釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

14. 『磯村へますぐにさがる 山みちに・・・』

2011-08-10 06:23:43 | 釋超空の短歌
『 磯村へますぐにさがる 山みちに、 心ひもじく 波の色見つ 』
***
「ひもじく」とはなんだろう。

コンデンサやコイルなら私は分かるが、昔、学生のとき国語が苦手であった私は今でも日本国語の知識はすこぶる貧しい。

だから三省堂の国語辞典で調べてみた。

「ひもじい」とは「空腹で食物がほしい」と解説していた。
そうか、心が「空腹で食物がほしい」ことか。

しかし、こんな説明では私はものたりない。
違うよ、そういう意味じゃぁないんだよ、このうたでは。

(だから私は国語の授業ってやつが嫌いだったんだ !!)
***
このうたをよむと私は妙な既視感(デジャブ)を感じる。

何処かの一筋の細い山道をとぼとぼと下ってくると、突然、海が見えた。
その海の色は見たこともない色で鈍く輝いていて、波は・・・その波も見たこともない色で、たゆたっていて・・・周りは、もの音は一切なかった。

それは夢だったか、いや、既視よりも未視の光景かも知れない。
つまり、これから私がいつか体験するであろう「彼岸」の光景のような気もする。

そのときの私の心は、決して「空腹で食物がほしい」ではなく、或る「かなしい」開放感で満たされていた。

「やっと終わったか」という、「かなしい」けれど、しかし「ほっとした」こころ・・・そういう心もちを「ひもじい」と私はよみたい。