釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

34. 『燈ともさぬ村を行きたり・・・』

2011-08-28 09:07:30 | 釋超空の短歌
『 燈ともさぬ村を行きたり。 山かげの道のあかりは、月あるらしも 』
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いつの頃からだろうか、人は「夜の闇」を失った。
煌々と輝く電燈のあかりは、人から「夜の闇」を奪い去った。

これは何を意味するのだろうか。
とても重大なことを意味しているような気が私はする。

形而上な意味でも形而下の意味でも。

そもそも闇を失った光は存在する意味があるのか?
(悪魔の存在しない世界に神は存在し得るのか、とも言い換えられるか)

いずれにせよ、影とか陰とか蔭とか翳とかは、この「電燈」という近代文明によって死に絶えようとしている。

(否、もしかしたら2011/3/11はターニングポイントになる可能性は零ではないと期待したが、どうも限りなく零に近いようだ)
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多くの現代人にとって、いや全ての人と言ってよいかも知れない。

『山かげの道のあかり』の『月あるらし』のニュアンスは理解不能だろう。

そのニュアンスは現代人にとって無用であるかも知れないが、しかし、「闇」を知らない人間ほど危険なものはない。

パスカルも言ってるのでないか。
『人間は天使でもなければ禽獣でもない。天使になろうとするものが禽獣になるのは不幸なことである』
(ここで、天使、禽獣とはそれぞれ「光」「闇」のメタファーとして私は勝手に使っている)