tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『THE FIRST SLAMDUNK』…コンマ何秒のリアル

2023-01-11 20:52:35 | 映画-さ行

 原作の『SLAM DUNK(スラムダンク)』(1990-1996 週刊少年ジャンプ)も読んでいないし、アニメ(1993-1996 テレビ朝日)も見ていないので、どうしようかなあと思っていたが、解禁されたという予告を見たら俄然見たくなってきて、昨日とうとう見に行った。

 

 とは言え超絶人気マンガだったからか、実はぼんやり知っていたみたい。知っていることを忘れていたけど、YouTubeで予習をしたら思い出した。

 予習した動画はこちら↓

【スラムダンク①】史上最高のバスケットボール漫画〜魂の授業〜

【スラムダンク②】激突!湘北vs山王工業

 中田あっちゃんの熱い授業にはほんと感謝感嘆するばかり。これが面白くて満足しちゃって、そのまま年を越したのだった。

 

 その後、熱いスラダンファンの旦那(映画は既に鑑賞済)が、実家から漫画の入った古い段ボールを持ってきたり、義弟が熱く推しているのを見ているうちに、先の予告動画がチラッと目に入った。

 

 時は来たり。(?)

 

 予習は万全だ。しかも実は、自分でも驚くが、中学時代はバスケ部だったのである。

 

 

 平日のレイトショーで、ガラガラという訳でもなく、満席という訳でもない。丁度良いあんばいの観客数だった。

 ・・・いやあ、面白かったなぁ。

 

 何が凄いって、試合シーンの臨場感が凄かった。

 

 宮城リョータの、コンマ何秒のフェイントが分かる。

 速すぎて目では捉えられないけど、感じられるのだ。人物達の肉感やボールの重さ、スピード感。視界。ぶつかり合って押し合っている時の、相手の骨と筋肉の硬さ。抗力。これに息づかいまで加わって、実写でもこのリアルさを感じさせることは出来ないんじゃないか。そう思ってしまった。

 総時間一時間弱の一つの試合と、ポイントガード宮城リョータの回想が、この作品の中身である。

 

“__もう一回『SLAMDUNK』をやるからには新しい視点でやりたかったし、リョータは連載中に、もっと描きたいキャラクターでもありました。3年生はゴリが中心にいて、三井にもドラマがあるし、桜木と流川は1年生のライバル同士。2年生のリョータは間に挟まれていた。そこで今回はリョータを描くことにしました。”

(同作品パンフレット・監督インタビューより抜粋)

 

“__(略)その中で、自分が歳を重ねるにつれてキャラクターたちをとらえる視点の数も少しずつ増えていく。
こいつはこんなヤツだったのか、こんなことがあったのかと、いろいろな視点が浮かんで、その度にメモが少しずつ増えていきました。更新されてきました。昔、30年前には見えなかった視点もあれば、連載中からあったけどその時には描けなかった視点もあります。”

(井上雄彦「つれづれの記/2022.10.20 THE FIRST」より抜粋) https://itplanning.co.jp/inoue/i221020/

 

 試合シーンの濃密さに比べ、回想シーンは台詞も少なめで、淡々と描かれた印象だった。

 その分、劇中、観客の焦点は無闇にブレることがない。ボールを運ぶ、人物達の一瞬一瞬の動作や判断が無言で切り開かれていくような、まるで流れる解剖学のような、重層的な絵を見ているような気分になった。

 

 アニメというとSFファンタジーが多い中、内容はとても土くさいアニメだ。

 またコメディ部門は花道くん一人が担う形。 

 

 程よく埋まった座席で鑑賞していたら、同点ゴールの後、数秒の空白の時間に、前の方から声が聞こえた。

 「入った……!」

 劇場を出てから、思わず声を漏らしたんだね、と隣で二回目の鑑賞をしていた旦那に言うと、「ガッツポーズもしていたよ」とのこと!

