『 犬の子はおへど去らねば、
犬の子の心を知りて さびしかりけり 』
***
村の道を歩いていたら、どこからか子犬がついてきた。
首輪のないところをみると飼い犬ではないらしい。
捨て犬の子犬かも知れない。
ちょっと追い払う真似してみると少し後ずさりするが、また、ついてくる。
捨て犬の子ながら、人恋しいらしい。
この子犬も「生きもの」に恋しいらしい。
「さびしい」・・・そうだ、「生きものたち」はさびしいものだよ。
私は作者と子犬の「さびしさ」が痛いほど分かるような気がする。
***
以下は夏目漱石の文章の中で私が最も好きな文章。
ここには、漱石という人の「さびしさ」が最も象徴的に表現されていると私は思う。
『車夫は筵の中にヘクトーの死骸を包んで帰って来た。私はわざとそれに近付かなかった。白木の小さい墓標を買って来さして、それへ「秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを家のものに渡して、ヘクトーの眠ってゐる土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北に當って、ほゞ一間ばかり離れてゐるが、私の書斎の、寒い日の照ない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒らされた裏庭を覗くと、二つとも能く見える。もう薄黒く朽ち掛けた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々しく光ってゐる。然し間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼に付かなくなるだろう。 (「硝子戸の中」夏目漱石)』
犬の子の心を知りて さびしかりけり 』
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村の道を歩いていたら、どこからか子犬がついてきた。
首輪のないところをみると飼い犬ではないらしい。
捨て犬の子犬かも知れない。
ちょっと追い払う真似してみると少し後ずさりするが、また、ついてくる。
捨て犬の子ながら、人恋しいらしい。
この子犬も「生きもの」に恋しいらしい。
「さびしい」・・・そうだ、「生きものたち」はさびしいものだよ。
私は作者と子犬の「さびしさ」が痛いほど分かるような気がする。
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以下は夏目漱石の文章の中で私が最も好きな文章。
ここには、漱石という人の「さびしさ」が最も象徴的に表現されていると私は思う。
『車夫は筵の中にヘクトーの死骸を包んで帰って来た。私はわざとそれに近付かなかった。白木の小さい墓標を買って来さして、それへ「秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを家のものに渡して、ヘクトーの眠ってゐる土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北に當って、ほゞ一間ばかり離れてゐるが、私の書斎の、寒い日の照ない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒らされた裏庭を覗くと、二つとも能く見える。もう薄黒く朽ち掛けた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々しく光ってゐる。然し間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼に付かなくなるだろう。 (「硝子戸の中」夏目漱石)』