釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

23.『笹の葉を喰(は)みつ々・・・』

2011-08-19 07:13:18 | 釋超空の短歌
『 笹の葉を喰(は)みつ々 口に泡はけり。
   愛(かな)しき馬や。 馬になれる子や 』
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たしか、「めんこい子馬」とかいう歌があった気がする。
ちょっとネットで調べたら山本嘉次郎監督の『馬』という映画らしい。
高峰秀子が子役として出ていたと記憶している。

この釋超空のうたの「愛(かな)しき馬」とは、「めんこい馬」という意味だろうか。
愛を「かなしき」と読ませているのが釋超空らしい。
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「馬になれる子」とは、どういう意味だろうか。

私は、「たまたま馬に生まれてきた子(馬)」というふうによみたい。
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私は散歩しているとき、道に蟻がテクテク歩いているのをよく見かける。
そういうとき私はその蟻を踏みつけないように、そっと避(よ)けて通るようにしている
(といっても私は道徳者の類の人間では決してない)

その蟻を見て、私は時々こう思う。
「この蟻は蟻として生まれ、蟻として死んでいくのだな」と。

そう思うとき私は、(どう言えばよいだろうか)、ある「かなしみ」を感じる。
私だって、たまたま人間として生まれ、人間として死んでいくのだ。
蟻となんらの変わりもない。

上記の子馬も、たまたま馬として生まれ、馬として死んでいく。

「かなしい」ではないか。

この「かなしさ」をどう表現したらよいだろう。
私は、その言葉を見つけることができない。

しかし、私は時々その「かなしみ」を感じている。

おそらく、全ての芸術の芯はそこにあるのだろうが。