 音楽や音の緩急も、スクリーンを盛り上げ夢中にさせてくれた。

 

 これが日本の3DCG、スポーツアニメーションの最高峰。世界中の人に体感してほしいと、何だかそう思った。原作を知らない人も、知ってる人も、私のような半端に知ってしまった人も、これだけ夢中に楽しませることが出来る作品はそうないことだと思う。ストーリーの秒読みの緊迫感、作画の技巧、アニメーション技術の動きの力強さ。そして、刹那的な透明感が素晴らしい。

 

 

 『THE FIRST SLAMDUNK』、井上雄彦監督、原作、脚本。2022年、124分。東映アニメーション、ダンデライオンアニメーションスタジオ。

 


『博士と狂人』…「私達の頭の中は空より広い」byマイナー

2023-01-09 01:15:03 | 映画-は行

 『博士と狂人』、P・B・シェムラン監督、2019年、124分。英・アイルランド・仏・アイスランド合作。原題は、『The Professor and the Madman』。

 メル・ギブソン、ショーン・ペン、ナタリー・ドーマー、エディ・マーサン、スティーヴ・クーガン。

 

 原作はベストセラー・ノンフィクション、サイモン・ウィンチェスター『博士と狂人_世界最高の辞書OEDの誕生秘話』(1998)。

 

 

 実話もの。かのオックスフォード英語辞典(OED)の編纂に生涯を賭けた男と、初期のボランティアとして多大な貢献をした男の物語。

 

 タイトルからも分かる通り、辞典編纂という大事業は横糸で、縦糸で二人の男の肖像を描く。

 それぞれの人と為り、心情、境遇など、二大俳優の共演でなかなか見応えのある2時間だった。

 

「単語の定義はまず、最初に書かれた引用文で始めます。言葉の意味は年月と共に微妙に変わっていく。あるニュアンスを失ったりつけ加えたり、足跡を残しながら少しずつ変化するのです。英語という言語の壮大な多様性の中で、その全てを追い求め、見つけ出し、あらゆる言葉を網羅する。すべての世紀の本を読むことで、この偉業を成し遂げる。」

 

 膨大な作業の中で、「引用の募集」を始めたマレーは、出版される本という本に手紙を挟む。

「イギリス帝国全土とアメリカで__英語を話す人々へ。辞書作りのために本を読み、引用を送ってください。」

 

 刑事犯用精神病院に拘禁される中、マイナーはその手紙を見つける。

 

 私には、このシーンだけで十分だ。

 強迫的な妄想の中で自身を苦しめていたマイナーは、この手紙の文を足がかりに、現実世界へと戻ってくる。言葉の大海の無限の広がりと、生き生きとしたうねりをこの瞬間感じ取ったのはマイナーだけではなく、私もだ。

 色鮮やかに、生きた言葉が深呼吸をして、身振り豊かに一堂に会する。

 芽が育ち木となり、葉が空いっぱいに舞い上がるイメージが一気に頭に広がった。

 あらゆる人から発せられたあらゆる言葉の一片が、瞬間の感情とニュアンスを連れ、または手放して、永遠のシナプスとなり世界を構成する。

 クリスマスの食卓のシーンと同じように、何かとっても暖かかった。

 

 

 ところで、「オックスフォード英語辞典」をネット検索していたら、こんな本を見つけた。

 10歳で単語の収集に魅せられた「単語コレクター」の著者は、とうとうOEDを読むことにし、そして成し遂げたらしい。

 とりあえず、出版元による「内容紹介(一部抜粋)」(https://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gen/gen4lit_etc/oed_yonda/)を読んでみたところ、彼は1000冊の辞典を所有していて、10年前、初めてウェブスター新国際英語辞典第二版を完読した際には、

“結果、僕の頭は単語でいっぱいになってしまい、簡単な文さえ口に出すのが難しくなり、さらに、口から出る言葉は、聞き慣れない単語の変てこりんな組み合わせになってしまった。僕は、「ああ、なんて素晴らしいことなんだ!」と思い、早速その続き、『ウェブスターの第三版』(正式名称は、『ウェブスター新国際英語辞典第三版』Webster’s Third New International Dictionary of the English Language Unabridged)を買いに出かけた。”

 というから驚きである。

 

 作る人がいれば、読む人もいる。辞典の使い方も人それぞれなのだった。

 

 

メル・ギブソンとショーン・ペン↓メル・ギブソンの抑えた演技がショーンを引き立てた。

作中の編纂室。↓1857年に始め、完成したのは70年後の1928年。マレーは1915年に完成を待たず亡くなったそう。

この二人にもありがとうと言いたい。↓「言葉の翼があれば世界の果てまで行ける」byマイナー

イギリス帝国が世界で覇権を握っていた時代。時代背景も結構重要な要素です。

 

 

 


『LION ライオン~25年目のただいま』…無私の愛情に辿りつく話

2022-12-25 23:23:51 | 映画-ら行

 実話を元にした物語。実際のストーリーも、オーストラリアのドキュメンタリー番組としてYouTubeに上がっているが、かなりの部分を忠実に踏襲しているようだ。

 

