんだい)を言って、
困らせたんでしょ。
本当に、ありがとうございます。」
アルベスの小さな手を
両手で握(にぎ)りしめた。
隣(となり)に立っていた
ホテルのマネージャーに語りかける。
「彼女は本当に
陰(かげ)で良くやってくれたと
伺(うかが)っています。
日本から贈(おく)り物を持ってきたので、
渡(わた)してもいいですか」
マネージャーは驚(おどろ)いた様子を見せた後で、
にっこり微笑(ほほえ)んだ。
その深夜、アルベスは、
SGI(創価学会インターナショナル)のメンバーと
遅(おそ)い夕食を共(とも)にした。
「実は私、今まで、
日本人は傲慢(ごうまん)な人ばかりだと
思っていました。」
池田SGI会長から贈(おく)られた写真集に
視線(しせん)を落とすと、
大粒(おおつぶ)の涙をためた。
「でも、池田会長にお会いして、
日本人が好きになりました!」
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
国立フィリピン大学。
フィリピンの最高学府(がくふ)で、
日本で言えば東京大学にあたろうか。
池田SGI会長に
「名誉法学博士号」を授与(じゅよ)している。
マニラ郊外(こうがい)のケソン市に、
メーンキャンパスが広がる同大学。
国花・サンパギータの
白い花が
咲(さ)き誇(ほこ)っていた。
1991年(平成3年)4月21日、
卒業式典(しきてん)の席上での
授与式(じゅよしき)だった。
壇上(だんじょう)のSGI会長は、
卒業生が前を通るたびに、
椅子(いす)から身を乗り出す。
拍手(はくしゅ)を送り呼びかける。
「よくやった!」
「勝ったね!」
日本語を解(かい)さない学生にも、
心は確実に伝わる。
前を通りすぎる時、
うれしそうな笑(え)みを浮(う)かべる。
ホセ・V・アブエバ総長(そうちょう)も、
穏(おだ)やかに見守った。
学生の列は、途切(とぎ)れなく続いた。
1時間が経過(けいか)すると
随行(ずいこう)メンバーは、
だんだん不安な顔になった。
常夏(とこなつ)の島。
気温は30度を超(こ)え、
じっとしても汗(あせ)が吹(ふ)き出る。
会場にクーラーはない。
扇風機(せんぷうき)だけである。
それでも、スーツの上に
ガウンをまとった池田SGI会長が、
身体(からだ)全体で
歓呼(かんこ)を送っている。
この直前に
経営学部で記念講演(こうえん)を
行ったばかり。
疲労(ひろう)はピークのはずだ。
体調は大丈夫(だいじょうぶ)なのか。
役員が香峰子夫人(かねこふじん/池田会長夫人)に
尋(たず)ねた。
「学生が、かわいくて、しかたがないんですよ。」
静かに微笑(ほほえ)んだ。
ようやくSGI会長の謝辞(しゃじ)になった。
用意した原稿(げんこう)を伏(ふ)せ、
話しはじめた。
「マニラを訪(おとず)れ、
私は思いました。
世界一、荘厳(そうごん)なる
旭日(きょくじつ)を仰(あお)ぎ、
世界一、尊厳(そんげん)なる夕日を望(のぞ)む
皆様の心もまた、
美しき宝の心であると!」
拍手(はくしゅ)が
一斉(いっせい)に沸(わ)き上がった。
鳴(な)りやまない。
この日、一番の大歓声である。
スタンディング・オペーションが
起こった。
2年後。
アブエバは授与式(じゅよしき)を振(ふ)り返り、
誇(ほこ)らしく語った。
「あの後、学生たちが
『池田会長のスピーチ原稿(げんこう)をください。
もう一度、心に刻(きざ)んでおきたい!』
とやって来ましたよ。
学生たちの伝説になっています。」
・・・・・・・・・・・・・
池田先生は、
今回、話したフィリピンの話しにかぎらず、
世界中いたるところで、
池田先生が出会った、
あらゆる人々に、
あたたかい感動と印象(いんしょう)を、
与(あたえ)え続けてきたんだと思う。
その、世界の人々の
評価と賞賛(しょうさん)の結果が、
名誉博士や名誉教授などの
350の名誉学術称号(めいよがくじゅつしょうごう)や、
750の名誉市民称号となって、
あらわれているんだと思う・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・