『 信じない 信じられない 信じたい 投げつけられたトマトのように 』
『 黒板に書かれることが真(まこと)なら 白いチョークを一本ください』
***
もう今から数十年ほど前、ある人がテレビ番組で女子高校生のうたを紹介していた。
当時、全国女子高校生うた大会という催しがあり、その入選歌とのことだった。
たまたま偶然に見たテレビ番組だったが、そこで紹介された歌は私は今でも記憶している。
そのうたが上記のうただった。
青春という時期は、例えば「信じる」ということにも必要以上に敏感であり、
歳とってみれは何でもないことにも、「投げつけられたトマト」のように心がグチャっと赤く傷ついてしまう。
この青春という時期の痛ましさを、『 信じない・・・』のうたは良く表現されていると私は思う。
また『黒板に・・・』のうた。
私はこのうたを聞いたとき、映画『西部戦線異常なし』を連想したのだった。
(小説でもそうだろうが、この映画のラストで、若き兵士が傍の花をとろうとした時、
射撃されて死んでいくシーンは印象的だった。)
教室で、「まことしやかな」ことを教師は黒板に書き、生徒たちを戦場へと送り出していく。
このような教師の欺瞞を、このうたの作者である女子高校生は鋭く見抜いている。
ここにも青春というもののもつ鋭敏な眼が、この女子高校生にはある。
歳をとるということは、青春のこのような「痛ましさ」や「鋭敏さ」から鈍感になっていくということ。
このことは私たちの人生にとって、なにか大事なものを失うことでもあるが、また反面、救いでもあると私は思う。
このうたの作者は今健在だろうか。
もし健在だったら、若き日のこのうたを思い出し苦笑しているかも知れない。
『 黒板に書かれることが真(まこと)なら 白いチョークを一本ください』
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もう今から数十年ほど前、ある人がテレビ番組で女子高校生のうたを紹介していた。
当時、全国女子高校生うた大会という催しがあり、その入選歌とのことだった。
たまたま偶然に見たテレビ番組だったが、そこで紹介された歌は私は今でも記憶している。
そのうたが上記のうただった。
青春という時期は、例えば「信じる」ということにも必要以上に敏感であり、
歳とってみれは何でもないことにも、「投げつけられたトマト」のように心がグチャっと赤く傷ついてしまう。
この青春という時期の痛ましさを、『 信じない・・・』のうたは良く表現されていると私は思う。
また『黒板に・・・』のうた。
私はこのうたを聞いたとき、映画『西部戦線異常なし』を連想したのだった。
(小説でもそうだろうが、この映画のラストで、若き兵士が傍の花をとろうとした時、
射撃されて死んでいくシーンは印象的だった。)
教室で、「まことしやかな」ことを教師は黒板に書き、生徒たちを戦場へと送り出していく。
このような教師の欺瞞を、このうたの作者である女子高校生は鋭く見抜いている。
ここにも青春というもののもつ鋭敏な眼が、この女子高校生にはある。
歳をとるということは、青春のこのような「痛ましさ」や「鋭敏さ」から鈍感になっていくということ。
このことは私たちの人生にとって、なにか大事なものを失うことでもあるが、また反面、救いでもあると私は思う。
このうたの作者は今健在だろうか。
もし健在だったら、若き日のこのうたを思い出し苦笑しているかも知れない。