 ドキュメンタリー番組のラストは(映画のラストとは異なり)、養母のスーもインドへ渡る。主人公のサルー、実母のファティマ、そしてスーの3人が抱き合って、語り合う様子が映されている。

 

 あらすじは、5歳のサルーは、母、兄、妹と共に、インド中西部の村に暮らしている。ある日、兄の仕事に付いて(ドキュメンタリーでは落ちている小銭を拾いに)駅へ向かうが、疲れてベンチで寝てしまう。すぐに戻ってくる、と言った兄は戻って来ず、目が覚めたサルーは動揺して泊まっていた電車に乗り込む。電車は回送電車で、そのまま約1800km離れた大都市コルカタへ。サルーはそこで浮浪児となる。

 映画の前半は、ほぼインドでの子供時代のシークエンス。サルーの家族、迷子になった日、コルカタでの生活、孤児院に入り里親に引き取られるまで、それぞれの経緯を描いている。

 前半は、抑揚に飛んでいる。愛情に溢れた母、兄との関係(寛容で優しい兄は、サルーにとって父であり母でもあり、サルーの守り神、そしてアイドルだった)は微笑ましく、幼い記憶は詩的に表現されている。

 コルカタの人混みに放り出された後、過酷な日々を生き抜いて行く。

 

 

 余談だが、世界7番目に大きな国土を持つインドは、地域によって言語が全く違うそうだ。一応、公用語は英語・ヒンディー語となっている。未だに英語が使われる理由は、民族的アイデンティティの違いがあるため、現実的にどうしても第二言語でのコミュニケーションが必要となるからだ。

 州公用語は18もあり、「一つの言語の方言」ではなく、構造も全く異なる別の言葉も多いそう。映画も言語ごとに作られ、いわゆる「ボリウッド」は北インドのヒンディー語圏の映画。

 また今年ヒットした『RRR』は、テルグ語の「トリウッド」。『RRR』が「融和の映画」と言われるのは、作内の描写のみならず、ボリウッドの俳優を起用したり、最初から他言語の吹き替えを配給するシステム創造からも、そう評価されているそう。

 ラージャマウリ監督以前は、ヒットした映画は、同じ脚本を使い、違う言語で撮り直していたそうだから驚く。「ゴジラ」のハリウッド版、を国内で幾つも作っているようなものだ。勿論俳優も違う。ゴジラは脚本は異なるので、ちょっと違うけど。ちなみにインドの観客は、字幕は嫌いだし、吹き替えは安っぽいと敬遠する傾向があるそうだ。(だとしたら国内の他言語、外国映画は観られないな。)

 歴史的にもイスラム支配や英国の植民地になる等、インドは外部の干渉を多々受けてきたが、その理由の一つに、国内が一枚岩ではない(複数民族、複数言語)ことが挙げられている。

 

 そんな、小さな島国に暮らす日本人には少し想像しがたいインドの言語事情だが、サルーも、コルカタで言葉が通じず困ってしまう。駅員にさえも、「お前は何を言っているのか分からない」と冷たくあしらわれ、雑踏の中でさまよい、兄や母を呼んで叫ぶ少年、いや幼児の姿は、とても切ない。

 そしてサルーは、家に帰ることをあきらめる。

 

 

 後半は、成長した20年後のサルー。オーストラリア人として幸せに暮らしている。ある日Google earthを友達に教わり、5年を掛けて、生まれ故郷の村を突き止める。

 5歳のサルーは、自分の村の名前を間違えて覚えていたし、自分の名前さえも正確ではなかった。そんなおぼろげな記憶の中から、景色や時間感覚の思い出を繋ぎ合わせて、コルカタから故郷への道を辿って行く。

 

 後半は心理描写がメインになる。

 描かれるのは大人の世界で、前半とはがらりと色調が変わるので戸惑うが、登場人物達それぞれの思いが重層的に表され、ラストの再会シーンに厚みを加えた。

 サルーの故郷への旅は、とても静かで内省的だ。再会シーンではやっぱり涙してしまった。

 

 ただ、「Google earth で故郷を探す」というアイディアは、事実であり、またアイディアとして斬新でありこそすれ、どうも映画向きではないようだ。

 5年(実際は6年)掛けて、広いインドの鉄道路線とその周囲を探って行くのだが、その様子は決してインパクトのある映像ではない。映像としては、力に欠けるように見えた。その為か、心理描写に時間が割かれるのだが、実際の動きや時間軸に沿った現実の変化に乏しく、前半と比べると失速したように思えた。

