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『あさがくるまえに』…均等性と対比

2023-02-13 01:07:24 | 映画-あ行

 『あさがくるまえに』、カテル・キレヴェレ監督、2016年、104分。フランス・ベルギー合作。

 原題は、『Reparer les vivants』(生きている人々を癒やす、の意。英題は『Heal the Living』)。

 

 17歳の青年の脳死と、家族による臓器提供の決断。関わる医師チーム、移植コーディネーター、そして移植を受ける女性とその家族と恋人を描いた物語。

 

 どのシーンに登場する人も、皆主役に思えてくる。

 関わる者一人一人の心象が描かれる事で、複雑で込み入った「人生」(というもの)に光が当てられる。たった一日の、ある夜明けから次の夜明けまで。複雑で多様な人生ストーリーが、画面に即物的に映し出される、一つの心臓に集約されて行く。

 (動悸を打つ心臓とはこういうものか。比喩ではなく。)

 

 複雑な人生と、シンプルな命。それぞれの事情、心と対比するように、心臓は淡々と運ばれ移植される。冒頭のサーフィンのシーンは、シンプルさに含まれるんだろう。ただ夢中になって、ただ生きていることの美しさ。ラストシーンは、複雑さの味わいかな。切なさと、喜び。

 監督インタヴューによると、原作ではシモン青年のストーリーに重心が置かれているそうだが、この映画では、シモンとクレール(被移植者の女性)を同じ分量で扱いたかった、ということだった。

 この作品の語り口、淡々としていて、それが故に余計胸にせまる余韻の理由は、そうした均等性にもあるのかもしれない。

 何かを声高に語らないように。だって本当はシンプルだから。

 

 

 分子生物学者福岡伸一さんの、「動的平衡」を思い出した。

 先生は仰る。「生命現象とは、動的平衡だ。動きながら平衡を保つ現象。生命は、変わらないために、変わり続けている。(エネルギーは循環しているが故に)私たちの細胞は、この風に揺れる葉っぱだったかもしれないし、死んだ後この葉っぱになる可能性もある。」

 うろ覚えなのでもしかしたら、ちょっと違うかもしれない。そしたら、ごめんなさい。

 私が理解出来るかどうかは置いておいて、福岡先生の文章は、とても明快で、かつ詩的でもある。「動的平衡」論はもちろん科学なのだけど、そのイメージは、詩情にあふれる。分子がふるふる震えているだなんて!(理解出来てないだろう感。)

 ともかく、その詩情をストーリーにし映像にすると、この『あさがくるまえに』になるんじゃないかと、ふと思った。

 

190107 動的平衡ロゴmovie

 

 

 

 ちなみにキレヴェレ監督は、ガス・ヴァン・サント監督が好きらしい。

 確かに。

 ガス・ヴァン・サントの名前を覚えるのと同じくらいのポテンシャルで、カテル・キレヴェレ監督の名前を覚えよう。次作が楽しみ。そうそう、エンドロールのデヴィッド・ボウイ「Five years」も最高だった。

 

 原作は、メイリス・ド・ケランガル『Reparer les vivants(映画と同題)』(2014年、英題は『The Heart』)。

 

映画『あさがくるまえに』本編映像(オープニングシーン)

↑話題となった美しい冒頭シーン。映画を見終った後はさらに、生と死を繋ぐ一つの詩のようにも感じる。

 

秦 基博/朝が来る前に-Avant l’aube- (Réparer les vivants Ver.) 映画『あさがくるまえに』オフィシャルイメージソング

↑同タイトルという事から監督の希望によりイメージソングとなった、秦さんの「朝が来る前に」(2010年)。歌詞が映画の内容に不思議とシンクロしているのは何故。

 

よく分からないけど「ありがとう」と言いたくなった。↓

 

 

 

 



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