このまえ、
「ロング・エンゲージメント」
という映画を見ました。
とても、いい映画でした。
戦争のシーンは、
あまりにも残酷(ざんこく)で悲惨(ひさん)でしたが、
戦争後のシーンに戻ると、
ウイットやユーモアも、のぞかせ、
それでいて、
ひたむきな純(じゅん)な魅力(みりょく)が、
良く出ていました。
戦争で、マチルダの恋人、マネクは、
死んだと報告(ほうこく)されるが、
マチルダは、それを、信じない!
ただただ、
「マネクは、生きている!」
という、
自分の直感(ちょっかん)だけを信じ、
からまった糸のような小さな手がかりを頼(たよ)りに、
愛するマネクの消息(しょうそく)を
追っていく!
そして、
マチルダの直感は、
現実となり、
感動的なラストへと向かっていく。
その姿を、へんにドラマチックにはせず、
等身大(とうしんだい)の人間として、
表現しているところが、
すごく、良いと思った。
直感というものは、信念(しんねん)に似ている!
へたな願望のような、
浅(あさ)はかな勘(かん)は、
あまり、当たることはないし、
また、そういう勘(かん)が、
人を幸せに導(みちび)くことは、
少ない。
けれど、信念をともなった直感は、
時として、人を幸せに、みちびく。
人は、だいたいは、
常識(じょうしき)や理屈(りくつ)で動くものだ。
けれど、時として、
常識や理屈では違(ちが)っていても、
どうしても、こうするべきだ!という、
直感に従(したが)う時もある。
また、常識や理屈では、
そうすべきではないのに、
感情が、どうしてもこうしたい!という
強い信念を、ともなうこともある。
そういう時は、その直感に従ったほうが、
成功する場合もある。
なぜ?そうしたか?と聞かれて、
「どうしても、そうしたかったからだ!」
と、答えるしかない時もある。
理屈を、とるべきか?
直感を、とるべきか?
その見極(みきわ)めが、
たいへん難(むずか)しいと思う。
仏法(ぶっぽう)では、
その信念を、ともなった直感のことを、
「仏智(ぶっち)」と言う。
「仏(ほとけ)の知恵」という意味だ。
この仏智(ぶっち)は、ヒラメキに似(に)ていて、
理屈はともあれ、
仏智(ぶっち)として、
ひらめいたとおりに行動すると、
成功する。
成功するから、仏智なんだけれども・・。
ぼくが知っている創価学会(そうかがっかい)の婦人に、
理屈は、すごく苦手だけれど、
直感が、すごく!鋭(するど)い人がいる。
その人は、こころに、ご本尊(ほんぞん)を、
いつも、抱(だ)きしめているような人だ。
(ご本尊とは、創価学会で、
南無妙法蓮華経を、となえる対象[たいしょう]として、
信じている、祈りの対象です。)
彼女は、理屈は、わからなくても、
「だって、私は、そうしたいんだもの!」
「だって、私は、そうしたほうが、いいと思うんだもの!」
と、よく言う!
それで、常識から考えて、
無理(むり)ではないかと思われるようなことも、
成功させている!
だから、ぼくは、
「そうして、良かったですね!」
としか、言えない。
すごい人だと、思う。
問題は、この仏智が、
どうやったら出てくるかだと思う。
はっきり言うと、
『仏智(ぶっち)』は、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえないと、
出てこない!
南無妙法蓮華経は、自分の生命の中にある、
最高に素晴らしい、仏(ほとけ)の生命を
ひきだす、鍵(かぎ)に、似ている!
だから、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の中にある、
仏(ほとけ)の知恵を開くドアが開(あ)き、
ヒラメキが、出てくる!
創価学会員で、創造的(そうぞうてき)な仕事をしている人が、
創造上の壁(かべ)にぶつかった時に、
南無妙法蓮華経を、何時間も、となえて、
仏智であるヒラメキを、ひきだして、
何度も、何度も、
壁を、乗り越(こ)えてきたという話しは、
よく、聞く。
ぼくも、どうしたらいいか、悩むときなどは、
南無妙法蓮華経を、たくさん、たくさん、
となえると、
理屈ではなく、
絶対に、こうするべきだ!という、
直感と確信が、わいてきて、
はっきりと、進む道を選ぶことができたことが、
たくさん、あった!
また、これからも、
そうしていくだろうと思う。
南無妙法蓮華経を、となえると、
未来の見えない道を、ある意味、
仏智として、
自分に見えるようにしてくれる!
幸せになる道を、わからせてくれる!
それが、仏智(ぶっち)だと、思う。
すごいことだと思う。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
南無妙法蓮華経を、理屈で、
理解できる人は、いないと思う。
今日、話した仏智にしても、
南無妙法蓮華経の力の、
ほんのわずかな力(ちから)に、すぎないと思う。
南無妙法蓮華経の力は、
ほんとうに、すごすぎて、
とうてい、わからないと思う。
だから、結論(けつろん)として言えることは、
『南無妙法蓮華経は、信じるしかない!』
ということだ・・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・