 

 印象的なのは、実母ファティマさんの言葉。サルーが必ず戻って来ると信じ村を出なかった彼女は、ドキュメンタリーで、育ての親のスーにこんなことを言っていた。

 「気遣い、ケアし、サルーに愛情を注いでくれる人がいますようにと祈っていました。あなたがそれをしてくれた。本当にありがとう。」

 何だろう。心にじんと染みる言葉だった。

 また養父母が衝動的なエゴで行動したのではなく、養子を迎えることが、十分に思索的な選択だったというのも幸運だったと思う。

 

 その後、どうなったのか。

 サルーはインドの母に新しい家を買い、二人の妹(映画では一人になっていたけど、実際は二人いた)に、十分な教育が受けられるように援助をする。そして、オーストラリアとインドを行き来し、二人の母との新しい人生を生きている。と、ドキュメンタリーでは締められていた。

 この映画では再会するところで終わっていたけど、ちゃんとその後の彼らを描写した方が良かったんじゃないか。

 と思ってしまった。

 

 

 『LION ライオン~25年目のただいま』、ガース・デイヴィス監督、2016年、豪。119分。原題は、『Lion』。デブ・パテル、ルーニー・マーラ、ニコール・キッドマン、サニー・パワール。

 第89回アカデミー賞、作品賞/助演男優賞(パテル)/助演女優賞(キッドマン)/脚色賞/撮影賞/作曲賞、ノミネート。第74回ゴールデングローブ賞、最優秀作品賞(ドラマ部門)/最優秀助演男優賞/最優秀助演女優賞/最優秀作曲賞、ノミネート。

 

 

幼少期のサルー役、サニー・パワール↓演技未経験と言うけど、自然で生き生きとした存在感に目を引きつけられた。

養母を演じるのは、ニコール・キッドマン↓ショートヘアも素敵。

実際のサルーの書いた本(原作)↓

 

 

 


『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』…アンビバレントな私

2022-12-21 03:09:42 | 映画-あ行

  前作『アバター』(2009年)、から13年。

 何が行われるんだろうと興味津々。早速、IMAX/4Kレーザー、HFR、3Dにて観て来た。

 

 さて、何があったかと言うと。

 迫力の水、海のシーンにはびっくり。予告も見ていたし想像はしていたけど、ひねくれた私の心もあっさり童心に。手のひらで転がされるとは正にこのこと。いつまでも観ていたいと思ったし、自分も水の中で浮遊しているような感覚で、登場人物と一緒に深呼吸をしてしまった。

 見たことのない生物が、自由に浮力と重力を駆使して泳ぎ回る。優雅に光を反射するプランクトンに囲まれて、自分の周りで、水と空気が一体になったような気持ち良さだった。

 この星のこの海が、架空のものだなんて全く信じられない。それくらいのリアルさで、自分の中の水に対する愛着を思い出させられたような感じだった。

 それと同時に、水の怖さ、空気を失う怖さも体験する。

 

 私達はジェームズ・キャメロンに騙されているんじゃないか?

 私達はと言うより、私は、だけど。何故、現実ではいけないのか。私は現実世界で水に触れることが出来る。水の豊かな日本で、蛇口をひねれば手に感じられるし、川の流れに触れ、海に潜り、雨に濡れることも出来る。空中で水滴が光るのも、丸みを帯びて髪を濡らすことも知っているし、飲むことだって出来る。

 

 ジェームズ・キャメロンは、探検家でもあるそうだ。

 2012年、ディープシーチャレンジャー号に乗って、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵に着底した。単独での潜行は世界初で、1960年トリエステ号に次ぐ人類2番目の地球最深部到達だったそう。(Wikipediaより)

 

 少年の頃から水、海、潜水艦に心を奪われていたジェームズ・キャメロンは、映画作家としても、水、海を舞台とし、液体を使った作品を作ってきた。ただ彼の体を介した水の体験は、そうは言っても、私達のそれとそう乖離していないだろう。何故なら、同じ人間だから。

 でも彼の心が体験した水、憧れた水、想像し感じ取り、味わった水は、一味も、ふた味も違うようだ。

 作中のパンドラという架空の星の、架空の海を使って、彼の心が捉えた美しさや恐怖や畏怖を、観客に伝えようとする。そのこだわりと熱情が、このとんでもなく新しい水の世界を、私に体験させてくれたようだ。

