『 山々をわたりて、人は老いにけり。
山のさびしさを われに聞かせつ 』
***
作者が山道を歩いていると、向こうから来る老人と出会った。
今日、この山道で会ったのは、この老人だけであった。
この老人とすれ違うとき、なにがしかの声をかけあった。
その、つかの間の会話から作者はこの老人の人生の本質を見抜いた。
(思うに、この世の巷の会話なるものの、ほとんど全ては無意味な饒舌に過ぎない。
有っても無くて同然の屑と言える。真なる会話は、即ち、終生忘れ得ぬ会話は畢竟その長さとは無縁である)
老人の言う「山のさびしさ」とは何だろう?
それは恐らくこう言えるだろう。
「巷の生活の空虚さ」の全ての意味での裏返し・・・つまり「山のさびしさ」とは人生の豊潤さに他ならない。
山のさびしさを われに聞かせつ 』
***
作者が山道を歩いていると、向こうから来る老人と出会った。
今日、この山道で会ったのは、この老人だけであった。
この老人とすれ違うとき、なにがしかの声をかけあった。
その、つかの間の会話から作者はこの老人の人生の本質を見抜いた。
(思うに、この世の巷の会話なるものの、ほとんど全ては無意味な饒舌に過ぎない。
有っても無くて同然の屑と言える。真なる会話は、即ち、終生忘れ得ぬ会話は畢竟その長さとは無縁である)
老人の言う「山のさびしさ」とは何だろう?
それは恐らくこう言えるだろう。
「巷の生活の空虚さ」の全ての意味での裏返し・・・つまり「山のさびしさ」とは人生の豊潤さに他ならない。