大阪・中之島にある国立国際美術館は
今年、開館35年目を迎えるとの事。
記念企画として
2日連続で写真についてのシンポジウムがありました。
この企画は
写真に関る者であれば
「これは、行かねばなるまい」と思う内容。
もちろん私も聴講する予定にしていましたが
当日、美術館に到着すると
なんと、キャンセル待ちの状態でした。
場外にて立ち見という選択肢もありましたが
私の心は折れてしまい
早々に美術館を後にしました。
<ザンネン>
気をとりなおして
徳永写真美術研究所に通う安藤さんが
美術館友の会の枠にて
事前予約したと伺っていたため
彼女の報告を期待する事にしました。
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そのようないきさつで
日々、写真について考え作品制作を進めている
安藤千穂子さんに
シンポジウムのレポートを依頼しました。
徳永好恵
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5月12、13日に国立国際美術館で開催された
開館35周年記念シンポジウム
「写真の誘惑 視線の行方」に両日参加してきました。
今回のシンポジウムは
「開館35周年記念展コレクションの誘惑Ⅱ自由な泳ぎ手-写真の世界」に
合わせて催されたものです。
4つのセッションと総合討議による構成で
幅広い領域から専門家の方々が来られていました。
以下にご紹介します。
(敬称略)
[12日]
進行:植松由佳
はじめに:島敦彦
セッション1「写真と記憶」
基調報告:植松由佳
討議:植松由佳/森村泰昌/米田知子
セッション2「写真と身体」
基調報告:笠原美智子
討議:笠原美智子/鷹野隆大/ブブ・ド・ラ・マドレーヌ
[13日]
進行:竹内万里子
セッション3「写真と建築」
基調報告:五十嵐太郎
討議:五十嵐太郎/鈴木理策/ヨコミゾマコト
セッション4「写真と自然」
基調報告:青山勝
討議:青山勝/畠山直哉/前田恭二
総合討議「視線の行方」
加冶屋健司/佐藤守弘/菅啓次郎
最後に:島敦彦
シンポジウムを通しては、アナログとデジタルの問題や、
その二項対立に限らない大きな捉え方としてのイメージの問題が、度々話題に上りました。
様々な地点からの写真についての問いかけを聴いて多くを考えさせられましたが、
個人的に強く心中に残った言葉を中心に、この場では書き伝えたいと思います。
断片的であることをお許し頂ければ幸いです。
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まず、初日のセッション「写真と記憶」から。
写真と記憶を語るにあたり登壇者の三方が真っ先に思い浮かんだもの、
それは、ロラン・バルト著『明るい部屋ー写真についての覚書』
(原著初版:1980年/日本訳版初版:1985年)だったそうです。
バルトと彼の母親との思い出を語ったエッセイ、ともいえる『明るい部屋』。
それを踏まえて、作家の森村泰昌さんと米田知子さんは、
写真との出会いから話して下さいました。
美術家の森村さんが写真と出会った当時、
つまり幼少のころに重要であり大切だったことは、
シャッターを切る一瞬の身体的快感と、
写真により自分がまぎれもなくそこにいたと証明できることだったそうです。
シャッターを切っている自分の存在証明をも含めた、
ある瞬間の地点という〈時間の標本〉をつくることが重要だった、とも仰っていました。
その上で、「写真と記憶」について以下のように語られました。
〈あい対するものとして、「歴史」と「思い出」がある。
「歴史」は、一般化されたもの・序列のあるもの・記述や記録と換言できるもの。
「思い出」は、個人的なもの・多様なもの・記憶と換言できるもの、といえる。〉
森村さんにとって表現とは、
一般的な「歴史」と個人的な「思い出」の中間に位置する行為であるそうです。
つまり愛情をともないつつ、物語ることである、と…。
他方、写真家・米田さんは、
留学経験や、当時流行していた構造学的な考え方等の
影響を多いに受けられたそうです。
イメージは社会構造的なものであるという観点をもったことが、
写真の裏にあるものを見い出す、見えないものを見る、
という制作の出発点になったいうことでした。
〈最近では、論理を超えた、つきさすものを考える〉という
米田さんの言葉が、強く印象に残っています。
続くセッション「写真と身体」については、
私には扱いきれない難しい内容だったため、
率直な感想を書くことができません。
ですので、ここでは書き記すのを控えます。
次に、セッション「写真と建築」から。
建築と建築写真のハネムーンは今や崩れ、
建築物は写真では捉えきれない拡張したイメージの中に
存在するものとなっているーこのような状況から話は展開されました。
前日の「写真と身体」のセッションで、
「身体の不在」について少し話は出ていたのですが、
建築家のヨコミゾマコトさんの
以下の興味深い問いかけからセッションは始まりました。