 

 

 ただね。

 私の心は、アンビバレントに引き裂かれる。大げさに言わせてもらえば。

 単刀直入に、脚本をもっとどうにか出来なかったものか。急に現実的なこと言うけども。細かい設定など、分かりづらいところは頭の中ですっ飛ばして良い部分だとして(気にするな、という監督からの合図)、にわかに賛同しかねる展開や、もやっとする部分があることは否めない。う~ん。個人の感想です。

 

 まあ、いいか。ネタバレしたくないので細かく書かないし、この過剰さの前では、そんなことどうでも良い気もしてきた。これは極上の映像詩を伴ったファンタジー。老若男女が楽しめる最先端。3時間あるけれど(!)

 何にしても、パンドラの星を世界の民に周知し、頭に叩き込み、手に入れたジェームズ・キャメロンはもう無敵なのだ。

 企画済みという第3作、4作、5作目も楽しみだ!本当に。

 

 

探検家キャメロンはこちら(ドキュメンタリーの予告編)↓ DEEPSEA CHALLENGE 3D Trailer | National Geographic

 

 

 少し心配だった3Dメガネは、軽くて、記憶よりも掛け心地が良かった。視界も広く、個人的にはほぼストレスは無かった。

 

 

 『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』、ジェームズ・キャメロン監督、2022年、米。192分。

 サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナ、シガニー・ウィーバー、スティーブン・ラング、ケイト・ウィンスレット。原題は、『Avatar : The Way of Water』。

 第80回ゴールデングローブ賞、最優秀作品賞(ドラマ部門)/最優秀監督賞、ノミネート。

 ちなみに製作費も第一級の約540億円。(『トップガン-マーヴェリック』は約230億円。)

 

予告でも公開されていたスーパーショット。↓人間もナヴィ族と手を繋ぎたいな。

役者さんは皆、パフォーマンス・キャプチャー撮影の為に、フリーダイビングを学んだそう。大変です。そしてケイト・ウィンスレットは何と、7分15秒息を止めることが出来るようになったらしい!(驚)

左側がケイトの演じたナヴィ族だけど、言われないと分からない。↓むしろ言われても分からない(笑)

森の民は豹のようで、海の民は魚のよう。↓ナヴィ族の耳の動きが好き。

前出のドキュメンタリー(2014、90分、米)。原題は『Deepsea Challenge 3D』↓

前作↓

 


にわかにも響く「監督のスーパープレイ」

2022-12-17 20:17:18 | 頭の中

 FIFAワールドカップ2022も、残すところ2試合。

 今晩24時に、3位決定戦のクロアチア対モロッコ。そして明日の24時には、決勝戦。アルゼンチン対フランス。

 

 ワールドカップの時だけサッカーファンになるという、「にわか中のにわか」歴も早24年。

 1998年フランス・W杯からの「にわか」で、言ってみれば根強く、筋金入りのにわかファンである。(何それ)

 

 今回は、「もう選手の名前も分からないし、見ない。」と決めていたけど、そんな決意も、崩れ落ちた。元サッカー部の旦那と、世の広告機関からの波状攻撃に、ディフェンス失敗したのである。

 

 で一回見ちゃうと、見ちゃうんですね。

 

 選手もサポーターも、監督も、ボールを追いかけ声を張り上げ、全身全霊で走り、喜び、悲しんでいるのを見るのは、本当に楽しい。そして、飛び出すスーパープレイに目を見開く。必ずどちらかのサポーターが喜び、どちらかのサポーターは悲しんではいるのだけど。

 

 スーパープレイを見ると、その時に感じる胸が躍るような感覚は、アクション映画のスーパーアクションを見ている時と似ているな、と思う。

 もちろん映画では、様々な演出やCGが使われている訳だけど、その瞬間、観客の心の機微を意図する映画監督の采配に、役者さんの身体性に、カタルシスを感じる。

 

 

 日本代表が敗退した後も、変わらずW杯を見てしまうのは、奇跡を見たいのかな。

 スーパープレイも凄いけど、選手も監督もサポーターも、全員が熱狂してその瞬間に没頭している。それだけでもう奇跡みたいなもんだ。

 

 

2年間で2841万回再生の監督スーパープレイ集。↓W杯関係なく、時々無性に見たくなります(笑)