釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

非文系的雑談6:複素平面の万華鏡

2011-08-15 10:09:18 | 非文系的雑談
これらの画像はPCで作成したものです。

ある簡単な規則を、10行程度にプログラム(インタープリタBASIC)し、
それを実行させて描いた画像です。

プログラムの要点は「自己回帰性」です。

この単純な性質が、これらの画像の豊潤さを生み出しているのです!!

目も眩(くら)まんばかりの、この豊潤さは実は「単純なことの繰り返し」によって生み出されるのです!!

この世の中の「複雑さ・豊潤さ」も「自己回帰性」という単純なことの繰り返しから、おそらく生み出されているのでしょう。

この画集は、そのような難しい話は抜きにして単に画像の面白さを楽しむことにします(画像は随時追加)。

***
詳しい話は→ http://iiii.no-blog.jp/blog/



19. 『むぎうらしひとつ鳴き居し・・・』

2011-08-15 07:48:16 | 釋超空の短歌
『むぎうらし ひとつ鳴き居し声たえて、ふたたびは鳴かず。山の寂けさ』
***
私が持っている本では、このうたに下記の(作者による?)説明が補足されている。
 「麦うらしは、早蝉。鳴いて、麦にみを入れる、と言ふ考えからの名」

作者はその蝉の声をどこかの山里の宿で聞いたのだろうか。

その蝉がひとつ鳴いて、それきり何も聞こえてこない。
ただ感ずるのは山の寂けさだけ。

静けさではなく寂けさであるところが作者の心中が透けて見える。

「山の寂けさ」は単なる物理的静寂ではない。
それは作者の心の淋しさへと誘導されていく「心情」ではないか。

この「寂けさ」は「淋しさ」と微妙に表裏をなす作者の心情だと思われる。
***
「淋」という字。
漢字は面白い。

「さんずい」に「林」。
静かな湖にひっそりと立っている木々。
そういう状況が「淋しい」という状態。

作者の「寂けさ」は「淋しさ」であり、その淋しさは、例えれば、ひっそり在る湖の周りの木々のような「淋しさ」・・・。

たぶん「寂けさ」は、そのような「淋しさ」でもあるのだろう。
***
山というものは、神秘的というか原初的というか、そういう根源的な存在だ。

作者はおそらく「山の寂けさ」さから、ある根源的な静寂さをも感じていたに違いない。
***
松尾芭蕉の有名な俳句。 「古池や 蛙とびこむ 水の音」

釋超空のこのうたと芭蕉のこの俳句は、おそらく、根底において同意だろう。