〈「存在」がまずあるという前提が、建築の世界においても崩れている。
目に見えない、写真に撮ることも無い、存在感もない、
イメージが拡張している現在において、この先建築はどこにいくのか?〉
今や建築物は、イメージだけで存在できるものに変化しているそうです。
つまり以前のように、
地球上のどこかに建っているという明確な事実や重量が無くても、
問題にはならない、と。
このような状況にあって、
建築写真という言葉は死語になるかもしれない、
とも言及されてしました。
そのひとつの対語して、
建築家・青木淳さんによる青森県立美術館を撮影した、
写真家の鈴木理策さんの言葉が印象に残っています。
鈴木さんは、写真のなかにどれだけ情報を盛り込めるか、よりも、
自分自身がそこに生きている、その延長で写真を撮れないか、ということを考えるそうです。
〈建築物のなかにはいり、空間を歩き、目をとめる、体験をする、経験。
場におけるカメラの視線と自分の視線。その行間に、建築家と目が合う瞬間がある。〉
そういう言葉で、写真家としての姿勢を話されていました。
アナログからデジタルへの移行も伴い、
冒頭のヨコミゾさんの問いかけ〈存在がまずあるという前提の崩壊〉に見られる事実は、
今を生きる多くの人が感じているのではないでしょうか。
イメージの変容は存在の変容と換言できるのかもれません。
その変容のさなかにあって、
鈴木さんの言葉はひとつの回答として示唆に富んでいたと思います。
最後に、セッション「写真と自然」から。
所産的自然(うみだされた多様な自然のありよう)と
能産的自然(うみだすものとしての自然)というキーワードが出され、
イメージを構成するのも自然、表象するのも自然、
イメージと被写体自身の同型へと話は展開されました。
また、デジタルについて「偶然が介在しない」という言葉も聴かれました。
以上のような話の流れのなかで、
『ブラスト』シリーズなどで知られる写真家の畠山直哉さんは、
〈自然というもののなかには、自分の中にある自分よりも大きなもの(内在的自然)も含まれる、
それを感じたときに自分は自由になれるし、
法則を超えて快感を得る。〉というような発言されていました。
そして、
〈因果律によって成立している私たちの生きる世界にあって、
その法則性はときに人に不自由さを感じさせる。
そこから逃れるものとは法則から外れたもの、つまり「偶然」ではないだろうか。〉
というようなことを仰っていました。
写真は、在るものしか写しとることのできない媒体であると同時に、
見えないものへの思考が確実に存在しているものであると言われます。
写真機という機械を用いるものでありながら、
世界の予期せぬ偶然や、撮影者自身の特徴や鑑賞者の思考などが、
目に見えないものとして映り込むーそれは非常に面白いことです。
「写真と自然」という関係性は非常に広大でありながら、
何か本質的なものに迫ることができる手がかりになる、そんな気がしました。
*
終わりに、シンポジウムを通しての私個人の感想を述べます。
話を聴いた時点では正直なところ、
各セッションの内容をきちんと理解できませんでしたし、
難しいもやもやした感じが頭の中の大部分を占めている状態でした。
むしろ印象に残ったのは、登壇された作家の皆さんが話された、
制作にたいする論理的、且つ感性的でもある考えや、
説明のできる動機や、具体的な思いでした。
シンポジウムから数日たった今、
写真自体と写真を取り巻く様々な状況について考えてみても、
よく分からないままで思考を中断してしまいます。
しかし、何かを人に提示しようとするときには、
提示するものが何であれ、それをきちんと説明する作業が不可欠なように、
ものをつくるのであればなおのこと、
そのもの自体、と自分、と提示する世界や個人に対する、論理と感性をつくっていきたいものです。
シンポジウムの内容とは大幅にそれた感想になってしまいますが、
私はシンポジウムを通して、説明能力を得ることは、
内的世界と外的世界の両方を深く洞察していくためには絶対的に不可欠だと、思いを新たにしました。
写真や世界や個人について、何かしらの考えをもてるように成長したいです。
今回のシンポジウムの記録は、
今秋に国立国際美術館より発行されるそうです。
全体的な流れや細部などは、ぜひ秋に、ご確認下さい。
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レポート:安藤 千穂子(あんどう ちほこ)
武蔵野美術大学デザイン情報学科コミュニケーションデザインコース卒業後
2010年より徳永写真美術研究所にて写真を学ぶ。
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徳永写真美術研究所
大阪・鶴橋にて、写真・写真表現・シルクスクリーンの研究活動をおこなっています。
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