tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『ネイチャー』

2014-05-03 20:44:27 | 映画-な行
 BBC earth の『ネイチャー』3Dを観た。

 丁度アイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』を読んでいる所だったので、草原のシーンなどは、本の中のシーンがよみがえって動き出したような感じがした。
 もっとも訳者の解説によれば、ディネーセン自身は「この本に、写真を入れることを拒み通した」という。著者の内部で変容し結晶したアフリカ像を、写真はとらえ得ない、ということらしい。写真というのは、当時著者が撮った写真だろうか。
 フィルムと文字では切り取り方がちがうし、浸透して行く方向がちがう、というのであれば何となく分かる気がする。そうであれば、ディネーセンの思いが描写したアフリカと、このドキュメンタリーの草原は別物ということになる。
 とは言うものの私にとっては、ディネーセンの文章に現れるアフリカと目の前の飛び出る草原は、かなり近しい。


 フラミンゴが楽しかった。火山の湖を埋めつくすようなフラミンゴの群れは、藻を食べて、赤くなる。赤くなると、今度はダンスが始まる。まだ白っぽいフラミンゴの間を、赤いフラミンゴの集団が、首を高く伸ばして練り歩く。上空から見たフラミンゴの群れは圧巻だ。

 そしてナイルワニ。「このワニたちは、一年以上食事をしていません。」って…、大丈夫なんだ。
 それからワニがヌーの群れに襲いかかり、喰らいついて水の中に引きずり込む。
 この映画の撮影期間は、たしか五百何十日だったけど、ワニたちと一緒に、撮影クルーは日一日、一年以上、水を飲みにヌーの群れがやって来るのを待っていたんだろうか。


 野生動物は、生きるために生きているようだ。種の保存のためとも言うんだろう。水を飲み、栄養をとり、眠る。生殖をし、子育てをする。命を長らえさせること、それのみのために生がある。
 人はそれではいけないんだろうか。人も、生きるために生きるんでいいんじゃないかとも時には思う。食べて寝て、それができれば万々歳。しかしそれは人に言わせれば、怠惰ということになる。
 
 生きるために生きるのが、簡単になったからだろう。もちろん社会にもよるし、野生動物に比べればということだけど。

 簡単になったとはどういうことだろうか。
 
 社会のシステムにかろうじてついて行けさえすれば、今の日本で食べ物を手に入れ、安全な場所で眠ることはそう難しくはない。ひどく簡単なのだ。

 お釈迦様ならぬ、何者かのてのひらに乗ってさえいれば。欲望と自我を何者かにゆだねきるか、もしくは殺すことができれば、日々を過ごすのはわりと簡単そうに見える。ただしその何者かは、自分ではないことだけは確かだ。

 怠惰とは何か。
 システムに乗ることが怠惰なのか、乗らないことが怠惰なのか。

 システムを作るという選択肢は、野生の世界には無さそうに見える。


 『ネイチャー』(原題は『Enchanted Kingdom 3D』)、2013年、イギリス。パトリック・モリス、ニール・ナイチンゲール監督。